想い初める -2-
文字数 3,667文字
「アルティといるときだけだよね、俺を見てくれるのは、ぐぁ!」
軍靴の踵 を顔面に受けて、鼻と口から血を吹き出したグイドがのけぞる。
「ぐっ!がはっ!」
腹。背。尻。
凍る翡翠 の瞳で、ディデリスは地べたを這 い回るグイドを蹴り飛ばしていく。
「ディデ兄 はほんと、可愛そうな人だよね、どーせ報われないのに、ぐぁぁぁ!」
ひときわ重い蹴りをグイドにお見舞いしながら、ディデリスは春淡いあの日を思い出し続けていた。
◇
ディデリスの腕の中で、従妹 は途方に暮れてうつむいている。
「どうしよう、この服」
「木登りしたんだろう」
「そんなの、ジーグには通用しないわ」
(だろうな)
腹の中で舌打ちしながら、ディデリスは小さな背中を軽く叩いた。
「心配するな。確か、アモリエの大伯父上が、いいものを持ってきているはずだ」
ディデリスは、主催家への挨拶の品を積み上げた小部屋を見つけると、こっそりと侵入する。
「勝手に入ってしまって、怒られない?」
くすくすと笑いながら、アルテミシアはディデリスの腕から抜け出て、床に降りた。
「何を探しているの?手伝うわ」
「いや、もう見つけた」
「わあ、その肩掛け、とてもきれい!」
「この色なら、その晴れ着にも合うだろう」
アルテミシアの前に膝をついたディデリスは、光沢ある薄紅色の生地をその腰に巻きつけていく。
「怪我の具合はどうだ?」
「怪我?」
「木登りをしたのではなかったか?」
破れ目からのぞいているふくらはぎを軽くなでて、ディデリスはニヤっと笑ってみせた。
「ふふっ、くすぐったいったら。意地悪ね、わかっているくせに」
「ほら、ちょっとじっとしていろ」
「……何をしているの?」
肩掛けの端を結び始めた従兄 の手を見下ろして、アルテミシアは首を傾げる。
「この間、カイがやってみせてくれたんだ。あいつは手先が器用で、隊服の襟巻 を結ぶときに……。ん?違ったか。反対か?」
何度も解 いては結び直して、やっとディデリスの手が肩掛けから離れた。
「わあ!」
晴れ着の腰を飾る、大輪の薔薇のような結び目を見て、アルテミシアから歓声が上がる。
破れ目を隠すように広がる肩掛けはなんの違和感もなく、初めからこういう服だったと言っても疑われないほどだ。
「ありがとう、ディデリス!……ふふふっ」
「何がおかしい?」
「だって」
アルテミシアの小さな手が、ディデリスの左手をすくい上げるように握る。
「ディデリスは何でも上手なのに、手先は不器用なんだもの」
幾重 にも寄せられた布地で誤魔化されてはいるが、大輪の薔薇 は少し歪 な形をしていた。
「何だと!お前の料理よりは、ずっとましだろう。そうだ、アルティ。俺のいない間に、隊に差し入れをするな。あのあと隊員たちが寝込んだぞ」
「おかしいわねぇ。乳母姉 に味見をしてもらったのよ?」
小さな頭を傾けて、アルテミシアはさも不思議そうな顔になる。
「大丈夫って、言ってもらったのに」
「イレナ叔母上の舌と腹はおかしいのだから、鵜呑 みにするな。まったく。サラマリス三兄妹 の中で、一番の強者 がお前の乳母役だからな」
「……でも、もうすぐいなくなっちゃうの」
「イレナ叔母上も望んだ縁談だろう?」
「そう、よね」
寂しそうに笑うアルテミシアに、ディデリスの胸は痛んだ。
「……金目 の従者がいるじゃないか」
(あいつを持出すのは癪 だが……。仕方がない)
不愉快は表に出さないようにして、ディデリスはアルテミシアの背中をなでる。
「ジーグは厳しいのよ?」
「叔母上だって厳しいだろう」
「でも、料理はさせてくれるのよ?」
「そこは止めないと駄目だろう」
アルテミシアはふくれて、むぅっと口を閉じる。
「俺もいる」
ディデリスはなだめるように、そっとアルテミシアの体に腕を回した。
「ディデリスは、大切なお役目があるもの。私は大丈夫よ」
寂しさなど一切口にしない従妹 がいじらしくて、抱きしめるディデリスの手に力がこもる。
