ドルカの背信 -グイド-
文字数 3,590文字
――下町の大衆酒場で、赤竜騎士が派手に遊んでいる――
そんな話をスチェパが聞かされたのは、赤竜第二隊長が不慮の怪我で隊を離脱してから、しばらくたったころだった。
イハウ連合国の侵攻が活発化するなかでの不測の事態であったが、第一隊のバシリウス・サラマリス隊長がその穴をきっちりと埋め、東の小競り合いも、第三隊のサラマリス家の竜騎士が退けたという。
「帝国の護 りに綻びなんかないな!」
「さすが赤竜軍、さすがサラマリス家だ」
つい最近、有利な条件で停戦を結んだ帝国では、どこへ行っても赤竜族を称 える話ばかり聞かされる。
だというのに。
(赤竜サマにも不良がいるなんて、ウソみてぇだけど。「三月 の間に赤のアラを探せ」ってのが、黒竜騎士名乗る見返りだからなぁ)
物は試しと、スチェパが教えられた酒場の扉を開けたとたん、酔客たちがどっと笑う声が外にあふれ出てきた。
「やだぁグイド、大丈夫ぅ?」
「へーきへーき!ほら、もっと飲もうよ!」
陽気な群衆の輪の中心にいるのは、「グイド」と呼ばれた、赤土色の髪をした好青年だ。
皆と陽気に酒盃を交わし合っているが、どうもその笑顔はくすんで見える。
着ている赤竜隊服もどこかだらしなくて、「遊び人の赤竜騎士」とはあいつだなと、スチェパは目星をつけた。
「ガザビアでは、ずいぶんとご活躍だったらしいな!」
グイドからなみなみと酒を注がれた男が、上機嫌でその肩を叩く。
「大げさ。竜騎士として、当たり前のことしかしてないよ」
「へー、あんたカザビア帰りなのか」
大袈裟に目を丸くしながら、スチェパはグイドを取り巻く輪に加わった。
「自治区の国境軍は、相当の猛者 じゃなきゃ、三日と持たないって聞くぜ?」
怪訝そうな目をして、グイドがスチェパを見上げる。
「見ない顔だな」
「あー、俺はあんまこっちのほう、来ねぇから」
「このヒトはねぇ、黒竜騎士なのよ。そうでしょう?」
スチェパがこの店に来るのは初めてだし、今は平服を着ているのに。
グイドにしなだれかかる女給にはお見通しのようで、まったくこの界隈の情報網は恐ろしい。
「いや、俺は初陣もまだだから」
スチェパは恥ずかしそうな顔を作って、頭をかいてみせた。
「その年齢で新参竜騎士……。ニェベス?」
グイドから手渡された盃から漂う馥郁 とした香りに、スチェパの鼻の穴が広がる。
「大当たりっ。これからよろしくな、赤竜騎士殿」
スチェパはグイドと乾杯の合図を交わして、一息で酒を飲み干した。
「かぁ~、うめぇな、こりゃ。どこの酒?」
「ドルカ領から卸してるやつだよ」
「お、”幻のドルカの琥珀”ってやつか!」
それは酒飲みならば、一度は飲んでみたいと憧れる希少な酒で、目玉が飛び出るほどの値が付く高級品のはずだが。
「宮廷専用かと思ってたよ」
「城下で出してるのはうちくらいよ。それだって、グイド・ドルカ様が来てくれるときじゃなきゃ飲めないんだから。あなた、運が良かったわね」
「ど、ドルカ?!赤竜族じゃねぇかよっ」
グイドの腕に絡みついている女給の妖艶な笑みに、スチェパが演技なしでのけぞる。
(ご貴族サマが不良騎士とはねぇ)
「そうだけど、ドルカは赤竜族の末家だよ。俺の目も緑じゃないから、竜術も大したことないし」
「へー、そんなもん?」
皮肉げに細められたとび色の瞳を見て、スチェパは首を傾 げた。
どれほど竜に似た容姿を持つかで竜術の強さが決まると聞くが、よそ者のスチェパには眉唾ものの話でしかない。
「いや、カザビア帰りなんだろ?それだけですげぇよ!大事な時期に大怪我したっていう第二隊長より、よっぽど優秀なんじゃねぇの?」
「お前、ディデリス隊長を見たことあるのかよっ」
顔色を変えたグイドに、スチェパは内心舌打ちをした。
隊長よりすごいと言ってやれば喜ぶかと思ったが、逆効果らしい。
「赤竜族の結びつきは強い」と聞かされたが、なるほど。
(領袖 家サラマリスを悪く言うのは、ダメなのか)
「でも、やっぱりグイドはすごいわよぉ。なんたって、今や副隊長代理サマだもの。カイが言ってたわよ。グイドを指名したのはディデリスだって」
