鎮魂の碑
文字数 3,537文字
ご令嬢たちに囲まれるレヴィアを頭から追い出して。
アルテミシアは「新しい街」の石畳を、ロシュの手綱 を引いて歩く。
(まあ、竜を連れていればそうなるわね。……帝国では、もっとあからさまだったけれど)
声をかけられることはないが、絶えずよこされるチラチラした視線に帝国時代を思い出して。
アルテミシアはやるせないため息をつく。
「護りの要、竜騎士を敬え」という帝国での風潮は、「竜騎士に逆らうな」とほぼ同義であった。
アルテミシアはそう思う。
(敬うというより、恐れられていた。……でも、ここでは少し違うかしら)
横を向くと、花売りの女性と目が合った。
(あら……)
顔をそらされないばかり、微笑と会釈が送られる。
(スバクルの民は人が好いのね。ラシオンが特別なのかと思っていたけれど、もしかすると国民性なのかしら)
「ロシュは人気者だな。ほら、あの子なんか手を振っている。”……本当に、帝国とは違うのね……”」
慣れない好意的な雰囲気がくすぐったくて、アルテミシアはうつむき気味に足を速めた。
◇
アルテミシアがディデリス率いる、第二隊の竜騎士であったころだ。
「家族を救ったお礼?私に?」
訪問客を知らされたアルテミシアが、戸惑うのも無理はない。
隊への進物 はよくあるが、個人への付け届け、しかも、普段戦場に出ないアルテミシアにとっては、初めてのことだったから。
緊張した様子の青年から受け取ったのは、精緻な螺鈿細工 の髪飾り。
さっそくつけてみようとしたものの、目ざといディデリスに取り上げられてしまった。
「勤務中だぞ」
「でも、お礼だと言って、わざわざ届けてくれたのよ?」
「さっき受付に来ていたのはそれか……。山火事で逃げ遅れた家族を、お前が竜に乗せてやったのだったか」
「そうなの!私の初仕事」
「父親のほうが職人だと言っていたな。とても上質なものだが、しまっておけ。……そういうものが好きなら、俺がもっといいものを買ってやる」
「好きというか、せっかく届けてくださったご好意だもの。どうかしら、私に似合うと思う?」
「……ああ、とても可愛いかったよ」
ディデリスはアルテミシアに髪飾りを返して、その頬をすっとなでる。
「ありがとう。退勤してからならいい?」
「……まあ、仕方ないな。そうだ、今日は俺も定時で上がる。一緒に帰るか」
「本当?珍しい!」
見上げるアルテミシアの笑顔に、翡翠 の瞳がふっと緩んだ。
その帰り道。
城下の小間物屋の前を通りかかったとき、アルテミシアを訪ねたあの青年が、店から飛び出してきた。
「リズィエ・アルテミシア!」
「あら、先ほどはありがとうございました」
まとめ髪につけた髪飾りをアルテミシアが示すと、青年の顔が笑み崩れる。
「とてもよくお似合いで……、う……」
突然、表情を凍りつかせた青年に、アルテミシアは目を見張った。
「あの、」
顔を隠すように深く頭を下げる青年に、アルテミシアはどうしたのかを問うこともできない。
「行くぞ」
「……ええ」
歩き出したアルテミシアは、もう一度だけ、頭を上げない青年を残念そうに振り返った。
「どうしたのかしら」
「思い出したのだろう」
「思い出す?」
「お前が竜騎士であることを。……
――その無慈悲なること嵐の如し その苛烈なること鬼神の如し――
アルテミシアの頭に浮かぶのは、人々から敬意と畏怖をもって謳 われる「サラマリス詩歌」。
「……やっぱり、恐ろしいわよね……」
力なく落とされた従妹 の肩を、ディデリスが優しく抱き寄せた。
「叔父上にご挨拶をしていくか。エンダルシア公との外交成果も聞きたい。夕食の人数が急に増えても、大丈夫だろうか」
「一緒に食べていく?」
「ラキスは怒るだろうがな」
「ふふっ。でも、急だから、トリモチの罠 は仕掛けられていないと思うわ。それに、フェティは喜ぶと思うの。ディデリスのことが大好きだから」
笑いながら、それでもアルテミシアの頭からは、先ほどの青年の姿が離れない。
贈り物が嬉しかっただけに、その変化に落胆を覚えた。
◇
(そんなこともあったわね)
懐かしさも寂しさも。
すべてはもう、手の届かない遠い昔のこと。
「……さて」
