凍える歌

エピソード文字数 4,574文字

 アルテミシアとの出会いを果たしたレヴィアは、彼女の体調に合わせて、薬湯(やくとう)を細かく調合できるようになった。
 食事もアルテミシアと直接話し合い、食が進みそうなものをジーグとともに用意をした。
 レヴィアの調理の腕前はかなりのもので、聞けば園丁がいたころに教わっていたという。それは七つか八つくらいのことだったと聞くとアルテミシアは心底驚き、どのように習得していったのか根掘り葉掘り、レヴィアがたじたじとなるほど質問攻めにした。 

 起きていられる時間も長くなってきたある日、アルテミシアがふとレヴィアにこぼした。
「夕べも、夜中途中で目が覚めた」
 小屋に閉じこもり、まだろくに体を動かすこともできない。
 そんな毎日に、頭の芯が冴えて、眠りの浅い日があるようだ。
 それを聞くとレヴィアは、寝る前に飲む薬茶の配合を教え、()れてみせた。
 
 アルテミシアの前に置かれた茶碗から、春の野原のような香りが立ち上る。
 口に含むと清涼味(せいりょうみ)が鼻に抜け、呼吸が楽になるようだ。肩の力が緩み、胸が広がっていく。
「ん…。美味しい。簡単なんだな。今度やってみる」
「簡単ではありませんよ。寝つけないときには、

お申し付け下さい」
 「私」を強調するジーグを、アルテミシアは不満そうに見上げた。
「自分でする」
「せっかく治った火傷(やけど)を新たに増やすおつもりですか。手当てをするのはレヴィアですよ」
 譲りそうもないジーグに、アルテミシアは(ほほ)をふくらませて黙り込んだ。
 つまらなそうな顔をしているアルテミシアを見て、火を使わずに薬茶を()れられるかどうかをレヴィアは考えてみるが、なかなかこれ、という方法は思いつかない。
「ジーグにやってもらう。レヴィアは心配しなくていい」
 難しい顔をしているレヴィアに気がついたアルテミシアは、安心させるように笑ってみせた。
 
 その日の夜。
 初夏とは思えないほど冷たい空気が、畑を包んでいた。
 北国トーラでも、さらに北限都市であるここトレキバ特有の寒気の戻りだ。
 植えたばかりの苗が寒風(さむかぜ)に当らないようにするため、レヴィアは夜の畑に戻ってきていた。
 苗を包む干し草を物置に取りに行こうとしたとき、小屋脇の作業台の上に座る、細い人影が目に入った。
 月明かりのもとで(ひざ)(かか)え、壁にもたれて夜空を見上げている。
「…ミーシャ?」
 まさかと思いながら呼びかけた。
 もう夜更(よふ)けだ。アルテミシアもジーグも、とっくに休んでいると思っていたのに。
「レヴィア?もう夜中だぞ。どうした」
 アルテミシアが体を起こした。
 大きすぎる下男用の作業着を(くく)って調節していて、まるで小さな子の寝巻のようだ。
 その姿は、いつもの彼女よりも幼く見える。
「ミーシャこそ。眠れない?お茶、()れる?」
 そばに寄ったレヴィアは、アルテミシアを心配そうにのぞき込んだ。
「ん。でも大丈夫。今、水場を使うと、ジーグを起こしてしまうから」
(ジーグは起きてると思うけどなぁ)
 レヴィアは小首を(かし)げた。
 あれだけ(あるじ)に尽くしている従者が、その抜け出した気配を見逃すとは思えないのだが。
 冷たい風が吹き降りてくる。
 畑を囲む木々が、黒々とした影絵のように揺れた。
「くしゅんっ」
 アルテミシアがくしゃみをする。
「これから、まだ寒くなるよ。もう、小屋に入ったら?」
 心配するレヴィアに、アルテミシアは首を横に振った。
「レヴィアは?これから何かするつもりか?こんな夜遅くに」
「苗が、寒風でだめになると、いけないから。…ちょっと待ってて」
 レヴィアは音を立てないよう気をつけて小屋に入り、ほどなくして、一枚の毛布を持って戻る。
 白地に青の幾何学(きかがく)模様が織り込まれた、柔らかそうな毛布だ。
「はい、これ」
 小さな手で握られた毛布がふわりとアルテミシアの肩に掛かり、体に巻きつけられた。
「暖かいな…。心地いい」
 アルテミシアは肌触りのよい織地に(ほほ)を当てる。
「園丁が、くれたんだ。まだ今日みたいな日もあるから、よかったら、使って」
 アルテミシアの縮こまっていた体が緩んだようだ。
 レヴィアはほっとしながら、干し草を取りに物置へと向かった。
 