女給の話しぶりからすると、この酒場は赤竜軍御用達らしい。
「へぇぇ~。隊長の信頼がよっぽど厚いんだな。優秀な赤竜軍の中で副隊長にって推薦されるんだから、すんげぇ認められてんだ」
「……そうかな?」
自分の言葉に乗せられて照れ笑いを浮かべるグイドに、スチェパはほくそ笑んだ。
盃をあおる動作に薄暗い笑みを隠して、スチェパはグイドに肩を寄せる。
「つまり、隊長の右腕ってとこ?」
「いや、右腕はカイ副隊長だよ。俺は……」
「グイドはもうちょっと自信持ちなよ!」
簡単な食事を持ってやってきたこの店の女将 が、グイドの肩をぽんと叩いた。
「グイドをカザビアへやったのは期待してるからだ、ここで経験を積んだら、次の副隊長はグイドだなって、ディデリスが前に言ってたよ!」
「……そんなこと言ってた?ホントに?ディデに、ディデリス隊長が?」
弾けた笑顔を見せて立ち上がったグイドを横目に、スチェパは隣に座る男に耳打ちをする。
「なぁ、そのディデリス隊長ってのは、そんなにすげぇの?」
「お前、本当に新参者なんだな。いくら黒竜だからって、知らねぇのかよ。難攻不落の鉄壁の赤竜、サラマリス詩歌 そのものの竜騎士。それが、ディデリス・サラマリスだよ」
「はぁ~ん?」
苦笑いをされて、スチェパはあごを上げて首を傾けた。
(そんなご立派な竜騎士ならよ、何が原因で大怪我なんかするんだ?)
「女将 、みんなにも一杯おごって!」
「はい、まいど!」
グイドの太っ腹な注文に、女将がご機嫌で応えている。
(おやまあ、ご貴族サマは景気がいいねぇ)
歓声を上げる酔客とともに手を叩きながら、スチェパはグイドとその金の使い方をじっくりと観察し続けた。
客たちと飲み交わすのにも疲れたのか、片隅の席にどっかりと座り込んだグイドの隣に、するりとスチェパがすり寄る。
「悪いなぁ、こんなにうまい酒、ゴチソウになっちゃって」
「いやべつに」
(はぁん。オレには興味ないってか)
「そういや、ディデリス隊長の怪我ってどうなんだ?心配だなぁ」
つれない態度にもめげずに、さも心を痛めているという声色を、スチェパは作った。
「……誰とも会おうとしないから、よくわからない。カイ副隊長は面会してるけど、あれで口が堅い人だし……。おかしいんだよなぁ。アルティがお見舞いに行ってないみたいなんだ」
「あー、アルティ、ねぇ」
(誰だ、そりゃ)
グイドと話を合わせるために、スチェパはその名前を繰り返してみる。
「そー。こないださ、アルティがお見舞いに行ったかどうかを、カイ副隊長に聞いたらさ、”ディデリスが誰とも会いたがらない”って言うんだ。嘘だよねぇ」
「あー、嘘だよなぁ」
「ねー。誰とも会わないって言ってたって、アルティなら絶対許すはずだもの、ディデ兄 は。アルティがまだ第二隊にいたころ、陛下のご視察先が海でさ。お忍びだから、随行は隊三役だけって話だったのに、アルティがちょっと”いつか海を見てみたい”って言っただけで、いきなり陛下のご許可取っちゃって。表面上はさ?一隊員にも経験を積ませるため、なんて嘘ばっかり。ディデ兄 は嘘つきなんだ」
「嘘つきなのかぁ」
急に口が軽くなったグイドに、スチェパは内心もみ手をした。
「そー。でも、そのときに、”あまり多くてもお邪魔でしょうし、俺は留守居をしましょうか”って言ったらさ、ディデ兄 、何て言ったと思う?」
だいぶ酔いが回ってきたのか、目を据 わらせながらも、それは嬉しそうな顔がスチェパに向けられる。
「えー、そーだなぁ。絶対一緒に行こうぜ!みたいな?」
「そうなんだよ、よくわかったね!”お前が抜けては駄目だ、必ず来い”って言ってくれたんだ!初めてだったよ、ディデ兄 が俺を誘ってくれたの」
◇
「……それって、あれだろ、陛下が急に”海水浴に行く”とか言い出したとき」
「そうだな」
「そうだな、じゃないだろっ」
表情も変えずにうなずく友人の頭を、呆れ顔のカイが小突く。
「あれは、リズィエが”無理やり自分を入れてしまって、グイドが抜けるようなことがあったら行かない”って言ったからだろ。言葉を省きすぎるから、妙な誤解を受けるんだぞ」