「なるべく会いに行く。約束する」
「必ずね?約束ね?」
「もちろん。今度、騎竜隊竜舎も案内してやる」
「いいの?!」
「叔父上に話をしておこう。でも、差し入れを持ってきたら追い返すからな」
「もお!」
「いてっ」
アルテミシアはディデリスに頭突きをしたあとに、勢いよく抱きついた。
「お前をひとりにはしない」
「うん」
顔を伏せたアルテミシアの、湿った声には気づかないふりをして。
ディデリスは紅の髪をなで続けた。
小部屋から出てから、アルテミシアは晴れ着を破いた言い訳を、ずっと考え続けていた。
「転んで……、だめ、汚れてない。追いかけっこをしていて……、誰とって言われてしまう」
「木登りで通せ。グイド、だったか?アイツの前で、そう言ってしまったじゃないか」
「でも」
「一緒に行くか?」
「ううん、大丈夫。ディデリスが怒られたらいけないもの」
そんな会話を交わしながら広間に戻ると、バシリウス叔父と従者が同時にこちらに目を向けてくる。
「大丈夫だ。いざとなったら、俺を呼べ」
「……うん」
ディデリスから背中を押されたアルテミシアが、父親の元へと歩いていった。
見守っていると、アルテミシアは身振り手振りで、一生懸命説明をしている。
しばらくして、納得したのだろうか。
叔父と従者が、そろってディデリスに向かって深く頭を下げた。
だが、ディデリスは知っている。
金目 の従者が、相変わらず自分と目を合わせようとしないことを。
そして、見逃すことはなかった。
恐る恐る広間に戻ってきたグイドに、その鋭い視線が投げつけられたことを。
◇
元の形がわからないほど腫れた顔を上げて、ふらふらとグイドが立ち上がった。
右腕を縛った晒 から、ぽたりぽたりと血が垂れている。
「殺さないの」
「それは俺の役目ではないから、なっ」
体を起こしきる前にディデリスの蹴りを受け、再びグイドの体が倒れ、地を滑っていった。
仰向 けになった体を捩 りながら見上げるグイドの瞳に、ゆっくりと近づいてくる、美しい男の姿が映る。
それはまるで、獲物に狙いを定めた豹 のようだ。
「殺してもくれないんだ、やっぱりあの娘 がいるんだ、あの娘 を手に入れないと……、ちくしょおっ、あいつが男ならっ、女じゃなきゃ!」
「性別に何の関係がある」
四つん這 いになろうとしたグイドの背中を、ディデリスが踏みつける。
「……だって男だったら……」
「男だったら、ともに飲みに行けたな。金目 の監視も、あれほど煩 くはなかっただろう。男だったら、か」
(男だったら、あんな奴らに……)
ディデリスのまなざしが遠くなる。
アルテミシアを誰にも触れさせまいと、二度と傷つけさせまいと誓ったあの日。
自分の甘さと驕 りを思い知ったあの日。
なのに、美しく優秀な竜騎士となった彼女に、次々舞い込む縁談に焦 れてしまった。
結局、一番アルテミシアを傷つけたのが、自分だという皮肉。
「それでも可愛いだろうな。そのほうがよかったかもしれない」
「男でも愛した?」
足元からの声に、ディデリスは冷たい視線を投げ落とした。
「サラマリスは情を抱 えない」
「はぁ~ん?この期に及んでっ、まだそんなことを!!嘘つき!嘘つき!!」
金切声で叫ぶグイドの襟首 をつかみ上げたディデリスは、その顔に重い拳 をめり込ませる。
「悪魔の雫」の効力で、痛みもそれほど感じないのだろう。
殴られ続けながらも、グイドは明瞭に喚 き続けた。
「女として愛してるって認めろよ!欲しくて、気が狂いそうだって!!」
「女として?馬鹿なことを」
力の限り拳 を振いながら、ディデリスは息も乱さない。
「男でも愛したのかよぉ!」
「性別など些末 なことだ」
「え……?」
グイドは息を飲み、震える左手でディデリスの胸に縋 りついた。
「性別は、関係ない?……男でも、愛した……?」
手首の無い右腕と震える左手の指先が、ディデリスの体をなでるように滑っていく。
「……ディデ兄、俺を、殺して……」
