逆臣の竜騎士

文字数 4,767文字

 ロシュの首を巡らせたアルテミシアの隣に、ヴァイノが素早く黒馬を並べた。
「今日はホントに、もういいの?いつもは、もうちょっとボコるじゃん。”戦意喪失させたらこっちのもん”なんでしょ?」
 葦毛(あしげ)に騎乗するレヴィアもアルテミシアに続きながら、首を(ひね)る。
「でも、レゲシュも撤退がずいぶん早かったね。戦う気がなかったみたい。なのに、なんであの数の兵を出したんだろう」
「だから様子見だ」
 アルテミシアは立てた親指で背後を示した。
「あんなふうに、さも追ってくださいとばかりに逃げる奴らの尻に、うかつに乗るな。何が仕掛けられているか、わかったもんじゃない。レゲシュだけが相手ならまだしも、裏にイハウがいるからな」 
「それってさあ、ヤベーんじゃねぇの?」
「まあ、やべーな」
「どうすんの?」
「どうもしない。こっちには竜と、とびっきりの戦士たちがいるからな。よゆーだ」
「”とびっきり”のなかに俺も入っちゃう?やべー、うれしー」
「いや、お前は入ってない」
「そんなー」
 軽口の応酬をするふたりの間に馬を割り込ませて、レヴィアは

にらむ。
「……ミーシャ、そんな言葉を使うと、ジーグが怒るよ」
「にらむ相手が違くない?!てか、怒ってんのはデンカじゃん」
「怒ってない」
「ウソつくなっての」
「ははは!ふたりは本当に仲がいいな!」
「「なんで?!」」
 同時に叫んだレヴィアとヴァイノに、アルテミシアは含み笑いをする。
「ほら、仲良しだ」
「ちげーし。ってかさ、ヤベーのに、ふくちょはその装備のまんまでいいワケ?」
 ヴァイノは自分が身につけている甲冑と、アルテミシアの軽装を見比べた。
 
 自分たちの金属製の防具とは違って、アルテミシアは革製のものしか身につけていない。
 防具らしい防具といえば、金属板が貼られた胸当てくらいなのだ。

「竜騎士は攻撃特化型だからな。竜の負担になるから、あまり重い防具はつけないんだ。竜の防御は騎馬とは別物だということは、もうわかっただろう?」
「わかってる、けど。”何があるかわからないのが戦だ”って、自分で言ってたじゃん。竜から降りることだってあんじゃねぇの?肉弾戦になったらさあ」
「……そのときは竜騎士になってる。解除できるようにしておかないと」
「え?」
「よし、戻って各隊と作戦の練り直しだ。ヴァイノも参加してみるか?」
「え、いいの?!やったー!」
 顔を輝かせたヴァイノが、空に向かって(こぶし)を振り上げる。

 この戦が始まってから、アルテミシアは常にヴァイノをそばに置き、その経験を余すところなく教え込んだ。

「ヴァイノ、お前はきっと凄腕の戦士になる。(ひる)まずに進め」
 師匠からの激励にヴァイノは張り切り、時にジーグも(うな)るほどの目の良さを発揮し、竜騎士を補佐して戦った。

――雷竜(らいりゅう)の隣には、常に銀狼(ぎんろう)(はべ)る――
 
 スバクル陣営では、ヴァイノのことをそう称して警戒しているのだが、それはまだ本人は知らない。

「師匠ってば、やっとオレのこと認めたって、……ふくちょ?」
 いつの間にか、再びロシュの首を平原に向けたアルテミシアの横顔が硬い。
「ビゲレイド公!帰還は待て!」
 アルテミシアは強張(こわば)った声で命じると、クローヴァ軍の一隊に指示を出していたジーグに向かって、指笛を吹いた。
 弾かれたように振り返ったジーグに、アルテミシアの腕が勢いよく振られる。
 その動きを追って、平原向こうのレゲシュ陣営に目をやってから、ジーグが鋭い指笛を返して寄こした。
「……竜の気配がする。レヴィア殿下、スバクル隊に合流を。ビゲレイド公の指示に従ってください。ヴァイノ、お前はフリーダ隊長の下に付け」
 一瞬で竜騎士の顔になったアルテミシアが、剛毅の将の元へとロシュを走らせていく。
「レヴィア殿下を頼む!手筈(てはず)どおり、一兵として扱ってくれ!レヴィア、ヴァイノ!行け!」
「はい!……行くぜ、デンカ!気張れよっ」
「ヴァイノこそ!」
 張り詰めた空気をまとった若い騎士ふたりは、左右に別れて馬を走らせていった。 


