あなただけが知らない‐1‐

文字数 2,367文字

 豪傑ふたりに涙を流させた翌日。
 
 ずっと働きどおしだったメイリに休暇を取らせて、アルテミシアは独り竜舎を訪れた。
 日差しを浴びた紅毛(あかげ)きらめくアルテミシアが、一歩竜舎に入ったとたん。
「グるるるるるぅ」
 スィーニの唸り声と、ダスダス、ダスダスと二頭の竜が足踏みする音が聞こえてきた。
「ほんっとうに、ごめん!」
 鼻息も荒い青竜の前に立ち、紅毛(あかげ)の竜騎士は頭を深く下げる。
「クるっ!ぐぐぐぐるう」
「そうだな。遠乗りに行こうと言っておいて、またすぐに怪我をするなんて。確かに私は馬鹿だ」
 スィーニが間近に顔を寄せて、じぃっとアルテミシアを見つめた。
「クるるる。クーぅる」
「クルルルゥ、クルルルゥ」
 隣の竜房のロシュもスィーニに合わせて、アルテミシアを責めるような鳴き声を上げる。
「うん、心配をかけた。悪かった」
 許しを請うようにアルテミシアが手を差し伸べれば。
 バスン!と音がするほど勢いよく。
 スィーニがアルテミシアの胸に頭を擦りつけてくる。
 隣の竜房からはロシュがうんと首を伸ばして、アルテミシアの髪をくわえて引っ張った。
「うん、よしよし」
 真っ赤な冠羽が揺れる青藍の頭を片手で強く抱きしめ、アルテミシアはもう片方の手で漆黒の首をなでる。
「そうか。怖かったのか。……私はロシュにさよならを言ったのだものな。スィーニは死にそうな私を乗せて飛んでくれた。……同じなんだな」
 
 いつでも死ぬ覚悟があった。
 命を投げ出し戦うことで、すべてが解決すると思っていた。
 だが、あの鷹と虎に刻まれた悲嘆に触れて……。
 互いの覚悟があったとしても、そこに至上の愛があったとしても。
 喪失を抱え生きる者は、つらいのだと知った。

「死を恐れず戦いさえすれば、役目を果たしているのだと思っていた。だって、そう教わったから」
 ぐいぐいと頭を擦りつけてくるスィーニをなでながら、アルテミシアはつぶやく。
(のこ)された者の気持ちなど、考えたこともなかった。私が死んで、悲しむ者がいるなんて……」

 国を、民の命を守ることが使命だと思っていたから。
 帝国から逃れるまで、人の想いなど気にしたこともなかった。

(アスタはきっと、それを怒っていたのね。あの子の気持ちを想像すらしなかった。それは、アスタの存在を無視するのと同じ……)

「リーラ妃殿下、いやレヴィのおかあ、じゃなくて」
 虎のまなざしをする(うるわ)しい人が、常に聞いているような気がして。
「お母さまは」
 アルテミシアは慌てて言い直した。 
「最後まで戦った。薄暗い望みを持つカーフに狙われながら、それでも最後まで生き抜いたんだ。大切な人のもとへと戻る希望を捨てはしなかった」

(私は帝国にいたころ、何かを望んで戦ったことなど、あったかしら)

「……リーラお母さまは、強くていらっしゃるな」
 アルテミシアはスィーニの首をぎゅっと抱きしめる。
「クるぅっ」
「わぁ、やったな、スィーニ。よし、これでどうだ!」
「クるっ」
「クルル、クルル」  
 赤竜騎士と青竜は押し比べをしながらふざけ合い、その隣では雷竜が、嬉しそうに甘え鳴きを繰り返した。
「今度こそ遠乗りに行こう!レヴィを誘うよ」
「クルルルるぅ~」
「あれ?スィーニは舌を巻けるのか!」
 「しまった」という顔をして、スィーニはふぃっと目をそらす。
「可愛い奴だな。レヴィに合わせてるんだな?大丈夫だぞ。今はレヴィも完璧に発音するし。親の鳴き真似もきっとできる。……竜仔はもう、育てないかもしれないけれど」
 
 トーラの竜をどうしていくのか。
 迫る合議での大きな議題となるだろう。
 アルテミシア自身、まだ答えは出ていない。
 レヴィアに相談したところ、「ミーシャが思うようにすれば、いいんじゃないかな」と言ってくれたのだが。

(もう一度レヴィアに相談を……。でも、レヴィアは最近、ちょっとおかしいから)

 スィーニをなでていた手を止めて、アルテミシアは青竜にもたれかかった。

 その話題を出したのは、各領主家との話し合いで時間が押して、ふたりきりで遅い夕食をとっていたときのこと。

(べつに嫌ではなかったけれど、でも、だって……)

 思い出せば、こそばがゆくて。
 アルテミシアは赤くなった顔を、スィーニの青い羽根に埋めた。
 

「私の采配でいいんだろうか。トーラ王国の防衛と外交に直結するんだぞ」
「ミーシャは絶対、竜にもトーラにも悪いようにはしないでしょう?……これ、ミーシャが好きだって言っていたお魚だよ。はい、召し上がれ」
 手製の料理をアルテミシアの皿に取り分けながら、レヴィアはクスリと笑う。
「貴女ほど、誰かのために身を尽くす人はいないし。そんな人が決めたことに、反対なんてあるわけないじゃない。……あ、ついちゃってるよ」
 アルテミシアの口元をゆっくりと親指でなで上げたかと思うと。
 レヴィアはその指をぺろりと舐めた。
「な!……なに、やって……」
 その仕草に胸が騒いで、たしなめようとしたアルテミシアだが。
「だって、つけたまま食べるの、お行儀悪いでしょう?」
 
 出会ってから、もう二年を超える。
 背も伸びて、すっかり剣士の体つきになって。
 顔立ちも精悍になったというのに、きょとんとする様子は昔のまま。

「教えてくれたら自分で拭いたっ」
 思い出と現在のレヴィアの落差に、アルテミシアはオロオロするばかりだ。
「お魚、おいしくない?」
「おいしいけどっ」
「おいしいなら食べなきゃ。……もったいないでしょう?」
「そういう問題?!」
「嫌、だった?」
 シュンとうなだれるレヴィアを見れば、アルテミシアは怒ることもできない。
「嫌じゃない。ただ……」
「ただ、なあに?」
 瞬きもせずに見つめてくる、そのまなざしを受け止めきれなくて。
 慌てて水の入った杯を(あお)ったアルテミシアは、うっすらと笑って目を細めるレヴィアには気がつかなかった。
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