膨 れ上がったまぶたから涙をこぼすグイドに、口付けするほどに近く、ディデリスが顔を寄せる。
「”惨劇”の夜、アルテミシアを斬ったのはお前だな」
腫れて糸のようになったグイドの目を、ディデリスはじっと見つめた。
「そうだよ俺だよ」
膨れた唇が、うっとりとした笑みを浮かべる。
「毒息で皆倒れたのに、バシリウス様とあの娘 だけは死ななくてさ、でもよろよろのバシリウス様を伯父貴が殺して、まだ息のあったマイヤ様もついでに殺して、遅れて帰ってきたあの娘 を俺が斬ったんだ」
「アルテミシアも殺すつもりだったのか」
「いーや?ちょっと動けなくなってもらおうと思っただけだよ、全部失くしたあの娘 は、ちょっと優しくされたら簡単に堕 ちるでしょ、俺のモノになるでしょ、そうしないとアンタは俺を見ないんだ」
細い目に酷薄な色を見せて、グイドがせせら笑う。
「大切に大切に手の中に囲い込んで、誰の悪意も好意も寄せつけなかったアンタのおかげで、あの娘 は人の情にすぐ絆 される、小便臭いガキのまんま大きくなったからね!!」
全身に殺意を滾 らせ、ディデリスは思い切りグイドの腹を蹴り飛ばした。
軍靴の
「ぐっ!がはっ!」
腹。背。尻。
凍る
「ディデ
ひときわ重い蹴りをグイドにお見舞いしながら、ディデリスは春淡いあの日を思い出し続けていた。
◇
ディデリスの腕の中で、
「どうしよう、この服」
「木登りしたんだろう」
「そんなの、ジーグには通用しないわ」
(だろうな)
腹の中で舌打ちしながら、ディデリスは小さな背中を軽く叩いた。
「心配するな。確か、アモリエの大伯父上が、いいものを持ってきているはずだ」
ディデリスは、主催家への挨拶の品を積み上げた小部屋を見つけると、こっそりと侵入する。
「勝手に入ってしまって、怒られない?」
くすくすと笑いながら、アルテミシアはディデリスの腕から抜け出て、床に降りた。
「何を探しているの?手伝うわ」
「いや、もう見つけた」
「わあ、その肩掛け、とてもきれい!」
「この色なら、その晴れ着にも合うだろう」
アルテミシアの前に膝をついたディデリスは、光沢ある薄紅色の生地をその腰に巻きつけていく。
「怪我の具合はどうだ?」
「怪我?」
「木登りをしたのではなかったか?」
破れ目からのぞいているふくらはぎを軽くなでて、ディデリスはニヤっと笑ってみせた。
「ふふっ、くすぐったいったら。意地悪ね、わかっているくせに」
「ほら、ちょっとじっとしていろ」
「……何をしているの?」
肩掛けの端を結び始めた
「この間、カイがやってみせてくれたんだ。あいつは手先が器用で、隊服の
何度も
「わあ!」
晴れ着の腰を飾る、大輪の薔薇のような結び目を見て、アルテミシアから歓声が上がる。
破れ目を隠すように広がる肩掛けはなんの違和感もなく、初めからこういう服だったと言っても疑われないほどだ。
「ありがとう、ディデリス!……ふふふっ」
「何がおかしい?」
「だって」
アルテミシアの小さな手が、ディデリスの左手をすくい上げるように握る。
「ディデリスは何でも上手なのに、手先は不器用なんだもの」
「何だと!お前の料理よりは、ずっとましだろう。そうだ、アルティ。俺のいない間に、隊に差し入れをするな。あのあと隊員たちが寝込んだぞ」
「おかしいわねぇ。
小さな頭を傾けて、アルテミシアはさも不思議そうな顔になる。
「大丈夫って、言ってもらったのに」
「イレナ叔母上の舌と腹はおかしいのだから、
「……でも、もうすぐいなくなっちゃうの」
「イレナ叔母上も望んだ縁談だろう?」
「そう、よね」
寂しそうに笑うアルテミシアに、ディデリスの胸は痛んだ。
「……
(あいつを持出すのは
不愉快は表に出さないようにして、ディデリスはアルテミシアの背中をなでる。
「ジーグは厳しいのよ?」
「叔母上だって厳しいだろう」
「でも、料理はさせてくれるのよ?」
「そこは止めないと駄目だろう」
アルテミシアはふくれて、むぅっと口を閉じる。
