錯綜(さくそう)する策謀 -1-
文字数 3,556文字
イハウ連合国、元首 副官のひとりであるパウドーロ・グリアーノは、馬上で思わず間抜け面をさらしていた。
「パウドーロ様!スバクルの領主軍がっ」
「わかっている!……なぜだ……」
焦りをにじませた伝令役に怒鳴り返して、パウドーロは呻 く。
パウドーロが立っているのは、スバクル領主国と国境を接している、イハウ辺境の小高い峠。
ここはスバクル統領・レゲシュ軍がトーラ王子軍と交戦している平原への、ただの通過点のはずだった。
斥候兵からも、国境警備軍が通常配備のされているだけの、油断しきった状態だという報告しか受けていない。
ところが。
「あの軍旗 、ユドゥズ家かっ。それに三日月に梟 ?十字星に白鳥 だと?!追放になったはずだっ」
峠を下った先の開けた窪地 に、失脚した二家の軍旗 がはためいている。
そして、その後方では柄杓 星とカササギ、ユドゥズ家の家紋を抱く旗が風をはらみ、なびいていた。
周囲にはほかに三家の軍旗 が集い、その下には兵士たちが列をなしている。
「すまぬな」
「何がですか?」
イハウ軍を遠望していたラシオンが、ユドゥズ家宗主、ジャジカを振り返った。
「もっと多くの領主を起 たせたかったのだが」
穏やかな瞳の奥に苦みをにじませ、ジャジカは国境の友軍を眺める。
「えぇ!この短期間に三家なら、賞賛に値しますよ。反逆の烙印を押された者がいると聞いて、なお賛同を得られるとは。さすがユドゥズ公です」
実際ラシオンたちには、ジャジカ・ユドゥズの説得さえ賭けだったのだから。
「それに、勝つ必要はない。足止めするだけでいい」
「それほどまでに信頼しているのか」
「はい。必ずトーラ軍が来ます。俺たちに加勢するために」
「そうか……。早く会いたいものだな。
「え、カーヤイじゃなくて?」
目を大きくさせたラシオンを見て、ジャジカがニヤリと笑う。
「この騒動を一日も早く収束させて、ヴァーリ王にお会いしよう。行くぞ、スバクルの疾風!サイレルの宗主!」
「応!」
ジャジカの号令を合図に、ラシオンとファイズが騎乗する見事な駿馬 たちが、疾走を始めた。
スバクル領主国軍と同時に、グリアーノも動いた。
初手、呆気に取られたとはいえ、こちらは向こうの倍以上の兵力をそろえている。
侵攻に気付いたスバクル領主家から抵抗にあったとしても、やすやすと退けるために用意した軍勢だ。
「蹴散らせ!俄 同盟など潰してしまえ!」
イハウ連合国軍がスバクル側に雪崩 れ込んでいく。
だが、スバクル領主国の若き将ふたりは、それを凌 ぐ勢いで剣を振るった。
「ファイズ!」
「任せろっ」
息の合った剣技を見せるラシオンとファイズの前に、イハウ兵が次々と倒れていく。
「あれはカーヤイの疾風と、サイレルの跡取りだな。……ちっ」
パウドーロが牙をむくような顔で舌打ちをする。
「レゲシュが疎 んじるはずだ。……軍勢を回せ!あのふたりを止めろ!!」
スバクル領主家軍を牽引 するラシオンとファイズを、イハウ兵が十重二十重 と取り囲みだした。
「ぐっ」
ファイズの利き腕に矢が刺さり、その手から剣がこぼれ落ちる。
だが、ファイズは顔を歪 めながらも矢を引き抜き、予備の小剣を腰から抜き去ると、ここぞとばかりに攻め込んできたイハウ兵を、逆に突き刺し倒した。
「へっ、これしき」
にやりと笑ってみせるが、ファイズの肩は激しく上下している。
(さすがに数が多い)
馬上のラシオンが周囲を見渡せば、数で劣るスバクル領主軍の陣形が崩れ始めていた。
