王子(リズィロ)の復活

エピソード文字数 4,435文字

 いまだ星の瞬く薄明(はくめい)
 ディデリス・サラマリスは使用人通用口から屋敷に入った。
 身にまとわりついた酒と安い香水の臭いが気持ち悪い。
(今日は?顔を出さなければならないほどの用事があったか…)
 壁に手をつきながら、やっとの思いで歩く。
 足が重い。
 ぬかるみの中を進むようだ。
 このごろではよほど重大な任務でもない限り、隊に顔も出さなくなった。
 しかし、後進の育成には力を入れてきた自負がある。隊長である自分が毎日顔を出さなくても隊は乱れない。
(俺が一番乱れているしな)
 退廃的に過ごしている自覚はある。
 それでもお(とが)めがないのは、いざ事が起これば真っ先に紛争地に駆けつけ、戦果を上げてみせるからだ。
 ディデリスの竜は赤竜にしては小柄ながら、長い攻撃に耐えうる大量の揮発息を吐く。何より小柄だからこそ、黒竜に負けないほど足が速い。
―ディデリス隊長の竜の揮発息は、酒精に違いない―
 ディデリスの実力を認めつつも、このところ赤竜軍に手柄を奪われ続けている黒竜騎士たちは、そう陰口を叩いているようだ。
(好きに言っていろ。…馬鹿馬鹿しい)
 飲み過ぎて荒れた胃を(かか)えながら湯を浴びる。
 出がけに頼んだとおり、早起きの使用人が用意してくれた湯は熱く、ディデリスの酒びたりの肌を洗い流してゆく。
 だが(おり)のようにたまった鬱屈(うっくつ)だけは、こびりついたまま流れてはいかなかった。
 
 小ざっぱりと簡素な部屋着を雑に着て廊下に出ると、ルドヴィクが彫像のように(たたず)んでいた。
「…おや父上」
 朝から嫌なものを見たという顏を隠しもせずに、ディデリスは眉間(みけん)に深くしわを寄せる。
「父上も朝帰りですか。それとも年寄りだからお早くお目が覚めるのですか」
 早口で毒づきながら脇を通り過ぎようとするディデリスに、絡繰(からく)り音のような声が掛けられた。
「トーラ国に竜がいるそうだ」
「…は…?」
 ディデリスは耳を疑い、思わず足を止め振り返ると父親を真正面から凝視した。
「…竜?何かの見間違えでは?」
 ルドヴィクが静かに首を横に振る。
「トーラ王襲撃事件の折、竜を率いる隊がその騒乱を収めたそうだ」
 ディデリスの翡翠(ひすい)色の瞳が大きく見開かれていく。
「…誰が?」
 竜に騎乗できる人間が、あの辺境国にいるのか。いや、そもそもあの極北の国に竜が存在するのか。
「隊の指揮官はトーラ第二王子、レヴィア殿下と聞く」
「第二?あの国は王子と王女が一人ずつしかいないはずでしょう」
「国王が側女(そばめ)に産ませた隠し子がいるという(うわさ)はあった」
「その側女(そばめ)は、竜一族に関係する人間なのですか?」
 久方ぶりに見せる明敏な顔つきで、矢継ぎ早にディデリスが問い(ただ)していく。
「どうかな。第二王子について伝わるのは名前くらいだ。トーラでもその存在は、公ではなかったようだな。ただ…」
 ルドヴィクの瞳からは何の感情も読めない。
「第二王子のそばに、大柄でやけに腕の立つ、大剣(たいけん)を扱う剣士がいたそうだ」
 ディデリスの呼吸が一瞬止まる。
「そしてもう一人」
 今やディデリスは一言も聞き漏らさまいと、ルドヴィクの口を食い入るように見ていた。
「身の軽い、竜をよく操る騎士がいたらしい。その人物は」
 親子の視線が真正面からぶつかった。
「見事な赤毛だったそうだ」

