子犬の奮闘
文字数 2,724文字
臨時の療養場所となった本陣で、ヴァイノはアルテミシアから体術の型の稽古 をつけてもらっていた。
「そんでさぁデンカがさぁ、ぜんっぜん手加減しねーの」
ぶつぶつと文句を言い続けながら、ヴァイノは真面目に、真剣に体を動かしている。
旧レゲシュ邸での組手では、レヴィアからコテンパンにやられたヴァイノだ。
「くっそ、あのヤロっ」
さんざん投げられ、打撃をかわすこともできずに床に沈んだことを思い出して、ヴァイノの動きが粗くなる。
「脇をもっと締めろ。体側に喰らうぞ。それから……」
重ねられた柔らかい枕に背を預けて、アルテミシアは熱心に指導を続けた。
「うん、あとは実戦を重ねるのみだ。レヴィは気配を読むことが上手いから、なかなか手ごわいだろう。そうやって生き延びてきたからな。けれど、ヴァイノには速さがある。修練を重ねれば、いい勝負になるはずだ」
「そうだよな。デンカは敵だらけだったんだもんな……。オレには仲間がいてくれたけど」
肩口で汗を拭 きながら、ヴァイノは寝台横の椅子 に座る。
「ヴァイノだって、その仲間を守りながら、必死に生きてきただろう?レヴィもヴァイノも、その身に付いた術 で故郷を守った。ふたりともトーラの英雄だ」
「えへへ、えへへへへへ。ウェヘッヘ。そんなこと、……あるかな?」
照れて笑いながら身をくねらせるヴァイノに、アルテミシアは吹き出した。
「ふふ、あるよ。十分誇っていい」
「あんがと。てか、ふくちょさ、ずいぶん顔色良くなったじゃん。今はどう?食える気分?このさ、胡桃 挽 いたのが入ってるやつ。すげぇうまいよ」
「どれどれ。……本当だ。香ばしい風味と、抑えた甘みが後を引くな。いくつでも食べられそうだ」
「それ、デンカに伝えてやってよ、喜ぶから。毎日あれやこれや試して作っててさ。アスタとかメイリも、味見つき合ってんだぜ。オレは食うだけだけど、ふたりは甘味 にうるさいんだよ。でさ、”アルテミシア様は、こうしたほうがお好きじゃないですか”とか言われると、ありがとうって言いながら、ちょっとムッとしてだぜ、デンカ。おっかしいよな」
「むっとする?レヴィが?どうして?」
作法でもディアムド語でも、武術でも。
指導にはいつでも、素直にうなずくレヴィアしか知らないアルテミシアは、しきりに首を捻 っている。
「や、だってさ」
(ナニ言ってんだ、このヒト)
あれだけ、丸わかりな態度を取られているじゃないか。
アルテミシアが生還してからは、見ているこっちが恥ずかしくなるくらい、レヴィアの気持ちは、だだ漏れしているというのに。
「だって、デンカは、いつも一番でいたいんだよ、ふくちょの。ふくちょのこと、一番知ってたいんだ。その……、好き、だから」
「なんだ?よく聞こえない」
「だからっ、好きなんだよっ。ふくちょだって好きだろ?デンカのこと!」
ヴァイノのヤケクソの大声が天幕にこだまする。
どうせ、オレたちのデンカは肝心のことは伝えられずに、もやもやしているだけに違いない。
だから、アルテミシアだって明確な態度を示さないでいるのだろう。
ここは一肌脱ごうではないか。
「もちろんだ」
きっぱりと。
いつものアルテミシアがうなずいた。
「だよな!」
ヴァイノは顔輝かせ、やっぱりふたりは想い合ってるんだ!と思ったところで。
(……待てよ……)
アルテミシアの、やけに素早い肯定に違和感を抱 いた。
「レヴィは好きだ。可愛いからな」
微笑むアルテミシアに、ますます嫌な予感が湧き上がる。
――トカゲは好きだ。可愛い――
(トレキバでそう言ってよなあ、ふくちょ。……口調が同じっぽい……)
「あのさ、好きってさ、男として特別って意味だぜ?」
「男として?レヴィは男だぞ、ヴァイノ」
当たり前のことを言うなと笑うアルテミシアに、ヴァイノから盛大なため息が漏れた。
レヴィアには言えても、師匠で上官でもあるアルテミシアに「だぁー、ちっげーよっ!」とは叫べない。
「あのさ、それってさ。ふくちょが”トカゲは好きだ”っつってたのと、変わんねーように聞こえるけど。デンカを好きって、トカゲみてぇに好きなの?」
「……え?」
一拍の間を置いてから、アルテミシアの目が丸くなる。
