あなたのために -引き裂かれる絆-

文字数 3,647文字

 妙に体が重い。
 薄く目を開けると、辺りは夜闇(やあん)に沈んでいる。
 朝はまだ遠いようだ。
 
 耳元に熱い吐息を感じて、急速に意識が浮上する。

(……お酒、くさい?)

 そして、体はただ重いだけではなく、そこら中をなで回されていると気づいた。

(誰?!)

 力の入った太ももの間に差し込まれた腕に、硬くひんやりとした感触を感じる。
 まさかと思ったそのとき、首筋に埋められていた顔が上がった。
 泣きぼくろのある端正な顔が月明かりに照らされ、蹴り上げようとしていたアルテミシアの足がびくりと止まる。
「ディデリス?!」
 薄暗闇のなかで、熱を(はら)んだ瞳が笑んだ。
「……アル、ティ……」
 相当飲んでいるのか、回らない呂律(ろれつ)で、久しぶりに幼いころの愛称を呼ばれる。
「何して、んぅっ!」
 (おおい)いかぶさりながら、ディデリスはいきなりアルテミシアの唇を奪った。
 抵抗しようともがく手は簡単に捕えられ、頭上でしっかりと固定されてしまう。
 息をつく間もないように激しく(むさぼ)られ、アルテミシアの目からは涙があふれた。
 唇をきつく結んだり、顏を(そむ)けたりもしたが、なんの抵抗にもならない。

 何度もアルテミシアの口内を味わい(ねぶ)り、やっとディデリスの唇が離れていく。
 息を弾ませ、潤む目でにらむアルテミシアを見下ろして、ディデリスは瞳を(とろ)けさせた。
「かっわいいなぁ……。お前は、どんな顏しても、かわいい」
「ディデリスっ、何考えているの!ねぇ、誰かと間違えているの?」
 アルテミシアは体をくねらせて、寝間着に手を入れようとするディデリスから逃れようとする。
 が、それは彼の情欲を(あお)るものでしかなかった。
 
 体を探る手が熱く、(せわ)しなくなっていく。
 酔ってはいても体格、体術で勝る従兄(いとこ)の腕からは逃れられない。
 (あらが)っても(あらが)っても、暴走し始めた行為を止められなかった。
 
 ディデリスの瞳が切なげに細められる。
「間違えるはずがないだろう。俺はお前が欲しいんだ。ずっと前から。ずっと、お前だけが……。今さら兄妹(きょうだい)になどなれるかっ」
 アルテミシアの寝巻の留め(ひも)が、ディデリスによって引き千切るように(ほど)かれた。
 大きな手が前身ごろをはだけさせると、露わになったアルテミシアの白い体が月夜に浮かぶ。
「……ふ」
 切なげな吐息を落として、ディデリスは柔らかな体を思い切り抱きすくめた。
「お前は美しいな。誰よりも美しい。すまないアルティ。今夜、俺のものにする。もう待たない。兄妹(きょうだい)になんかなれない体にする。……あの男は、諦めそうにない……」
「駄目!駄目だったら!やめてディデリス!人を呼ぶわ!」
 アルテミシアは涙声で叫ぶが、不埒(ふらち)な行為は止まらず、ディデリスは再び深く唇を重ねる。
「構わない。呼べばいい。お前が俺のものになっているところを、皆に見てもらおう」
 愛し気な手つきでアルテミシアの体を(なぶ)りながら、ディデリスは恐ろしいことを口走った。
「……な、に、言って……」
 その唇を()けて、アルテミシアは震える。
(おきて)に反するわ!一族から追放されてしまう!」
「かまうものか」
「っ!」
 アルテミシアが硬直したすきに、ディデリスの長い足がその膝を割った。
「俺は竜も一族もどうでもいい。欲しいのはお前だけだ。お前も竜を捨てろ。お前の血ばかり欲しがる一族なんて捨てろっ、俺を選べ!」
 火傷(ヤケド)しそうに熱いディデリスの唇が、アルテミシアの首筋をたどっていく。
「誰よりも、何よりも大切にしてやる。……お前が戦うことなんてないんだ。俺の腕の中で守られていればいい」
 
 アルテミシアが大切に思うものを、ディデリスは要らないという。
 アルテミシアの(よすが)を捨てろという。
 絶望が心を(むしば)んでいく。
 だが、それでもどこかで、これは酒が言わせているだけ、酔いが覚めれば、また慕わしい兄に戻ってくれると信じている。

「お願い、ディデリス。やめて……」
 涙声の懇願も、ディデリスには届かない。
「……アルテミシア……」
 ディデリスの美しい瞳が、壮絶な色気を放ってアルテミシアをとらえている。
「愛している」
 従兄(いとこ)の甘い言葉は、アルテミシアの耳を滑るばかり。
 
