茨を焦がす慕情 -2-
文字数 3,101文字
「アルテミシア」
レヴィアは囁 くように、大切な女性 の名を呼ぶ。
そして、自分が人の手を恐れていたころに、彼女がそうしてくれたように、ゆっくりと柔らかな頬に手を伸ばした。
「好きに種類があるように、愛にも種類があるんだよ」
「愛にも?」
頬をなでられながら、心細そうな若草色の瞳がレヴィアを見上げる。
「母さまが僕に遺 してくれた歌も、父上が、僕たちを救い出す機会を待っていたのも愛。ジーグがミーシャにお説教するのも、リズワンが手加減しないのも愛」
アルテミシアに小さな笑みが浮かんだ。
「自分が憎まれたとしても、相手を思い行動するのが愛だって、ジーグが言ってた。あの人は……。愛と欲しいが混ざっちゃって、我がままになってるんだよ、きっと」
(絶対、あの人のことは許さないけど)
だが、今のレヴィアは、面と向かって非難することもためらわれてしまう。
同じ想いを、望みを胸に秘めているから。
アルテミシアはレヴィアの肩にくったりともたれた。
「どうして私なんかを欲しいのだろう。竜術でもなんでも、ディデリスのほうが優秀だ。得になることなどひとつもないのに、どうして?」
「そんなの、だって……。得とか関係ないよ。ミーシャはきれいで、素敵だもの」
あまりに頓珍漢なアルテミシアに、思わずレヴィアの本音が漏れる。
「え?」
見上げるアルテミシアの目が真ん丸で、レヴィアは後悔に瞳を伏せた。
「ごめん、なさい。嫌な気持ちに、させるつもりは……」
「嫌ではないけれど」
アルテミシアは首を傾けて、レヴィアをまじまじとのぞき込んだ。
「レヴィは目が悪かったのか?」
「え?」
今度はレヴィアの目が丸くなる。
(なんでそんなこと……)
スィーニに騎乗し、正確に敵を捉 え射るこの目を、いつもほめてくれるのに。
「悪く、ないよ?」
「じゃあ、言葉を間違えたんだな。私は竜騎士なんだから」
極めて本気らしいアルテミシアを、今度はレヴィアがのぞき込んだ。
「竜騎士だって関係ないよ。ミーシャはきれいで、強くて、格好良くて」
レヴィアを見上げるアルテミシアの眉毛が、困惑に下がっていく。
「頑固で喧嘩っ早くてせっかちだ」
「ほめるか貶 すか、どっちかにしろ」
(むすっとしてるの、……カワイイ)
唇を少し尖らせて上目遣いをするアルテミシアを、レヴィアは瞬きも惜しい気持ちで見つめた。
「トレキバの小屋で、僕を守るって言ってくれた。出会ったときから……」
「好きだった」と言いかけ、レヴィアは口を閉じる。
「特別な人、だったよ。本当に強くて、格好よかった。でも、心配になるくらい喧嘩っ早くて。頑固でせっかちで、なんだってひとりでやろうとするけど、そのわりに抜けているところがあって、結局ヴァイノにばれちゃって、」
「貶 してるじゃないかっ!」
アルテミシアの指がレヴィアの頬をギュっと摘 まんだ。
(ちょっと痛い)
アルテミシアに力が戻っていることが嬉しくて、頬をつねられたままレヴィアは笑顔になる。
「でも、どんな貴女 でも、いつでもきっぱりしていて、きれいなんだ。貴女 はきれいだ」
そう言いながらレヴィアは手を伸ばして、アルテミシアの髪を一房すくい取った。
「その髪は咲き始めの薔薇 のように艶めき、瞳は春風に揺れる若草」
アルテミシアはレヴィアの頬から手を離すと、ぱっとうつむいた。
「それって、ヴァーリ様が妃殿下に贈った言葉みたい」
「うん、真似してみた」
「真似、なんだ?」
顔を上げないアルテミシアの声が不本意そうで、レヴィアの胸がざわめく。
