酔いどれ隊長
文字数 3,421文字
翌日、いまだ夜も明けきらぬというのに。
帝国軍の自治領支援基地は、慌ただしさと騒がしさに沸き返っていた。
「赤竜がすでに向かっただと?!こっちには挨拶もせずにかっ」
「いえ、先ほどブルム副隊長がいらして、駐屯軍は被害が大きいから、少し休んでおけと」
「黒竜の追加派兵隊はどうした。確か、第三隊が来る予定だろう」
「ディデリス隊長とともに前線へ」
「赤竜隊長に指揮されてるのかっ?」
駐屯軍黒竜隊長が青筋を立てて、唾を飛ばす。
「前代未聞だ。黒竜の名が地に落ちる」
「いえ、第三隊隊長もご一緒でした」
「赤竜が黒竜に追いつけるはずが……。ディデリス隊長の竜は、ルベルか」
不愉快そうに黒竜隊長が口を噤 んだところに、赤竜駐屯軍隊長の声が聞こえてきた。
「動ける者だけでいい!少しでも不調の者は休んでいろ。準備整い次第出るぞ!」
「俺も行きます!」
「お前は休んでいろ。回復が優先だ」
「大したことありません。ディデリス隊長の勇姿を見たいんです!」
「オレも出ます!」
昨日の憔悴 ぶりが嘘のように、赤竜騎士たちの顔は明るい。
「赤竜だけに戦果を取られてたまるかっ。至急、準備!」
慌ただしく動く竜騎士たちに紛 れて、スチェパが建物裏に回ると、そこにはすでに偵察用の馬がつながれていた。
従軍してからは、必要なものはいつの間にか用意されている。
いつ、誰が用意してくれているのか。
わからないし、知ろうとも思わないが。
「ほんと、おっかね」
スチェパは鞍 に飛び乗ると、急いで竜騎士たちの後を追った。
残月が輝く、白み始めた空の下。
竜騎士たちの咆哮 が、大地を揺るがしている。
物陰に潜んだスチェパは、目に飛び込んできた光景を前に、口を閉じることができなかった。
――帝国騎竜軍にサラマリス在り――
あの夜の酒場で、繰り返しグイドが詠 じていた「サラマリス詩歌 」が聞こえてくるようだ。
――その苛烈なること鬼神の如し。ディデ兄 は、ホントにそのまんまなんだ――
とろけるような笑みを浮かべるグイドを、内心馬鹿にしていたのだが。
憧れるにもほどがあるだろうと。
スチェパの目の前で、一頭の赤竜が先陣を切って戦場に突入していった。
その小柄な赤竜の鞍上 では、強靭 な体躯の男が剣を振るっている。
迎え撃つ敵軍の兵士が束で倒れていく。
走り抜ける赤竜の長い飾り羽は、一閃 の稲光 のようだ。
(はぁ~ん。あれが赤竜隊長、ディデリス・サラマリスか)
「噴け!」
低い美声が戦場を貫くと、命じた者の髪と同じ色の炎が、猛り狂いながら敵に襲いかかっていく。
「ディデリス隊長!」
遅れて到着した赤竜軍のなかから、羽根を優雅に揺らす赤竜に乗る騎士が合図を送った。
「左翼へ回れ!」
隊長の指示に、赤竜の群れがうねる炎のように独立軍を囲み始める。
「黒竜は右翼を」
「赤に命じられる謂 れはないっ」
不愉快そうに歯噛みする黒竜隊長に、ディデリスが涼やかに笑った。
「命じているつもりはない。作戦を提案しているだけだ。不本意ならば構わない」
鮮やかな指笛が響き渡り、ルベルが猛然と走り出していく。
「指をくわえて見ていろ!」
独立軍兵士の群れのなかに、羽を逆立てたルベルが躍り込んでいった。
襲いかかる矢はしなやかな羽に弾き飛ばされ、噴き出す炎は、それ自体が敵を喰らい尽くす竜のよう。
そして、逃げ惑う者たちをディデリスが容赦なく斬り伏せていった。
あっという間に数を減らした独立軍を、さらに左翼側から赤竜たちが追いこんでいく。
「右だっ、右から攻めろ!」
うわずった黒竜隊長の声に、独立軍将校の声が重なった。
「撤退!第二防衛線まで撤退!」
「カイ!」
ディデリスの指笛に、優雅な赤竜に乗る騎士も指笛で応じる。
「噴け!」
赤竜たちが一斉に噴いた炎は灼熱の大渦となり、完全に独立軍を追い払った。
「カイ」と呼ばれた竜騎士の乗る赤竜が、ディデリスに走り寄ってくる。
「黒の奴らが張り切って行っちゃったけどさ。今さら深追いする必要って、あると思うか?」
「面目があるのだろう。……戻る。この分なら、二、三日もいれば……」
大きなため息をついたディデリスに、カイが顔をしかめた。
「酒クサっ。どんだけ飲んだんだよ。いい加減にしろよ」
「いい加減にしてきた。問題はなかっただろう」
煩 そうに前髪をかき上げ、ディデリスは小柄な赤竜を反転させる。
「今日はもう飲むなよ」
「あとはお前に任せる」
「やめとけって」
「以後、カイ副隊長の指示に従えっ!」
髪と同じ色の朝日に背中を染めたディデリスは、小柄な赤竜とともに、あっという間に戦場を後にしていった。
小柄な赤竜の背中を見送るスチェパは、呆気に取られるばかりだ。
(あれが?あれがホントに、ディデリス・サラマリスか?)
