窮鼠(きゅうそ)
文字数 3,045文字
トーラ王国、首都トゥクースには、貴族屋敷が多く集まる高台地区がある。
その趣ある建物が並ぶ、落ち着いた街並みのなかで一邸。
これでもかと当代流行りを取り入れた派手な屋敷が、異彩を放っていた。
その敷地内の庭園に建てられた東屋 から、城下通りを眺めていた男が、激昂 して立ち上がる。
「話が違うぞ、カーフ!」
間近で控える、鉛色 の目をした男が静かに頭を下げた。
「あれだけ金をせびっておいて、なんて役立たずどもだっ。仕方がない、少し早いが、我が部隊を出す。まず”混じり者王子”と”死にかけ王子”を殺せ。口実は何とでもなるだろう」
「かしこまりました」
ねっとりとした声で返事をしたカーフが、音も無く姿を消していく。
「馬車にいたのが混じり者の小僧だとは……。ヴァーリと老いぼれ外道 は、どこに行ったんだ」
「ここにいるぞ」
「え……、はぁっ?!」
「なんだ、バリエス・アッスグレン。お前が呼んだから返事をしたのに。何をそう驚く」
向けられる冷然とした青磁色 の瞳に、バリエスの体は縫い留められてしまったかのように動かない。
(なぜ、ここにコイツがいるのだ!)
黄褐色 の瞳が、うろうろと揺れた。
(門番と警備兵には、今日は猫の子一匹、屋敷に入れないよう厳しく命じてあったはずだっ)
「誰か!」
バリエスの怒鳴り声が辺りに響き渡るが、それに応える人影はない。
「アッスグレンの家兵 たちなら、先ほど王宮へ招いておいたぞ」
トーラ王ヴァーリが片頬だけで笑った。
「あまりに優秀なのでな。私を見て、いきなり偽王 呼ばわりをして剣を抜いてきた。愚かなほど勇敢 ではないか。……主 によく似てな」
バリエスがぎくしゃくと辺りを見回すと、遠く近く、襟元に王立軍章を光らせた黒い軍服たちがいる。
(いつから潜んでいたんだ?どこから聞かれて……)
バリエスの背中に嫌な汗が流れた。
「お前は家臣から呼び捨てにされているのか。大した王がいたものだ」
ヴァーリの背後から、威厳ある声が近づいてくる。
常緑樹の生垣 の影から姿を現したのは、アガラム伝統の長衣 を揺らし歩く、筋骨隆々 とした老大人 だ。
「嫌味をおっしゃるのはやめてください。こんな者は家臣でもなんでもありません。ただの逆賊です。捕えろ!」
ヴァーリの指示に、東屋 脇の植え込みが揺れる。
はっとして首を回したバリエスの目の前に、黒の襟巻 で顔を隠した軍服姿の男がふたり、影のように現れた。
(こ、こんな、近くにも?!)
膝を震わせるバリエスに向かって、ヴァーリはくぃとあごをしゃくる。
「バリエス、お前も王宮へ招待しようではないか。……捕縛しろ」
「ひぃっ、……ぐっ」
身を翻 したバリエスを、ふたりの兵士が難なく捕らえ、膝をつかせた。
「は、離せっ、離せぇ!くそぉ、この腰抜け王が!売国奴!貴族の権利を庶民に解放しようなどっ、下賤 の王め!」
「怒涛 の罵詈雑言だな」
憎々し気にヴァーリをにらみ上げ、唾を飛ばすバリエスに、老大人が苦笑いを浮かべる。
「さすがに、お前が気の毒になってくるぞ」
「貴方 に気の毒がっていただけるとは。こやつには褒賞でも与えましょうか」
軽口を叩きながら、バリエスに注がれるヴァーリのまなざしは冷たい。
「しかし、金で異国兵を雇い、使い捨てにする者に言われたくはないな」
「何だと!では、あの混じり者王子の部隊は何だ!外道 部隊じゃないか!……ぐふぅっ!」
素早く一歩踏み出たヴァーリの拳 が、上品な顔面にめり込んだ。
「レヴィアに流れるテムランの血は尊い。外道 部隊だと?ディアムド帝国の騎竜隊を率いるほどの血筋に、お前が勝てるとでも?」
「帝国?……騎竜隊?!」
口と鼻から血を垂らしながら、バリエス・アッスグレンが絶句する。
「そいつを牢に連れて行くのは待て。……見ろ、バリエス」
ヴァーリはバリエスのあごをつかむと、城下通りに顔を向けさせた。
「な……、な……」
繰り広げられている戦闘を見て、バリエスが一気に青ざめ震える。
「外道 部隊と言ったか。それほど見下す相手ならば、お前が戦ってみてはどうだ?」
ヴァーリの問いかけに、バリエスはガタガタと震え出した。
◇
