主人と従者-1-
文字数 2,683文字
夜半まで降っていた雨が嘘のように上がった、青空の朝。
レヴィアが小屋の戸口に手をかけようとしたのと同時に。
「え?あ、あの、おはよ?」
勢いよく開いたドアから伸びたジーグの腕に抱えられるように、レヴィアは中へと引き入れられた。
「これ、は?」
全身をすっぽりと覆 い隠す衣服を手渡されたレヴィアは、戸惑いながらジーグを見上げる。
「旅装束 だ。お前には丈が長いだろうが、腰帯で調節してくれ。市場に行くぞ」
気づけばジーグも、今日はレヴィアが屋敷から拝借した下男用の作業着ではなく、最初に出会ったときの黒装束を身につけていた。
「新しい、服?」
首を傾げるレヴィアに、ジーグは黒装束の袖口を引っ張ってみせる。
「いや。繕 った」
「ジーグ、縫物 、するの?」
「もちろん。レヴィアだってその作業着、自分で丈直しをしているんだろう?」
「これ以上小さいの、ない、から」
「それは使用人のための服だろう。お前はここの小間使いなのか?」
「違う、けど……」
うつむいて唇を引き結ぶレヴィアに、ジーグはため息を飲み込んだ。
「……早く羽織れ。昼前には場所を取っておきたいからな」
「でも、あの。……敷地から出るなって、言われてる、から」
「頭巾 が目深 になる。のぞき込まれでもしない限り、顔など見えはしない。誰かに何か聞かれたら、お前は私が旅の途中で拾った孤児ということにする。それから……」
仮初 の境遇をスラスラと話して聞かせるジーグを、レヴィアはただただ感心しながら眺めていた。
◇
市場に一歩足を踏み入たレヴィアは、その活気に思わず息を飲んだ。
居並ぶ天幕の中に並ぶ、色とりどりの商品。
見たこともない食べ物。
嗅いだことのない匂い。
多くの人々がその前を行き交い、店主たちは自慢の品を手に、熱心に呼び込みをしている。
芸を披露する者たち専用の場所も、すでに観客たちも集まり出していて、なかなかの賑 わいを見せていた。
楽器を奏でる者たちや、旅の一座。
華やかな衣装を身に着けた踊り子は、出番を待つばかりのようだ。
その一角に場所を取ったジーグは、持ってきた革袋をドサリと置くと、辺りを見回してから大きく息を吸う。
「さあさあ、お立合い!諸国を漫遊しては数多 の剣豪と刃 を交え、各国王から賞賛を受けたこの剣技、一見の価値あり!とくとご覧あれ!」
よく通るジーグの大音声 に、買い物客たちの足が止まる。
十分に注目が集まった頃合いを見て、ジーグはおもむろにかぶっていた頭巾 を外した。
トレキバでは珍しい濃い栗色の髪に、金色の瞳。
そして、装束から現れた屈強な体躯 と、腰に下げた大剣 の見事さに、感嘆する声があちらこちらから上がった。
もったいぶるような足取りで距離を取ったジーグから目配せされたレヴィアは、革袋から太い薪 を取り出して、力の限りジーグに投げつけた。
「はっ!」
無駄のない動作で、素早く美しく剣が振られ、瞬時に薪 が真っ二つになる。
間髪入れずに次つぎと投げられる薪 が、優美さを感じさせる剣技で砕かれていく。
レヴィアが薪 をどこに投げても、たとえ失投したとしても、大剣 が逃さずとらえて叩き割った。
まるで一差 の剣舞のように大剣を扱うジーグに、いつしか見物客は、十重二十重 とふたりを取り巻いている。
そして、ジーグの一挙手一投足を見守る人々から上がるどよめきは、時間が経つにつれて大きくなっていった。
観客たちから喝采を浴びるジーグが、レヴィアに目配せを送ってくる。
――頃合いを見て観客たちの間を回れ――
ジーグの指示を思い出したレヴィアは、慌てて足元の籠 を手に取った。
観客たちは熱狂そのままに、争うように見物料を入れてくる。
「あっ……!」
その勢いによろけた肩を支えられて、レヴィアは思わず顔を上げた。
視線の先にいたのは、自分と同じような旅装束姿を着た男で、探るような瞳が頭巾 の奥からのぞいている。
(見られちゃう!)