 ドスン!ぐちょり……、バリン!
 踏みつぶし、潰れ、壊れていく。

「ぎゃああああ!」
「グゥゥゥゥゥ」
 重なる悲鳴、咆哮。
 
 つかの間の静寂。
 そして、また始まる悪夢。
 
 ダスダス!ザクっ!
「……ひっ、ひぃ~!た、たすけ、ぐぅぁっ」
 
 薄暗く狭い小屋の中で、恐慌をきたした男たちが逃げ惑っている。
 血の匂いが充満する室内から一刻も早く出ようと、すでに動かなくなってしまった仲間を踏みつけ、足を滑らせて転ぶ。
「ギィィィィィィ!ギュルゥゥゥゥ!」
 耳障(みみざわ)りな鳴き声が小屋に反響して、扉に手を掛けた男の背に、鋭い爪が突き刺さった。
「ぐあぁはっ」
 血を吹き出した男がのけぞり、目をむいたまま倒れていく。
 
 小屋の隅に立つ赤土色の髪をした青年が、その様子を冷えたまなざしで眺めていた。
『……眠り草を使うと、どうしてもね……』
 鉤型(かぎがた)(くちばし)の端から、引き千切った腕をだらりと垂らした生き物が、ゆっくりと振り返る。
 黒にも緑にも見える凶悪な目玉が、ぎょろりと(うごめ)いた。
『っ!グイド、様』
『こっちには来ないと思うけど』
 (ふところ)から取り出した布をグイドが軽い動作で振ると、黒緑の瞳がふいとそらされた。
『それは?』
 あからさまに安堵(あんど)した様子で、鉛色の目を持つ男が小首を傾げる。
『竜が先天的に嫌う植物があって、その匂いを染み込ませてある。閉じた空間か、間近でしか効果はないけど』
『何という植物で?』
『教えてもらえるとでも?』
 グイドは呆れたような笑顔を張りつけた。
『この布ならくれてやるから、調べてみれば。まあ、けっこうな種類の植物成分が染み込ませてあるから、どれが効くのか試してるうちに、竜の餌食(えじき)になってるだろうけど』
『……さすがは竜家。ところで、いい加減、この惨状を収めてはいただけませんか』
 小屋の出入り口付近で、まだ息のある兵士たちがうずくまり、震えている。 
『目が覚めたときに見たヤツを全部喰えば、とりあえず落ち着くよ』
『……そうおっしゃらずに』

――帝国では、人命は竜より軽い――
 
(イハウ連合国の密偵が言っていたことは、真実であったのだな)

 この酸鼻を極めた状況下、顔色一つ変えないグイド。
 頭を下げながら、(なまり)目の男は密かに戦慄する。

『契約外の竜を鎮めるには、”悪魔の雫”を使うしかないけど、あれは長く使うもんじゃないからなあ』
『トーラ竜騎士の身柄は、グイド様にお引渡しいたします』
『……アルテミシアを、俺に?』
 グイドが初めて(なまり)目の男、カーフレイと視線を合わせた。

 帝国から逃れたという、あの忌々しい騎士ふたり。
 とくに小娘のほうは、その生存に帝国皇帝も腰を上げるほどだと、密偵から教えられた。
 捕えた(あかつき)には、切り札として利用し尽くしてやる。
 ただ殺すだけはすまない。

(どうせ、この竜騎士はここで死ぬからな)

 出まかせの提案の効果をうかがうカーフレイの前で、グイドの肩が細かく震えだした。
『ディデ兄も連れ帰れなかった彼女を……。ふふ、ふふふ。ははっ、あっはははぁ!とうとう俺のモノにできるんだっ』
 グイドの指笛が、血なまぐさい小屋を貫く。
 今まさに、兵士の頭を(かじ)ろうとしていた、赤黒の(まだら)羽根を持つ竜が振り返った。
『どうぞお使いください』
『それは何?』
 カーフレイから差し出された小瓶を、冷暗なとび色の目が一瞥(いちべつ)する。
『”悪魔の雫”でございます。ご入り用と聞いて、準備させていただきました』
 その小瓶を受け取ったグイドは、ふたを開けて中身をひと嗅ぎすると、床に投げ捨て、軍靴で踏みにじった。
『上級品だね。ずいぶん値が張っただろう。でもさ、こんな濃度じゃ、わりとすぐ死ぬって知ってるんだろ?俺が死んだらここを収められないし、戦場にも出られない。捨て駒だって使いようだろうに』
 「捨て駒」と言い切ったグイドに、カーフレイは胸の内で息を飲む。

