最後の戦い -1-
文字数 3,447文字
合議の翌日、クローヴァは医療用天幕に隣接した備品庫にレヴィア隊を集めた。
「再襲撃……?」
憔悴した顔をさらに青ざめさせて、レヴィアが絶句する。
これ以上何かあれば、アルテミシアの命は簡単に尽きてしまう。
だが、命の瀬戸際にある彼女を移動させることもできない。
「レヴィアはリズィエを頼むよ。フリーダ隊長、本陣で僕の隊と打ち合わせを、」
「いえ、守りはジーグとスライに任せます。治療はアガラム医薬師の方とスヴァン、メイリに」
「でも……」
あれから、ろくに休息も睡眠も取らない弟を前に、兄は口ごもる。
「母さまが死んだとき、カーフは笑っていたんです。同じ顔をして、彼はアルテミシアを殺そうとした。僕にミーシャを、仲間を守らせてください。スィーニと出ます」
射るような目をクローヴァに向けたあとで、レヴィアは頭を下げた。
「お願いします」
(決意は固い、か。……押し問答している時間はないな)
「わかった。僕と一緒に出撃しよう」
「ありがとうございます!スヴァン、メイリ、僕の言うとおりの準備をお願いしてもいい?」
「オレは?」
まぶたの傷も痛々しく、額にはまだ晒 を巻いたヴァイノが、勇ましく手を上げる。
「ジーグと一緒に、ミーシャを守って」
「えー?!オレ、出ちゃダメ?」
「なんならミーシャの格好をして、影武者でもしてて」
「女装?!そりゃムリがあるだろっ。……でもさ」
ヴァイノの拳 が、まっすぐにレヴィアに差し出された。
「ふくちょ守りきる自信はあるぜ!また怪我しても、デンカの治療ってばサイコーだし。敵が来たら、思いっきし暴れてやらぁ!」
「大人しくしてるつもり、ないんだね。今度はどんなふうに縫おうか」
「迫力増し増しで」
ヴァイノの拳 とレヴィアの拳 が、コツンとぶつけられる。
「了解。その傷跡を見たら、誰でもが震え上がるような縫い目にしよう」
「おう、頼む。……いや、待てよ?誰でも、は困るな。女は怖がらねーようにして」
「……ムリがあるだろ」
「デンカならできるって!オレ、信じてるから」
いつもと変わらないヴァイノの笑顔に、レヴィアはひとつ、うなずき返した。
◇
わずかに残った側近に戦支度 を手伝わせながら、イグナル・レゲシュは隠れ家の岩室に戻ってきたカーフレイを振り返った。
「どのくらい集められた」
「思ったよりも」
新たな革兜 をかぶったカーフレイが頭を下げる。
「頭に花が咲いた
「森に隠れるのは嫌だと、レゲシュ家の隠し部屋に潜 むことを、あの方が選んだのですから。それよりも、イグナル様はよろしいのですか」
「何がだ」
鎧兜 を身に付け終わったイグナルが、大きく息をついた。
「貴方 だけならば、逃げ延びる算段もつけられます」
「いらぬ。我が念望 は潰 えた。一族を虐 げ、利用し続けてきたこの国を手玉に取り、奴らが滅ぶ様 を見届けたかったのだが」
「ですが」
「もういい」
イグナルは静かに首を横に振る。
「スバクルも憎いが、他国などもっと好かぬ。イハウを見ろ。端 から謀 っていたのだ。信じられるものなど何ひとつない。もうひと暴れして、ひとりでも多くを道連れにして散ろう。お前こそ」
礼を取るカーフレイの前を通り過ぎながら、イグナルはその肩に手を置いた。
「お前ほどの能力があれば、どこにでも入り込めるだろう。百の顏を持つアヴールの息子よ。お前はここで諦める必要もあるまい」
「ええ」
鉛 の目だけがイグナルに向けられる。
「終わる気など毛頭ありません。貴方 の宿願共々、私が成就させましょう」
「まだ策があるというのか。……第二王子を生かしておいたことと、何か関係が?命を奪う機会など、いくらでもあったろうに」
