茨姫の決心

文字数 3,235文字

 朝食をとるために食堂へと向かうレヴィアが、厨房(ちゅうぼう)の前を通りかかったとき。
 料理人たちと一緒に働いていたフロラが、目の前に飛び出してきた。
「レヴィア様!あの!……おはよう、ござい、……ます……」
 足を止めたレヴィアを前にして、フロラは恥ずかしそうに、もじもじとうつむく。
「おはよう。どうしたの?」
 尋ね顔をするレヴィアを見上げて、フロラは頬を薄桃色に染めた。
「あの、あの……。レヴィア様の、焼き菓子を、教えてもらいたくて」
 フロラのきらきらした空色の瞳が、まっすぐにレヴィアに向けられる。
「最初にもらった、あのお菓子、すごく、美味しかった、です。食べたことない、風味で」
「ああ、茶葉を、混ぜてあったからね」
「茶葉?」
 きょとんと首を傾けるフロラは、人形のように愛らしい。
「うん。ミーシャが好きなんだ。教えようか?」
 フロラの瞳が一瞬だけ陰を帯びるが、レヴィアの提案に元気よくうなずいた。
「はい!お願い、します!いつ?」
「え……、そう、だね」
 わくわくと瞳を輝かせて、じりじりと迫ってくるフロラに、レヴィアは今日の予定を思い返してみる。
 
 現在、”王襲撃”事件の黒幕の調査と、消えたカーフの捜索に忙しいジーグの代わりに、レヴィアが少年たちの教師役を担っていた。
 午後の愚連隊の座学に付き合ったあとは、時間が空いている。
 その時間ならば、厨房(ちゅうぼう)に迷惑をかけることもないだろう。

「僕の、読み書きのあと、は?」
「はい!」
 満面のフロラの笑顔は、その金髪と同じくらい輝いていた。

 午後の騎馬訓練を終えて、馬房で馬の体を()いているラシオンの表情は冴えない。
「襲撃兵の尋問って、どうなってんのかな。……ジーグは今度、いつ帰ってくる?」
 手を止めたラシオンが、同じように馬の世話をしているアルテミシアを振り返った。
「潜入行動をしているジーグをつかまえるのは難しいぞ。居そうな場所は二、三思いつくから、私から伝えておこう」
 指笛を吹く動作をするアルテミシアに、ラシオンの目が輝く。
「さすが、(あるじ)はいつでも、従者を呼びつける(すべ)を持つ、というわけですな。……どうも気になる。(ねずみ)の動きようによっちゃ、あいつら危ねぇんじゃねえか」
 口封じの可能性を示したラシオンに、アルテミシアが深くうなずいた。

◇ 
 ジーグの元へ急ぐアルテミシアは、厨房(ちゅうぼう)が見渡せる廊下の角で、ふとその足を止める。

(ん?レヴィアと、……フロラ?)

 人影のない厨房(ちゅうぼう)内に、背の高い少年と小柄な少女の姿があった。
 レヴィアがフロラの手元をのぞきこみ、何かを伝えている。
 そのレヴィアの横顔を、目に星を浮かべているようなフロラが、じっと見つめていた。
 どうやら、ふたりして焼き菓子を作っているようである。
 レヴィアの指示ひとつひとつに、笑顔で返事をしているフロラを見ていたアルテミシアはふと、ホロホロ鳥を焼いた日のことを思い出していた。
「楽しかったな……。いいなぁ」
 思わずつぶやいた自分の独り言が耳に入って、アルテミシアは愕然として息を止める。

(いいな?何が?……お菓子を焼くことが?)

 自分は今、何を思ったのか。何を望んだのか。

(私はサラマリスなのに……。なんて愚かなことを!)
 
 アルテミシアが再び厨房(ちゅうぼう)に目を戻すと、少年と少女は形を整えた菓子をかまどに入れ、顏を見合わせてうなずき合っている。
「お似合いだ。……いい仲間ができたな」
 ふたりを見守っていたアルテミシアの表情が、冷たいほど凛然としたものになっていく。
 
「よし、行くか」
 自分を叱咤するようにつぶやいたアルテミシアは厨房(ちゅうぼう)に背を向け、一点を見つめるようにして、歩き去っていった。


 レヴィアは離宮の薬草畑を見渡しながら、今日、何度目になるかわからないため息をつく。
「レヴィア様?なんか、ヤバいんですか?」
 畑の冬支度をしていたスヴァンが、その様子に気づいて走り寄ってきた。
「ううん、やばく、ない。スヴァンは、完璧」
「じゃあ、どうしたんです?」
「僕だけ、こんなのんびりしてて、いいのかな……」
 
