主人と従者-3-
文字数 2,322文字
アルテミシアの怪我は体中に及んでいたが、その多くは火傷 であり、そちらは完治も間近のようだった。
「最初の、処置が、よかったんだね」
「チェンタの老師が秘薬を使ってくれたらしい」
額と頬にうっすらと残る痕 を指さして、アルテミシアが笑う。
「これは高くついたな。返せる当てがないから、しばらく近寄らないようにしよう」
チェンタと言えば、ここトレキバの街と国境を接している山岳国だ。その峠道は険しく、命を落とす者も少なくないと、園丁から聞いたことがある。
河原の洞で出会ったジーグの憔悴ぶりを思い出せば、怪我を負ったアルテミシアを抱えての峠越えに、いかに苦労したかが偲 ばれた。
パサリ。
衣擦 れの音でレヴィアは我に返る。
目を上げると、アルテミシアの背中から晒 が外されていた。
赤黒く引きつれた、右肩から左わき腹へと斜めに走る傷が痛々しい。
半分ほどは塞がっているようだが、深く斬られた部分からは、いまだ血がにじんでいた。
「ずっと、つらかったね」
「ここに来てからは、だいぶ楽になった」
「まだ痛い、でしょう?」
「そうでもない。レヴィアの薬湯 はよく効く」
「でも……」
黙り込んで手を止めたレヴィアを、アルテミシアが背中越しに振り返った。
「レヴィア?でも、の続きは?」
「……ミーシャの背中、縫ったほうが治りは早い、と思う」
「……傷を縫ったことがあるのか?」
化膿止めの軟膏が塗られた布を、傷に貼ろうとしていたジーグの手が止まる。
「うん。足に怪我をした、山猫を」
「山猫?それで、そいつはどうした」
「手当てが早かったから、すぐ、森に帰れたよ。ほんとの傷を縫ったのは、そのときくらいだけど。本のとおりに、獣の皮とかで、練習はしてる」
「本?医術書を持っているのか。見せてもらっても?」
「うん」
一つうなずくと、レヴィアは作業部屋の棚から一冊の分厚い本を持ちだしてきた。
「はい、どうぞ」
「へぇ、これは貴重な本だな。薬草の項目だけで、これだけの分量があるのか」
処置を終えて上衣をかぶり直したアルテミシアが、差し出された本を慎重な手つきで受け取る。
そこには種々の薬草や、怪我や病気の症状別の施術 方、治療方などが、ふんだんな図解とともに載っていた。
「レヴィアはこれが読めるのか?」
難しい顔をしているアルテミシアの手元をのぞき込むと、レヴィアはその指が追う薬草の項目を読み上げていく。
「”ニガヨモギ。多年草。浄血 、造血 、胃の不調を和らげる効果有り”」
柔らかな響きの言葉を聞きながら、アルテミシアは小首を傾げた。
「アガラム語、だな」
「そうですね。さすが医薬術の進んだ国の本です。”アガラム語の読み書きはできるのか”」
本に目を落としたジーグが、レヴィアにアガラム語で尋ねる。
「”できるけれど、話すのは得意じゃあないの。発音がよくわからないから。……?何かおかしいかしら?”」
「アガラム語は誰から習った?」
トーラ語に戻してまじまじと見つめてくるジーグに、レヴィアはきょとんとした表情になった。
「習っては、いないよ。母さまが、話してた」
「なるほど。お前のアガラム語は女性言葉だから、とても柔らかいんだ」
「……変?」
「変じゃないさ」
不安そうなレヴィアにアルテミシアが手を差し伸べた、その瞬間。
レヴィアは肩をびくりと震わせ、大きく体を引いた。
「あ!……あの、ごめん、なさい」
「驚かせたか。悪かったな」
身をすくめるレヴィアに、アルテミシアが眉が下がる。
「レヴィアのアガラム語は変じゃない。私はアガラム語をそんなに理解できないけれど、とても可愛い」