「少し余計な知恵をつけられたところで」
微かに弧を描いた鉛 の目を見て、イグナルはカーフレイが笑ったらしいと気づいた。
「あれをヒトの世界になど戻しはしない。あれは、私と同じモノになってもらわないと。いや」
死神を彷彿 とさせていた男に浮かんだ、晴れ晴れとした笑みに、イグナルの目が見張られる。
「手にした幸せは、一時の幻影に過ぎないと思い知ればいい。そうして絶望に落ちれば、私以上のバケモノになる」
(そうか。その目的で生かしておいたのか)
「……では、行こう」
「はい」
カーフレイはねっとりとした声で返事をして、岩室を出るイグナルに続いた。
◇
星々が、朝の兆しにその姿を消し始めるころ。
「……来たね」
青竜に乗り、竜舎前で待機していたレヴィアがつぶやいた。
空気がざわつき、蠢 く気配が濃くなっていく。
「スィーニ、行くよ。僕に力を貸して」
伸ばされたレヴィアの手に嘴 を擦 りつけて、青の竜は了解を伝えた。
「敵襲!」
丘の麓 に配備したクローヴァ軍兵士が叫び、リズワンを頭 に、レヴィア隊の弓兵部隊が、陣前衛で弓を一斉に番 える。
緊迫した空気を裂く指笛を合図に、スィーニが大きく羽ばたたき、空へと舞い上がっていった。
爆発音と同時に轟く怒号。
そして、激しい金属音が空気を揺るがした。
暗夜に紛れ集まっていた傭兵 たちが、一斉に攻撃を仕掛けてくる。
統制などなにもないが、その数の多さと、飛び道具や爆薬を大量に、勝手気ままに駆使する支離滅裂な戦い方に、トーラ王子軍・スバクル宗主軍は苦戦を強いられることとなった。
「どうだ」
トーラ本陣を望む森奥で、イグナルが低く囁 く。
「いい具合に混乱しているようです。……手はずどおりに」
カーフレイの指示に側近たちが二手に分かれ、時を同じくして、傭兵 軍団がトーラ国側の隙 をついて丘を登り始めた。
奇声を上げて挑発する傭兵 たちに、レヴィア隊の一部が応戦を始める。
「囮 だ!相手にするなっ!」
リズワンいさめる怒鳴り声は、傭兵たちの雄叫びにかき消されて、仲間の耳には届かなかった。
トーラ本陣裏に到達すると、側近たちはカーフレイの目配せを合図に、持っていた松明 に火をつけ、次々と陣内へと投げ込んでいく。
天幕や備品に放たれた火は瞬く間に燃え広がり、気づいた護衛部隊が慌て騒いだ。
「よし!この混乱に乗ずるぞ」
カーフレイたちがそれぞれ武器を手に取った、そのとき。
「噴け!」
燃え盛る炎は一瞬で鎮火し、カーフレイたちが度肝を抜かれている間に、今度は矢が降り注いでくる。
何が起こったのかわからぬまま追い立てられ、カーフレイたちは敵陣内部へと向かって逃げた。
(まずい、このままでは)
敵の眼前に出るのを回避しようと、カーフレイが方向転換しようとしたとき。
突如、豊かな羽を揺らす優美な赤竜が立ち塞 がった。
『この場所じゃ無理かと思ってたけど、あれがいるならいけるな』
騎乗する短髪の竜騎士がにやりと笑う。
カーフレイが慌てて踵 を返すと、そこには。
『どこへ行く』
退路を断っていたのは、小柄な赤竜に騎乗する美麗な騎士。
身をすくませるカーフレイたちを見下ろした竜騎士ふたりが、同時に着火装置の鎖を握る。
『『噴け!』』
「うわぁぁぁ!」
灼熱 の炎が、カーフレイたちを挟み撃ちにして襲いかかった。
炎は天幕や森の木々にも飛び火して、辺りは火の海に沈むかと思われたが。
「噴け!」
空から降り注いできた鉄砲水が、燃え上がる炎を消し去っていく。
立ち上る白煙の隙間からカーフレイが見上げると、青藍の羽に朝日を反射させた、この世のものとは思えないほど美しい生き物が、さらに水を噴きつけてきた。
『まだ抵抗するか』
