茨を焦がす慕情 -2-

エピソード文字数 3,338文字

 レヴィアは(ささや)くように、大切な女性(ひと)の名を呼んだ。
「アルテミシア」
 そして自分が人の手を恐れていたころに彼女がそうしてくれたように、ゆっくりと(ほほ)に掛かる紅い巻き髪に指を伸ばした。
「好きに種類があるように、愛にも種類があるんだよ」
 褐色の指に掛かった巻き髪ごと、柔らかい(ほほ)をなでる。
「愛にも?」
 心細そうな若草色の瞳がレヴィアを見上げた。
「母さまが僕に(のこ)してくれた歌も、父上が僕たちを救い出す機会を待っていてくれたのも愛。ジーグがミーシャにお説教するのも、リズワンが手加減しないのも愛」
 アルテミシアに小さな笑みが浮かぶ。
「自分が憎まれたとしても、相手を思い行動するのが愛だって、ジーグが言ってた。あの人は…。愛と欲しいが混ざっちゃってるんだよ、きっと」
 レヴィアはディデリスのことを、「あの人」と複雑そうに呼んだ。
 アルテミシアを傷つけ泣かせた、到底許せない人物ではある。だが今の自分は、面と向かって非難することもできない。同じ想いを、胸に秘めているのだから。 
 アルテミシアはレヴィアの肩にくったりともたれた。
「どうして、私なんかを欲しいのだろう。竜術でも何でも、ディデリスのほうが優秀だ。得になることなどひとつもないのに、どうして?」
「…ミーシャは、…きれいで素敵だもの」
 おずおずと、ぽつりと。レヴィアは本心を口にする。
 アルテミシアは目を丸くしてレヴィアを見上げた。
 大きな黒い瞳が後悔に伏せられる。
「ごめん、なさい。嫌な気持ちに、させるつもりは…」
「嫌なわけじゃない」
 口ごもるレヴィアの謝罪を、アルテミシアはきっぱりと否定する。そして体を起こすと、レヴィアをまじまじとのぞき込んだ。
「レヴィは、目が悪かったのか?」
「え?」
 何を突然。
 アルバスに騎乗し、正確に敵を(とら)え射るこの目を、いつも()めてくれるではないか。
「悪く、ないよ?」
「じゃあ言葉を間違えたのか?私は竜騎士だぞ?」
 アルテミシアは極めて本気らしい。
 今度はレヴィアがアルテミシアをのぞき込んだ。
「竜騎士だって、関係ないよ。ミーシャはきれいで、強くて、格好良くて」
 レヴィアの言葉に、アルテミシアが戸惑った顔をする。
「頑固で喧嘩っ早くてせっかちだ」
 恥ずかしげだったアルテミシアが、たちまちむすっとした表情になった。
()めるか(けな)すか、どっちかにしろ」
()めてる」
 レヴィアはまっすぐ、暗がりでもなお美しいと思うアルテミシアの瞳を見つめた。
「トレキバの小屋で、僕を守るって言ってくれた。出会ったときから…」
 「好きだった」と言いかけ、レヴィアは口を閉じる。
「特別な人、だったよ。本当に強くて、格好良かった。でも心配になるくらい喧嘩っ早くて。頑固でせっかちで、何だって一人でやってしまおうとするけど、そのわりに抜けているところがあって、結局ヴァイノにばれちゃって、」
(けな)してるじゃないかっ!」
 アルテミシアの両手がレヴィアの(ほほ)()まんだ。
 少し痛い。
 アルテミシアに力が戻っていることが嬉しくて、思わず笑顔になりながらレヴィアは続ける。
「でもどんな貴女(あなた)でも、いつでも”きっぱり”していて、きれいなんだ。貴女(あなた)はきれいだ」
 そう言いながらレヴィアは手を伸ばして、アルテミシアの髪を一房すくい取った。
「その髪は咲き始めの薔薇のように艶めき、瞳は春を浮かべ(きらめ)いている」
 アルテミシアが小さく息を飲む。
「ヴァーリ様が妃殿下に贈った言葉みたい」
「うん、真似してみた」
 (ほほ)()ままれたまま深く微笑むレヴィアに、アルテミシアは()ねるような瞳をした。
「真似、なんだ?」
「でも、本当にそう思ってる」
 そらされることのないレヴィアのまなざしに、アルテミシアは再びうつむいてしまう。
「やっぱり嫌、だった?容姿のこと言われるの。ごめんなさ」
「違う」
