鎮魂の碑

文字数 3,537文字

 ご令嬢たちに囲まれるレヴィアを頭から追い出して。
 アルテミシアは「新しい街」の石畳を、ロシュの手綱(たづな)を引いて歩く。

(まあ、竜を連れていればそうなるわね。……帝国では、もっとあからさまだったけれど)

 声をかけられることはないが、絶えずよこされるチラチラした視線に帝国時代を思い出して。
 アルテミシアはやるせないため息をつく。
「護りの要、竜騎士を敬え」という帝国での風潮は、「竜騎士に逆らうな」とほぼ同義であった。
 アルテミシアはそう思う。

(敬うというより、恐れられていた。……でも、ここでは少し違うかしら)

 横を向くと、花売りの女性と目が合った。

(あら……)

 顔をそらされないばかり、微笑と会釈が送られる。

(スバクルの民は人が好いのね。ラシオンが特別なのかと思っていたけれど、もしかすると国民性なのかしら)

「ロシュは人気者だな。ほら、あの子なんか手を振っている。”……本当に、帝国とは違うのね……”」
 慣れない好意的な雰囲気がくすぐったくて、アルテミシアはうつむき気味に足を速めた。


 アルテミシアがディデリス率いる、第二隊の竜騎士であったころだ。
「家族を救ったお礼?私に?」
 訪問客を知らされたアルテミシアが、戸惑うのも無理はない。
 隊への進物(しんもつ)はよくあるが、個人への付け届け、しかも、普段戦場に出ないアルテミシアにとっては、初めてのことだったから。
 緊張した様子の青年から受け取ったのは、精緻な螺鈿細工(らでんざいく)の髪飾り。
 さっそくつけてみようとしたものの、目ざといディデリスに取り上げられてしまった。
「勤務中だぞ」
「でも、お礼だと言って、わざわざ届けてくれたのよ?」
「さっき受付に来ていたのはそれか……。山火事で逃げ遅れた家族を、お前が竜に乗せてやったのだったか」
「そうなの!私の初仕事」
「父親のほうが職人だと言っていたな。とても上質なものだが、しまっておけ。……そういうものが好きなら、俺がもっといいものを買ってやる」
「好きというか、せっかく届けてくださったご好意だもの。どうかしら、私に似合うと思う?」
「……ああ、とても可愛いかったよ」
 ディデリスはアルテミシアに髪飾りを返して、その頬をすっとなでる。
「ありがとう。退勤してからならいい?」
「……まあ、仕方ないな。そうだ、今日は俺も定時で上がる。一緒に帰るか」
「本当?珍しい!」
 見上げるアルテミシアの笑顔に、翡翠(ひすい)の瞳がふっと緩んだ。
 
 その帰り道。
 城下の小間物屋の前を通りかかったとき、アルテミシアを訪ねたあの青年が、店から飛び出してきた。
「リズィエ・アルテミシア!」
「あら、先ほどはありがとうございました」
 まとめ髪につけた髪飾りをアルテミシアが示すと、青年の顔が笑み崩れる。
「とてもよくお似合いで……、う……」
 突然、表情を凍りつかせた青年に、アルテミシアは目を見張った。
「あの、」
 顔を隠すように深く頭を下げる青年に、アルテミシアはどうしたのかを問うこともできない。
「行くぞ」
「……ええ」
 歩き出したアルテミシアは、もう一度だけ、頭を上げない青年を残念そうに振り返った。
「どうしたのかしら」
「思い出したのだろう」
「思い出す?」
「お前が竜騎士であることを。……

、竜騎士であることを」

――その無慈悲なること嵐の如し その苛烈なること鬼神の如し――

 アルテミシアの頭に浮かぶのは、人々から敬意と畏怖をもって(うた)われる「サラマリス詩歌」。
「……やっぱり、恐ろしいわよね……」
 力なく落とされた従妹(いとこ)の肩を、ディデリスが優しく抱き寄せた。
「叔父上にご挨拶をしていくか。エンダルシア公との外交成果も聞きたい。夕食の人数が急に増えても、大丈夫だろうか」
「一緒に食べていく?」
「ラキスは怒るだろうがな」
「ふふっ。でも、急だから、トリモチの(わな)は仕掛けられていないと思うわ。それに、フェティは喜ぶと思うの。ディデリスのことが大好きだから」
 笑いながら、それでもアルテミシアの頭からは、先ほどの青年の姿が離れない。
 

竜騎士だと知って、態度を変えられることはよくあることだけれど。
 贈り物が嬉しかっただけに、その変化に落胆を覚えた。


(そんなこともあったわね)

 懐かしさも寂しさも。
 すべてはもう、手の届かない遠い昔のこと。

「……さて」
 街外れまでくると、アルテミシアはつぶやきとともに思い出を振り払い、勢いをつけてロシュに騎乗した。
「行こうか、ロシュ!」
 アルテミシアの掛け声と指笛を耳にして、稲妻模様の竜が疾走を始める。
 目指すのは先の紛争時、トーラ国が陣営を張った小高い丘に建てられた石碑。