(この男は、すべてを理解したうえで、ここにいるというのか)
 
 人食い竜にも、命を軽んじられているとわかっていて、泰然としているグイドにも。
 これまで経験したことのない薄気味悪さを感じて、さすがのカーフレイの顔も青ざめていった。
 
――グイドは赤竜ドルカ家の者ではあるが、一介の竜騎士でしかない――

 イハウ連合国の協力者であるグリアーノ公は、確かにそう言っていた。
 しかし、これが

というのならば、竜騎士の水準の高さは異常だ。
 青年竜騎士の背後に、大陸の覇者たる帝国の姿が映し出される。
 グイドの底知れぬ不気味さは、ディアムド帝国が醸し出すものと同じだ。

 頭から冷や水を浴びせられたような思いで、カーフレイは機嫌のよい「捨て駒」、グイドを眺める。

『それに、”悪魔の雫”には使い方があってね。……ほら、おいで』
 (ふところ)から小瓶をふたつ取り出したグイドの指笛に呼ばれ、(まだら)竜がゆっくりと近づいてきた。
 竜の歩みに合わせて、じりじりと後ずさりをするカーフレイを、グイドが馬鹿にしたような笑顔で、ちらりと見やる。
『逃げろ逃げろ。そのほうがお利口さん、……くっ!』
 いきなり首を振り立て、竜は鋭い(くちばし)を開けてグイドに襲いかかった。
 それを紙一重でよけたグイドは、腰帯から抜いた小刀で竜の目の下に傷をつける。
「ギィ!」
 竜が顏をそらす(すき)に、グイドは素早く小瓶のふたを弾き、傷から垂れ落ちる血をすくい取った。
『……はぁっ、は、はぁ』
 瓶の中身を一気に飲み干すと、たちまちグイドの呼吸が荒くなる。
 そして、再び襲ってきた竜の口に、素早くもうひとつの小瓶を放り込んだ。
「ギ、しゃぁぁぁぁっ!……ギ、ギィィー!」
 喉を反らせて叫ぶように鳴く斑竜(まだらりゅう)の横で、グイドは自分の手首を小刀で切り裂く。
『よしよし、これで今日一日俺とお前は相棒だ、付け焼刃だけど、アルティを手に入れるまではよろしく頼むよ、お前だって会いたいだろう、なぁ?』
 手首に流れている血を竜に舐めとられながら、グイドはその(くちばし)をなでた。
『ほらこれでいいだろ、早く外に出してやれよ、それでもう戦場に出ていいんだよね、早くアルティを迎えに行かないといけないし』
 瞳孔が縮み、妙な早口になったグイドにひとつ礼をして、カーフレイは無言で小屋の扉を開ける。
「カーフレイ様!こ、これは……?う、うぐぅぅ」
 外で待機していた兵士が小屋内部を一目見るなり、そのあまりの惨状に口と鼻を片手で押えた。
「生きている者の手当てを。それでどうだ、釣れたのか」
「ぐぇ……、いえ、追ってもきません。……うぐぅっ……。む、向こうは引き上げる、様子」
 吐き気を堪えながらの報告を受けたカーフレイの、その眉間(みけん)が深いしわを刻む。
 
 どうもおかしい。
 イハウ連合国の情報通りに準備したのに、こちらの損害ばかりが広がっている。
 あの小娘と雷竜の能力は確かに高い。
 しかし、それにしても。
 竜の扱いも、指示通りだったはずだ。
 なのに、この体たらく。
 寄こされた竜と竜騎士を利用することが、本当に最善の策なのか。
 開戦直前に、トーラ王国がディアムド帝国と行ったという会談の内容も気にかかる。
 帝国はトーラ王国の竜を確認しただけだと、イハウ連合国の使者は言っていたが、それを証明するものなど何もない。
 手の内の駒は悪手か、妙手か。
 
 カーフレイは胸に湧き上がる焦燥を、無理やり抑え込んだ。
「再度出る。竜を先頭に出して、なんとしても、あの小娘を釣りだせ。あれさえいなければ、本陣で隠れている王子たちの首など容易(たやす)い」
 カーフレイが振り返ると、すっかり大人しくなった竜に、グイドが(くら)を乗せている。
『さあ行こうか、会いたいだろう、君も大好きだったものね、俺たちのリズィエに会いに行こう、誰のモノにもならない、あの()を手に入れよう』
 息継ぎもせずに言葉をほとばしらせながら、グイドは上機嫌で斑竜(まだらりゅう)に飛び乗った。
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