 赤竜第一部隊の隊長室に、慌ただしく隊員たちが出入りしていた。
「情報は(うわさ)程度でも構わない。入り次第、俺に上げろ」
「了解しました」
「各竜舎の確認書はすべて(そろ)ったか」
「育成竜舎があとひとつ。昼過ぎに届きます」
 騎竜隊隊長服に身を包んだディデリスが、間断(かんだん)なく指示を飛ばしている。
「…酒臭くない隊長は久しぶりだな」
 廊下で行きかう竜騎士同士が(ささや)き合う。
「無駄口を叩く余裕があるとは感心。頼んでおいたトーラ情勢についての報告は?」
「ひぃぃっ!」
 隊長室にいたはずのディデリスが、いつの間にか背後に立っていた。
「皇帝陛下へ謁見(えっけん)懇請(こんせい)を」
 向かい合った若い竜騎士に書面を渡しながら、ディデリスは歩き過ぎていった。
「急げ。今日明日中にご許可をいただけるように」
 書類を握り締め、(おび)えるほど緊張している騎士をディデリスはちらりと振り返る。
「少しでもご返事が延びてみろ。カザビア自治領で実力を磨いてもらうことになるぞ」
 少し前までは独立国で、今もなお内戦が収まらない地区を指定された隊員が青ざめた。まだ少年の色を濃く残した隊員のこわばった顔を見て、ディデリスはふっと表情を和らげる。
 美しく怜悧な横顔が、一瞬で艶めいたものになった。
「安心しろ。よほどのことがない限り、この件に関して陛下は否をおっしゃらない」
 明るい朱色の曲髪(くせがみ)に陽の光を浴びながら、ディデリスは颯爽と隊長服の(すそ)をさばきながら去っていく。
「別人みたいだ」
 ろくに顔も出さず、来たかと思えば遊び人のような恰好で、投げやりな指示をいい加減に言い置いてはさっさと帰っていく隊長しか知らない若い騎士がつぶやいた。
「隊長は本来ああいう方だ。ここ二年ほどが別人だったんだよ」
「何があったんでしょうね?」
「荒れた原因か?元に戻った理由か?…まあ、どちらも“赤の惨劇”だろうな」
「あの酷い事件が解決しそうなんですか?!」
 思わず、若い竜騎士の声が大きくなった。
 ディアムド帝国の首都アマルドに、不穏な影を落とした「赤の惨劇」事件。
 帝国の片翼、赤竜軍のバシリウス隊長が戦場ではなく、誰ともわからぬ者の闇討ちによって命を落とした。その(むくろ)は劫火に焼かれ、依然として犯人の目星すらついていない。
 そしてその娘である第三部隊長もともに儚くなり、赤竜軍はいきなり二本の支柱を失ってしまったのだ。
「解決するかどうかはわからない。ただ関係はするのかもな。竜が他国で確認されたのだから」
「えっ!!」
 その情報を知らされていなかった若い騎士は、書類を手放しそうになるほど驚いた。
「おいおい気をつけろ。落としたところを見られでもしたら、陛下のお返事を持ち帰る前にカザビア行きだぞ」
 脅かすように笑う古参の騎士に向かって敬礼すると、若い背中が慌てて駆け出していった。