「可愛いって……。僕とミーシャって、三つ違うだけ、なんでしょう?」
上目遣いをするレヴィアからは怯 えが消えていて……、とても不服そうだった。
小柄なレヴィアの見た目は、年齢よりも稚 い。
トーラ訛 りで、ミシアを「ミーシャ」と呼ぶのも可愛らしいのだが、指摘すれば直そうとするだろう。
それが惜しくて、アルテミシアは黙っている。
「そうだな、すまない。腕のよい医薬師殿に使う言葉ではなかった。私のトーラ語はジーグが先生だから、乱暴だろうが許してくれ」
「乱暴では、ないよ。女の人にしては、きっぱりした話し方、だけど」
長い前髪の間から、丸い大きな瞳がアルテミシアを見つめていた。
それがやっぱり可愛くて、子ウサギみたいだなんて言ったら、レヴィアは嫌がるだろうかとアルテミシアは含み笑う。
「なにか、おかしかった?」
「いや。“キッパリ”がちょっとわからなくてな。男性的、という感じか?」
「飾らないとか、かっこいい、かな。ミーシャに、似合ってる」
「やっぱり男っぽいんじゃないか」
「違うよ、違う。長 っていうのが、ぴったりする感じ、だよ」
わざと半眼でにらむフリをするアルテミシアに、レヴィアは慌てた様子で手を振った。
「ははっ!冗談だよ。レヴィアは私が出会ったなかで、一番誠実な医薬師だ。その医薬師殿が勧めるのだから、ぜひ施術をお願いしよう」
「リズィエのご意思ならば反対はいたしませんが……。レヴィア、治療の詳細を聞かせてほしい」
真剣な顔で迫るジーグに、レヴィアは医術書を開いてみせる。
「ここ、読める?施術のとき、痛みを感じないように、シビレ薬と、眠り草を使うんだ」
そこには傷の縫合 方法と、使う薬草の組み合わせが書かれていた。
「けど、もう少し、体力が回復しないと。体が、薬に負けちゃう」
「まったく。レヴィアと話していると不思議な気分になるな。十四歳という年齢だけでも、その知識技術に驚きはするが、まして」
ジーグはそこで言葉を止めたが、言いたいことはよくわかる。
言外に幼く見えることを指摘されたレヴィアは、むすっとしてジーグを見上げた。
「最初の、処置が、よかったんだね」
「チェンタの老師が秘薬を使ってくれたらしい」
額と頬にうっすらと残る
「これは高くついたな。返せる当てがないから、しばらく近寄らないようにしよう」
チェンタと言えば、ここトレキバの街と国境を接している山岳国だ。その峠道は険しく、命を落とす者も少なくないと、園丁から聞いたことがある。
河原の洞で出会ったジーグの憔悴ぶりを思い出せば、怪我を負ったアルテミシアを抱えての峠越えに、いかに苦労したかが
パサリ。
目を上げると、アルテミシアの背中から
赤黒く引きつれた、右肩から左わき腹へと斜めに走る傷が痛々しい。
半分ほどは塞がっているようだが、深く斬られた部分からは、いまだ血がにじんでいた。
「ずっと、つらかったね」
「ここに来てからは、だいぶ楽になった」
「まだ痛い、でしょう?」
「そうでもない。レヴィアの
「でも……」
黙り込んで手を止めたレヴィアを、アルテミシアが背中越しに振り返った。
「レヴィア?でも、の続きは?」
「……ミーシャの背中、縫ったほうが治りは早い、と思う」
「……傷を縫ったことがあるのか?」
化膿止めの軟膏が塗られた布を、傷に貼ろうとしていたジーグの手が止まる。
「うん。足に怪我をした、山猫を」
「山猫?それで、そいつはどうした」
「手当てが早かったから、すぐ、森に帰れたよ。ほんとの傷を縫ったのは、そのときくらいだけど。本のとおりに、獣の皮とかで、練習はしてる」