 アルテミシアは鼻まで毛布に埋もれ、畑に迷い込んだ(うさぎ)のように動く小さな影を見守る。
 月光に照らされたレヴィアが身を起こす。
 アルテミシアが自分を見ているのに気がつくと、小さな手を振ってみせた。

「いつも、こんなに遅くまで作業するのか?」
 畑から戻ったレヴィアに、心配そうなアルテミシアの視線が向けられる。
「ううん。今日は、特別。…くちゅっ」
 ぶるりと体を震わせ、小さなくしゃみをするレヴィアは、まるで顔を(こす)栗鼠(りす)のようだ。
 アルテミシアは思わず笑い声を()らす。
「ふふっ…。ほら、おいで」
 巻いてもらった毛布ごと右腕を広げ、自分の横に来るようレヴィアに声を掛けた。
「ううん、もう行くから。…はっ、くちゅっ」
 慌てて立ち去ろうと背を向けたレヴィアが、またくしゃみをする。
「まだ眠くないんだ」
 寂しそうな声に振り返ると、月影が落ちるアルテミシアの姿はなぜだか薄く、頼りなさそうに見えた。
 暗い畑に残していくことが忍び(がた)くなる。
 レヴィアはためらいながら、アルテミシアから十分距離を取った作業台の端に、ちょこん、と腰掛けた。
 レヴィアが座ったと同時に、アルテミシアは素早くレヴィアに右腕を回す。
「えいっ!」
「わあっ!」
 レヴィアはアルテミシアにもたれ掛かるように体勢を崩した。
 そしてアルテミシアは逃げられないように、レヴィアを強く抱きしめる。
 その腕の中で、小さな体がたじろぎながらもがいていた。
「ほら、温かいだろう?誰かと一緒なら…」
 痛みを(こら)えるようなアルテミシアの声に、レヴィアは抵抗を止める。
「…そう、だね…。…ほんとだ。あったかい。そっか。誰かと、一緒なら…。母さまも、温かかったのかな…」
 独り言のような最後の言葉を聞き(のが)さず、アルテミシアは尋ねた。
「レヴィアのお母様は…」
「もうずっと前に、死んじゃった。ちょっとしか、覚えてないんだ。優しい声をしてた。なでてくれたと思うし、笑った顔も覚えてる、つもり…。でも」
 レヴィアの瞳は、思い出を(さぐ)り遠くなる。
「それは、僕がそうだったらいいなって、想像しただけかも。…だって、誰かと一緒だと、こんなに温かいって、…知らなかった…」
「レヴィア…」
 アルテミシアは小さな頭に手を添え、(ほほ)を寄せた。
「私は想像じゃないぞ。ここにいる」
 アルテミシアの白い手が、レヴィアのさらさらした黒髪をなでる。
「うん」
 されるまま、レヴィアは小さくうなずいた。
「私はここにいる。レヴィアと一緒にいる。ここで、生きている」
 アルテミシアが言葉を(つむ)ぐ。まるで、自分に言い聞かせるかのように。
「うん。ミーシャは、ここにいて、僕を、温めてくれている」
 レヴィアの小さな手がおずおずと伸ばされ、アルテミシアの指先に軽く触れた。
「ありがとう」
 アルテミシアを見上げるレヴィアの瞳に、満月が美しく映っている。
 (ほど)け切れない硬さが残っているレヴィアの大きな瞳を見つめ返しながら、アルテミシアの胸には、痛いほどの切なさが(あふ)れた。
 