「ほんとにね」
複雑な思いで、アルテミシアも同意した。
あのころ、急に落ち込んだり、はしゃいだりと忙しかったグイドを、アルテミシアもよく覚えている。
機嫌がよくなってからは「アルティは初めての海だから」と、準備のための買い物に付き添ってくれて。
そのたびにディデリスも付いてきて、ついでにカイが同行することもあって。
滅多にないくらい楽しい時間だったのだが、そのときに気がついたのだ。
グイドのまなざしが、誰に向けられているのかを。
そして、そのまなざしの熱に。
そんな話をスチェパが聞かされたのは、赤竜第二隊長が不慮の怪我で隊を離脱してから、しばらくたったころだった。
イハウ連合国の侵攻が活発化するなかでの不測の事態であったが、第一隊のバシリウス・サラマリス隊長がその穴をきっちりと埋め、東の小競り合いも、第三隊のサラマリス家の竜騎士が退けたという。
「帝国の
「さすが赤竜軍、さすがサラマリス家だ」
つい最近、有利な条件で停戦を結んだ帝国では、どこへ行っても赤竜族を
だというのに。
(赤竜サマにも不良がいるなんて、ウソみてぇだけど。「
物は試しと、スチェパが教えられた酒場の扉を開けたとたん、酔客たちがどっと笑う声が外にあふれ出てきた。
「やだぁグイド、大丈夫ぅ?」
「へーきへーき!ほら、もっと飲もうよ!」
陽気な群衆の輪の中心にいるのは、「グイド」と呼ばれた、赤土色の髪をした好青年だ。
皆と陽気に酒盃を交わし合っているが、どうもその笑顔はくすんで見える。
着ている赤竜隊服もどこかだらしなくて、「遊び人の赤竜騎士」とはあいつだなと、スチェパは目星をつけた。
「ガザビアでは、ずいぶんとご活躍だったらしいな!」
グイドからなみなみと酒を注がれた男が、上機嫌でその肩を叩く。
「大げさ。竜騎士として、当たり前のことしかしてないよ」
「へー、あんたカザビア帰りなのか」
大袈裟に目を丸くしながら、スチェパはグイドを取り巻く輪に加わった。
「自治区の国境軍は、相当の
怪訝そうな目をして、グイドがスチェパを見上げる。
「見ない顔だな」
「あー、俺はあんまこっちのほう、来ねぇから」
「このヒトはねぇ、黒竜騎士なのよ。そうでしょう?」
スチェパがこの店に来るのは初めてだし、今は平服を着ているのに。
グイドにしなだれかかる女給にはお見通しのようで、まったくこの界隈の情報網は恐ろしい。
「いや、俺は初陣もまだだから」
スチェパは恥ずかしそうな顔を作って、頭をかいてみせた。
「その年齢で新参竜騎士……。ニェベス?」
グイドから手渡された盃から漂う
「大当たりっ。これからよろしくな、赤竜騎士殿」
スチェパはグイドと乾杯の合図を交わして、一息で酒を飲み干した。
「かぁ~、うめぇな、こりゃ。どこの酒?」
「ドルカ領から卸してるやつだよ」
「お、”幻のドルカの琥珀”ってやつか!」
それは酒飲みならば、一度は飲んでみたいと憧れる希少な酒で、目玉が飛び出るほどの値が付く高級品のはずだが。
「宮廷専用かと思ってたよ」
「城下で出してるのはうちくらいよ。それだって、グイド・ドルカ様が来てくれるときじゃなきゃ飲めないんだから。あなた、運が良かったわね」
「ど、ドルカ?!赤竜族じゃねぇかよっ」
グイドの腕に絡みついている女給の妖艶な笑みに、スチェパが演技なしでのけぞる。
(ご貴族サマが不良騎士とはねぇ)
「そうだけど、ドルカは赤竜族の末家だよ。俺の目も緑じゃないから、竜術も大したことないし」
「へー、そんなもん?」
皮肉げに細められたとび色の瞳を見て、スチェパは首を
どれほど竜に似た容姿を持つかで竜術の強さが決まると聞くが、よそ者のスチェパには眉唾ものの話でしかない。
「いや、カザビア帰りなんだろ?それだけですげぇよ!大事な時期に大怪我したっていう第二隊長より、よっぽど優秀なんじゃねぇの?」
「お前、ディデリス隊長を見たことあるのかよっ」
顔色を変えたグイドに、スチェパは内心舌打ちをした。
隊長よりすごいと言ってやれば喜ぶかと思ったが、逆効果らしい。
「赤竜族の結びつきは強い」と聞かされたが、なるほど。
(