街外れまでくると、アルテミシアはつぶやきとともに思い出を振り払い、勢いをつけてロシュに騎乗した。
「行こうか、ロシュ!」
アルテミシアの掛け声と指笛を耳にして、稲妻模様の竜が疾走を始める。
目指すのは先の紛争時、トーラ国が陣営を張った小高い丘に建てられた石碑。
首を切り落とされた斑竜 と、毒竜から抜け落ちた羽。
そして、グイド。
帝国であれば灰になるまで焼かれ、川にでも流されるのがせいぜいだろう。
墓を作ることなど許されるはずもない。
だが。
――ここであったことを、決して忘れちゃなんねぇからな――
ラシオンはそう言って、それぞれの亡骸 を埋葬して、石碑を建ててくれたのだ。
公式には墓とはされていない石碑の前までくると、アルテミシアはロシュから降り立つ。
「流れた血は忘れない」
碑に刻まれた言葉を、アルテミシアは声に乗せた。
フェティ、ラキス、グイド。
そして、自分の剣によって地に倒れた数多 の戦士たち。
天に還っていった魂に思いを寄せると、体を巡る血がドロリと澱 んでいくようだ。
鎮魂の碑の前にたたずみ続ける竜騎士の、その長く紅い巻き髪を、平原を渡る風がなびかせる。
不意に冷たい風を頬に感じて、アルテミシアは顔を上げた。
(すごい雲!いつの間に……)
振り返れば、森の向こうに黒い雲が湧き上がっている。
――急な風が吹いたら気をつけろよ。スバクルの嵐はすげぇからな――
ラシオンは脅かすように笑っていた。
――ちょっとの先も見えない雨になるんだぜ。んで、ぱっと止んじまうんだ――
その言葉のとおり、黒雲は瞬く間に膨れ上がり、空を塗りつぶしていく。
空模様の急激な変化に、アルテミシアは呆気 に取られて空を眺め続けた。
上空はあっという間に黒く染めあげられ、稲光 がそこここで生まれている。
美しいような、恐ろしいような。
アルテミシアは落ち着かない気持ちで、空を見上げ続けた。
一閃の雷光が空を引き裂き。
ぽつりと大粒の雨がアルテミシアの頬に当たった、と思った次の瞬間。
滝のような雨がいきなり落ちてきた。
バリバリっ!
ドォン!
一際 大きな閃光 が空を走り、間髪入れずに雷鳴が轟 く。
世界は一瞬だけ稲妻に浮かび上がり、また激しい雨に暗く閉ざされてしまった。
不安そうなロシュをなだめながら鞍 に飛び乗ると、アルテミシアは急いで丘を下る。
――雷が鳴るときに、開 けた場所にいてはなりません。窪地 を探して、身を低くしていなさい――
それはジーグの教えだが、街へと至る道は平原のただ中だ。
(今は戻れないわね。この嵐をどこかでやり過ごさないと。……そういえば)
戦闘の際、塹壕 を作らせたことをアルテミシアは思い出す。
(まだ残っているかしら……)
記憶をたどってロシュを走らせていると、ゴウゴウと音を立てて流れる濁流が行く手を阻んだ。
(最近、新しい街のために水路を整えたと聞いたけれど)
これがそうかと思いながら、この濁流を越えることは、ロシュでも困難だとアルテミシアは思う。
(この川幅なら、必ず橋があるはず)
目も開けていられないほどの豪雨と耳をつんざく雷鳴のなか、アルテミシアは川に沿ってロシュを走らせ続けた。
石積みの橋が見えて、アルテミシアがほっと一息ついたとき。
「にーちゃん!にーちゃん!」
雨音に紛れて、甲高い子供の声が耳に届いた。
首を巡らせた上流の川岸に、幼い女の子の姿を見たアルテミシアはロシュを止める。
襲いかかるような雨のなか、濁流に向かって叫ぶ女の子の視線をたどれば。
(あれはっ)
激しい川波に浮き沈みする影に目を凝らせば、それは小さな黒い頭だ。
「ロシュ、急げ!」
アルテミシアはロシュの手綱 を引いて合図を送り、土手を駆け下りる。
そして、水際までくると鞍 から飛び降り、迷わず激流へと走り込んでいった。
豪雨に負けない鋭い指笛を聞いたロシュは、濁流をかき分け歩き、岩をくわえては流れの中へと投げ始める。
荒波にもまれ流されてきた木も、千切れ折れた枝も。
ロシュは頑丈な嘴 で、楽々とくわえ上げた。
次々にロシュが放り投げる岩や木々が、瞬く間に堰 となって、川中に積み上がっていく。
激しい水流に足を取られないよう気をつけながら、上流に目を遣れば。
荒れ狂う川波の合間に、もがく小さな手が見える。
(間に合って!)