 夜半を過ぎても隊長室の灯りは消えない。
 ディデリスはこの二、三日、赤竜軍兵舎と宮殿の往復以外、一歩も外には出なかった。隊長室に泊まり込みながら、寝食も忘れるほどトーラ情勢の把握に(いそ)しんでいる。
(第二王子については、ほぼわからない、か。これほど隠れた存在が、いきなり騒乱の表舞台に立つとは。よほど大切にされていたのか、想定外の存在だったのか。剣士は…)
 市民の(うわさ)程度にいたるまで集めさせた。
 風貌、言葉。そしてその剣術。
(あいつに間違いない。だとするともう一人は…)
―見事な赤毛―
 ルドヴィクがそう言っていた。
 見たという証言にも、「深く艶めく紅」「(あふ)れ出る深紅の巻き毛」との記述がある。
 ただ竜のほうに注目が集まってしまったのか、その他の特徴については語られていない。
(誰か生き残ったのか?)
 現在、叔父の子どもは三人とも「赤の惨劇」で命を落とし、焼き尽くされたと見なされている。
 焼け跡から子どもたちの痕跡は何ひとつ見つかってはいないが、あの夜以降、叔父一家の姿は忽然(こつぜん)と帝国から消えてしまったから。
 その三人のうちの誰かが剣士とともにいるのか。トーラへ逃れたのか。
(直接会ってみるしかないな。トーラ国へ会談の要請を…。いや、スバクルと開戦間近か。イハウの動きを土産に、第二王子とやらへ接見を申し込んでみるか)
 トーラで竜騎士として軍に所属しているというのなら、双子では幼過ぎるだろう。
 しかしあの剣士がそばについている。不可能なことでもない。
 「双子以外のもう一人」だったとして。
 あの惨劇の中生き残り、他国のために戦場に立つ。約二年経った今でも帝国に戻らないどころか、消息さえ知らせてこない。
 それは「赤の惨劇」のせいか。
(それとも俺のせい、か)
 ディデリスは「見事な赤毛」がいるという地図上のトーラ国を、優しい手つきでそっとなでた。
 会談を申し入れたとしても、そんな相手がその場に姿を現すだろうか。
(竜の所有に揺さぶりをかけてみるか…)
 だが、奪われた竜ではない。
 他国の竜の(うわさ)が入ってすぐに、赤竜、黒竜ともに大規模な調査をしたが、両軍ともに竜と原種ディアムズは、一頭残らず台帳のとおりだった。
 つまりトーラの竜は、にわかには信じ難い話ではあるが、北国トーラにいる誰かが独自に育てた個体にほかならない。その権利を帝国が主張するなど、さすがに言いがかりも(はなは)だしいだろう。
(問い(ただ)せるとしたら卵の出所(でどころ)くらいか。竜家の卵が持ち出された可能性を…。いや、そんな報告はないが…)
 赤竜、黒竜の飼育台帳を手に取ると、ディデリスは手早くめくりながら再度目を通す。
 各竜家のディアムズの管理は厳しい。卵ひとつでも、許可なく持ち出すことは重罪である。
 だが南方の密林地帯には野生のディアムズも生息するし、貴重なため大変高価ではあるが、他国でも取引はされている。
 竜化方を知るならば、「赤毛」はサラマリスの家系の者だろう。だが竜化方を掌握(しょうあく)する竜族の領袖(りょうしゅう)家は、帝国でも最たる特権を与えられた上級貴族だ。その地位を捨てた者など、これまで聞いたことがない。
 サラマリスの者は私利私欲で竜術を漏らすなど絶対にしないし、第一、竜術の中でも竜化方の(かなめ)、算出式は漏らすことができないのだ。
 拷問にかけられようとも一言も発することができない、厳しい暗示儀式を経て伝えられ、その暗示は次世代の「サラマリス」に伝える場合にのみ、外れる仕掛けが施されている。
 そのサラマリスが帝国外で竜を育てたというのか。育てるには適さない、極北の国で。
(国力にものを言わせ、別方面から圧力をかけてみるか。…見事な赤毛…)
 もし、それが望んでいる人物ならば。
(そんなやり方をしたら、出てきてくれないどころか嫌われてしまうな。いや…)
 とっくに嫌われているのか。
 翡翠(ひすい)色の瞳が(ゆが)む。
(だが、生きてさえいるのなら。一目会えるのなら)
 ディデリスは積み重なった報告書の上に地図を広げる。
(どう話を持っていけば出てくるだろう)
 長く形の良い指が、地図上の各国をゆっくりとなぞっていった。
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