「行け!攻め込め、攻め込めぇ!」
勢いに乗ったイハウ将校たちの怒号を耳に、パウドーロは片頬 で笑う。
「よし!一気に、」
「沈めろ!」と叫ぼうとして、パウドーロはそのまま石像のように固まった。
「ん?あれって……」
「久しいな、疾風よ!」
蹄 の轟 きを凌駕するような、風格ある声が近づいてくる。
ラシオンのまなざしの向こうに、躍動する見事なアガラム馬を操る古強者 と、先陣を切る練熟の戦士の姿があった。
「なっ、アガラム軍?!」
イハウ兵たちの間に動揺が広がっていく。
陣風 が運ぶ群雲 のように、アガラム馬に乗る白長衣の戦士の一群が駆け込んできた。
突撃の喊声 が、怒涛 のごとくイハウ軍勢に襲いかかっていく。
「風雲、猛虎っ」
パウドーロの鼻に憎々しげなシワが寄った。
自らも剣を振るいながら戦士たちに活を入れ、思いのままに馬を操る天駆 ける虎、マハディ・テムラン。
ジャジカ・ユドゥズは束の間、自分がどこにいるのかも忘れて、その光景に見入っていた。
アガラム軍とは、一触即発の事態に陥った際に、南国境で相見 えている。
全面的な戦 になるのは避けられたとはいえ、いまだに遺恨は消えていない。
その両国が共同戦線を張るなど、ジャジカは想像したこともなかった。
「少し見ぬ間に男っぷりが上がったな、疾風よ」
豪快に笑いながら、マハディが二、三人のイハウ兵を薙 ぎ払う。
「大公自らご光臨とはありがたい!」
「クレーネへの厚情を今、疾風に返そう!アガラムの報恩 、とくと見ておけっ」
振り上げられたマハディの三日月型の刃が、ギラリと陽を反射する。
「”豪勇無双たる我が戦士たち!見せよその力っ、撃破せよ!”」
マハディの呼号 に、アガラム戦士たちの鬨 の声が上がった。
「若!」
「ファイズ若!」
アガラム軍勢から、スバクル語が聞こえてくる。
「お前、たち……」
絶句するファイズを、アガラム兵士の格好をした一団が取り囲んだ。
「生きていたかっ」
「マハディ大公に拾っていただいておりました」
「若を置いて……。すぐにお探しもできず、申し訳、」
「お互い、悪運だけは強かったな!ははっ」
恥じ入っているような同朋に、ファイズは顔中を口にして笑う。
「スバクル一 恐れられた、サイレルの剣を見せてやろう。遅れを取るな!」
「応!」
大音声で発破 をかけるファイズを先頭に、スバクル剣士一団がイハウ軍勢へと切り込んでいった。
「何だ、これは。どういう状況だ……」
あっという間に自軍が劣勢に転じていく様子を、パウドーロは呆然として見守っている。
「あーらら。苦戦してんねぇ」
それはこの緊迫した戦況に似つかわしくない、薄呆 けたほど間延びした声だった。
血走った目でパウドーロが振り返ると、ならず者のような青年が、騎乗する馬を近づけてくる。
「オレをにらんでも、どうしようもなくない?」
漆黒の装束を身にまとった細身の青年が、馬鹿にした風情で鼻を鳴らした。
「んで、どーすんのよ。援軍でも呼ぶ?その間に、そちらさんは全滅かもしれねぇけど」
(……食えない黒竜騎士めっ……)
その底意地の悪さを腹立たしく思いながら、パウドーロは唸 る。
「竜を連れてきたのなら、出せ」
「はっ、それが人にものを頼む態度かよ」
ニヤニヤ笑いながら肩をすくめる青年に、パウドーロは憤怒 で顏を真っ赤にさせた。
「……お願いいたします、ニェベス公。騎竜して、スバクル軍を退けていただきたい」
「連れてきてはいるけど、乗らねえよ?……乗れっかよ、あんなモン」
「乗れない?約束が違うっ」
