待ち人

エピソード文字数 3,377文字

 「腕の良い医薬師」を訪ねて、濡れ(ねずみ)母子(おやこ)三人が、療養所の扉を叩いた。
 出迎えたレヴィアは、少年の手に握られたロシュの羽根を目にした瞬間、思考が停止してしまった。
 土砂降りの雨の後、漆黒の羽だけが帰ってきた。竜と竜騎士はなぜ戻らないのか。
 最悪の事態を想像して血の気が引いた。
「すてきなりゅうのおひめさまがねー、にーちゃん、たすけてくれたの!」
 小さな女の子の声で、レヴィアは我に返った。そして痛いほどの鼓動を刻む胸を抱えながら、母子(おやこ)を中に招き入れた。

 濡れた衣服を着替えさせてから、レヴィアは無言でフェドを診察する。その横では、先ほどトーラから戻ったばかりのジーグが、母親から話を聞いていた。
「そうか。命が助かって何よりだ」
 再び涙に(むせ)び礼を口にする母親を慰めながら、ジーグの(まゆ)がわずかに曇っている。
 幸いフェドには多少の擦り傷と打ち身がある程度で、大きな怪我はなかった。
「どうしてお嬢は一緒じゃないんだ?」
 何の言葉も発しないレヴィアの代わりに、ラシオンが母子(おやこ)に尋ねた。
 騒ぎを耳にして集まっていた愚連隊たちも、固唾(かたず)を飲んで様子を見守っている。
 アルテミシアは怪我から復帰したばかりだ。今、どうしているのだろう。
「まだやることがあるからと、おっしゃっていました」
 鼻をすすり上げながら母親が答えた。
 一緒に戻らなかったことで、アルテミシアが責められるとでも思ったのだろうか。フェドが必死な表情で皆を見渡した。
「アーテミッシャ様は、本当は送ってやりたいけれどと、おしゃって下さいました」
「あのね、ごーごーの川に、おひめさま、じゃぼーん!って!にーちゃんのここのところ」
 テーニャは自分の胸の辺りを指さす。
「ぎゅっぎゅっておしてね」
 溺れたフェドを激流から救い上げ、蘇生(そせい)術を施せたのならば、アルテミシアは無事なのだろう。
 レヴィアはやっと小さな息をついた。
 
 発熱や痛みが出たら、いつでもすぐ来るようにと告げられ、母子(おやこ)は何度も礼を言いながら帰っていった。
「久しぶりに、でかい嵐だったからなぁ」
 ラシオンは窓の外を眺める。
 傾きかけた陽射しが、雨上がりの街をきらめかせていた。
 ヴァイノが首を(かし)げている。
「やることって、何だろな。川で溺れたの助けたってんなら、ふくちょが行ったのって、平原?」
 夕べも今朝も。平原に用事があるとは、一言も聞いていない。
 治療器具を片付け終わったレヴィアが無表情で振り返る。
「ヴァイノたちがミーシャと一緒に帰ってこなかったのは、どうして?一晩、一緒だったんでしょう。何か言っていなかった?」
「え?いやぁ、先帰るって急にさぁ。なぁ」
 冷徹のまなざしに恐れをなして、ヴァイノはスヴァンに助けを求めた。
「ヴァイノ“きょーいく”したって言ってたじゃん。それってやっぱ、なんか余計なこと言ったんじゃない?」
「わ、バカおまっ!」
 鋭くなったレヴィアの視線にヴァイノは慌てる。やはり、少しやり過ぎたのだろうか。
「そんな大したこと言ってねぇよ?ふくちょが、いろいろ誘われんのを全然断らねぇからさ。好きな奴とだけ、お出かけすればいいじゃんって」
 レヴィアの視線から険が抜ける。
 それは、かねてから自分も伝えたくて、でも伝えられずにいた言葉だ。
「でもふくちょ、誘われるのは嫌じゃねぇってさ」
 レヴィアの顔が曇ったのを見て、ヴァイノは慌てて続けた。
「仕事じゃなくて出かけるとか、友だちとして人と付き合うとか、なかったからって」
 レヴィアがはっとした顔でヴァイノを見つめる。
 ヴァイノは痛みを含んだ笑い顔を返した。
「ずっと竜騎士だったからって。ずっと、あんなふうに竜に乗って戦うことが当たり前で、ダチもいなくて、だからって」  
 ヴァイノ声が重くなる。
「でもふくちょ、オレらと出かけんの楽しいって言ってくれたんだ。だから、たくさんお出かけしようなって言ったんだよ。んでさ」
 ヴァイノの口角がにやりと上がった。
「ふくちょ、デンカと遠乗りするのが一番楽しいってよ」
「ん?遠乗り…?」
 ラシオンが聞き返す。
「お嬢はロシュで出てるんだよな…。ヴァイノ、お嬢はいつうちの領地を出た?」
「え?…昼ちょっと前、かな。一緒に飯食う?って誘ったけど、帰るって」
「じゃあこっちに戻ったのって…」
 ラシオンが納得した顔つきになった。
「そうかそうか。レヴィア、お嬢は見たんじゃねぇかな」
「見た?」
 レヴィアが首を(かし)げる。
「何を?」
「令嬢部隊に、お前が囲まれてるところをさ」
「令嬢部隊?!囲まれる?」
 ヴァイノの声がひっくり返った。
「何その状況。うらやましいの?恐ろしいの?」
「ラシオン」
 黙って聞いていたジーグの琥珀(こはく)の瞳が、詳しい説明を求めている。
「ちょっと前に、(おも)だった領主家宗主たちから頼まれてたんだんだよ。自分のとこの子息令嬢に、この街を見学させたいって。じゃあ案内でもしますかってことで、それが今日だったんだ。まー、とにかく、今レヴィアはスバクルで人気者だからさ」
「私の留守中、何かあったか」
 レヴィアはトーラの王子だ。スバクル領主家の者との関係は、良くも悪くも外交問題になる。
「別にどってことはねぇよ。スバクルを救った“青竜を操る竜騎士”、しかも隣国の王子。何とかして、