 食事の仕度(したく)を手伝うレヴィアの手際(てぎわ)の良さに感心し、ジーグがその頭をなでようとしたときのことだ。
 大きな手が触れた瞬間、レヴィアは体を縮め、素早く両手で全身をかばった。
 ジーグは決して暴力を振るおうとしたわけではない。それはわかっていたはずだ。
 それでも、とっさに体が反応してしまったのだろう。
「あの、…あの。…ごめん、なさい。…もう、仕度(したく)終わったから。行くね」
 レヴィアはうろたえ、逃げるように小屋を飛び出していった。
「…何てこと…」
 アルテミシアは小さな背中が出て行った扉を見つめ、つぶやいた。
 レヴィアにとって他人の手は、優しさや愛情を届けてくれるものではなかったのだ。
 
 他人の温もりに「ありがとう」と言い、自分の(おび)えに「ごめんなさい」と言うレヴィア。
 細い肩に回されたアルテミシアの腕に力が込められた。
 アルテミシアの指先に添えられた、冷たかった小さな手が段々と温まっていく。
「レヴィアは…」
 アルテミシアは言葉を探す。
「優しい」「好ましい」。
 どれもしっくりとこない。
「レヴィアは、可愛いな」
 結局いつもどおりの言葉はいつものとおり、レヴィアをむすっとした顔にさせた。
 彼は普段あまり感情を表に出す性質(たち)ではない。だからその表情の小さな変化でさえ、アルテミシアには嬉しかった。
「レヴィアを見ていると、双子の弟妹(ていまい)を思い出すんだ」
 アルテミシアに寂しげな微笑が浮かんでいた。
弟妹(ていまい)?いくつなの?」
「…九つ。可愛かったんだ。本当に可愛くて…。なのに…。なのに助けてやれなくて…」
 慟哭(どうこく)を内包して、アルテミシアの声は微かに震える。
 もう、彼女は弟妹(ていまい)には会えないのだ。
 レヴィアは覚った。
 冷えた夜が深くなる中、無言で二人は寄り添い合う。
 ふと、レヴィアが口を開いた。
「…ミーシャ、僕、もうひとつ思い出せたよ。母さまの思い出。母さまの声を」
 アルテミシアの嘆きに、母の声がよみがえった。
「時々、歌ってた」
 夜空を見上げながら、細く高い声でレヴィアは歌い始める。
「懐かしく愛しい、(はる)かなる者。今は安らぎ、静かに眠る。愛を届け、祈り届け。苦しみも悲しみも、遠い世界。愛を届け、祈り届け」
 静かな異国の調べが夜に流れた。
「それはアガラムの歌?どんな意味?」
 (ささや)きに近い声で、アルテミシアは尋ねる。
「…遠くにいる大好きな人が、もう苦しまないで、安らいでいますように。愛と祈りを、届けて下さい…」
 レヴィアも吐息のような声で答えた。
「…もう一度歌って、レヴィ」
 アルテミシアがレヴィアの細い指先を強く握る。小さな雫がぽたぽたと毛布に散った。
 乞われるまま、レヴィアは寥寥(りょうりょう)とした声で歌う。
 何度も、何度も。
 レヴィアの献身が、アルテミシアの心と体の傷を包んでくれている。(あふ)れ出し叫びそうになる絶望を、()き止めてくれている。
(私は、生きているんだ)
 アルテミシアはレヴィアの体温で自分の命の在り()を思い、レヴィアの歌に自分の祈りを乗せた。
 
 それからしばらく、儚げな影が二つ。
 寄り添いながら、互いの温もりを分け合っていた。 
 小屋の中。細く開けられた木窓の脇には、大柄な影がひとつ。
 腕を組んで壁にもたれ、そっと目を閉じた。
 繰り返し歌う消え入りそうな声に、耳を傾け続けながら。
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