「世話してたイハウのヤツら、全員死んじまったんだろ?んなモン、近づきたくもねぇよ」
(黒竜騎士が、なんとかするはずだと聞いたが)
青年の態度に、パウドーロの警戒感が深まる。
「予定では、貴公と黒竜の活躍は、トーラ軍壊滅後であるはずだ。ずいぶんお早いご到着だな」
「ありゃ黒竜じゃねぇし。……どーも、あの酔いどれ隊長にバレてるっぽいんだよ」
「なっ!」
パウドーロの顔色が変わった。
「ディデリス・サラマリスにか?!」
「あれ、酔いどれ隊長で伝わるんだ?」
ニェベスはとぼけた横顔をパウドーロに見せる。
「イハウに竜がいるのを見られんのはヤベェからって、早めに出されちまったらしいぜ。……ったく、こっちにも予定があるってんだよ。殺 られない準備ってのがさ」
凶悪な笑みを一瞬唇に乗せると、ニェベスはたどたどしい指笛を吹いた。
ベチョ、ベチョ、ベチョ。
湿った重い足音が、ふたりの背後からゆっくりと近づいてくる。
「こ、これ、は……」
「な、いろいろ無理だろーが。じゃ、ちょっくら行ってくっけど、イハウさんに死人が出ても、四の五の言うなよー」
実に愉快そうに、ニェベスは青ざめるパウドーロを眺めた。
「アガラム出張 ってくるとか、さすがに想定外だけどよ。トーラみてぇな弱小国にいいようにされて、イハウも大したことねぇな。ははっ」
パウドーロとニェベスの脇を通り過ぎた大きな影は、荒い息を吐きながら、だんだんとその足を速めていく。
「うへぇ、気持ちわりっ。報告しろって言われてなきゃ帰りてぇよ」
馬を走らせ、影を追っていくニェベスを見送るパウドーロの額には、大粒の脂汗が浮かんでいた。
「パウドーロ様!スバクルの領主軍がっ」
「わかっている!……なぜだ……」
焦りをにじませた伝令役に怒鳴り返して、パウドーロは
パウドーロが立っているのは、スバクル領主国と国境を接している、イハウ辺境の小高い峠。
ここはスバクル統領・レゲシュ軍がトーラ王子軍と交戦している平原への、ただの通過点のはずだった。
斥候兵からも、国境警備軍が通常配備のされているだけの、油断しきった状態だという報告しか受けていない。
ところが。
「あの
峠を下った先の開けた
そして、その後方では
周囲にはほかに三家の
「すまぬな」
「何がですか?」
イハウ軍を遠望していたラシオンが、ユドゥズ家宗主、ジャジカを振り返った。
「もっと多くの領主を
穏やかな瞳の奥に苦みをにじませ、ジャジカは国境の友軍を眺める。
「えぇ!この短期間に三家なら、賞賛に値しますよ。反逆の烙印を押された者がいると聞いて、なお賛同を得られるとは。さすがユドゥズ公です」
実際ラシオンたちには、ジャジカ・ユドゥズの説得さえ賭けだったのだから。
「それに、勝つ必要はない。足止めするだけでいい」
「それほどまでに信頼しているのか」
「はい。必ずトーラ軍が来ます。俺たちに加勢するために」
「そうか……。早く会いたいものだな。
スバクルの
疾風がそれほどまでに信を置く、トーラの盟友たちに」「え、カーヤイじゃなくて?」
目を大きくさせたラシオンを見て、ジャジカがニヤリと笑う。
「この騒動を一日も早く収束させて、ヴァーリ王にお会いしよう。行くぞ、スバクルの疾風!サイレルの宗主!」
「応!」
ジャジカの号令を合図に、ラシオンとファイズが騎乗する見事な
スバクル領主国軍と同時に、グリアーノも動いた。
初手、呆気に取られたとはいえ、こちらは向こうの倍以上の兵力をそろえている。
侵攻に気付いたスバクル領主家から抵抗にあったとしても、やすやすと退けるために用意した軍勢だ。
「蹴散らせ!
