狼の活躍

エピソード文字数 3,783文字

 軍服を着たアルテミシアは久しぶりに思い切り馬を走らせ、心行くまで体を動かした。
 腕の上がってきたカーヤイの兵士たちと合わせる剣は楽しかったし、まるで喧嘩(けんか)をしているのかと思うような騒ぎで振舞ってくれた料理は美味しかった。

「アルテミシア様!これ、俺の母ちゃんの得意料理です」
「母ちゃんかよっ!これは、“俺の”得意料理ですよ」
「お前の味付けなんかで食べさせたら、可愛い口が曲がっちゃうだろっ!」
「何だとっ!」
「おーまーえーらー」
 取っ組み合いを始めそうなカーヤイ兵二人の間にヴァイノが入る。
「ふくちょが落ち着いて食えねぇだろ」
 アルテミシアが声を上げて笑った。
「どっちも美味しい。剣の腕も立つのに、料理もできるなんて凄いな!」
 アルテミシアの賞賛を受けて、つかみ合っていた青年二人が同時に振り返り、同じような締まりのない笑顔を浮かべた。
「いや大したことないっすよ」
「アルテミシア様のためなら、毎日だって作りますよ」
「何だとっずーずーしいな、お前はっ」
「だーかーらー」
 再びにらみ合いを始めた二人を、ヴァイノは強引に引き()がした。

 ラシオンは国外へ逃れていたカーヤイの血筋の者はもちろん、「国境の異端者」を始め、意欲があり志願した者はすべて自軍へ迎え入れ、「カーヤイ家の者」として扱った。
 そのため兵としての経験浅い者も多く、ほんの初歩的なところから始めなければならない者たちも、少なくない。
 だがアルテミシアは、その一人一人に丁寧に向き合った。
 厳しい指導を続けながらときに励まし、(ないがし)ろに扱うことは決してしなかった。ともに過ごす中で把握した良い部分を()め、努力目標もきちんと示した。
 卓越した武術。率直できっぱりとした態度。
 そして食事をともにする際に見せた、愛嬌(あいきょう)のある人柄。
 この一夜で、カーヤイ軍におけるアルテミシアの人気は、より一層高まってしまったようだ。

「ふくちょはイイ人だけどさぁ」
 ヴァイノが呆れ気味の顔でアルテミシアを眺めている。
 野営訓練の一環、不寝番(ねずのばん)として二人が囲む焚火(たきび)が、その横顔に深い陰影をつけていた。
「おや」
 (まき)を足しながら、アルテミシアがにやりと笑う。
「ヴァイノに()められるとはな。明日は雨か?」
「んなことねぇだろ。ふくちょのことは尊敬してるよ、まじで」
「おやおや、嵐だ」
 可笑しそうにアルテミシアの肩が揺れる。
「茶化さねぇで聞いてよ。真面目な話だから」
 ヴァイノが銀髪をかき上げると、額の傷跡が露わになった。
 その傷跡は薄くなりはしたが、確かに剣士としての迫力を彼に与えていた。
 命と誇りを懸けた(いくさ)を経て、やんちゃな子どもっぽさが抜けた少年が、真顔でアルテミシアを見つめている。
「そうか。悪かったな」
 立てた(ひざ)(ほほ)を乗せ、アルテミシアはヴァイノに顔を向けた。
 鮮緑(せんりょく)の瞳が、焚火(たきび)を映して揺らめいている。
「あのさ、ふくちょはさ。誰にでも優しすぎじゃね?」
「優しい?私が?」
 アルテミシアが怪訝(けげん)な顔をした。
「優しくなんてないだろう」
「だって、誰にだってちゃんと答えるじゃん」
「聞かれるからな」
「誰からの誘いも断らねぇじゃん」
「失礼だからな」
「嫌だったら断っていいんだぜ」
「嫌ではないな」
「嫌じゃねぇの?!」
 ヴァイノの声が宵闇(よいやみ)に響く。
「こらっ!声が大きい。一発で敵に見つかるぞ」
 アルテミシアが腕を伸ばし、ヴァイノの額を勢いよく指で弾いた。
「いてっ!」
 額を片手で押えながら、ヴァイノは声を潜める。
「誰の誘いも嫌じゃねぇの?嫌いな奴とかいねぇの?」
「嫌うほど、長い付き合いではないからな」
「めんどくさくねぇの?」
 食い入るような瑠璃(るり)色の瞳に、アルテミシアの表情は曇った。
「アスタにも言われた。“全部の誘いを受ける必要はない”って」
「そりゃそうだろ。そんな面倒なことしなくていいよ」
「面倒…」
 アルテミシアの表情は晴れない。
「ヴァイノは面倒なのか?誘われたら」
「人によるだろ」
「人による?」
「好きでもねぇ奴と、わざわざ時間取ってまで出かけるかって話だよ」
 アルテミシアは困惑の表情を浮かべたままだ。
 ああ、またか。
 ヴァイノは覚り、妹に話して聞かせるように、言葉を選んだ。
「お出かけは、楽しいほうがいい。だろ?」
「うん」
 兄に対するように、アルテミシアは素直にうなずく。
「好きな人とのお出かけは、楽しい」
「うん」
「好きじゃねぇ奴とのお出かけは、楽しくない」
「…うん?」
「ちょ、何で疑問形よ」
「だって、お出かけは楽しいだろう?誰とだって」
「誰とでも?!…楽しいの?」  
 途中大きくなった声を慌てて小声に戻し、ヴァイノは()け反ってアルテミシアに尋ねる。
 アルテミシアは立てた(ひざ)に深く(あご)(うず)め、じっと焚火(たきび)を見ていた。
「というかな、仕事じゃないお出かけなんて、ほとんど、したことがないんだ」
 ぽつりと漏らされたアルテミシアの一言に、ヴァイノははっとして口を閉じ結んだ。
「友たちと呼べる人なんて、いたことがない。嫌いになれるほど、他人と付き合ったこともない。誰と会おうが、最初から私は、“サラマリスの”人間だったから」
 (まき)()ぜる音が闇に響く。
 炎が躍り、アルテミシアとヴァイノの影が揺れた。
 
