狼の活躍

文字数 3,440文字

 軍服を許されたアルテミシアは、久しぶりに思い切り馬を走らせ、心行くまで体を動かした。
 
「アルテミシア様!これ、俺の母ちゃんの得意料理なんです」
「母ちゃんかよっ。これは

得意料理ですよ」
「お前の味付けなんかで食べさせたら、可愛い口が曲がっちゃうだろ!」
「あんだとぉ?!」
「おーまーえーらー」
 額を突き合わせてにらみ合う、カーヤイ兵ふたりの間にヴァイノが入る。
「ふくちょが落ち着いて食えねーだろ」
 争うように差し出される料理に舌鼓を打ちつつ、アルテミシアが声を上げて笑った。
「どっちも美味しい。剣の腕も立つのに、料理もできるなんて凄いな!」
 つかみ合っていた青年ふたりが同時に振り返り、同じようなだらしのない顔になる。
「いや、大したことないっすよ」
「アルテミシア様のためなら、毎日だって作りますよ」
「毎日だと?ずーずーしいな、お前はっ」
「だーかーらー」
 再びにらみ合いを始めたふたりを、ヴァイノは強引に引きはがした。

 ラシオンはカーヤイ家の血筋の者はもちろん、「国境の異端者」を始め、志願した者すべてにカーヤイの家紋を与えた。
 そのため、カーヤイ家兵の熟練度には差があり、ほんの初心者も少なくない。
 だが、アルテミシアは、その一人ひとりに丁寧に向き合った。
 ひとりとして(ないがし)ろに扱うことはなく。
 良い部分は必ずほめて、次なる目標もきっちりと示した。
 卓越した武術。
 率直できっぱりとした態度。
 そして、休憩時間に見せる、愛嬌(あいきょう)のある人柄。
 この一夜で、カーヤイ軍におけるアルテミシアの人気は、より一層高まってしまったようだ。

「ふくちょはイイ人だけどさぁ」
 深夜、皆が寝静まるころ。
 ヴァイノが呆れ果てた顔でアルテミシアを眺めている。
 野営訓練の一環、不寝番(ねずのばん)として囲む焚火(たきび)が、ふたりの横顔に深い陰影をつけていた。
「おや」
 (まき)を足しながら、アルテミシアがにやりと笑う。
「ヴァイノにほめられるとはな。明日は雨か?」
「んなことねーだろ。ふくちょのことは尊敬してるよ、まじで」
「おやおや、嵐だ」
「茶化さねーで聞いてよ。真面目な話だから」
 肩を揺らすアルテミシアにヴァイノが銀髪をかき上げれば、額の傷跡が露わになった。
 命と誇りを懸けた(いくさ)を経て、やんちゃな子どもっぽさがすっかり抜けたヴァイノが、真面目な顔でアルテミシアを見つめている。
「そうか。悪かったな」
 立てた膝に頬を乗せて、アルテミシアはヴァイノに顔を向けた。
「あのさ、ふくちょはさ。誰にでも優しすぎじゃね?」
「優しい?私が?」
 鮮緑(せんりょく)の瞳を丸くして、アルテミシアが怪訝(けげん)な顔になる。
「優しくなんてないだろう」
「だって、誰にだってちゃんと答えるじゃん」
「聞かれるからな」
「誰からの誘いも断らねーじゃん」
「失礼だからな」
「イヤだったら断っていいんだぜ」
「嫌ではないな」
「イヤじゃねーの?!」
 ヴァイノの声が暗闇に響いた。
「こらっ、声が大きい」
 アルテミシアが腕を伸ばし、傷跡を避けて、ヴァイノの額を勢いよく指で弾く。
「いてっ!」
 額を片手で押えながら、ヴァイノは声を潜めた。
「誰の誘いもイヤじゃねーの?キライなヤツとかいねーの?」
「嫌うほど、長い付き合いではないからな」
「めんどくさくねーの?」
 食い入るような瑠璃(るり)色の瞳に、アルテミシアの表情は曇っていく。
「アスタにも言われた。”全部の誘いを受ける必要はない”って」
「そりゃそうだろ。そんな面倒なことしなくていいよ」
「面倒……。ヴァイノは面倒なのか?誘われたら」
「人によるだろ」
「人による?」
「好きでもねーヤツと、わざわざ時間取ってまで出かけるかって話だよ」
 浮かない顔をするアルテミシアに、ヴァイノは人知れずため息をついた。

(ああ、またか。んとに世話が焼けるなぁ)