イハウ連合国軍がスバクル側に
だが、スバクル領主国の若き将ふたりは、それを
「ファイズ!」
「任せろっ」
息の合った剣技を見せるラシオンとファイズの前に、イハウ兵が次々と倒れていく。
「あれはカーヤイの疾風と、サイレルの跡取りだな。……ちっ」
パウドーロが牙をむくような顔で舌打ちをする。
「レゲシュが
スバクル領主家軍を
「ぐっ」
ファイズの利き腕に矢が刺さり、その手から剣がこぼれ落ちる。
だが、ファイズは顔を
「へっ、これしき」
にやりと笑ってみせるが、ファイズの肩は激しく上下している。
(さすがに数が多い)
馬上のラシオンが周囲を見渡せば、数で劣るスバクル領主軍の陣形が崩れ始めていた。
「行け!攻め込め、攻め込めぇ!」
勢いに乗ったイハウ将校たちの怒号を耳に、パウドーロは
「よし!一気に、」
「沈めろ!」と叫ぼうとして、パウドーロはそのまま石像のように固まった。
「ん?あれって……」
「久しいな、疾風よ!」
ラシオンのまなざしの向こうに、躍動する見事なアガラム馬を操る
「なっ、アガラム軍?!」
イハウ兵たちの間に動揺が広がっていく。
突撃の
「風雲、猛虎っ」
パウドーロの鼻に憎々しげなシワが寄った。
自らも剣を振るいながら戦士たちに活を入れ、思いのままに馬を操る
ジャジカ・ユドゥズは束の間、自分がどこにいるのかも忘れて、その光景に見入っていた。
アガラム軍とは、一触即発の事態に陥った際に、南国境で
全面的な
その両国が共同戦線を張るなど、ジャジカは想像したこともなかった。
「少し見ぬ間に男っぷりが上がったな、疾風よ」
豪快に笑いながら、マハディが二、三人のイハウ兵を
「大公自らご光臨とはありがたい!」
「クレーネへの厚情を今、疾風に返そう!アガラムの
振り上げられたマハディの三日月型の刃が、ギラリと陽を反射する。
「”豪勇無双たる我が戦士たち!見せよその力っ、撃破せよ!”」
マハディの
「若!」
「ファイズ若!」
アガラム軍勢から、スバクル語が聞こえてくる。
「お前、たち……」
絶句するファイズを、アガラム兵士の格好をした一団が取り囲んだ。
「生きていたかっ」
「マハディ大公に拾っていただいておりました」
「若を置いて……。すぐにお探しもできず、申し訳、」
「お互い、悪運だけは強かったな!ははっ」
恥じ入っているような同朋に、ファイズは顔中を口にして笑う。
「スバクル
「応!」
大音声で
「何だ、これは。どういう状況だ……」
あっという間に自軍が劣勢に転じていく様子を、パウドーロは呆然として見守っている。
「あーらら。苦戦してんねぇ」
それはこの緊迫した戦況に似つかわしくない、
血走った目でパウドーロが振り返ると、ならず者のような青年が、騎乗する馬を近づけてくる。
「オレをにらんでも、どうしようもなくない?」
漆黒の装束を身にまとった細身の青年が、馬鹿にした風情で鼻を鳴らした。
「んで、どーすんのよ。援軍でも呼ぶ?その間に、そちらさんは全滅かもしれねぇけど」
(……食えない黒竜騎士めっ……)
その底意地の悪さを腹立たしく思いながら、パウドーロは
「竜を連れてきたのなら、出せ」
「はっ、それが人にものを頼む態度かよ」
ニヤニヤ笑いながら肩をすくめる青年に、パウドーロは
「……お願いいたします、ニェベス公。騎竜して、スバクル軍を退けていただきたい」
「連れてきてはいるけど、乗らねえよ?……乗れっかよ、あんなモン」
「乗れない?約束が違うっ」
「世話してたイハウのヤツら、全員死んじまったんだろ?んなモン、近づきたくもねぇよ」
(黒竜騎士が、なんとかするはずだと聞いたが)
青年の態度に、パウドーロの警戒感が深まる。
「予定では、貴公と黒竜の活躍は、トーラ軍壊滅後であるはずだ。ずいぶんお早いご到着だな」
「ありゃ黒竜じゃねぇし。……どーも、あの酔いどれ隊長にバレてるっぽいんだよ」
「なっ!」
パウドーロの顔色が変わった。
「ディデリス・サラマリスにか?!」
「あれ、酔いどれ隊長で伝わるんだ?」
ニェベスはとぼけた横顔をパウドーロに見せる。
「イハウに竜がいるのを見られんのはヤベェからって、早めに出されちまったらしいぜ。……ったく、こっちにも予定があるってんだよ。
凶悪な笑みを一瞬唇に乗せると、ニェベスはたどたどしい指笛を吹いた。
ベチョ、ベチョ、ベチョ。
湿った重い足音が、ふたりの背後からゆっくりと近づいてくる。
「こ、これ、は……」
「な、いろいろ無理だろーが。じゃ、ちょっくら行ってくっけど、イハウさんに死人が出ても、四の五の言うなよー」
実に愉快そうに、ニェベスは青ざめるパウドーロを眺めた。
「アガラム
パウドーロとニェベスの脇を通り過ぎた大きな影は、荒い息を吐きながら、だんだんとその足を速めていく。
「うへぇ、気持ちわりっ。報告しろって言われてなきゃ帰りてぇよ」
馬を走らせ、影を追っていくニェベスを見送るパウドーロの額には、大粒の脂汗が浮かんでいた。