レヴィアは慌ててうつむきながら会釈をすると、足早に男の元を立ち去った。
「天晴 なものだな。各国王お墨付きも嘘ではないな!」
レヴィアが戻ってみると、興奮した様子の観客たちにジーグが取り囲まれている。
「あなた、大陸の出身でしょう。瞳がまるで琥珀 のようだわ!」
「こんなすごい剣を、どこで調達したんだ?」
「この街には、いついらっしゃったの?」
矢継ぎ早にジーグに話しかける人々から、レヴィアの籠 にさらなる見物料が投下されていった。
観客たちの波が引いてから、ふたりは旅装束をかぶり直して、広場を後にする。
「どこ、行くの?」
来た方向とは別の方角へと足を向けるジーグを、レヴィアが見上げた。
「食糧を調達する。食欲も戻ってきたし、食い扶持 は十分用意できたからな。ついでと言ってはなんだが、お前は欲しい物はないか?市場に来た記念に何か買おう」
それを聞いて、しばらく考えたレヴィアはジーグの袖 を摘 むと、果物を扱う店を探して引っ張っていく。
「どれが欲しいんだ?」
不思議そうな顔をしているジーグに、レヴィアは濃い橙 色の果実を指さしてみせた。
「芒果 ?あれでいいのか?本当に?」
何度聞いても、レヴィアはただうなずくだけ。
「他にはないのか?」
「ない」
「……そうか」
とうとう根負けしたジーグは、腰に下げていた財布を開いた。
◇
小屋へと戻り、食料の入った革袋からジーグは木箱を取り出し、レヴィアに渡す。
「今日はいい働きだったぞ」
「ありがとう!」
「もう食べるのか?」
満面の笑みを浮かべて水場へと向かうレヴィアに、ジーグの首が傾いた。
「この間は、すりつぶしたけど、今日は、角切りにする」
「……誰のために?」
「うん?食べさせて、あげて?」
「レヴィアが欲しい物を買おうと言ったんだぞ」
語気を強めるジーグに、レヴィアはパチパチと瞬きをする。
「そうだよ?もう一度、食べてほしかったんだ。もう、持ってこられないと、思ってた。買ってくれてありがとう、ジーグ」
「……レヴィア……。そうか、ありがとう。大好物だから、喜ぶ」
「当たり前だよ?ジーグの稼いだお金、なんだから」
少女と見まごうような可愛らしい顔で、あどけなく微笑むレヴィア。
これほど好ましい少年が、なぜ「隠し子」だと自ら名乗り、孤独に暮らさなければならないのか。
レヴィアの頬にうっすらと残る痣 を見て、ジーグは思わず目頭が熱くなる。
レヴィアの頭をなでようとしたジーグの腕は、そのまま力なく下ろされた。
さらなる感謝の言葉は、ノドに引っかかったように出てはこない。
レヴィアには見えないように拳 を握りしめて。
ジーグはただ黙って微笑みを返した。
レヴィアが小屋の戸口に手をかけようとしたのと同時に。
「え?あ、あの、おはよ?」
勢いよく開いたドアから伸びたジーグの腕に抱えられるように、レヴィアは中へと引き入れられた。
「これ、は?」
全身をすっぽりと
「
気づけばジーグも、今日はレヴィアが屋敷から拝借した下男用の作業着ではなく、最初に出会ったときの黒装束を身につけていた。
「新しい、服?」
首を傾げるレヴィアに、ジーグは黒装束の袖口を引っ張ってみせる。
「いや。
「ジーグ、
「もちろん。レヴィアだってその作業着、自分で丈直しをしているんだろう?」
「これ以上小さいの、ない、から」
「それは使用人のための服だろう。お前はここの小間使いなのか?」
「違う、けど……」
うつむいて唇を引き結ぶレヴィアに、ジーグはため息を飲み込んだ。
「……早く羽織れ。昼前には場所を取っておきたいからな」
「でも、あの。……敷地から出るなって、言われてる、から」
「
◇
市場に一歩足を踏み入たレヴィアは、その活気に思わず息を飲んだ。
居並ぶ天幕の中に並ぶ、色とりどりの商品。