「俺もいる」
ディデリスはなだめるように、そっとアルテミシアの体に腕を回した。
「ディデリスは、大切なお役目があるもの。私は大丈夫よ」
寂しさなど一切口にしない
「なるべく会いに行く。約束する」
「必ずね?約束ね?」
「もちろん。今度、騎竜隊竜舎も案内してやる」
「いいの?!」
「叔父上に話をしておこう。でも、差し入れを持ってきたら追い返すからな」
「もお!」
「いてっ」
アルテミシアはディデリスに頭突きをしたあとに、勢いよく抱きついた。
「お前をひとりにはしない」
「うん」
顔を伏せたアルテミシアの、湿った声には気づかないふりをして。
ディデリスは紅の髪をなで続けた。
小部屋から出てから、アルテミシアは晴れ着を破いた言い訳を、ずっと考え続けていた。
「転んで……、だめ、汚れてない。追いかけっこをしていて……、誰とって言われてしまう」
「木登りで通せ。グイド、だったか?アイツの前で、そう言ってしまったじゃないか」
「でも」
「一緒に行くか?」
「ううん、大丈夫。ディデリスが怒られたらいけないもの」
そんな会話を交わしながら広間に戻ると、バシリウス叔父と従者が同時にこちらに目を向けてくる。
「大丈夫だ。いざとなったら、俺を呼べ」
「……うん」
ディデリスから背中を押されたアルテミシアが、父親の元へと歩いていった。
見守っていると、アルテミシアは身振り手振りで、一生懸命説明をしている。
しばらくして、納得したのだろうか。
叔父と従者が、そろってディデリスに向かって深く頭を下げた。
だが、ディデリスは知っている。
そして、見逃すことはなかった。
恐る恐る広間に戻ってきたグイドに、その鋭い視線が投げつけられたことを。
◇
元の形がわからないほど腫れた顔を上げて、ふらふらとグイドが立ち上がった。
右腕を縛った
「殺さないの」
「それは俺の役目ではないから、なっ」
体を起こしきる前にディデリスの蹴りを受け、再びグイドの体が倒れ、地を滑っていった。
それはまるで、獲物に狙いを定めた
「殺してもくれないんだ、やっぱりあの
「性別に何の関係がある」
四つん
「……だって男だったら……」
「男だったら、ともに飲みに行けたな。
(男だったら、あんな奴らに……)
ディデリスのまなざしが遠くなる。
アルテミシアを誰にも触れさせまいと、二度と傷つけさせまいと誓ったあの日。
自分の甘さと
なのに、美しく優秀な竜騎士となった彼女に、次々舞い込む縁談に
結局、一番アルテミシアを傷つけたのが、自分だという皮肉。
「それでも可愛いだろうな。そのほうがよかったかもしれない」
「男でも愛した?」
足元からの声に、ディデリスは冷たい視線を投げ落とした。
「サラマリスは情を
「はぁ~ん?この期に及んでっ、まだそんなことを!!嘘つき!嘘つき!!」
金切声で叫ぶグイドの
「悪魔の雫」の効力で、痛みもそれほど感じないのだろう。
殴られ続けながらも、グイドは明瞭に
「女として愛してるって認めろよ!欲しくて、気が狂いそうだって!!」
「女として?馬鹿なことを」
力の限り
「男でも愛したのかよぉ!」
「性別など
「え……?」
グイドは息を飲み、震える左手でディデリスの胸に
「性別は、関係ない?……男でも、愛した……?」
手首の無い右腕と震える左手の指先が、ディデリスの体をなでるように滑っていく。
「……ディデ兄、俺を、殺して……」
「”惨劇”の夜、アルテミシアを斬ったのはお前だな」
腫れて糸のようになったグイドの目を、ディデリスはじっと見つめた。
「そうだよ俺だよ」
膨れた唇が、うっとりとした笑みを浮かべる。
「毒息で皆倒れたのに、バシリウス様とあの
「アルテミシアも殺すつもりだったのか」
「いーや?ちょっと動けなくなってもらおうと思っただけだよ、全部失くしたあの
細い目に酷薄な色を見せて、グイドがせせら笑う。
「大切に大切に手の中に囲い込んで、誰の悪意も好意も寄せつけなかったアンタのおかげで、あの
全身に殺意を