大怪我から復帰して、いくらも経っていない人間の動きとも思えない。
それに驚きはしたが、もっと驚いたのは。
(ただの酔っぱらいじゃねぇか)
剣を収めたとたんに上体が微かに揺れて、距離を詰めてみれば、翡翠 の瞳も怪しく据 わっているようだった。
(あれが、帝国一の竜騎士?)
確かに強い。
だが、竜あっての強さに過ぎないのではないか。
(なぁんだ。赤竜族ったって、大したことねぇんだな)
スチェパは物陰から、そっと身を翻 した。
◇
肺の息すべてを吐き出すような。
そんなため息をカイ・ブルムは漏らす。
「あのころからだよな。お前が”酔いどれ隊長”、なんて呼ばれ出したのは」
「……お酒を飲んで、戦場に出たの?」
アルテミシアはディデリスに腕を伸ばした。
「そうだな」
表情は変えぬまま、ディデリスがその手を柔らかくつかまえる。
「惨劇のあとね」
「そうだな」
「赤竜軍のすべてが、あなたの肩にかかってしまったのね」
ディデリスは何も言わず、ただ握る手に力を込めた。
「もお。よく除隊にならなかったわね」
「まあ、なんたって声さえ掛かれば、いの一番で駆けつけて、戦果を上げてましたからね。……まるで、死に急いでるみたいに」
カイが視線を落とす。
「見ちゃいられなかったよ。いっそ酔いつぶれて、来なけりゃいいと思ってた」
「……そのあと、スチェパはどうしたの?」
握られた手をアルテミシアが胸元へと引き寄せると、ディデリスの口の端がほんの少し上がった。
◇
(初めてだな、こんな楽なの)
赤竜軍の一方的な攻勢に、黒竜の出番などなく。
後方に隠れるスチェパは、両軍の力の差をじっくりと観察することができた。
「後始末は任せる」
「黒の見せ場も作ってやったからって、まだ終わってないだろ」
土煙を上げて独立派軍を追う赤黒、二色 の竜と騎士たちを、赤竜隊長と副隊長がのんびりと眺めている。
(あの女が言ったとおり、マジで五日かかんなかったな。しっかし)
戦場の片隅で、スチェパはここ数日、ずっと後をつけていたた隊長の様子を思い起こしていた。
夜明け。
一晩中飲み明かしていた美麗の男は、ふらりと酒場から出てきた。
嬌声 を上げる女給たちをはべらせている姿を、スチェパ自身が見張っていたのだから間違いない。
だと言うのに。
赤竜隊長は、それは見事に戦ってみせた。
唯一、隣に立つことを許されている副隊長が眉をひそめ、にらむように隊長を見上げる。
「明日、こっちの領事が向こうの軍将と協議を持つ。立ち会いを要請されているじゃないか」
「お前に一任する。首都も長くは空けられない。先に帰還する」
「長いかっ。お前の不在なんざ、誰も気づいてないぞ、きっと。それに、どうせアマルドに帰ったって、グイドに任せっきりにするつもりだろ」
副隊長から、聞き覚えのある名前が出た。
(へーえ。あのボンボン、まだ赤竜軍にいるのかよ)
バレずに竜を造れたようだし、お咎 めもなく、優雅に竜騎士生活を送っていやがるんだろう。
こっちは半殺しの目に遭ったというのに。
魂まで縛られ、逃げることもできなくなったのに。
あの人の好 い竜騎士に対して、ほんのわずかに持っていた罪悪感が、消え失せていった。
(なんだ。もっとふんだくってやればよかった。……けっ)
あの妖 しい女の依頼に、ためらっていた気持ちもなくなる。
竜族がどうした。
帝国がどうした。
これで世界がメチャクチャになっても、知ったことか。
自分の半身は、とっくに破滅に絡 め取られている。
酔っぱらいのくせに、鮮やかな手綱 さばきで赤竜を走らせ去っていく背中を見送りながら、スチェパは荒れ崩れた街に姿をくらませた。
帝国軍の自治領支援基地は、慌ただしさと騒がしさに沸き返っていた。
「赤竜がすでに向かっただと?!こっちには挨拶もせずにかっ」
「いえ、先ほどブルム副隊長がいらして、駐屯軍は被害が大きいから、少し休んでおけと」