見たこともない食べ物。
嗅いだことのない匂い。
多くの人々がその前を行き交い、店主たちは自慢の品を手に、熱心に呼び込みをしている。
芸を披露する者たち専用の場所も、すでに観客たちも集まり出していて、なかなかの
楽器を奏でる者たちや、旅の一座。
華やかな衣装を身に着けた踊り子は、出番を待つばかりのようだ。
その一角に場所を取ったジーグは、持ってきた革袋をドサリと置くと、辺りを見回してから大きく息を吸う。
「さあさあ、お立合い!諸国を漫遊しては
よく通るジーグの
十分に注目が集まった頃合いを見て、ジーグはおもむろにかぶっていた
トレキバでは珍しい濃い栗色の髪に、金色の瞳。
そして、装束から現れた屈強な
もったいぶるような足取りで距離を取ったジーグから目配せされたレヴィアは、革袋から太い
「はっ!」
無駄のない動作で、素早く美しく剣が振られ、瞬時に
間髪入れずに次つぎと投げられる
レヴィアが
まるで
そして、ジーグの一挙手一投足を見守る人々から上がるどよめきは、時間が経つにつれて大きくなっていった。
観客たちから喝采を浴びるジーグが、レヴィアに目配せを送ってくる。
――頃合いを見て観客たちの間を回れ――
ジーグの指示を思い出したレヴィアは、慌てて足元の
観客たちは熱狂そのままに、争うように見物料を入れてくる。
「あっ……!」
その勢いによろけた肩を支えられて、レヴィアは思わず顔を上げた。
視線の先にいたのは、自分と同じような旅装束姿を着た男で、探るような瞳が
(見られちゃう!)
レヴィアは慌ててうつむきながら会釈をすると、足早に男の元を立ち去った。
「
レヴィアが戻ってみると、興奮した様子の観客たちにジーグが取り囲まれている。
「あなた、大陸の出身でしょう。瞳がまるで
「こんなすごい剣を、どこで調達したんだ?」
「この街には、いついらっしゃったの?」
矢継ぎ早にジーグに話しかける人々から、レヴィアの
観客たちの波が引いてから、ふたりは旅装束をかぶり直して、広場を後にする。
「どこ、行くの?」
来た方向とは別の方角へと足を向けるジーグを、レヴィアが見上げた。
「食糧を調達する。食欲も戻ってきたし、食い
それを聞いて、しばらく考えたレヴィアはジーグの
「どれが欲しいんだ?」
不思議そうな顔をしているジーグに、レヴィアは濃い
「
何度聞いても、レヴィアはただうなずくだけ。
「他にはないのか?」
「ない」
「……そうか」
とうとう根負けしたジーグは、腰に下げていた財布を開いた。
◇
小屋へと戻り、食料の入った革袋からジーグは木箱を取り出し、レヴィアに渡す。
「今日はいい働きだったぞ」
「ありがとう!」
「もう食べるのか?」
満面の笑みを浮かべて水場へと向かうレヴィアに、ジーグの首が傾いた。
「この間は、すりつぶしたけど、今日は、角切りにする」
「……誰のために?」
「うん?食べさせて、あげて?」
「レヴィアが欲しい物を買おうと言ったんだぞ」
語気を強めるジーグに、レヴィアはパチパチと瞬きをする。
「そうだよ?もう一度、食べてほしかったんだ。もう、持ってこられないと、思ってた。買ってくれてありがとう、ジーグ」
「……レヴィア……。そうか、ありがとう。大好物だから、喜ぶ」
「当たり前だよ?ジーグの稼いだお金、なんだから」
少女と見まごうような可愛らしい顔で、あどけなく微笑むレヴィア。
これほど好ましい少年が、なぜ「隠し子」だと自ら名乗り、孤独に暮らさなければならないのか。
レヴィアの頬にうっすらと残る
レヴィアの頭をなでようとしたジーグの腕は、そのまま力なく下ろされた。
さらなる感謝の言葉は、ノドに引っかかったように出てはこない。
レヴィアには見えないように
ジーグはただ黙って微笑みを返した。