「真似だけど、僕の本当の気持ちだよ」
アルテミシアの体に力が入ったことに気づいて、レヴィアは慌ててその顔を覗き込んだ。
「やっぱり嫌、だった?目と髪の色、言われるの……。ごめんなさ」
「違う」
アルテミシアはレヴィアの謝罪をさえぎり、レヴィアの腕に手を添える。
「きれいだなんて言われたことがないし、自分でもそうは思わない。竜騎士は、恐れられるばかりだったから。でも、レヴィアにそう言ってもらえるのは……」
「嫌じゃ、ない?」
言葉を飲み込んだアルテミシアに、不安と期待を込めてレヴィアは尋ねた。
「ん」
「ミーシャはきれいだよ?」
「ん……」
レヴィアの腕をつかむアルテミシアの指が、もじもじと動いている。
「本当に貴女 はきれいなんだ。ずっと見ていたいくらい」
「……ん」
「特にきれいなのは、」
「もういい!」
宵闇を照らしているのは、たったひとつの角灯だけ。
そのぼんやりとした灯のなかでも、はっきりわかるほど顔を赤くしたアルテミシアが、レヴィアの口を両手で塞 いだ。
「もう、わかった、から」
「真似だけじゃないの、わかった?」
くぐもった声でレヴィアは尋ねる。
「ん。でも、本当に初めて言われた。やっぱりレヴィは目が悪いんじゃないか?」
そっぽを向いているアルテミシアの照れた姿が珍しくて、可愛くて。
レヴィアは自分の口を押えているアルテミシアの手を外して、そのまま握り込んだ。
「ミーシャ、僕に言ってくれたでしょう?」
「ん?」
「嫌なら、縁談断っていいって。自分の気持ちを大事にしていいって。……同じ、だと思うよ」
「同じ?」
レヴィアと目を合わせて、アルテミシアは首を傾ける。
「好きにも愛にも、いろんな種類があるけど、ミーシャが傷つくなら、嫌って言っていいんだよ」
「嫌って、言って、いい」
「そうだよ。ミーシャが欲しい”好き”だけ、受け取ればいいんだよ」
(僕の気持ちは、受け取ってもらえるかな)
アルテミシアを失いそうになったとき、帰ってきてくれるだけでいいと祈った。
それなのに、こうして元気になっていくアルテミシアを前にすると欲が出る。
その笑顔を、心を。
自分に、自分だけに向けて欲しいと願ってしまう。
「私が欲しい気持ち、だけ。……でも、『情を抱えてはならない』サラマリスが、気持ちを選ぶなんて……」
レヴィアは黙り込んでしまったアルテミシアをそっと抱き上げて、寝台に戻した。
「貴女 はもう、帝国のサラマリスじゃないでしょう?トーラのアルテミシア・テムランなんだよ。掟 なんて関係ない。情に厚いミーシャのままで、勝利を収められたんだから」
「勝利など収められなかった。レヴィに助けてもらっただけだ」
「ねえ、アルテミシア」
枕元にひざまずいて、レヴィアは若草色の瞳をじっと見つめる。
「目が覚めるまで、貴女 の心臓が何度止まりかけたか知ってる?僕が何度、絶望しそうになったか。アガラムの医薬師も僕も力は尽くした。でも、ミーシャが戦い抜いたんだ。命の危機に勝利を収めて、戻ってきてくれたんだよ」
「……そうか。私はレヴィに助けられて、自分でここに帰ってきたんだな」
ゆっくりとアルテミシアの腕がレヴィアに伸ばされる。
「レヴィ」
その温かい手のひらに頬をすり寄せて、レヴィアは微笑んだ。
「なあに?」
「寝つくまで、そばにいてもらえるか?怖い夢を見ないように」
「ミーシャが嫌じゃなければ、一晩中ここにいるよ。怖い夢を見たら、すぐにお茶を淹 れてあげる」
「嬉しい。……レヴィ、歌って?お母さまの歌を」
「うん、いいよ。もちろん」