お近づきになりたい令嬢方が、あれやこれや贈り物を持って、ここを訪ねてきただけだよ。…凄腕の狩人の目つきでな」 
 ラシオンが意味ありげな瞳を輝かせた。
「あー、何かわかる。菓子屋に行って、どれ食べようかって、狙って選んでるアスタとメイリってちょっと怖、ぶへっ」
 左右からアスタとメイリの(こぶし)を受け、スヴァンは慌てて口を閉じる。
 その横で、ヴァイノは首を(ひね)っていた。
「ロシュを出したんならさぁ、デンカと遠乗りするつもりだったんじゃねぇの?ふくちょは。あの人令嬢部隊なんて気にしな…」 
 そこで言葉を止め、合点したヴァイノの口が大きく開く。
「そっかそっか。気にしたんだ。ふくちょ」
 どうよ、きょーいくの成果が出ているではないか。
 ヴァイノは勝ち誇った目を仲間に向ける。
「モテモテのデンカ見て、()ねて一人で出かけちゃったんだ。なーるほどねぇ」
「でも、何で平原なんだろ」
 今度はスヴァンの首が(ひね)られた。
 この街の近くには、風光明媚な湖水地帯があるし、眺めがいい丘陵(きゅうりょう)が続く場所もある。なのに、なぜわざわざ。あの激戦が繰り広げられた平原に行くのか。
「…墓が、あるからな」
 ジーグの低い声に、皆の空気がしんと冷えて重くなった。
 あの小高い丘に建てられた石碑の意味を、ここにいる者は全員、よくわかっている。
 夜中に見かけるアルテミシアは、いつもあの丘のある方角に向かって立ち尽くしていた。
「僕、ミーシャを迎えに…」
「いや、ここで待て」
 今にも出て行きそうになるレヴィアをジーグが止める。
「こういうときのリズィエは、予測のつかない行動を取る。…トレキバでもそうだったろう。北限都市の初夏に、泉で泳ぐなど」
 「トレキバ騒動」を思い出したレヴィアは、赤くなった顔を隠すようにうつむいた。
 澄んだ水の中で、一糸まとわぬ姿で泳いでいたアルテミシアが、胸によみがえる。あのときは、ただ失礼だと思って背を向けた。今となっては、とても平常心ではいられない。
「行き違いになりかねない。ここで待とう。”待たれている”と、わかっている。必ず帰ってくる」
 寝過ごして、慌てて戻ったトレキバの屋敷で、じりじりとしながら、それでもジーグは待っていてくれた。
 その姿を思い出しながら、レヴィアは顔を上げる。
「今回は、僕もお説教するほうに回っていいのかな」
「もちろんだ」
 すっかり成長した愛弟子に柔らかいまなざしを送りながら、ジーグはうなずく。
「存分に叱ってやってくれ。お前の説教のほうが、効くようだからな」
 そして師弟は(そろ)って、大きな息を吐き出した。
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