主人と従者-1-

文字数 2,683文字

 夜半まで降っていた雨が嘘のように上がった、青空の朝。

 レヴィアが小屋の戸口に手をかけようとしたのと同時に。
「え?あ、あの、おはよ?」
 勢いよく開いたドアから伸びたジーグの腕に抱えられるように、レヴィアは中へと引き入れられた。

「これ、は?」
 全身をすっぽりと(おお)い隠す衣服を手渡されたレヴィアは、戸惑いながらジーグを見上げる。
旅装束(たびしょうぞく)だ。お前には丈が長いだろうが、腰帯で調節してくれ。市場に行くぞ」
 気づけばジーグも、今日はレヴィアが屋敷から拝借した下男用の作業着ではなく、最初に出会ったときの黒装束を身につけていた。
「新しい、服?」
 首を傾げるレヴィアに、ジーグは黒装束の袖口を引っ張ってみせる。
「いや。(つくろ)った」
「ジーグ、縫物(ぬいもの)、するの?」
「もちろん。レヴィアだってその作業着、自分で丈直しをしているんだろう?」
「これ以上小さいの、ない、から」
「それは使用人のための服だろう。お前はここの小間使いなのか?」
「違う、けど……」
 うつむいて唇を引き結ぶレヴィアに、ジーグはため息を飲み込んだ。
「……早く羽織れ。昼前には場所を取っておきたいからな」
「でも、あの。……敷地から出るなって、言われてる、から」
頭巾(ずきん)目深(まぶか)になる。のぞき込まれでもしない限り、顔など見えはしない。誰かに何か聞かれたら、お前は私が旅の途中で拾った孤児ということにする。それから……」
 仮初(かりそめ)の境遇をスラスラと話して聞かせるジーグを、レヴィアはただただ感心しながら眺めていた。


 市場に一歩足を踏み入たレヴィアは、その活気に思わず息を飲んだ。

 居並ぶ天幕の中に並ぶ、色とりどりの商品。
 見たこともない食べ物。
 嗅いだことのない匂い。
 多くの人々がその前を行き交い、店主たちは自慢の品を手に、熱心に呼び込みをしている。
 
 芸を披露する者たち専用の場所も、すでに観客たちも集まり出していて、なかなかの(にぎ)わいを見せていた。
 楽器を奏でる者たちや、旅の一座。
 華やかな衣装を身に着けた踊り子は、出番を待つばかりのようだ。
 
 その一角に場所を取ったジーグは、持ってきた革袋をドサリと置くと、辺りを見回してから大きく息を吸う。
「さあさあ、お立合い!諸国を漫遊しては数多(あまた)の剣豪と(やいば)を交え、各国王から賞賛を受けたこの剣技、一見の価値あり!とくとご覧あれ!」
 よく通るジーグの大音声(だいおんじょう)に、買い物客たちの足が止まる。
 十分に注目が集まった頃合いを見て、ジーグはおもむろにかぶっていた頭巾(ずきん)を外した。
 トレキバでは珍しい濃い栗色の髪に、金色の瞳。
 そして、装束から現れた屈強な体躯(たいく)と、腰に下げた大剣(たいけん)の見事さに、感嘆する声があちらこちらから上がった。 
 
 もったいぶるような足取りで距離を取ったジーグから目配せされたレヴィアは、革袋から太い(まき)を取り出して、力の限りジーグに投げつけた。
「はっ!」 
 無駄のない動作で、素早く美しく剣が振られ、瞬時に(まき)が真っ二つになる。
 
 間髪入れずに次つぎと投げられる(まき)が、優美さを感じさせる剣技で砕かれていく。
 レヴィアが(まき)をどこに投げても、たとえ失投したとしても、大剣(たいけん)が逃さずとらえて叩き割った。
 まるで一差(ひとさし)の剣舞のように大剣を扱うジーグに、いつしか見物客は、十重二十重(とえはたえ)とふたりを取り巻いている。
 そして、ジーグの一挙手一投足を見守る人々から上がるどよめきは、時間が経つにつれて大きくなっていった。
 
 観客たちから喝采を浴びるジーグが、レヴィアに目配せを送ってくる。
――頃合いを見て観客たちの間を回れ――
 ジーグの指示を思い出したレヴィアは、慌てて足元の(かご)を手に取った。

 観客たちは熱狂そのままに、争うように見物料を入れてくる。
「あっ……!」
 その勢いによろけた肩を支えられて、レヴィアは思わず顔を上げた。
 視線の先にいたのは、自分と同じような旅装束姿を着た男で、探るような瞳が頭巾(ずきん)の奥からのぞいている。

(見られちゃう!)

 レヴィアは慌ててうつむきながら会釈をすると、足早に男の元を立ち去った。
 
天晴(あっぱれ)なものだな。各国王お墨付きも嘘ではないな!」
 レヴィアが戻ってみると、興奮した様子の観客たちにジーグが取り囲まれている。
「あなた、大陸の出身でしょう。瞳がまるで琥珀(こはく)のようだわ!」
「こんなすごい剣を、どこで調達したんだ?」
「この街には、いついらっしゃったの?」
 矢継ぎ早にジーグに話しかける人々から、レヴィアの(かご)にさらなる見物料が投下されていった。
 
 観客たちの波が引いてから、ふたりは旅装束をかぶり直して、広場を後にする。
「どこ、行くの?」
 来た方向とは別の方角へと足を向けるジーグを、レヴィアが見上げた。
「食糧を調達する。食欲も戻ってきたし、食い扶持(ぶち)は十分用意できたからな。ついでと言ってはなんだが、お前は欲しい物はないか?市場に来た記念に何か買おう」
 それを聞いて、しばらく考えたレヴィアはジーグの(そで)(つま)むと、果物を扱う店を探して引っ張っていく。
「どれが欲しいんだ?」
 不思議そうな顔をしているジーグに、レヴィアは濃い(だいだい)色の果実を指さしてみせた。
芒果(マンゴー)?あれでいいのか?本当に?」
 何度聞いても、レヴィアはただうなずくだけ。
「他にはないのか?」
「ない」
「……そうか」
 とうとう根負けしたジーグは、腰に下げていた財布を開いた。


 小屋へと戻り、食料の入った革袋からジーグは木箱を取り出し、レヴィアに渡す。
「今日はいい働きだったぞ」
「ありがとう!」
「もう食べるのか?」
 満面の笑みを浮かべて水場へと向かうレヴィアに、ジーグの首が傾いた。
「この間は、すりつぶしたけど、今日は、角切りにする」
「……誰のために?」
「うん?食べさせて、あげて?」
「レヴィアが欲しい物を買おうと言ったんだぞ」
 語気を強めるジーグに、レヴィアはパチパチと瞬きをする。
「そうだよ?もう一度、食べてほしかったんだ。もう、持ってこられないと、思ってた。買ってくれてありがとう、ジーグ」
「……レヴィア……。そうか、ありがとう。大好物だから、喜ぶ」
「当たり前だよ?ジーグの稼いだお金、なんだから」

 少女と見まごうような可愛らしい顔で、あどけなく微笑むレヴィア。
 これほど好ましい少年が、なぜ「隠し子」だと自ら名乗り、孤独に暮らさなければならないのか。

 レヴィアの頬にうっすらと残る(あざ)を見て、ジーグは思わず目頭が熱くなる。
 レヴィアの頭をなでようとしたジーグの腕は、そのまま力なく下ろされた。
 さらなる感謝の言葉は、ノドに引っかかったように出てはこない。

 レヴィアには見えないように(こぶし)を握りしめて。
 ジーグはただ黙って微笑みを返した。
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