「お出かけは楽しいほうがいい。だろ?」
「うん」
 妹に対するように言葉を選ぶヴァイノに、アルテミシアは素直にうなずく。
「好きな人とのお出かけは、楽しい」
「うん」
「好きじゃねーヤツとのお出かけは、楽しくない」
「……うん?」
「ちょ、なんで疑問形よ」
「だって、お出かけは楽しいだろう?誰とだって」
「誰とでも?!……楽しいの?」  
 途中大きくなった声を慌てて小声に戻して、ヴァイノは信じられないものを見るような目で、アルテミシアを眺めた。
「キライなヤツと出かけたいって思う?」 
 アルテミシアは立てた両膝に深くあごを(うず)め、じっと焚火(たきび)を見ている。
「というかな、仕事がらみじゃないお出かけなんて、ほとんどしたことがないんだ」
 揺らぐ炎に照らされて、ヴァイノの知らない「小さなアルテミシア」が浮かび上がったような気がして。
 ヴァイノはかける言葉を探せずに、口を閉じ結んだ。
「友と呼べる人なんていなかったし、嫌いになれるほど、他人と付き合ったこともない。誰と会おうが、最初から私は

人間だったから」
 
 (まき)()ぜる音が闇に響くなか。
 炎に浮かぶアルテミシアの横顔はどこか虚ろで、ヴァイノの胸はツキンと痛んだ。

(……ふくちょ……)
 
 アルテミシアへの違和感を訴えるたび、ジーグやリズワンがポツリポツリと話してくれたその生い立ち。
 帝国で確固たる家柄に生まれ、ジーグという有能な従者がいて、才能に恵まれ。
 (はた)から見れば、何不自由のない境遇だろう。
 それでもアルテミシアは、ヴァイノが当たり前に持っていたものを、持たずに生きてきた。

「お出かけ、楽しいんだな」
 完全に兄の口調になっているヴァイノに、アルテミシアがはにかんだ顔を向ける。
「……うん」
「そっか」
 ヴァイノはアルテミシアの肩を優しく小突いた。
「じゃ、たくさんお出かけしような、トーラに戻っても。でもさ、じゃあこういうのは?」
「ん?」
「お出かけは誰とでも楽しいとしてさ、同時に誘われたら、どう?」
「同時?」
「そ。たとえば……」
 降るように星が瞬く夜空を、ヴァイノは振り仰ぐ。
「カーヤイの連中とオレらが同時にお出かけに誘ったら、ふくちょはどっちと出かける?出かけたい?」
「うーん」
 アルテミシアもつられるように星空を見上げた。
「ヴァイノたち、かな」

(お、今日はなかなかいい調子じゃね?)

 ヴァイノは期待を込めた瞳をアルテミシアに戻した。
「へぇ、それはどうして?」
「お誘いには応えなくてはと思うけれど、遊びに行きたいのはヴァイノたちだ。気心も知れているし、お前たちはみんな、気立てがよくて可愛い」

(ああ、もう。こういうところがズルいんだよなぁ)
 
 まっすぐに寄せてくれるアルテミシアの心に、一片の偽りもないことはよくわかっている。
 言わないことはあっても、嘘はつかない。
 アルテミシア・テムランはそういう人間だと、ヴァイノは信じている。

「へへへ、ありがとな。じゃあさ、オレらとデンカのお誘いが一緒だったら、どっちとお出かけすんの?」
「レヴィ」

(え、まさかの即答?!)

「どうして?」
「楽しいから。……最近は遠乗りとかにも全然行けてないから……。つまらないなぁ」

(ほほぅ?今日はいけるかも)

「どうして?」
「え?」
 アルテミシアの目がぱっとヴァイノに向けられた。
「どうして楽しいの?デンカと一緒だと。遠乗りならさ、馬でいいなら、オレも付き合えるよ」
「……え」
「なんでちょっと嫌そうかなぁ。傷つくだろ」
 苦笑いをするヴァイノを前に、アルテミシアの視線が、ゆらゆらとさまよう。
「嫌じゃない。嫌じゃない、けど……」
「けど?」
「……遠乗りに行くなら、レヴィとがいい」
「どうして?」
「だって……、それは……」
 口ごもるアルテミシアの頬が、ジワジワと朱に染まっていった。

(ほほぉ、これはこれは)

「んっふ。……おん?」
 (こら)えきれず、鼻息で笑いをこぼしたヴァイノの隣で、アルテミシアが勢い良く立ち上がる。
「もう交代の時間だなっ。休むぞ!」
「え?ちょ、まだ次のヤツ来てねーじゃん」
「もうすぐ来る。それまでよろしくっ」
「えええええ~、ズルじゃんか」
 大股で去っていくアルテミシアを、ヴァイノは文句を言いつつ、満面の笑顔で見送った。

(今日は大進歩だなー。よくやった、オレ!)

「それにしても、オレたちのデンカとふくちょは手間がかかるなぁ。……ま、気長にやるか」
 忍び笑うヴァイノに拍手を送るように、パチパチと音を立てて(まき)が燃えている。

(どーせ、一生のつきあいだしな。……ああ、こういうのが)

「幸せっていうんかな。……なんちゃって」
 ガラにもないセリフを声に出したことが照れくさくて。
 ヴァイノはひとり、ふざけてみせた。
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