内戦地区の夜

文字数 3,329文字

 横向きで床に転がるスチェパの前で、ゴルージャが笑顔を消して立ち上がった。
「俺としちゃぁ、オメェがどう死のうが興味はねぇんだが」
 胃液を飲み込みながら、スチェパは震える。
 
 こんなことなら、竜の(えさ)になっていたほうがましだった。
 感覚があることを、命があることを、これほど呪う日が来るとは。

「でもよ、その能力を買って、選択肢をくださるそうだよ」
 スチェパが充血した目を上げると、ゴルージャの口角が上がっている。
「決まりどおり、拷問付きの処刑を受けるか、もしくは、黒竜族に逆らうことのできねぇ奴隷となって、魂まで差し出すか」

(灼熱地獄か極寒地獄かってか)

 どちらを選んでも結局は地獄。
 そう気づいたスチェパは、へらっと笑った。


 その後スチェパは、カザビア自治領に派遣される黒竜軍と行動をともにしろ命じられた。
 そこは、いまだにカザビア独立派が戦闘を続けている、戦火の音を聞かない日のない荒れた街である。
 帝国侵攻への足掛かりとして、イハウ連合国が独立派組織を利用していることもあり、内戦が収まる気配さえない。
 
 そこでスチェパが言い渡されたのは、派兵に不満を持つ黒竜騎士の洗い出しと、赤竜騎士の情報を収集すること。
 命じられた当初、その程度なら犬を選んで正解だと思ったのだが、さすがにそう甘くはなかった。
 求められた赤竜騎士に関する情報とは、竜や竜騎士の詳細な戦闘能力や弱点、つまりは、最前線にいなければ把握できないものだ。

「俺は剣士でも竜騎士でもねぇけど」
 出発前日、スチェパはゴルージャに訴えてみたが。
「はぁ?オメェが黒竜騎士の称号ねだったんだろ。だいたい、ここに来るまで、結構上手く逃げ回ってきたみてぇじゃねぇか。その経験を生かせよ。必要な備品や

は、糸目をつけずに手配してくれるって話だ」

、ね)

 スチェパは受けた暗示儀式を思い出して、込み上げる吐き気を我慢するのに精一杯となった。
 
 犬の儀式以後、自分の引き受けた仕事や竜化の話をしようと考えただけで、腰につけていろと命じられた小剣に自然と手が伸びる。
 それは、たとえ湯を浴びる時でさえ外せない。
 排泄の際、いくら何でもと外そうとしたことがあるが、強烈な吐き気とめまいに七転八倒して、失禁する有様だった。
 だが、竜族の末席にいる今では理解している。
 なぜ、ここまでの口封じが必要なのかを。
 竜は人の血を基にした、人工的に造られたものだと公になってしまえば。
 その禁忌的方法は、竜族の大醜聞になるだろう。
 それほどまでに竜族は神格化され尊敬を受け、そして、ある一定層からは強烈に(うと)まれている。
 常に(すき)をうかがわれ、食いつける弱点はないかと狙われているのだ。

(ああ、ホントにもう、思い出したくもねぇのに)

 常に脳裏に巣食って、スチェパを苛み続ける「あの記憶」。
 悪魔の姿は(おぼろ)なのに、その言葉や受けた仕打ちは鮮やかに消えない。

「赤竜とつながってみろと命じはしたが、竜族の要を金に換えるとは。本来ならば、一日かけて一寸刻みにするところだ。だが、ドルカを釣り上げたことは評価する」
 薄暗い部屋で、暗示を掛ける相手の声が遠くなっていった。
「虫けらの存在にしては上出来。これはその温情だ」

(なにが

情だ。寒くてたまんねぇよ)