「黒竜の追加派兵隊はどうした。確か、第三隊が来る予定だろう」
「ディデリス隊長とともに前線へ」
「赤竜隊長に指揮されてるのかっ?」
駐屯軍黒竜隊長が青筋を立てて、唾を飛ばす。
「前代未聞だ。黒竜の名が地に落ちる」
「いえ、第三隊隊長もご一緒でした」
「赤竜が黒竜に追いつけるはずが……。ディデリス隊長の竜は、ルベルか」
不愉快そうに黒竜隊長が口を
「動ける者だけでいい!少しでも不調の者は休んでいろ。準備整い次第出るぞ!」
「俺も行きます!」
「お前は休んでいろ。回復が優先だ」
「大したことありません。ディデリス隊長の勇姿を見たいんです!」
「オレも出ます!」
昨日の
「赤竜だけに戦果を取られてたまるかっ。至急、準備!」
慌ただしく動く竜騎士たちに
従軍してからは、必要なものはいつの間にか用意されている。
いつ、誰が用意してくれているのか。
わからないし、知ろうとも思わないが。
「ほんと、おっかね」
スチェパは
残月が輝く、白み始めた空の下。
竜騎士たちの
物陰に潜んだスチェパは、目に飛び込んできた光景を前に、口を閉じることができなかった。
――帝国騎竜軍にサラマリス在り――
あの夜の酒場で、繰り返しグイドが
――その苛烈なること鬼神の如し。ディデ
とろけるような笑みを浮かべるグイドを、内心馬鹿にしていたのだが。
憧れるにもほどがあるだろうと。
スチェパの目の前で、一頭の赤竜が先陣を切って戦場に突入していった。
その小柄な赤竜の
迎え撃つ敵軍の兵士が束で倒れていく。
走り抜ける赤竜の長い飾り羽は、
(はぁ~ん。あれが赤竜隊長、ディデリス・サラマリスか)
「噴け!」
低い美声が戦場を貫くと、命じた者の髪と同じ色の炎が、猛り狂いながら敵に襲いかかっていく。
「ディデリス隊長!」
遅れて到着した赤竜軍のなかから、羽根を優雅に揺らす赤竜に乗る騎士が合図を送った。
「左翼へ回れ!」
隊長の指示に、赤竜の群れがうねる炎のように独立軍を囲み始める。
「黒竜は右翼を」
「赤に命じられる
不愉快そうに歯噛みする黒竜隊長に、ディデリスが涼やかに笑った。
「命じているつもりはない。作戦を提案しているだけだ。不本意ならば構わない」
鮮やかな指笛が響き渡り、ルベルが猛然と走り出していく。
「指をくわえて見ていろ!」
独立軍兵士の群れのなかに、羽を逆立てたルベルが躍り込んでいった。
襲いかかる矢はしなやかな羽に弾き飛ばされ、噴き出す炎は、それ自体が敵を喰らい尽くす竜のよう。
そして、逃げ惑う者たちをディデリスが容赦なく斬り伏せていった。
あっという間に数を減らした独立軍を、さらに左翼側から赤竜たちが追いこんでいく。
「右だっ、右から攻めろ!」
うわずった黒竜隊長の声に、独立軍将校の声が重なった。
「撤退!第二防衛線まで撤退!」
「カイ!」
ディデリスの指笛に、優雅な赤竜に乗る騎士も指笛で応じる。
「噴け!」
赤竜たちが一斉に噴いた炎は灼熱の大渦となり、完全に独立軍を追い払った。
「カイ」と呼ばれた竜騎士の乗る赤竜が、ディデリスに走り寄ってくる。
「黒の奴らが張り切って行っちゃったけどさ。今さら深追いする必要って、あると思うか?」
「面目があるのだろう。……戻る。この分なら、二、三日もいれば……」
大きなため息をついたディデリスに、カイが顔をしかめた。
「酒クサっ。どんだけ飲んだんだよ。いい加減にしろよ」
「いい加減にしてきた。問題はなかっただろう」
「今日はもう飲むなよ」
「あとはお前に任せる」
「やめとけって」
「以後、カイ副隊長の指示に従えっ!」
髪と同じ色の朝日に背中を染めたディデリスは、小柄な赤竜とともに、あっという間に戦場を後にしていった。
小柄な赤竜の背中を見送るスチェパは、呆気に取られるばかりだ。
(あれが?あれがホントに、ディデリス・サラマリスか?)