「好きって、いろんな種類があるだろ?ふくちょは、オレたちのことも可愛がってくれるけど、オレを好きなのと、デンカ好きなのは同じなわけ?」
「好きに、種類が……、ある?」
何を言われているのか、さっぱりわからないという顔で、アルテミシアは瞬きを繰り返していた。
「あのさぁ」
ヴァイノはもう、ため息も出ない。
「ほら、バラだって、いろんな色があるだろ。赤とか、黄色とか、白とか。同じ赤だって、びみょーに違うじゃん。ふくちょの髪みてぇな紅色もあるけど、橙色っぽい赤もあるだろ?おんなじバラっつったって、種類があるワケじゃん?」
一世一代、自分なりに、洒落た例えをしたと思ったのだが。
「……」
相変わらず、アルテミシアの顔は冴えない。
「あー、うーん」
(伝わってねぇなぁ)
ヴァイノは唸 り、眉間 に指を当てる。
と、治りかけの傷の感触に、ふと思い出したことがあった。
「隊長に言われたんだけどさ」
「……ジーグに?」
頼りない目をして聞き返してくるアルテミシアは、師匠と弟子の立場が逆転したような、いや、まるで妹が兄を頼るような表情で。
ヴァイノは俄然、張り切った。
「うん。鍛錬のとき、オレがやたら剣振り回して、ガンガン攻め込んでたらさ。”力で押すだけが強さじゃない”って。”好機を待つこと。時機を見て引くこと。すべて強さだ”って」
「それはわかる」
すんなりとうなずくアルテミシアに、ヴァイノは苦笑いを浮かべる。
「強さの種類……。好きの種類……」
つぶきながら、アルテミシアは視線を落とした。
「ヴァイノは、……子犬だ」
「わかったよ」
もうこの際、自分のことはどうでもいい。
じりじりしながら、ヴァイノはアルテミシアの言葉を待ち続ける。
「レヴィは、……トカゲじゃない」
「マジか。よかったよ」
「子犬じゃない」
「そうなんだ」
「……弟?」
あー、やっぱりかとヴァイノは肩を落としかけて。
「……じゃない」
(お、イケる感じ?)
期待に満ちた目をアルテミシアに向けたヴァイノだが、続けてアルテミシアが口にした言葉に、とうとうそ肩がガックリと落ちた。
「……本当だ。”好き”には種類があるんだな」
アルテミシアの顔には「今、気がつきました」と書いてある。
(ダメだこりゃ。デンカよりヒデェじゃん)
「ヴァイノ、意外に頭がいいんだな」
「だぁぁー!ちっげーだろっ」
「違う?何が?」
「もーいーよ!」
とうとう爆発したヴァイノを前に、アルテミシアは目を丸くするばかりだった。
「そんでさぁデンカがさぁ、ぜんっぜん手加減しねーの」
ぶつぶつと文句を言い続けながら、ヴァイノは真面目に、真剣に体を動かしている。
旧レゲシュ邸での組手では、レヴィアからコテンパンにやられたヴァイノだ。
「くっそ、あのヤロっ」
さんざん投げられ、打撃をかわすこともできずに床に沈んだことを思い出して、ヴァイノの動きが粗くなる。
「脇をもっと締めろ。体側に喰らうぞ。それから……」
重ねられた柔らかい枕に背を預けて、アルテミシアは熱心に指導を続けた。
「うん、あとは実戦を重ねるのみだ。レヴィは気配を読むことが上手いから、なかなか手ごわいだろう。そうやって生き延びてきたからな。けれど、ヴァイノには速さがある。修練を重ねれば、いい勝負になるはずだ」
「そうだよな。デンカは敵だらけだったんだもんな……。オレには仲間がいてくれたけど」
肩口で汗を
「ヴァイノだって、その仲間を守りながら、必死に生きてきただろう?レヴィもヴァイノも、その身に付いた
「えへへ、えへへへへへ。ウェヘッヘ。そんなこと、……あるかな?」
照れて笑いながら身をくねらせるヴァイノに、アルテミシアは吹き出した。
「ふふ、あるよ。十分誇っていい」
「あんがと。てか、ふくちょさ、ずいぶん顔色良くなったじゃん。今はどう?食える気分?このさ、
「どれどれ。……本当だ。香ばしい風味と、抑えた甘みが後を引くな。いくつでも食べられそうだ」
「それ、デンカに伝えてやってよ、喜ぶから。毎日あれやこれや試して作っててさ。アスタとかメイリも、味見つき合ってんだぜ。オレは食うだけだけど、ふたりは
「むっとする?レヴィが?どうして?」
作法でもディアムド語でも、武術でも。
指導にはいつでも、素直にうなずくレヴィアしか知らないアルテミシアは、しきりに首を
「や、だってさ」