 アルテミシアへの違和感を訴えるたび、ジーグやリズワンが、ぽつりぽつりと話してくれたその生い立ち。
 帝国で確固たる家柄に生まれ、ジーグという有能な従者がいて、才能に恵まれ。
 (はた)から見れば、何不自由のない境遇の中で、それでもアルテミシアは、自分が当たり前に持っていたものを持たずに生きてきた。

「お出かけ、楽しいんだな」
 ヴァイノは完全に兄の口調になる。
 アルテミシアが、はにかんだ顔を向けた。
「…うん」
「そっか」
 ヴァイノはアルテミシアの肩を優しく小突く。
「じゃ、たくさんお出かけしような。トーラに戻っても。でもさ、じゃあこういうのは?」
「ん?」
 アルテミシアが体を起こした。
「お出かけは誰とでも楽しいとしてさ、同時に誘われたら、どう?」
「同時?」
「そ。たとえば…」
 降るように星が瞬く夜空を、ヴァイノは振り仰ぐ。
「カーヤイの連中とオレらが同時にお出かけに誘ったら、ふくちょはどっちと出かける?出かけたい?」
「うーん」
 アルテミシアも同じように星空を見上げた。
「ヴァイノたち、かな」
 お、今日はなかなかいい調子だ。
 ヴァイノは期待を込めた瞳をアルテミシアに戻した。
「へぇ、それはどうして?」
「お誘いいただいたら、一度は応えなくてはと思うけれど、遊びに行きたいのはヴァイノたちだ。気心が知れているし、お前たちはみんな、気立てがよくて可愛い」
 ああ、もう。
 こういうところがズルいんだよなぁ。
 まっすぐに寄せてくれるアルテミシアの心に一片の偽りもなく、ヴァイノは照れながらも嬉しくなってしまう。
「へへへ、すげぇ嬉しい。ありがとな。じゃあさ」
 ヴァイノは鼻の下を(こす)りながら、さらに問いかける。
「オレらとデンカのお誘いが一緒だったら、どっちとお出かけすんの?」
「レヴィ」
 なんと即答だ。
「どうして?」
「楽しいから。最近、全然遠乗りも行っていない。私が怪我をしたせいだけど、つまらないなぁ」
 アルテミシアの(ほほ)がふくれている。
 よし、この調子だ。今日はいけるかもしれない。
「どうして?」
「え?」
 ヴァイノを見るアルテミシアの目が丸くなる。
「どうして、楽しいの?デンカと一緒だと。遠乗りならさ、馬でいいなら、オレも付き合えるよ」
「…え」
「何でちょっと嫌そうかなぁ。傷つくだろ」
 ヴァイノは苦笑いを浮かべた。
「嫌じゃない。嫌じゃない、けど…」
「けど?」
「…遠乗りに行くなら、レヴィがいい」
「どうして?」
「だって…、それは…」
 アルテミシアの視線が揺れている。そしてその顔は次第に、焚火(たきび)に照らされているからだけではなく、朱に染まっていった。
 ほぉ、これはこれは。
 鼻息で笑ったヴァイノに怒った顔を向け、アルテミシアは、いきなり立ち上がった。
「もう不寝番(ねずばん)は交代の時間だな。休むぞ!」
 さっさと歩いて行ってしまうアルテミシアの背中に、ヴァイノは小声で叫ぶ。
「え?ちょ、まだ次の奴来てねぇじゃん!」
「もうすぐ来る。それまで、ヴァイノが一人で番してろ」
「えええええ~、ズルじゃんか」
 夜陰に紛れていくアルテミシアの背中に文句を言いながら、ヴァイノは満足していた。
 今日は大進歩だ。
 ヴァイノは新しい(まき)焚火(たきび)に放り込みながら、一人笑う。
(それにしても、オレたちのデンカとふくちょは手間がかかるなぁ)
 笑いながら、ヴァイノは盛大なため息をつく。
「ま、いーけど」
 どうせ一生の付き合いだ。気長にいこう。
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