王子たちが、華々しい凱旋を果たしたその日。
国王ヴァーリは昼を待たずに、「選定七重臣」に緊急招集をかけた。
騒動の元である、アッスグレン家当主エグムンドは、出席者たちから向けられる無遠慮な視線を無視して、余裕の表情で席についている。
「さて」
玉座に座るヴァーリが肘掛けに頬杖をつき、重臣たちを見回した。
「今朝の騒ぎは聞き及んでいよう、アッスグレン公。貴公の弟による騒動の説明を」
「バリエスは何と申しておりますか」
「ご招待している最中 だ。なんだ、エグムンド。お前は弟の口を借りないと、自家のことさえ話せないのか」
冷淡な王の口調に、重臣たちの間から密やかなさざめきが生まれた。
「いえ、愚弟 が勝手に仕出かした事件に関して、どう申し開きをしているか、と思いまして」
「勝手に?貴公は預かり知らぬとでも?」
「もちろんです。常日頃、あの野心に満ちた弟には手を焼いておりました。しかし、国王陛下」
薄い嘲笑 が混じるエグムンドの目は、弟バリエスとよく似ている。
「やっと休戦を結んだばかりのスバクル領主国に対し、融和政策などを取った末の、この争乱ではないですか?愚弟 とスバクルが、こうも簡単に結託するなど、隙があるにも、」
「時にエグムンド。アッスグレン家は、最近とみに栄達 目覚ましいが、当主は誰であったか」
とぼけ顔のヴァーリがエグムンドをさえぎった。
「当主?……私、ですが」
エグムンドの目が警戒に細められる。
「ふむ。当主は家臣を束ねるものだな」
「……はい」
「家臣が当主の知らぬところで悪事を働いた場合、主 が無能なのか、家臣の性質 が悪いのか。どちらだと思う」
「弟は家臣ではありません。愚か者とはいえ、身分は私と同等の貴族です」
「お前の家令はどこにいる」
「は?」
「カーフ・アバテだ」
その名をヴァーリが口にしたとたんに、エグムンドの眼球が揺れた。
「アッスグレン軍に王子たちを殺せとの命 を下したのは、お前の弟バリエス。そして、実際に動かしたのはカーフだ。貴公は、家令の所業も知らぬと言うか。当主の首はお飾りか?そういえば、お前の屋敷は飾り物が多いな」
「……その証拠はお有りで?」
「そこにいたからな、私自身が」
エグムンドが一瞬で蒼白となる。
「知らなかったというのなら、そのような無能は当主の器ではない。知っていたというのなら、弟と同じ逆賊だ。捕え、牢に入れろっ」
「は!」
玉座の後ろから、黒の襟巻 で顔を隠したギードが滑るように進み出て、もはや抵抗する気力も無いエグムンドを、引きずるようにして議場を出ていった。
残された六人の重臣は、その光景を声も無く見守るばかりである。
「さて」
ヴァーリは姿勢を正して、議場をぐるりと見渡した。
「王襲撃計画に関して、察知していたのは、我が息子の部隊だけだろうか。ほかに、事前に把握していた者はいるか?」
誰もいないかのように静まり返った議場に、王の声だけが朗々と響く。
「まあ、今さら知っていました、とは言えぬよな。知っていて傍観を決め込んでいたのなら、王家に対する反逆だ。なあ、聡明なる七重臣よ。……ああ、今ひとり減ったな」
唇に底知れぬ微笑みを浮かべたヴァーリの背後、議場控室へとつながる扉が、細く開いている。
その隙間からのぞく琥珀 の瞳が、王の最後の一言に顔色を変え、また身じろぐ者たちの姿を、逃さずにとらえていた。
その趣ある建物が並ぶ、落ち着いた街並みのなかで一邸。
これでもかと当代流行りを取り入れた派手な屋敷が、異彩を放っていた。
その敷地内の庭園に建てられた
「話が違うぞ、カーフ!」
間近で控える、
「あれだけ金をせびっておいて、なんて役立たずどもだっ。仕方がない、少し早いが、我が部隊を出す。まず”混じり者王子”と”死にかけ王子”を殺せ。口実は何とでもなるだろう」
「かしこまりました」
ねっとりとした声で返事をしたカーフが、音も無く姿を消していく。
「馬車にいたのが混じり者の小僧だとは……。ヴァーリと老いぼれ
「ここにいるぞ」
「え……、はぁっ?!」
「なんだ、バリエス・アッスグレン。お前が呼んだから返事をしたのに。何をそう驚く」
向けられる冷然とした
(なぜ、ここにコイツがいるのだ!)