 アルテミシアはレヴィアの謝罪を(さえぎ)り、困惑しきった瞳を上げた。
「きれいだなんて、言われたことがないから。自分でもそうは思わない。でもレヴィアにそう言ってもらえるのは…」
 アルテミシアの瞳が揺れている。
「嫌じゃ、ない?」
 不安と期待を込めてレヴィアは尋ねた。
「ん」
「ミーシャはきれいだよ?」
「ん…」
 レヴィアの腕をつかむアルテミシアの指が、もじもじと動いている。
「本当に、貴女(あなた)はきれいなんだ。ずっと見ていたいくらい」
「…ん」
「特にきれいなのは、」
「もういい!」
 顔を赤くしたアルテミシアが、レヴィアの口を両手で(ふさ)いだ。
「もう、わかった、から」
「真似だけじゃないの、わかった?」
 こもった声でレヴィアは尋ねる。
「ん。でも、本当に初めて言われた」
 アルテミシアはレヴィアと目を合わせようとしない。その照れた姿が珍しくて、可愛らしかった。
「ミーシャ、僕に言ってくれたでしょう?」
「ん?」
 アルテミシアがレヴィアの口から手を外し、視線を戻した。
「嫌なら、縁談断っていいって。自分の気持ちを大事にしていいって」
 アルテミシアがうなずく。
「同じ、だと思うよ」
「同じ?」
「好きにも愛にも、いろんな種類があるけど、ミーシャが傷つくなら、嫌って言っていいんだよ」
「嫌って、言って、いい」
 いつかと逆だ。アルテミシアがレヴィアの言葉を繰り返す。
「そうだよ。ミーシャが欲しい“好き”だけ、受け取ればいいんだよ」
 そう伝えながら、レヴィアの胸は不安に痛む。
 自分の気持ちは、受け取ってもらえるだろうか。
 アルテミシアを失いそうになったとき、帰ってきてくれるだけでいいと祈った。それなのに、こうして元気になっていくアルテミシアを前にすると欲が出る。その笑顔を、心を自分に、自分だけに向けて欲しいと願ってしまう。
「私が欲しい気持ち、だけ。…でもレヴィア」
 アルテミシアは寂しそうに視線を落とした。
「サラマリスは“情を抱えてはならない”んだ。気持ちを欲しがるなんて…」
 言葉を飲み込んだルテミシアを、レヴィアはそっと抱き上げる。
貴女(あなた)はもう、帝国のサラマリスじゃないでしょう?トーラの、アルテミシア・テムランなんだよ。(おきて)なんて関係ない。情に厚い、そのままのミーシャで、勝利を収められたんだから」
 そっと寝台に降ろされながら、アルテミシアは首を横に振った。
「勝利など収められなかった。レヴィに助けてもらっただけだ」
「ねえ、アルテミシア」
 枕元にひざまずき、レヴィアは横になった若草色の瞳をじっと見つめた。
「目が覚めるまで、貴女(あなた)の心臓が何度止まりかけたか知ってる?僕が何度絶望しそうになったか。アガラムの医薬師も僕も、力は尽くした。でもミーシャが戦い抜いたんだ。命の危機に勝利を収めて、戻ってきてくれたんだよ」
「…そうか」
 アルテミシアの腕が伸ばされ、レヴィアの(ほほ)に白い手が添えられた。
「私はレヴィに助けられて、自分でここに帰ってきたんだな」
「そうだよ」
 暖かいその手に(ほほ)を傾け、レヴィアが微笑んだ。
「レヴィ」
 アルテミシアが(ささや)く。
「なあに?」
「寝つくまで、そばにいてもらえるか?怖い夢を見ないように」
「ミーシャが嫌じゃなければ、一晩中ここにいるよ。怖い夢を見たら、すぐにお茶を()れてあげる」
 アルテミシアの唇がほっとして(ほころ)んだ。
「レヴィ、歌って?あのお母様の歌」
 アルテミシアの手を握り寝台に戻しながら、レヴィアはうなずいた。
「うん、いいよ。もちろん」
 アルテミシアが目を閉じる。
「懐かしく愛しい、遥かなる者。今は安らぎ、静かに眠る。愛を届け、祈り届け。苦しみも悲しみも、遠い世界。愛を届け、祈り届け」
 レヴィアは艶のある声でゆったりと歌う。何度も、何度も。
 天幕の外にいた大柄な影が静かに(きびす)を返し、夜の(とばり)へと消えていった。
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