 首を切り落とされた斑竜(まだらりゅう)と、毒竜から抜け落ちた羽。
 そして、グイド。
 帝国であれば灰になるまで焼かれ、川にでも流されるのがせいぜいだろう。
 墓を作ることなど許されるはずもない。
 だが。

――ここであったことを、決して忘れちゃなんねぇからな――
 
 ラシオンはそう言って、それぞれの亡骸(なきがら)を埋葬して、石碑を建ててくれたのだ。

 公式には墓とはされていない石碑の前までくると、アルテミシアはロシュから降り立つ。
「流れた血は忘れない」
 碑に刻まれた言葉を、アルテミシアは声に乗せた。
 
 フェティ、ラキス、グイド。
 そして、自分の剣によって地に倒れた数多(あまた)の戦士たち。
 
 天に還っていった魂に思いを寄せると、体を巡る血がドロリと(よど)んでいくようだ。
 鎮魂の碑の前にたたずみ続ける竜騎士の、その長く紅い巻き髪を、平原を渡る風がなびかせる。

 不意に冷たい風を頬に感じて、アルテミシアは顔を上げた。

(すごい雲!いつの間に……)

 振り返れば、森の向こうに黒い雲が湧き上がっている。

――急な風が吹いたら気をつけろよ。スバクルの嵐はすげぇからな――

  ラシオンは脅かすように笑っていた。

――ちょっとの先も見えない雨になるんだぜ。んで、ぱっと止んじまうんだ――
 
 その言葉のとおり、黒雲は瞬く間に膨れ上がり、空を塗りつぶしていく。
 空模様の急激な変化に、アルテミシアは呆気(あっけ)に取られて空を眺め続けた。
 上空はあっという間に黒く染めあげられ、稲光(いなびかり)がそこここで生まれている。
 美しいような、恐ろしいような。
 アルテミシアは落ち着かない気持ちで、空を見上げ続けた。
 
 一閃の雷光が空を引き裂き。
 ぽつりと大粒の雨がアルテミシアの頬に当たった、と思った次の瞬間。
 滝のような雨がいきなり落ちてきた。
 
 バリバリっ! 
 ドォン!
 
 一際(ひときわ)大きな閃光(せんこう)が空を走り、間髪入れずに雷鳴が(とどろ)く。
 世界は一瞬だけ稲妻に浮かび上がり、また激しい雨に暗く閉ざされてしまった。
 
 不安そうなロシュをなだめながら(くら)に飛び乗ると、アルテミシアは急いで丘を下る。

――雷が鳴るときに、(ひら)けた場所にいてはなりません。窪地(くぼち)を探して、身を低くしていなさい――
 
 それはジーグの教えだが、街へと至る道は平原のただ中だ。

(今は戻れないわね。この嵐をどこかでやり過ごさないと。……そういえば)

 戦闘の際、塹壕(ざんごう)を作らせたことをアルテミシアは思い出す。

(まだ残っているかしら……)
 
 記憶をたどってロシュを走らせていると、ゴウゴウと音を立てて流れる濁流が行く手を阻んだ。

(最近、新しい街のために水路を整えたと聞いたけれど)

 これがそうかと思いながら、この濁流を越えることは、ロシュでも困難だとアルテミシアは思う。

(この川幅なら、必ず橋があるはず)

 目も開けていられないほどの豪雨と耳をつんざく雷鳴のなか、アルテミシアは川に沿ってロシュを走らせ続けた。
 
 石積みの橋が見えて、アルテミシアがほっと一息ついたとき。
「にーちゃん!にーちゃん!」
 雨音に紛れて、甲高い子供の声が耳に届いた。
 首を巡らせた上流の川岸に、幼い女の子の姿を見たアルテミシアはロシュを止める。
 襲いかかるような雨のなか、濁流に向かって叫ぶ女の子の視線をたどれば。

(あれはっ)
 
 激しい川波に浮き沈みする影に目を凝らせば、それは小さな黒い頭だ。
「ロシュ、急げ!」
 アルテミシアはロシュの手綱(たづな)を引いて合図を送り、土手を駆け下りる。
 そして、水際までくると(くら)から飛び降り、迷わず激流へと走り込んでいった。
 豪雨に負けない鋭い指笛を聞いたロシュは、濁流をかき分け歩き、岩をくわえては流れの中へと投げ始める。
 荒波にもまれ流されてきた木も、千切れ折れた枝も。
 ロシュは頑丈な(くちばし)で、楽々とくわえ上げた。
 次々にロシュが放り投げる岩や木々が、瞬く間に(せき)となって、川中に積み上がっていく。
 激しい水流に足を取られないよう気をつけながら、上流に目を遣れば。
 荒れ狂う川波の合間に、もがく小さな手が見える。

(間に合って!)

 急流に(あらが)いながら、アルテミシアは足を速めた。
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