大怪我から復帰して、いくらも経っていない人間の動きとも思えない。
それに驚きはしたが、もっと驚いたのは。
(ただの酔っぱらいじゃねぇか)
剣を収めたとたんに上体が微かに揺れて、距離を詰めてみれば、
(あれが、帝国一の竜騎士?)
確かに強い。
だが、竜あっての強さに過ぎないのではないか。
(なぁんだ。赤竜族ったって、大したことねぇんだな)
スチェパは物陰から、そっと身を
◇
肺の息すべてを吐き出すような。
そんなため息をカイ・ブルムは漏らす。
「あのころからだよな。お前が”酔いどれ隊長”、なんて呼ばれ出したのは」
「……お酒を飲んで、戦場に出たの?」
アルテミシアはディデリスに腕を伸ばした。
「そうだな」
表情は変えぬまま、ディデリスがその手を柔らかくつかまえる。
「惨劇のあとね」
「そうだな」
「赤竜軍のすべてが、あなたの肩にかかってしまったのね」
ディデリスは何も言わず、ただ握る手に力を込めた。
「もお。よく除隊にならなかったわね」
「まあ、なんたって声さえ掛かれば、いの一番で駆けつけて、戦果を上げてましたからね。……まるで、死に急いでるみたいに」
カイが視線を落とす。
「見ちゃいられなかったよ。いっそ酔いつぶれて、来なけりゃいいと思ってた」
「……そのあと、スチェパはどうしたの?」
握られた手をアルテミシアが胸元へと引き寄せると、ディデリスの口の端がほんの少し上がった。
◇
(初めてだな、こんな楽なの)
赤竜軍の一方的な攻勢に、黒竜の出番などなく。
後方に隠れるスチェパは、両軍の力の差をじっくりと観察することができた。
「後始末は任せる」
「黒の見せ場も作ってやったからって、まだ終わってないだろ」
土煙を上げて独立派軍を追う赤黒、
(あの女が言ったとおり、マジで五日かかんなかったな。しっかし)
戦場の片隅で、スチェパはここ数日、ずっと後をつけていたた隊長の様子を思い起こしていた。
夜明け。
一晩中飲み明かしていた美麗の男は、ふらりと酒場から出てきた。
だと言うのに。
赤竜隊長は、それは見事に戦ってみせた。
唯一、隣に立つことを許されている副隊長が眉をひそめ、にらむように隊長を見上げる。
「明日、こっちの領事が向こうの軍将と協議を持つ。立ち会いを要請されているじゃないか」
「お前に一任する。首都も長くは空けられない。先に帰還する」
「長いかっ。お前の不在なんざ、誰も気づいてないぞ、きっと。それに、どうせアマルドに帰ったって、グイドに任せっきりにするつもりだろ」
副隊長から、聞き覚えのある名前が出た。
(へーえ。あのボンボン、まだ赤竜軍にいるのかよ)
バレずに竜を造れたようだし、お
こっちは半殺しの目に遭ったというのに。
魂まで縛られ、逃げることもできなくなったのに。
あの人の
(なんだ。もっとふんだくってやればよかった。……けっ)
あの
竜族がどうした。
帝国がどうした。
これで世界がメチャクチャになっても、知ったことか。
自分の半身は、とっくに破滅に
酔っぱらいのくせに、鮮やかな