濡れ鼠 となったカーフレイを見据えて、ディデリスがスラリと剣を抜く。
「くそっ、覚悟ぉっ!ぐぁっ」
血走った目をして剣を振り上げた側近兵が、頭上から放たれた矢に射抜かれて、地に倒れた。
『妙な動きはするなよ』
カーフレイの喉元 に、小柄な赤竜を近づけたディデリスの剣先が当てられる。
『その手をゆっくりと外に出せ』
カーフレイが懐 に入れた手が動くのと同時に、喉元 に当てられている刃が手首へと移動していく。
(何かを持っている気配があれば、あの逆臣の竜騎士と同じように……)
カーフレイの空 の手が、ゆっくりと外に出された。
『アルテミシアを手に掛けたな』
カーフレイに注がれるのは、猛獣のような翡翠 の瞳。
『死んだほうが楽な状況というのを経験したことがあるか?ないのならば喜べ。これから新たな経験ができる』
――自害する自由すら与えない――
そう宣言されたと気づいたカーフレイは、魂が抜け落ちていくようにその場に崩れ落ちていった。
「再襲撃……?」
憔悴した顔をさらに青ざめさせて、レヴィアが絶句する。
これ以上何かあれば、アルテミシアの命は簡単に尽きてしまう。
だが、命の瀬戸際にある彼女を移動させることもできない。
「レヴィアはリズィエを頼むよ。フリーダ隊長、本陣で僕の隊と打ち合わせを、」
「いえ、守りはジーグとスライに任せます。治療はアガラム医薬師の方とスヴァン、メイリに」
「でも……」
あれから、ろくに休息も睡眠も取らない弟を前に、兄は口ごもる。
「母さまが死んだとき、カーフは笑っていたんです。同じ顔をして、彼はアルテミシアを殺そうとした。僕にミーシャを、仲間を守らせてください。スィーニと出ます」
射るような目をクローヴァに向けたあとで、レヴィアは頭を下げた。
「お願いします」
(決意は固い、か。……押し問答している時間はないな)
「わかった。僕と一緒に出撃しよう」
「ありがとうございます!スヴァン、メイリ、僕の言うとおりの準備をお願いしてもいい?」
「オレは?」
まぶたの傷も痛々しく、額にはまだ
「ジーグと一緒に、ミーシャを守って」
「えー?!オレ、出ちゃダメ?」
「なんならミーシャの格好をして、影武者でもしてて」
「女装?!そりゃムリがあるだろっ。……でもさ」
ヴァイノの
「ふくちょ守りきる自信はあるぜ!また怪我しても、デンカの治療ってばサイコーだし。敵が来たら、思いっきし暴れてやらぁ!」
「大人しくしてるつもり、ないんだね。今度はどんなふうに縫おうか」
「迫力増し増しで」
ヴァイノの
「了解。その傷跡を見たら、誰でもが震え上がるような縫い目にしよう」
「おう、頼む。……いや、待てよ?誰でも、は困るな。女は怖がらねーようにして」
「……ムリがあるだろ」
「デンカならできるって!オレ、信じてるから」
いつもと変わらないヴァイノの笑顔に、レヴィアはひとつ、うなずき返した。
◇
わずかに残った側近に
「どのくらい集められた」
「思ったよりも」
新たな
「頭に花が咲いた
アレ
は、置いてきてもよかったのか」「森に隠れるのは嫌だと、レゲシュ家の隠し部屋に
「何がだ」
「
「いらぬ。我が
「ですが」
「もういい」
イグナルは静かに首を横に振る。
「スバクルも憎いが、他国などもっと好かぬ。イハウを見ろ。
礼を取るカーフレイの前を通り過ぎながら、イグナルはその肩に手を置いた。
「お前ほどの能力があれば、どこにでも入り込めるだろう。百の顏を持つアヴールの息子よ。お前はここで諦める必要もあるまい」
「ええ」
「終わる気など毛頭ありません。
「まだ策があるというのか。……第二王子を生かしておいたことと、何か関係が?命を奪う機会など、いくらでもあったろうに」
「少し余計な知恵をつけられたところで」