急流に抗 いながら、アルテミシアは足を速めた。
アルテミシアは「新しい街」の石畳を、ロシュの
(まあ、竜を連れていればそうなるわね。……帝国では、もっとあからさまだったけれど)
声をかけられることはないが、絶えずよこされるチラチラした視線に帝国時代を思い出して。
アルテミシアはやるせないため息をつく。
「護りの要、竜騎士を敬え」という帝国での風潮は、「竜騎士に逆らうな」とほぼ同義であった。
アルテミシアはそう思う。
(敬うというより、恐れられていた。……でも、ここでは少し違うかしら)
横を向くと、花売りの女性と目が合った。
(あら……)
顔をそらされないばかり、微笑と会釈が送られる。
(スバクルの民は人が好いのね。ラシオンが特別なのかと思っていたけれど、もしかすると国民性なのかしら)
「ロシュは人気者だな。ほら、あの子なんか手を振っている。”……本当に、帝国とは違うのね……”」
慣れない好意的な雰囲気がくすぐったくて、アルテミシアはうつむき気味に足を速めた。
◇
アルテミシアがディデリス率いる、第二隊の竜騎士であったころだ。
「家族を救ったお礼?私に?」
訪問客を知らされたアルテミシアが、戸惑うのも無理はない。
隊への
緊張した様子の青年から受け取ったのは、精緻な
さっそくつけてみようとしたものの、目ざといディデリスに取り上げられてしまった。
「勤務中だぞ」
「でも、お礼だと言って、わざわざ届けてくれたのよ?」
「さっき受付に来ていたのはそれか……。山火事で逃げ遅れた家族を、お前が竜に乗せてやったのだったか」
「そうなの!私の初仕事」
「父親のほうが職人だと言っていたな。とても上質なものだが、しまっておけ。……そういうものが好きなら、俺がもっといいものを買ってやる」
「好きというか、せっかく届けてくださったご好意だもの。どうかしら、私に似合うと思う?」
「……ああ、とても可愛いかったよ」
ディデリスはアルテミシアに髪飾りを返して、その頬をすっとなでる。
「ありがとう。退勤してからならいい?」
「……まあ、仕方ないな。そうだ、今日は俺も定時で上がる。一緒に帰るか」
「本当?珍しい!」
見上げるアルテミシアの笑顔に、
その帰り道。
城下の小間物屋の前を通りかかったとき、アルテミシアを訪ねたあの青年が、店から飛び出してきた。
「リズィエ・アルテミシア!」
「あら、先ほどはありがとうございました」
まとめ髪につけた髪飾りをアルテミシアが示すと、青年の顔が笑み崩れる。
「とてもよくお似合いで……、う……」
突然、表情を凍りつかせた青年に、アルテミシアは目を見張った。
「あの、」
顔を隠すように深く頭を下げる青年に、アルテミシアはどうしたのかを問うこともできない。
「行くぞ」
「……ええ」
歩き出したアルテミシアは、もう一度だけ、頭を上げない青年を残念そうに振り返った。
「どうしたのかしら」
「思い出したのだろう」
「思い出す?」
「お前が竜騎士であることを。……
サラマリスの
、竜騎士であることを」――その無慈悲なること嵐の如し その苛烈なること鬼神の如し――
アルテミシアの頭に浮かぶのは、人々から敬意と畏怖をもって
「……やっぱり、恐ろしいわよね……」
力なく落とされた
「叔父上にご挨拶をしていくか。エンダルシア公との外交成果も聞きたい。夕食の人数が急に増えても、大丈夫だろうか」
「一緒に食べていく?」
「ラキスは怒るだろうがな」
「ふふっ。でも、急だから、トリモチの
笑いながら、それでもアルテミシアの頭からは、先ほどの青年の姿が離れない。
サラマリスの
竜騎士だと知って、態度を変えられることはよくあることだけれど。贈り物が嬉しかっただけに、その変化に落胆を覚えた。
◇
