茨姫の傷-秘密-

文字数 2,927文字

(うん、大丈夫。きっと話ができる……)

 ヴァイノから「おまえはふくちょの特別」と言ってもらったことで、レヴィアはアルテミシアの部屋を訪ねる勇気をもらった。

(痛み止めの薬茶をどうぞって言って、それからお菓子を出して……)

 頭のなかで計画を立てながら、レヴィアはアルテミシアの部屋の扉を叩く。
「……ミーシャ?」
 だが、室内からは何の応答もない。
 もう一度合図を送ってしばらく待ってから、レヴィアは静かに扉に手をかけた。
「ミーシャ、いる?」
 呼びかけてみるが返事はない。
 隙間から顔だけ出してみると、壁際に置かれた寝台の端で、丸くなっているアルテミシアの背中が見えた。

(寝てるのかな)

 足音を忍ばせて部屋に入ったレヴィアは、簡素な卓に茶器と菓子の乗った盆を置く。
「……ん……」
 うなされているような声に、レヴィアが振り返ったとき。
『やめて!駄目、駄目だったら!』
 ディアムド語で叫んだアルテミシアが、(さらし)で固定している腕を振り回し始めた。
「ミーシャ?!」
『どうしてっ?!どうして、ディデリス!』
「腕、そんなにしたらダメ、ぐっ……」
 体に触れた瞬間アルテミシアがひどく暴れて、レヴィアの胸を蹴り上げる。
「落ち着いて、ミ、ミーシャ。怪我、ひどくなっちゃう」
『やめて!イヤなのっ』
「ミーシャっ、ミーシャ!」
 なおもがくアルテミシアを抱きすくめて、レヴィアはその耳元でその名を呼び続けた。
「ミーシャ、ミーシャ。大丈夫、大丈夫だよ。怖いことなんてないよ」
「……レ、ヴィ……?」
 動きを止めたアルテミシアの瞳が、ゆっくりと開いていく。
「……レヴィ?」
「うん、僕だよ」
「レヴィっ」
「!」
 抱きついてきたアルテミシアの勢いに、レヴィアは寝台に尻もちをついた。
「あの、どう、したの?……痛いの?つらい?」 
 だが、いくら尋ねてもアルテミシアはただ首を横に振るばかりで、顔も上げない。
「……まだ痛いよね。大丈夫、大丈夫だよ、ミーシャ。きっと、すぐよくなるよ」
 レヴィアはゆっくりと、呼吸の速度でアルテミシアの背中を(さすり)り続けた。
 しばらくして、やっとアルテミシアの顔が上がる。
「……ありがとう。もう、大丈夫」
「ほんと?うなされてたよ?」
「うん。嫌な夢を見ただけだから」
「嫌な、夢?」
「うんと昔のこと。もうずっと忘れていたくらいだ。……迷惑をかけてすまなかったな」
 レヴィアから距離を取って、背中を向けて。
 アルテミシアは寝台を降りていく。
 その横顔に拒絶を見たレヴィアは、それ以上声をかけることはできなかった。
「ああ、お茶を()れてきてくれたのか。ありがとう」
 振り返ったアルテミシアは笑顔だったけれど。

(ああ、まただ)
 
 不自然なその作り笑いにレヴィアの胸がざわつく。
「……痛み止めの薬茶だよ。今、用意するね」
「ありがとう」
 支度をするレヴィアとは目を合わせないまま、アルテミシアは椅子(いす)に腰掛けた。
 
 無言で薬茶に口をつけたアルテミシアに、レヴィアはおずおずと皿を差し出してみる。
「あの、食欲はある?焼き菓子も、食べない?」
「ありがとう。……あ、おいしい」
 アルテミシアが口元を緩ませた。
「これ、

とは違う」
「ミーシャは、ちょっと苦いこの茶葉が、一番好きだから。でも、ミーシャだけだよ?これ好きなの。フロラもヴァイノも苦手って。……僕は、好きだけど」
「そうか。じゃあ、レヴィアと私専用だな」
「そうだね」
 二杯目の茶を飲みながら、迷うようなアルテミシアの瞳がレヴィアを見上げる。
「リズはどうしてる?(ひじ)、大丈夫かな」
「スヴァンの治療は最高だって、言ってたよ。”痛くないからって、そんなに動かさないでください!”って、スヴァンに怒られてた」
「リズを怒るなんてすごいな。さすが、レヴィアの弟子だ」