 歯の根が合わないスチェパの意識が、薄くなっていく。
「そのくだらない命、私に捧げるがいい」
 目の前で術をかける悪魔が、暗闇に溶けて沈んでいった。


 その日の交戦は激しく、スチェパも死を覚悟したほどだった。
 帝国軍はかなりの痛手を受けて、旧王宮がある最前線から、後退を余儀なくされた。
 
 比較的破壊を(まぬが)れている田舎町の酒場で、スチェパは一息つく。
 帝国軍の意気消沈ぶりを表すように、店内には帝国兵士などひとりもいない。
「ふぅ~」
 連日、昼となく夜となく兵士たちに(まぎ)れ、敵味方双方から身を隠しつつ、命じられた職務をこなす。
 いつ死んでもおかしくない。
 飲んでも飲んでも酔える気がしないが、飲まずにはいられない。
「帝国の人だね」
 突然、隣に座った女に、スチェパは危うく酒を吹き出しそうになった。
 横目で確認して、ごくりと酒を飲み込む。
 みすぼらしい身なりだが、顔つきは上品な女だ。
 無造作に束ねられた濃茶の髪は、艶があり美しい。
「あんたみてぇな奥様が、なんでこんな酒場に?おっかねぇ。どっか行ってくんねぇか」
「ふぅん。聞いているより切れるじゃないか。気に入った。取引をしよう」
「断る」
 言下の拒絶に、女は銀鼠(ぎんねず)の目を丸くして、楽しそうに笑い出した。
「主人!ここで一番の酒をふたつ。私とこの色男に」
 スチェパの前に、自治領では貴重な、混ぜ物のない酒が置かれる。
 一気に盃を(あお)ると、女は手をつけようとしないスチェパを眺めた。
「飲みなよ、(おご)りだ」
「断る。(おご)られる理由がない」
「気に入ったと言ったろう」
「気に入られる理由もない」
 もうこりごりだ。
 自分は今、黒竜族の犬だ。
 ほかの飼主はいらない。
「じゃあ、こういうのはどうだい」
 女が身を寄せると、ほのかな香水がスチェパの鼻孔をくすぐった。
「お前の飼主に、よかったら使ってやってくれと言われている」
 思わず顔を向けたスチェパを見て、女がほくそ笑む。
「飼主を知っているのかって顔だね。知っているよ。……黒竜族のお偉いさんだろ」
 スチェパはぎょっとして女から距離を取った。

(この女は黒竜族か?いや、まさか……)

 こんな荒れた内戦地区の酒場に、貴族の女がいるはずがない。
「あんた……」
「あたしはお前と違って野良(のら)だけどね。今は訳あって主人持ちなのさ。お前、ドルカ家とつながりがあるだろう」

(この女、どこまで知っているんだ)

「……おっかねぇ」
 スチェパのつぶやきなど無視して、女は二杯目の酒をうまそうに飲み干した。
「もうすぐ、竜の頭数調査があるんだってね」
 さも当たり前のように話す女から、スチェパはふいと顔をそらせる。
 
(頭数調査なんて知らねぇよ)

 だが、この女は甘ちゃんグイドなどより、数段危険だ。
 下手に話を合わせるよりも、黙っていたほうがいい。
「それで、ドルカが異形の竜をどうごまかそうかと、困っているらしいんだ」
 
(異形?あの卵から作った竜のことか。……へぇ)

 「竜になりきらない」とグイドは言っていたが、成功したらしい。
「だが、黒竜にも調査は入る。それで」
 女がスチェパのあごに手をかけ、強引に自分のほうを向かせた。
「お前が選ぶんじゃない。選ぶのはあたしだよ。使えないなら、ここで殺していいと言われている。まあ合格だ。使ってやる」
「い、今すぐは、無理だ。定時連絡がある」
 あごに食い込む指の強さが尋常ではなくて、スチェパの顔面がくしゃりと潰れる。

(くっそ、いってぇ!なんちゅう馬鹿力だ、この女っ)
 
 奥様然としていた女が、魔物の目をして自分を凝視していた。
 その豹変ぶりは恐ろしいほどだが、納得もできる。
 こんな場所にいる女が、まともなわけがないのだから。
「今すぐじゃない。五日後、時間を作れ。旧王宮の城下通りから東に三つ目。赤い扉の家があるから、」
「いや、待てよ」
 あごをつかまれたまま、スチェパは女の話をさえぎった。
「こっちは死人も出た。怪我人も多い。物資も不足してる。五日で戻れっこねぇ」
「明日、ディデリス・サラマリス隊長がここに来る。復帰後初戦がカザビアとは、さすがだよ」
 目を見開いたスチェパを前に、女はにやりと笑う。
「あの男なら、このくらいの損害は三、四日で取り戻すだろうさ。いいか、よく聞け。その扉の前で……」
 教えられる合言葉を、スチェパは上の空で聞いていた。

――ディデ(にい)は凄いんだ!――

 グイドの声が耳に(よみがえ)る。
 震える手で卵を受け取っていた、あの気のいい竜族のボンボン。
 その後、それとなく聞いた話では、やさぐれてた割には優秀な竜騎士らしい。
 そんな竜騎士が、うっとりと語っていたディデリス・サラマリス。
 どんな優男だろうか。
 そんなヤツが、本当に「サラマリス詩歌そのもの」といわれるほどの竜騎士なんだろうか。

(サラマリスの名前に、引きずられ過ぎじゃねぇの)
 
 あれこれスチェパが考えているうちに、いつの間にか女の姿は消えていた。
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