(ナニ言ってんだ、このヒト)
あれだけ、丸わかりな態度を取られているじゃないか。
アルテミシアが生還してからは、見ているこっちが恥ずかしくなるくらい、レヴィアの気持ちは、だだ漏れしているというのに。
「だって、デンカは、いつも一番でいたいんだよ、ふくちょの。ふくちょのこと、一番知ってたいんだ。その……、好き、だから」
「なんだ?よく聞こえない」
「だからっ、好きなんだよっ。ふくちょだって好きだろ?デンカのこと!」
ヴァイノのヤケクソの大声が天幕にこだまする。
どうせ、オレたちのデンカは肝心のことは伝えられずに、もやもやしているだけに違いない。
だから、アルテミシアだって明確な態度を示さないでいるのだろう。
ここは一肌脱ごうではないか。
「もちろんだ」
きっぱりと。
いつものアルテミシアがうなずいた。
「だよな!」
ヴァイノは顔輝かせ、やっぱりふたりは想い合ってるんだ!と思ったところで。
(……待てよ……)
アルテミシアの、やけに素早い肯定に違和感を
「レヴィは好きだ。可愛いからな」
微笑むアルテミシアに、ますます嫌な予感が湧き上がる。
――トカゲは好きだ。可愛い――
(トレキバでそう言ってよなあ、ふくちょ。……口調が同じっぽい……)
「あのさ、好きってさ、男として特別って意味だぜ?」
「男として?レヴィは男だぞ、ヴァイノ」
当たり前のことを言うなと笑うアルテミシアに、ヴァイノから盛大なため息が漏れた。
レヴィアには言えても、師匠で上官でもあるアルテミシアに「だぁー、ちっげーよっ!」とは叫べない。
「あのさ、それってさ。ふくちょが”トカゲは好きだ”っつってたのと、変わんねーように聞こえるけど。デンカを好きって、トカゲみてぇに好きなの?」
「……え?」
一拍の間を置いてから、アルテミシアの目が丸くなる。
「好きって、いろんな種類があるだろ?ふくちょは、オレたちのことも可愛がってくれるけど、オレを好きなのと、デンカ好きなのは同じなわけ?」
「好きに、種類が……、ある?」
何を言われているのか、さっぱりわからないという顔で、アルテミシアは瞬きを繰り返していた。
「あのさぁ」
ヴァイノはもう、ため息も出ない。
「ほら、バラだって、いろんな色があるだろ。赤とか、黄色とか、白とか。同じ赤だって、びみょーに違うじゃん。ふくちょの髪みてぇな紅色もあるけど、橙色っぽい赤もあるだろ?おんなじバラっつったって、種類があるワケじゃん?」
一世一代、自分なりに、洒落た例えをしたと思ったのだが。
「……」
相変わらず、アルテミシアの顔は冴えない。
「あー、うーん」
(伝わってねぇなぁ)
ヴァイノは
と、治りかけの傷の感触に、ふと思い出したことがあった。
「隊長に言われたんだけどさ」
「……ジーグに?」
頼りない目をして聞き返してくるアルテミシアは、師匠と弟子の立場が逆転したような、いや、まるで妹が兄を頼るような表情で。
ヴァイノは俄然、張り切った。
「うん。鍛錬のとき、オレがやたら剣振り回して、ガンガン攻め込んでたらさ。”力で押すだけが強さじゃない”って。”好機を待つこと。時機を見て引くこと。すべて強さだ”って」
「それはわかる」
すんなりとうなずくアルテミシアに、ヴァイノは苦笑いを浮かべる。
「強さの種類……。好きの種類……」
つぶきながら、アルテミシアは視線を落とした。
「ヴァイノは、……子犬だ」
「わかったよ」
もうこの際、自分のことはどうでもいい。
じりじりしながら、ヴァイノはアルテミシアの言葉を待ち続ける。
「レヴィは、……トカゲじゃない」
「マジか。よかったよ」
「子犬じゃない」
「そうなんだ」
「……弟?」
あー、やっぱりかとヴァイノは肩を落としかけて。
「……じゃない」
(お、イケる感じ?)
期待に満ちた目をアルテミシアに向けたヴァイノだが、続けてアルテミシアが口にした言葉に、とうとうそ肩がガックリと落ちた。
「……本当だ。”好き”には種類があるんだな」
アルテミシアの顔には「今、気がつきました」と書いてある。
(ダメだこりゃ。デンカよりヒデェじゃん)
「ヴァイノ、意外に頭がいいんだな」
「だぁぁー!ちっげーだろっ」
「違う?何が?」
「もーいーよ!」
とうとう爆発したヴァイノを前に、アルテミシアは目を丸くするばかりだった。