茨姫の決心

エピソード文字数 3,577文字

 レヴィアが厨房(ちゅうぼう)の前を通りかかると、料理人たちと一緒に朝食の準備をしていたフロラが飛び出してきた。
「レヴィア様!あの!…おはよう、ござい、…ます…」
 いつにない勢いになってしまったことに気づき、フロラは恥ずかしそうに、もじもじとうつむく。
 消え入りそうなその挨拶に、レヴィアはくすりと笑った。
「おはよう」
 レヴィアの笑顔を見上げたフロラの(ほほ)が染まる。
「どうしたの?」
「あの、あの…。レヴィア様の、焼き菓子を、教えてもらいたくて」
 フロラのきらきらした空色の瞳が、レヴィアに一心に向けられていた。
「初めてのときもらった、あのお菓子、すごく、美味しかった…。食べたことない、風味で」
「ああ、茶葉を、混ぜてあったからね」
「茶葉?」
 フロラが首を(かたむ)ける。きょとんとしたその姿は、人形のように愛らしい。
「うん。茶葉を混ぜたものは、ミーシャが好きなんだ。教えようか?」
 フロラの瞳が一瞬だけ(かげ)を帯びるが、レヴィアの提案に元気よくうなずいた。
「はい!お願い、します!いつ?」
「え…、そうだね」
 今すぐにでも教えて欲しそうな様子のフロラに、レヴィアは今日の予定を思い返してみる。
 現在「王襲撃」事件の黒幕の調査と、消えたアッスグレン家令の捜索に忙しいジーグの代わりに、レヴィアが少年たちの教師役を担っていた。
 午後の愚連隊の座学に付き合った後は時間が空いている。その時間ならば、厨房(ちゅうぼう)に迷惑をかけることもないだろう。
「僕の、読み書きの後、は?」
「はい!」
 輝くフロラの笑顔がレヴィアに返された。

 午後、騎馬訓練を終えたラシオンは、馬房で馬の体を()いてやりながら低くつぶいた。
「襲撃兵の尋問、どこまで進んでるんだろう。やっぱ俺も加わりたいな。ジーグは今度、いつ帰って来る?」
「潜入行動をしているジーグをつかまえることは難しい。居そうな場所は二、三思いつく。私から伝えておこう」
 自分の馬の世話を終えたアルテミシアが指笛を吹く動作をする。
「さすが、(あるじ)はいつでも従者を呼びつける(すべ)を持つ、というわけですな。…どうも気になる。(ねずみ)の動きようによっちゃ、あいつら(あや)ういんじゃねえか」
 襲撃者たちが口を封じられる可能性があることを(あん)に示したラシオンに、警戒を浮かべたアルテミシアが深くうなずきかえした。
 
 アルテミシアはジーグの元へ急ごうと、足早に離宮を通り抜けていた。
(…ん?)
 厨房(ちゅうぼう)が見渡せる廊下の角で、ふとその足が止まる。
(レヴィアと、フロラ?)
 昼食の片付けも終わった、ほかに人影のない厨房(ちゅうぼう)の中に、背の高い少年と小柄な少女の姿があった。
 レヴィアがフロラの手元をのぞきこみ、何かを伝えている。そのレヴィアの横顔を、頬染めた可愛らしい顔をしたフロラがじっと見つめていた。
 レヴィアがフロラの視線に気づいて何かを確認する。フロラは慌てた様子でこくこくとうなずいた。どうやら二人して焼き菓子を作っているようだ。
 レヴィアの指示ひとつひとつに、フロラが大きく首を縦に振っている。
 アルテミシアはふと、レヴィアとホロホロ鳥を焼いた日のことを思い出した。
「楽しかったな…。いいなぁ」
 思わずつぶいた自分の独り言が耳に入り、アルテミシアは愕然(がくぜん)とする。
(いいな?何が?…お菓子を焼くことが?)
 自分は今、何を思ったのか。何を望んだのか。
(私はサラマリスなのに…。何を、何を考えて…。なんて愚か者なの!)
 アルテミシアはもう一度厨房(ちゅうぼう)に目を戻す。
 二人は形を整えた菓子をかまどに入れ、顏を見合わせて笑い合っていた。
 その微笑ましい光景に、アルテミシアには寂しげな笑みが浮かんだ。
「お似合いだ。…いい仲間ができたな」
 その場に(たたず)み二人を見守るアルテミシアに、何かを決心するような、凛然とした表情が浮かぶ。
 そして静かな午後の離宮に、再び颯爽と歩いていくアルテミシアの足音が響いた。