微かに弧を描いた
「あれをヒトの世界になど戻しはしない。あれは、私と同じモノになってもらわないと。いや」
死神を
「手にした幸せは、一時の幻影に過ぎないと思い知ればいい。そうして絶望に落ちれば、私以上のバケモノになる」
(そうか。その目的で生かしておいたのか)
「……では、行こう」
「はい」
カーフレイはねっとりとした声で返事をして、岩室を出るイグナルに続いた。
◇
星々が、朝の兆しにその姿を消し始めるころ。
「……来たね」
青竜に乗り、竜舎前で待機していたレヴィアがつぶやいた。
空気がざわつき、
「スィーニ、行くよ。僕に力を貸して」
伸ばされたレヴィアの手に
「敵襲!」
丘の
緊迫した空気を裂く指笛を合図に、スィーニが大きく羽ばたたき、空へと舞い上がっていった。
爆発音と同時に轟く怒号。
そして、激しい金属音が空気を揺るがした。
暗夜に紛れ集まっていた
統制などなにもないが、その数の多さと、飛び道具や爆薬を大量に、勝手気ままに駆使する支離滅裂な戦い方に、トーラ王子軍・スバクル宗主軍は苦戦を強いられることとなった。
「どうだ」
トーラ本陣を望む森奥で、イグナルが低く
「いい具合に混乱しているようです。……手はずどおりに」
カーフレイの指示に側近たちが二手に分かれ、時を同じくして、
奇声を上げて挑発する
「
リズワンいさめる怒鳴り声は、傭兵たちの雄叫びにかき消されて、仲間の耳には届かなかった。
トーラ本陣裏に到達すると、側近たちはカーフレイの目配せを合図に、持っていた
天幕や備品に放たれた火は瞬く間に燃え広がり、気づいた護衛部隊が慌て騒いだ。
「よし!この混乱に乗ずるぞ」
カーフレイたちがそれぞれ武器を手に取った、そのとき。
「噴け!」
頭上から
聞こえた号令に、驚いたカーフレイが上を向こうとしたのと同時に、空から大量の水が落ちてきた。燃え盛る炎は一瞬で鎮火し、カーフレイたちが度肝を抜かれている間に、今度は矢が降り注いでくる。
何が起こったのかわからぬまま追い立てられ、カーフレイたちは敵陣内部へと向かって逃げた。
(まずい、このままでは)
敵の眼前に出るのを回避しようと、カーフレイが方向転換しようとしたとき。
突如、豊かな羽を揺らす優美な赤竜が立ち
『この場所じゃ無理かと思ってたけど、あれがいるならいけるな』
騎乗する短髪の竜騎士がにやりと笑う。
カーフレイが慌てて
『どこへ行く』
退路を断っていたのは、小柄な赤竜に騎乗する美麗な騎士。
身をすくませるカーフレイたちを見下ろした竜騎士ふたりが、同時に着火装置の鎖を握る。
『『噴け!』』
「うわぁぁぁ!」
炎は天幕や森の木々にも飛び火して、辺りは火の海に沈むかと思われたが。
「噴け!」
空から降り注いできた鉄砲水が、燃え上がる炎を消し去っていく。
立ち上る白煙の隙間からカーフレイが見上げると、青藍の羽に朝日を反射させた、この世のものとは思えないほど美しい生き物が、さらに水を噴きつけてきた。
『まだ抵抗するか』
濡れ
「くそっ、覚悟ぉっ!ぐぁっ」
血走った目をして剣を振り上げた側近兵が、頭上から放たれた矢に射抜かれて、地に倒れた。
『妙な動きはするなよ』
カーフレイの
『その手をゆっくりと外に出せ』
カーフレイが
(何かを持っている気配があれば、あの逆臣の竜騎士と同じように……)
カーフレイの
『アルテミシアを手に掛けたな』
カーフレイに注がれるのは、猛獣のような
『死んだほうが楽な状況というのを経験したことがあるか?ないのならば喜べ。これから新たな経験ができる』
――自害する自由すら与えない――
そう宣言されたと気づいたカーフレイは、魂が抜け落ちていくようにその場に崩れ落ちていった。