ドルカの背信 -クラディウスの告白 2-

文字数 2,571文字

 ――アルテミシアを誘い出して、帰宅を遅らせろ――
 
 そうグイドに指示してから、もう四日。
 植え込みの影から、なんの動きもない赤竜軍司令部を見張っている。
 退勤時刻から半刻(はんこく)と限ってはいるが、成果のない日々に、疲ればかりがたまっていく。

(ドルカ家当主自らが出向いている、その重要性をわかっているのか。大体グイドの奴は……)

 物思いにふけるなか、隊長室の窓の向こうにグイドの姿を見つけた。

(やっとか!……おや)
 
 アルテミシアに近寄ったグイドの手の中に、紅色(べにいろ)の髪が見える。
 四日も焦らされたわりには、行動が早い。

(なんだ、やればできるではないか)

 グイドが髪を離して、アルテミシアの手を握ったようだ。
 だが、バシリウスの娘は座ったまま動かない。

(気の弱いヤツだからな)

 押し切れないのではと焦るが、なんとか立ち上がらせたようだ。

(おお、こうしてはいられない)
 グイドは女あしらいに慣れてはいないだろうし、いつアルテミシアの気が変わるかわからない。
 バシリウス邸へ向かうために、急いで大通りへと向かった。

 ドルカ領の二十年ものの酒を手渡すと、領袖(りょうしゅう)家ご当主バシリウスは、丁寧に頭を下げた。
「陛下献上品にも価するものを。ご配慮に感謝いたします」
 同じ人形のような顔だが、兄のルドヴィクよりは人間味があるだろうか。
 それに巻き髪のせいなのか、その真朱(しんしゅ)色のせいなのか……。
 いや、着ている隊長服のおかげだろう。いかにも「領袖(りょうしゅう)家当主」然として見えるのは。
「親子で陛下随行など、これほど名誉なことはないからな。同じ赤竜族の者として鼻が高い。さすがサラマリスだ」
 せっかく、思ってもいない世辞を言ってやったというのに。
「親子だから特別いうことはありません。アルテミシアは、竜騎士のひとりに過ぎない」
 動かない表情からは、謙遜ではなく、本気でそう思っているのが伝わってくる。

(そんなに愛着もないのであれば、さっさとドルカに嫁に出せばいいものを)

「竜の扱いは評価しています。ですが、ドルカ家のグイドも負けてはいないでしょう。以前、隊の増設を計画していたときに、グイドには打診をしたのです。断られてしまいましたが」

(なんだと?!)

「それは、グイドを第四隊長に、という話があったということか?」
「いえ、第三隊長です。アルテミシアが隊長を拝命する前に、グイドに……」
「なんで断った!」
 目の前にいるご当主様がグイドに見えてきて、思わず怒鳴ってしまった。
 だが、バシリウスは顔色ひとつ変えない。
「第二隊を出るなら、ディデリス隊長に認められてから、と」

(そういうところがダメなのだっ。グイドの奴め!)

「お顔色が悪い。どうなさいましたか?クラディウス伯父上」

(お前とは血などつながっていないだろう!嫌味かっ、忌々しい習慣だ!……いや、四、五代前か。その辺りまでさかのぼれば)

「迎えの者を呼びましょうか」
 柔らかい絡繰(からく)り音のような声で問われ、我に返った。
「いやいや」

(ここで送り返されてなるものか)

「もうひとりの誉れにも挨拶をしたいのでな。アルテミシアが戻るまで、双子の顔でも見てこよう」
「伯父上に失礼がないとよいのですが」

(ならばきちんと(しつけ)けておけ!特に、あの無礼者のラキスだっ。サラマリスだからと、皆が甘い顔をしおって)
 
 会うたびに悪態をつくガキを思い出しながら、苛立ちを隠して領袖(りょうしゅう)家ご当主様に頭を下げる。
「では、御前を失礼いたします」
 
 もうすぐ。もうすぐだ。
 ドルカ家が赤竜族の領袖(りょうしゅう)家になる。
 私がバシリウスに取って代わるのだ。

 子供部屋の扉を叩と「だあれ?」という可愛い声が返ってくる。

(これは妹のほうだな)

「クラディウス・ドルカだ」
「かえれ、くそじじぃ!」

(この憎たらしい声はラキスか)

「いっつもねえさまにイジワル言うから、おまえはキライだ!」
「意地悪などではない。年長者としての助言だ。土産の菓子を持ってきてやったぞ」
「ちゃんと夕飯食べられなくなるから、遅いおやつはダメってねえさまに言われてる。いらないから帰れ、くそったれ」

(なんという暴言だ。ひとつ年長者として説教を……、いやいや、ここは我慢だ)

「しかし、アルテミシアからの土産なんだがな。たまたま城下で会ったのだ。こちらに来る用事があると話したら、今日は少し帰りが遅くなるから、お詫びに渡してくれと頼まれた」
「ねえさまから?!どうぞお入りください」
「あっ!フェティ、だめってば!」
 ラキスの止める声を背に、フェティが扉を開けてくれた。
 深い紅色(べにいろ)の髪に鮮緑(せんりょく)の瞳のフェティは、アルテミシアに面差しはよく似ているが、直毛だ。
「久しぶりだな。建国祭以来か。ほら」
「でも、もうすぐ夕飯に呼ばれる時間です。あとでいただきます」
 菓子を差し出したが、フェティが礼を取って頭を下げる。

(ほぅ。妹のほうは礼儀を知っているではないか)

「多少なら構わないと、父上からも許可をもらっている。それに、これは城下の人気店の菓子だ。アルテミシアが自分も好きだからと、持たせてくれたのだぞ」
「ねえさまもお好きなの?……お父さまのご許可があるなら、えと、ちょっとだけ」
 おずおずと菓子を手に取ると、フェティは嬉しそうに食べ始めた。
「わあ、ほんとだ。おいしい!ありがとうございます、クラディウス伯父さま!」
「軽い菓子だ。夕飯にはさほど響かないだろう。ほら、もうひとつ、」
「ずるいぞフェティ!」
 部屋の奥から飛び出してきたラキスが、フェティの手の中にあった菓子を奪い取る。
「ねえさまが好きなら、僕だって食べるんだ!」
「あ、ラキス!」
 フェティの腕をよけたラキスはくるりと背を向けて、奪った菓子を口に詰め込んだ。
「おい、ラキス。まだあるから、」
 鮮緑(せんりょく)の虎の子のような目をして、ラキスが振り返る。
「ぜんぶ、僕が食べるから!」
 なんて可愛くないガキだ、と思った瞬間。
 たてがみのような紅色(べにいろ)の巻き髪を揺らして、ラキスが泥棒猫のように、持っていた袋をかっさらっていった。
「私にもちょうだいったら!」
「やだよー」
「待って!」
 部屋の中を駆け回るサラマリスの双子たちに、思わず口角が上がる。
 
 いくらでも暴れるがいい。
 いくらでも食べるがいい。
 もうすぐ、私に無礼な態度など許されなくなるのだから。
 赤竜族、いや帝国の誰もが、この私に頭を下げるようになるのだ。
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