レヴィアは頬に添えられていた手を寝台に戻して、その肩に上掛けを引っ張り上げる。
「”懐かしく愛しい、遥かなる者。今は安らぎ、静かに眠る。愛を届け、祈り届け。苦しみも悲しみも、遠い世界。愛を届け、祈り届け”」
レヴィアは艶のある声でゆったりと歌った。
何度も、何度も。
雨は上がり、雲の切れ間からのぞいた月が、天幕入り口にたたずむ大柄な影を浮かび上がらせている。
しばらくレヴィアの歌声に耳を傾けていた影は、静かに踵 を返して、夜の帳 の向こうへと消えていった。
レヴィアは
そして、自分が人の手を恐れていたころに、彼女がそうしてくれたように、ゆっくりと柔らかな頬に手を伸ばした。
「好きに種類があるように、愛にも種類があるんだよ」
「愛にも?」
頬をなでられながら、心細そうな若草色の瞳がレヴィアを見上げる。
「母さまが僕に
アルテミシアに小さな笑みが浮かんだ。
「自分が憎まれたとしても、相手を思い行動するのが愛だって、ジーグが言ってた。あの人は……。愛と欲しいが混ざっちゃって、我がままになってるんだよ、きっと」
(絶対、あの人のことは許さないけど)
だが、今のレヴィアは、面と向かって非難することもためらわれてしまう。
同じ想いを、望みを胸に秘めているから。
アルテミシアはレヴィアの肩にくったりともたれた。
「どうして私なんかを欲しいのだろう。竜術でもなんでも、ディデリスのほうが優秀だ。得になることなどひとつもないのに、どうして?」
「そんなの、だって……。得とか関係ないよ。ミーシャはきれいで、素敵だもの」
あまりに頓珍漢なアルテミシアに、思わずレヴィアの本音が漏れる。
「え?」
見上げるアルテミシアの目が真ん丸で、レヴィアは後悔に瞳を伏せた。
「ごめん、なさい。嫌な気持ちに、させるつもりは……」
「嫌ではないけれど」
アルテミシアは首を傾けて、レヴィアをまじまじとのぞき込んだ。
「レヴィは目が悪かったのか?」
「え?」
今度はレヴィアの目が丸くなる。
(なんでそんなこと……)
スィーニに騎乗し、正確に敵を
「悪く、ないよ?」
「じゃあ、言葉を間違えたんだな。私は竜騎士なんだから」
極めて本気らしいアルテミシアを、今度はレヴィアがのぞき込んだ。
「竜騎士だって関係ないよ。ミーシャはきれいで、強くて、格好良くて」
レヴィアを見上げるアルテミシアの眉毛が、困惑に下がっていく。
「頑固で喧嘩っ早くてせっかちだ」
「ほめるか
(むすっとしてるの、……カワイイ)
唇を少し尖らせて上目遣いをするアルテミシアを、レヴィアは瞬きも惜しい気持ちで見つめた。
「トレキバの小屋で、僕を守るって言ってくれた。出会ったときから……」
「好きだった」と言いかけ、レヴィアは口を閉じる。
「特別な人、だったよ。本当に強くて、格好よかった。でも、心配になるくらい喧嘩っ早くて。頑固でせっかちで、なんだってひとりでやろうとするけど、そのわりに抜けているところがあって、結局ヴァイノにばれちゃって、」
「
アルテミシアの指がレヴィアの頬をギュっと
(ちょっと痛い)
アルテミシアに力が戻っていることが嬉しくて、頬をつねられたままレヴィアは笑顔になる。
「でも、どんな
そう言いながらレヴィアは手を伸ばして、アルテミシアの髪を一房すくい取った。
「その髪は咲き始めの
アルテミシアはレヴィアの頬から手を離すと、ぱっとうつむいた。
「それって、ヴァーリ様が妃殿下に贈った言葉みたい」
「うん、真似してみた」
「真似、なんだ?」
顔を上げないアルテミシアの声が不本意そうで、レヴィアの胸がざわめく。