(門番と警備兵には、今日は猫の子一匹、屋敷に入れないよう厳しく命じてあったはずだっ)
「誰か!」
バリエスの怒鳴り声が辺りに響き渡るが、それに応える人影はない。
「アッスグレンの
トーラ王ヴァーリが片頬だけで笑った。
「あまりに優秀なのでな。私を見て、いきなり
バリエスがぎくしゃくと辺りを見回すと、遠く近く、襟元に王立軍章を光らせた黒い軍服たちがいる。
(いつから潜んでいたんだ?どこから聞かれて……)
バリエスの背中に嫌な汗が流れた。
「お前は家臣から呼び捨てにされているのか。大した王がいたものだ」
ヴァーリの背後から、威厳ある声が近づいてくる。
常緑樹の
「嫌味をおっしゃるのはやめてください。こんな者は家臣でもなんでもありません。ただの逆賊です。捕えろ!」
ヴァーリの指示に、
はっとして首を回したバリエスの目の前に、黒の
(こ、こんな、近くにも?!)
膝を震わせるバリエスに向かって、ヴァーリはくぃとあごをしゃくる。
「バリエス、お前も王宮へ招待しようではないか。……捕縛しろ」
「ひぃっ、……ぐっ」
身を
「は、離せっ、離せぇ!くそぉ、この腰抜け王が!売国奴!貴族の権利を庶民に解放しようなどっ、
「
憎々し気にヴァーリをにらみ上げ、唾を飛ばすバリエスに、老大人が苦笑いを浮かべる。
「さすがに、お前が気の毒になってくるぞ」
「
軽口を叩きながら、バリエスに注がれるヴァーリのまなざしは冷たい。
「しかし、金で異国兵を雇い、使い捨てにする者に言われたくはないな」
「何だと!では、あの混じり者王子の部隊は何だ!
素早く一歩踏み出たヴァーリの
「レヴィアに流れるテムランの血は尊い。
「帝国?……騎竜隊?!」
口と鼻から血を垂らしながら、バリエス・アッスグレンが絶句する。
「そいつを牢に連れて行くのは待て。……見ろ、バリエス」
ヴァーリはバリエスのあごをつかむと、城下通りに顔を向けさせた。
「な……、な……」
繰り広げられている戦闘を見て、バリエスが一気に青ざめ震える。
「
ヴァーリの問いかけに、バリエスはガタガタと震え出した。
◇
王子たちが、華々しい凱旋を果たしたその日。
国王ヴァーリは昼を待たずに、「選定七重臣」に緊急招集をかけた。
騒動の元である、アッスグレン家当主エグムンドは、出席者たちから向けられる無遠慮な視線を無視して、余裕の表情で席についている。
「さて」
玉座に座るヴァーリが肘掛けに頬杖をつき、重臣たちを見回した。
「今朝の騒ぎは聞き及んでいよう、アッスグレン公。貴公の弟による騒動の説明を」
「バリエスは何と申しておりますか」
「ご招待している
冷淡な王の口調に、重臣たちの間から密やかなさざめきが生まれた。
「いえ、
「勝手に?貴公は預かり知らぬとでも?」
「もちろんです。常日頃、あの野心に満ちた弟には手を焼いておりました。しかし、国王陛下」
薄い
「やっと休戦を結んだばかりのスバクル領主国に対し、融和政策などを取った末の、この争乱ではないですか?
「時にエグムンド。アッスグレン家は、最近とみに
とぼけ顔のヴァーリがエグムンドをさえぎった。
「当主?……私、ですが」
エグムンドの目が警戒に細められる。
「ふむ。当主は家臣を束ねるものだな」
「……はい」
「家臣が当主の知らぬところで悪事を働いた場合、
「弟は家臣ではありません。愚か者とはいえ、身分は私と同等の貴族です」
「お前の家令はどこにいる」
「は?」
「カーフ・アバテだ」
その名をヴァーリが口にしたとたんに、エグムンドの眼球が揺れた。
「アッスグレン軍に王子たちを殺せとの
「……その証拠はお有りで?」
「そこにいたからな、私自身が」
エグムンドが一瞬で蒼白となる。
「知らなかったというのなら、そのような無能は当主の器ではない。知っていたというのなら、弟と同じ逆賊だ。捕え、牢に入れろっ」
「は!」
玉座の後ろから、黒の
残された六人の重臣は、その光景を声も無く見守るばかりである。
「さて」
ヴァーリは姿勢を正して、議場をぐるりと見渡した。
「王襲撃計画に関して、察知していたのは、我が息子の部隊だけだろうか。ほかに、事前に把握していた者はいるか?」
誰もいないかのように静まり返った議場に、王の声だけが朗々と響く。
「まあ、今さら知っていました、とは言えぬよな。知っていて傍観を決め込んでいたのなら、王家に対する反逆だ。なあ、聡明なる七重臣よ。……ああ、今ひとり減ったな」
唇に底知れぬ微笑みを浮かべたヴァーリの背後、議場控室へとつながる扉が、細く開いている。
その隙間からのぞく