 ディデリスはゆっくりと起き上がると、震えるアルテミシアの膝にその手を掛けた。


 アルテミシアの両手が、血が通わなくなるほど強く握り締められている。
 レヴィアは呼吸も忘れてその横顔を見つめていた。
 ラシオンがふざけて話した「女性の扱い方講座」が、ぐるぐると頭を巡っている。
 嫌がるアルテミシアがそれを強いられたと思えば、吐き気がするほどの怒りがこみ上げた。
「さっき茶碗ではなくて、(こぶし)をお見舞いすべきだった」
 レヴィアは(うな)るようにつぶやく。
 
 アルテミシアに口付けしそうだったあの姿。
 特別な仲だと言い放ったあの顔。
 何もかもすべてに、持て余すほど狂暴な感情が沸き出してくる。

「それで……?」
 激情を抑えて、レヴィアの声がかすれた。
 
 赤竜隊長は、さらにアルテミシアの身も心も傷つける非道(ひど)い行いをしたのだろうか。
 もしそうならば、聞いてはいけないような気もする。
 だが、すべてを知ったうえで、アルテミシアを丸ごと受け止めたいとも思う。

「ジーグが、帰ってきたの」
 泣いているようなアルテミシアの笑顔が、レヴィアの胸をえぐる。
「ディデリスが隊を離脱したのに気づいて、すぐに戻ってきてくれたのだけど。……そのあとが大変で」


 ディデリスがアルテミシアの両足を(かか)え上げたとき、扉が大きな音を立てた。
 ディデリスが振り返った、と思った次の瞬間。
 大きな黒い影が、アルテミシアの上に乗るその体を吹き飛ばしていた。
「……ジ、グっ?!」
 慌てて起き上がったアルテミシアの目の前で、影は猛り狂った獣のように、部屋の隅に飛ばされたディデリスを追っていく。
 
 殴りつける鈍い音と低いうめき声が聞こえても、アルテミシアはただ茫然としていた。
 自分の身に起こったことも、今、目の前で行われていることも。
 現実味がなくて、悪い夢を見ていると思いたくて。
 
「ぐっ、うぐぅ」
 吐いている気配に我に返ったアルテミシアは、寝台を飛び出していった。
「だめ、ジーグ!だめっ。ディデリスが死んでしまう!」
 床に転がりうつ伏せるディデリスの腹に、ジーグがつま先をめり込ませている。
 敷布をつかんで体を隠したアルテミシアは、その頑丈な足元に体をねじ込み、ほとんど動かない従兄(いとこ)をかばった。
 月を背にした従者の表情は闇に紛れ、ただ琥珀(こはく)の瞳だけが光っている。
「ジグワルド!本当に、だめよ。……お願いだから……」
 敷布を片手で握りしめながら、アルテミシアは夜目にもわかるほど震えていた。
 震えながら、空いている片方の腕を伸ばして、必死に従者を止めている。
 
 ディデリスが腫れ上がった目を開けると、自分を守る白い背中がぼんやりと光を放っていた。
「こんな、おれを……。ぐっ、がはっ……」
 ディデリスは体を丸め、苦しそうに(むせ)る。
「かばう、な……。いとし、……アルティ」
 ディデリスの体からゆっくりと、すべての力が抜けていった。
 

 高地の山城の夜が、静まり更けていく。
 その闇に取り残されてしまったかのような沈黙が、しばらくふたりを包んでいた。

 あえかなため息とともに、アルテミシアは口を開く。
「ディデリスは死んでしまうかと思ったわ。本気のジーグは、誰よりも強いの」
「でも、

は罪には問われなかったんだね」
 レヴィアはほっとしながら、アルテミシアの手を両手で包んだ。
「ジーグはそうしようと言ったのだけれど、私が望まなかったから。……本当は、あんなことをする人じゃないもの」
 アルテミシアが深くうつむいていく。
「盗賊たちが私の部屋に押し入ったように見せかけて、部屋を荒らして……。ディデリスは不審者に気づいて、私を守るために怪我をした、ということにしたの。護衛を納得させるのには、少し手間取ったけれど……。ジーグの裏工作はいつも完ぺきだから。ディデリスはとても重症で、療養所で長期の治療が必要となったわ。その怪我が()える前に”赤の惨劇”があったから、あの夜以来、顔を合わせたのは今日が初めて。……相変わらずの人だったけれど」
 
 声も心も届かなかった。
 空しい絶望に支配された


 思い出すたびに「なぜ、どうして」と、答えのもらえない問いが積り重なり、心を(よど)ませた。
 それでも、憎み切れもしない。
 大切な「兄」であった時間は消えない。
 相反する思いが抜けない(とげ)となって、思い出すたびにアルテミシアの心の傷は開く。

 深紅(しんく)の巻き髪に閉ざされた横顔を見つめながら、レヴィアの胸は暴れ騒いだ。
 「絆は時間だけでは結ばれない」とジーグは言ったけれど、積み上げた時間が作る関係というものは、確かに存在する。
 自分の知らないアルテミシアが、知らない人たちと過ごしてきた日々。
 それが透明な壁となって、ふたりを隔てていた。
 それでも、目の前にいる”今”のアルテミシアに寄り添えるのは、”今”の自分だけ。
 
 レヴィアは冷たい手を包む両手に力を込めた。
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