「本?医術書を持っているのか。見せてもらっても?」
「うん」
一つうなずくと、レヴィアは作業部屋の棚から一冊の分厚い本を持ちだしてきた。
「はい、どうぞ」
「へぇ、これは貴重な本だな。薬草の項目だけで、これだけの分量があるのか」
処置を終えて上衣をかぶり直したアルテミシアが、差し出された本を慎重な手つきで受け取る。
そこには種々の薬草や、怪我や病気の症状別の
「レヴィアはこれが読めるのか?」
難しい顔をしているアルテミシアの手元をのぞき込むと、レヴィアはその指が追う薬草の項目を読み上げていく。
「”ニガヨモギ。多年草。
柔らかな響きの言葉を聞きながら、アルテミシアは小首を傾げた。
「アガラム語、だな」
「そうですね。さすが医薬術の進んだ国の本です。”アガラム語の読み書きはできるのか”」
本に目を落としたジーグが、レヴィアにアガラム語で尋ねる。
「”できるけれど、話すのは得意じゃあないの。発音がよくわからないから。……?何かおかしいかしら?”」
「アガラム語は誰から習った?」
トーラ語に戻してまじまじと見つめてくるジーグに、レヴィアはきょとんとした表情になった。
「習っては、いないよ。母さまが、話してた」
「なるほど。お前のアガラム語は女性言葉だから、とても柔らかいんだ」
「……変?」
「変じゃないさ」
不安そうなレヴィアにアルテミシアが手を差し伸べた、その瞬間。
レヴィアは肩をびくりと震わせ、大きく体を引いた。
「あ!……あの、ごめん、なさい」
「驚かせたか。悪かったな」
身をすくめるレヴィアに、アルテミシアが眉が下がる。
「レヴィアのアガラム語は変じゃない。私はアガラム語をそんなに理解できないけれど、とても可愛い」
「可愛いって……。僕とミーシャって、三つ違うだけ、なんでしょう?」
上目遣いをするレヴィアからは
小柄なレヴィアの見た目は、年齢よりも
トーラ
それが惜しくて、アルテミシアは黙っている。
「そうだな、すまない。腕のよい医薬師殿に使う言葉ではなかった。私のトーラ語はジーグが先生だから、乱暴だろうが許してくれ」
「乱暴では、ないよ。女の人にしては、きっぱりした話し方、だけど」
長い前髪の間から、丸い大きな瞳がアルテミシアを見つめていた。
それがやっぱり可愛くて、子ウサギみたいだなんて言ったら、レヴィアは嫌がるだろうかとアルテミシアは含み笑う。
「なにか、おかしかった?」
「いや。“キッパリ”がちょっとわからなくてな。男性的、という感じか?」
「飾らないとか、かっこいい、かな。ミーシャに、似合ってる」
「やっぱり男っぽいんじゃないか」
「違うよ、違う。
わざと半眼でにらむフリをするアルテミシアに、レヴィアは慌てた様子で手を振った。
「ははっ!冗談だよ。レヴィアは私が出会ったなかで、一番誠実な医薬師だ。その医薬師殿が勧めるのだから、ぜひ施術をお願いしよう」
「リズィエのご意思ならば反対はいたしませんが……。レヴィア、治療の詳細を聞かせてほしい」
真剣な顔で迫るジーグに、レヴィアは医術書を開いてみせる。
「ここ、読める?施術のとき、痛みを感じないように、シビレ薬と、眠り草を使うんだ」
そこには傷の
「けど、もう少し、体力が回復しないと。体が、薬に負けちゃう」
「まったく。レヴィアと話していると不思議な気分になるな。十四歳という年齢だけでも、その知識技術に驚きはするが、まして」
ジーグはそこで言葉を止めたが、言いたいことはよくわかる。
言外に幼く見えることを指摘されたレヴィアは、むすっとしてジーグを見上げた。