「真似だけど、僕の本当の気持ちだよ」
アルテミシアの体に力が入ったことに気づいて、レヴィアは慌ててその顔を覗き込んだ。
「やっぱり嫌、だった?目と髪の色、言われるの……。ごめんなさ」
「違う」
アルテミシアはレヴィアの謝罪をさえぎり、レヴィアの腕に手を添える。
「きれいだなんて言われたことがないし、自分でもそうは思わない。竜騎士は、恐れられるばかりだったから。でも、レヴィアにそう言ってもらえるのは……」
「嫌じゃ、ない?」
言葉を飲み込んだアルテミシアに、不安と期待を込めてレヴィアは尋ねた。
「ん」
「ミーシャはきれいだよ?」
「ん……」
レヴィアの腕をつかむアルテミシアの指が、もじもじと動いている。
「本当に
「……ん」
「特にきれいなのは、」
「もういい!」
宵闇を照らしているのは、たったひとつの角灯だけ。
そのぼんやりとした灯のなかでも、はっきりわかるほど顔を赤くしたアルテミシアが、レヴィアの口を両手で
「もう、わかった、から」
「真似だけじゃないの、わかった?」
くぐもった声でレヴィアは尋ねる。
「ん。でも、本当に初めて言われた。やっぱりレヴィは目が悪いんじゃないか?」
そっぽを向いているアルテミシアの照れた姿が珍しくて、可愛くて。
レヴィアは自分の口を押えているアルテミシアの手を外して、そのまま握り込んだ。
「ミーシャ、僕に言ってくれたでしょう?」
「ん?」
「嫌なら、縁談断っていいって。自分の気持ちを大事にしていいって。……同じ、だと思うよ」
「同じ?」
レヴィアと目を合わせて、アルテミシアは首を傾ける。
「好きにも愛にも、いろんな種類があるけど、ミーシャが傷つくなら、嫌って言っていいんだよ」
「嫌って、言って、いい」
「そうだよ。ミーシャが欲しい”好き”だけ、受け取ればいいんだよ」
(僕の気持ちは、受け取ってもらえるかな)
アルテミシアを失いそうになったとき、帰ってきてくれるだけでいいと祈った。
それなのに、こうして元気になっていくアルテミシアを前にすると欲が出る。
その笑顔を、心を。
自分に、自分だけに向けて欲しいと願ってしまう。
「私が欲しい気持ち、だけ。……でも、『情を抱えてはならない』サラマリスが、気持ちを選ぶなんて……」
レヴィアは黙り込んでしまったアルテミシアをそっと抱き上げて、寝台に戻した。
「
「勝利など収められなかった。レヴィに助けてもらっただけだ」
「ねえ、アルテミシア」
枕元にひざまずいて、レヴィアは若草色の瞳をじっと見つめる。
「目が覚めるまで、
「……そうか。私はレヴィに助けられて、自分でここに帰ってきたんだな」
ゆっくりとアルテミシアの腕がレヴィアに伸ばされる。
「レヴィ」
その温かい手のひらに頬をすり寄せて、レヴィアは微笑んだ。
「なあに?」
「寝つくまで、そばにいてもらえるか?怖い夢を見ないように」
「ミーシャが嫌じゃなければ、一晩中ここにいるよ。怖い夢を見たら、すぐにお茶を
「嬉しい。……レヴィ、歌って?お母さまの歌を」
「うん、いいよ。もちろん」
レヴィアは頬に添えられていた手を寝台に戻して、その肩に上掛けを引っ張り上げる。
「”懐かしく愛しい、遥かなる者。今は安らぎ、静かに眠る。愛を届け、祈り届け。苦しみも悲しみも、遠い世界。愛を届け、祈り届け”」
レヴィアは艶のある声でゆったりと歌った。
何度も、何度も。
雨は上がり、雲の切れ間からのぞいた月が、天幕入り口にたたずむ大柄な影を浮かび上がらせている。
しばらくレヴィアの歌声に耳を傾けていた影は、静かに