「でも、やっぱりグイドはすごいわよぉ。なんたって、今や副隊長代理サマだもの。カイが言ってたわよ。グイドを指名したのはディデリスだって」
女給の話しぶりからすると、この酒場は赤竜軍御用達らしい。
「へぇぇ~。隊長の信頼がよっぽど厚いんだな。優秀な赤竜軍の中で副隊長にって推薦されるんだから、すんげぇ認められてんだ」
「……そうかな?」
自分の言葉に乗せられて照れ笑いを浮かべるグイドに、スチェパはほくそ笑んだ。
盃をあおる動作に薄暗い笑みを隠して、スチェパはグイドに肩を寄せる。
「つまり、隊長の右腕ってとこ?」
「いや、右腕はカイ副隊長だよ。俺は……」
「グイドはもうちょっと自信持ちなよ!」
簡単な食事を持ってやってきたこの店の
「グイドをカザビアへやったのは期待してるからだ、ここで経験を積んだら、次の副隊長はグイドだなって、ディデリスが前に言ってたよ!」
「……そんなこと言ってた?ホントに?ディデに、ディデリス隊長が?」
弾けた笑顔を見せて立ち上がったグイドを横目に、スチェパは隣に座る男に耳打ちをする。
「なぁ、そのディデリス隊長ってのは、そんなにすげぇの?」
「お前、本当に新参者なんだな。いくら黒竜だからって、知らねぇのかよ。難攻不落の鉄壁の赤竜、サラマリス
「はぁ~ん?」
苦笑いをされて、スチェパはあごを上げて首を傾けた。
(そんなご立派な竜騎士ならよ、何が原因で大怪我なんかするんだ?)
「
「はい、まいど!」
グイドの太っ腹な注文に、女将がご機嫌で応えている。
(おやまあ、ご貴族サマは景気がいいねぇ)
歓声を上げる酔客とともに手を叩きながら、スチェパはグイドとその金の使い方をじっくりと観察し続けた。
客たちと飲み交わすのにも疲れたのか、片隅の席にどっかりと座り込んだグイドの隣に、するりとスチェパがすり寄る。
「悪いなぁ、こんなにうまい酒、ゴチソウになっちゃって」
「いやべつに」
(はぁん。オレには興味ないってか)
「そういや、ディデリス隊長の怪我ってどうなんだ?心配だなぁ」
つれない態度にもめげずに、さも心を痛めているという声色を、スチェパは作った。
「……誰とも会おうとしないから、よくわからない。カイ副隊長は面会してるけど、あれで口が堅い人だし……。おかしいんだよなぁ。アルティがお見舞いに行ってないみたいなんだ」
「あー、アルティ、ねぇ」
(誰だ、そりゃ)
グイドと話を合わせるために、スチェパはその名前を繰り返してみる。
「そー。こないださ、アルティがお見舞いに行ったかどうかを、カイ副隊長に聞いたらさ、”ディデリスが誰とも会いたがらない”って言うんだ。嘘だよねぇ」
「あー、嘘だよなぁ」
「ねー。誰とも会わないって言ってたって、アルティなら絶対許すはずだもの、ディデ
「嘘つきなのかぁ」
急に口が軽くなったグイドに、スチェパは内心もみ手をした。
「そー。でも、そのときに、”あまり多くてもお邪魔でしょうし、俺は留守居をしましょうか”って言ったらさ、ディデ
だいぶ酔いが回ってきたのか、目を
「えー、そーだなぁ。絶対一緒に行こうぜ!みたいな?」
「そうなんだよ、よくわかったね!”お前が抜けては駄目だ、必ず来い”って言ってくれたんだ!初めてだったよ、ディデ
◇
「……それって、あれだろ、陛下が急に”海水浴に行く”とか言い出したとき」
「そうだな」
「そうだな、じゃないだろっ」
表情も変えずにうなずく友人の頭を、呆れ顔のカイが小突く。
「あれは、リズィエが”無理やり自分を入れてしまって、グイドが抜けるようなことがあったら行かない”って言ったからだろ。言葉を省きすぎるから、妙な誤解を受けるんだぞ」
「ほんとにね」
複雑な思いで、アルテミシアも同意した。
あのころ、急に落ち込んだり、はしゃいだりと忙しかったグイドを、アルテミシアもよく覚えている。
機嫌がよくなってからは「アルティは初めての海だから」と、準備のための買い物に付き添ってくれて。
そのたびにディデリスも付いてきて、ついでにカイが同行することもあって。
滅多にないくらい楽しい時間だったのだが、そのときに気がついたのだ。
グイドのまなざしが、誰に向けられているのかを。
そして、そのまなざしの熱に。