(そんなこともあったわね)
懐かしさも寂しさも。
すべてはもう、手の届かない遠い昔のこと。
「……さて」
街外れまでくると、アルテミシアはつぶやきとともに思い出を振り払い、勢いをつけてロシュに騎乗した。
「行こうか、ロシュ!」
アルテミシアの掛け声と指笛を耳にして、稲妻模様の竜が疾走を始める。
目指すのは先の紛争時、トーラ国が陣営を張った小高い丘に建てられた石碑。
首を切り落とされた
そして、グイド。
帝国であれば灰になるまで焼かれ、川にでも流されるのがせいぜいだろう。
墓を作ることなど許されるはずもない。
だが。
――ここであったことを、決して忘れちゃなんねぇからな――
ラシオンはそう言って、それぞれの
公式には墓とはされていない石碑の前までくると、アルテミシアはロシュから降り立つ。
「流れた血は忘れない」
碑に刻まれた言葉を、アルテミシアは声に乗せた。
フェティ、ラキス、グイド。
そして、自分の剣によって地に倒れた
天に還っていった魂に思いを寄せると、体を巡る血がドロリと
鎮魂の碑の前にたたずみ続ける竜騎士の、その長く紅い巻き髪を、平原を渡る風がなびかせる。
不意に冷たい風を頬に感じて、アルテミシアは顔を上げた。
(すごい雲!いつの間に……)
振り返れば、森の向こうに黒い雲が湧き上がっている。
――急な風が吹いたら気をつけろよ。スバクルの嵐はすげぇからな――
ラシオンは脅かすように笑っていた。
――ちょっとの先も見えない雨になるんだぜ。んで、ぱっと止んじまうんだ――
その言葉のとおり、黒雲は瞬く間に膨れ上がり、空を塗りつぶしていく。
空模様の急激な変化に、アルテミシアは
上空はあっという間に黒く染めあげられ、
美しいような、恐ろしいような。
アルテミシアは落ち着かない気持ちで、空を見上げ続けた。
一閃の雷光が空を引き裂き。
ぽつりと大粒の雨がアルテミシアの頬に当たった、と思った次の瞬間。
滝のような雨がいきなり落ちてきた。
バリバリっ!
ドォン!
世界は一瞬だけ稲妻に浮かび上がり、また激しい雨に暗く閉ざされてしまった。
不安そうなロシュをなだめながら
――雷が鳴るときに、
それはジーグの教えだが、街へと至る道は平原のただ中だ。
(今は戻れないわね。この嵐をどこかでやり過ごさないと。……そういえば)
戦闘の際、
(まだ残っているかしら……)
記憶をたどってロシュを走らせていると、ゴウゴウと音を立てて流れる濁流が行く手を阻んだ。
(最近、新しい街のために水路を整えたと聞いたけれど)
これがそうかと思いながら、この濁流を越えることは、ロシュでも困難だとアルテミシアは思う。
(この川幅なら、必ず橋があるはず)
目も開けていられないほどの豪雨と耳をつんざく雷鳴のなか、アルテミシアは川に沿ってロシュを走らせ続けた。
石積みの橋が見えて、アルテミシアがほっと一息ついたとき。
「にーちゃん!にーちゃん!」
雨音に紛れて、甲高い子供の声が耳に届いた。
首を巡らせた上流の川岸に、幼い女の子の姿を見たアルテミシアはロシュを止める。
襲いかかるような雨のなか、濁流に向かって叫ぶ女の子の視線をたどれば。
(あれはっ)
激しい川波に浮き沈みする影に目を凝らせば、それは小さな黒い頭だ。
「ロシュ、急げ!」
アルテミシアはロシュの
そして、水際までくると
豪雨に負けない鋭い指笛を聞いたロシュは、濁流をかき分け歩き、岩をくわえては流れの中へと投げ始める。
荒波にもまれ流されてきた木も、千切れ折れた枝も。
ロシュは頑丈な
次々にロシュが放り投げる岩や木々が、瞬く間に
激しい水流に足を取られないよう気をつけながら、上流に目を遣れば。
荒れ狂う川波の合間に、もがく小さな手が見える。
(間に合って!)
急流に