(あ、これは、本物の笑顔だ)

 小さな微笑に勇気をもらって、レヴィアは手にしていた茶碗を卓に置いた。
「あの、何があったの?ミーシャが喧嘩(けんか)、するなんて」
喧嘩(けんか)?」
「ヴァイノが」
「ああ、らしいこと言うな」
 苦笑いを浮かべたアルテミシアが、長いため息をつく。
「あれは喧嘩(けんか)じゃない。勝負、かな。リズワンに反抗すると、いつもああなる。今のところ三戦三敗だ。今日は本当に危なかった。(あばら)の二、三本はいくかと思った」
「三回も?前の二回は、大丈夫だったの?」
「さすがに八つのころだったから、リズも手加減してくれたよ。たんこぶができて、首根っこをつかまれて、崖際で()るされた程度」
「て、程度。……リズワンは、本当に厳しいね」
「だろう?レヴィアもリズに反抗するときには、大いなる覚悟をしてからにしないとな」
「今日は、なんで反抗したの?」
「……リズは遠慮なんかしない人だから。とことんまっすぐで優しい。憧れの人なんだ」
 それきり、アルテミシアは目を床に落として黙り込んだ。

(……聞きたいのは、そんなことじゃないよ、ミーシャ)

 レヴィアはアルテミシアを見つめ続けるが、いくら待ってもその瞳は戻ってはこない。
「リズと顔を合わせるのは気まずい。今日は食事、部屋でとる」
 不自然な姿勢のまま、アルテミシアは薬茶を飲み干した。
「……そう。あとで、持ってくるよ」
「ありがとう。それから、この腕だから明日の鍛錬(たんれん)は休む。クローヴァ殿下をよろしく」
「逃げ出さないように、兄さまの部屋の前で、寝ようかな」
 冗談を言うレヴィアに、やっとアルテミシアが顔を向けてくれた。
「ふふっ、それがいい。……疲れたから、少し休むよ」

(……ひとりにしてほしいのかな)

 アルテミシアの要求を感じ取ったレヴィアは、痛む胸を堪えて立ち上がる。
「お茶、まだ入ってるから。よかったら飲んで」
「……本当に、ありがとう……」
 聞き漏らしそうな感謝を悲しく聞きながら、レヴィアは後ろ手で静かに扉を閉めた。

「……ふぅ。……?!」
 廊下に出たところで、気配もなく佇んでいたジーグに気づいて、レヴィアは息を飲む。
 声をかけようとするよりも早く、ジーグはまなざしで部屋の様子を問うた。
「……」
 無言で首を横に振るレヴィアの背中を、ジーグが労わるように叩く。
 そして、眉を下げるレヴィアの頭をひとつなでると、促すように首を傾けた。
 
 廊下の角を曲がったところで、数歩先を歩いていたジーグがレヴィアに並ぶ。
「怪我の程度は?」
「しばらく動かさなければ、大丈夫だと思う」
「そうか。リズィエはどうしていた?」 
「……」
 返事のないことを不審に思ったジーグが振り返ると、レヴィアはうつむき立ち止まっていた。
「レヴィア?」
「ディデリスって、誰?」
「……どうして、その名を」
 瞳を揺らすジーグにレヴィアの胸がざわつく。
「さっき、ミーシャがうなされてた。やめてって。駄目だって」
「そう、か。……リズィエは、何か言っていたか?」
「昔の、嫌な夢を見たって」
「それだけか?」
「……うん」
「そうか。では、私から話すことは何もない。食事はどうすると言っていた?」
「部屋で、食べるって」
「わかった」

(これ以上は、きっと答えてくれないな……。トレキバではあんなに楽しかったのに)

 どうしてこうなってしまったのか。
 何がいけなかったのか。

 早足で歩くジーグの背中を追いながら、レヴィアは心細さに泣くたくなった。
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