 離宮警護に残っているスライを除き、今やフリーダ隊全員が、”王襲撃”の黒幕を調べるために動いている。
 自分も何かしたいとレヴィアは申し出たのだが、「王子が動くには時期尚早」というのが、ジーグの判断だった。
 そのため、レヴィアはクローヴァの療養と愚連隊との訓練、スィーニとロシュの世話に明け暮れている。

「でも、隊長も言ってたじゃないですか」
 スヴァンの飴色(あめいろ)の目が、陽気にレヴィアを見上げた。
「俺とかヴァイノが技術を磨くのは、フリーダ隊の底上げになるって。実際ヴァイノは、レヴィア様と訓練するようになってから、ずいぶん騎馬も上達しましたよ。あいつ、負けず嫌いだから」
 にししと笑うスヴァンに、レヴィアも淡い笑顔を作る。
「そう、だね。スヴァンも、施術の腕が、すごく上がったよ。今度、誰かが怪我をしたら、任せる」
 スヴァンの手先の器用さは、自分より上かもしれないとレヴィアは評価していた。
「ホントですか?!俺、こんな楽しいのって初めて。やれることがあるって、すげぇ嬉しいね、デンカ。あぁ、ごめんなさいっ!」
「デンカ、でいいよ。ヴァイノは、謝ったことなんか、ないよ?」
「いや、アイツと一緒にされるのは、チョー嫌なんですけど」
 大げさに顔をしかめるスヴァンに、レヴィアはクスクスと笑う。
 
 アルテミシアたちが離宮を空けている分、自然と愚連隊たちと過ごす時間が増えた。
 距離もぐっと近くなって、それは、とても嬉しいことだけれど。
 アルテミシアと過ごす時間がほとんどなくなって、もう何日経つだろう。
 たまに食堂で顔を合わせても、アルテミシアが話すのはロシュとアルバスのことばかり。
 レヴィアが呼び止めても、「時間がないから」と背中を向けられてしまう。
 
(今、ミーシャはどこにいるのかな)

 夕焼け空を見上げたレヴィアから、ため息が漏れた。

(危ないこと、してないかな。昨夜は帰ってこなかったみたいだけど……)

 アルテミシアがそばにいないと、かえって彼女のことばかりが胸に浮かぶ。

(眠れてるかな。ひとりで、空を見てたりしないかな)

「フロラが焼き菓子作って待ってるって、言ってたな。そろそろ戻りましょう!」
「ああ、うん。……そう、だね」
 作業道具をてきぱきと片付けるスヴァンと一緒に、レヴィアはのろのろと手を動かし始めた。


 王宮の森の奥深く。
 ”影の側近”しか知らない隠れ屋の内部で、ラシオンは息を潜め、襲撃者たちが収容されている部屋の様子をうかがう。
「どうだ?」
 低く(ささや)くジーグに、ラシオンは首を横に振った。
「あれが家紋だって言い張ってんのか?ねぇなぁ。”三ツ星に穴熊”?新興家だとしてもありえねぇ。”天空”と組むなら”鳥”だ。”獣”なら”花”。天空と花は季節。鳥と獣は血筋。ほかに細かい決まり事もある。今のスバクル統領(とうりょう)レゲシュ家の家紋は”雛菊に狼”だ」
「カーヤイ家は”三日月に(ふくろう)”だったな」
「そ」
 ラシオンの眉間に、深いしわが刻まれる。
「あんなデタラメの家紋、本当にスバクルの戦士なら、不名誉に思って使わねぇよ。それでもスバクルの民だっていうんなら、あいつらは”国境(くにざかい)の異端者”あたりじゃねぇか?家紋の規則も俺の顔も知らねぇのも、それならうなずける。スバクル以外の血も引く、特定の居場所を持たねぇ者。どこにも属せず、金で動く者」
 ラシオンがのぞいていた首を戻して、壁に背を預けた。
「それにしたって哀れなもんだ。んで、こんなアホなこと依頼したバカは誰だって?」
「いや、なかなか口を割らない」
「はぁ~ん。……よし、ちょいと任せてもらおうじゃねぇか」
 不敵に笑うラシオンが、もう一度捕囚部屋を振り返る。
「スバクルに切り捨てられた者同士、傷でもなめ合ってみますよ」
「お前なら間違いないな」
「えーなになに、なんで今日、そんな評価されてんの、俺」
 ふざけながらラシオンが差し出した拳に、ジーグの拳が勢いよくぶつけられた。
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