 レヴィアは離宮の薬草畑を見渡しながらため息をついた。
「レヴィア様?なんか、ヤバいですか?」
 畑の冬支度をしていたスヴァンが走り寄ってくる。
「あ、ううん。やばく、ない。すごく順調。スヴァンは、さすがだね」
 農家出身のスヴァンに任せておけば、畑は何の心配もなかった。 
 ではどうしたのか。尋ね顔をするスヴァンに、レヴィアは困ったようにつぶいた。
「僕だけ、こんなのんびりしてて…」
 現在、離宮警護に残っているスライを除き、フリーダ隊全員が「王襲撃」の黒幕を調べるために動いている。
 自分も何かしたいとレヴィアは申し出たのだが、「指揮官が動くのはもっと後」というのがジーグの判断だった。そのため今はクローヴァの療養と愚連隊の訓練、アルバスとロシュの世話に明け暮れている。
「でも、隊長も言ってたじゃないですか」
 スヴァンの陽気な飴色(あめいろ)の目がレヴィアを見上げる。
「俺とかヴァイノが腕を上げるのは、フリーダ隊の底上げになるって。実際ヴァイノは、レヴィア様と訓練するようになってから、ずいぶん騎馬もサマになりましたよ。あいつ、負けず嫌いだから」
 にししと笑うスヴァンに、レヴィアも仕方なさそうな笑顔を返した。
「そう、だね。スヴァンも、施術の腕が、すごく上がったよ。今度誰かが怪我をしたら、任せるね」
 スヴァンの手先の器用さは、自分より上かもしれないとレヴィアは思っている。
「やってみます!俺、こんな楽しいのって初めて。やれることがあるって、すげぇ嬉しいね、デンカ。あぁ!ごめんなさいっ!」
 ついヴァイノの呼び方が移ったスヴァンが慌てて謝る。
「デンカ、でいいよ」
 レヴィアは嬉しそうに微笑んだ。
 アルテミシアたちが離宮を留守にしている今、自然と愚連隊たちと過ごす時間が増え、彼らとの距離がぐっと近くなったと思う。
(でも…)
 この数日、楽しいことも可笑しいこともたくさんあった。けれどそれを話して、一緒に笑い合いたい人が隣にいない。
 今朝、久しぶりにアルテミシアと食堂で顔を合わせたのだが、レヴィアの顔を見るなり彼女は席を立って、「ロシュを頼むな」とだけ言い残して出て行ってしまった。その素っ気ない態度に、声を掛けることもできなかった。
(ミーシャ、忙しいのかな…。デンカなんて、やめちゃいたいな)
 ただのフリーダ隊員だったのなら、アルテミシアと一緒に行動できるのに。
(でも、デンカじゃなきゃ、ミーシャには会えなかったのかな)
 アルテミシアがそばにいないと、かえって彼女のことばかり考えてしまう。
 危険はないか、怪我をしていないか。夜は眠れているのか。また一人で、夜空を見上げてはいないか。
 そしてあの笑顔がないと、どうしても消えない不安が頭を持ち上げる。
 仲間はたくさんできた。親しくもしてくれている。でもそれは、「王子」という地位のおかげなのではないか。本当は不快な思いをしているのに、それを我慢させているのではないか。
「そうだ。フロラが焼き菓子作って待ってるって。そろそろ上がりましょう」
 スヴァンが作業道具を片付け始めている。
 沈んだ気分のまま、レヴィアは元気なくうなずいた。

 王宮の森奥深く。影の側近しか知らない(かく)()の中で、ラシオンは息を潜め、襲撃者たちが収容されている部屋の中をうかがう。
「どうだ?」
 低く(ささや)くジーグに、ラシオンは首を横に振った。
「あれが家紋だって言い張ってんのか?ねぇなぁ。”三ツ星に穴熊”?新興家だとしてもありえねぇ。“天空”と組むなら“鳥”だ。“獣”なら“花”。天空と花は季節。鳥と獣は血筋。他に細かい決まり事もある。今のスバクル統領(とうりょう)レゲシュ家の家紋は、“雛菊に狼”」
 ラシオンの眉間に深いしわが刻まれる。
「あんなデタラメの家紋、スバクルの家兵なら不名誉に思って使わねぇよ。それでもほんとにスバクルの民だって言うんなら、あいつらは“国境(くにざかい)異端者(いたんしゃ)”あたりかな。家紋の規則を知らねぇのも、俺の顔を知らねぇのも、それならうなずける。スバクル以外の血も引く、スバクルに居場所を持たねぇ者。どこにも属せず、金で動く者」
 ラシオンがのぞいていた首を戻し、壁に背を預けた。
「哀れだな。俺が話をしてみてもいいか?」
「処遇が決まらないことで疑心暗鬼になっている。下手をすると逆効果だぞ」
「そこははぐれ者同士。仲良くやるさ」
 ジーグの心配をよそに、ラシオンはにやりと軽く笑ってみせた。

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