寄り添う想い-2-

文字数 2,836文字

 朝も早いうちから、ヴァイノは落ち着きなく庭を歩き回っていた。
「ヴァイノ」
「ふ、ふ、ふくちょ?!え、いつ?いつ帰ってきたの?」
 ぴょん!と飛び上がりながらヴァイノが振り返る。
「昨日、遅くにな」
「んだよ~、オレ、すっげぇ心配したっ」
 泣きべそをかきながら、ヴァイノは旅装束(たびしょうぞく)の袖をつかんだ。
「らしいな。すまなかった」
「オレ、ごめんって言いたかったのにさぁ」
「そうか」
「オレ、考えなしで、ほんとに」
「わかったよ」
 銀髪の頭にアルテミシアの手が乗せられる。
「オレさ、ほんとに悪かったって」
「しつこいぞっ」
 さらにまとわりついてくるヴァイノに、とうとうアルテミシアがキレた。

 ゴツン!

「いってぇっ!」
 かなりの勢いで拳骨を食らったヴァイノが、頭を(かか)えてしゃがみ込む。
「お前の気持ちは受け取った。これ以降は言葉ではなく、行動で示せ」
「うぅ~、はい……」
 ヴァイノの腕をつかんで立ち上がらせると、アルテミシアはその銀髪頭をぽんぽんとなでた。
「そういえば、お前に似た子犬を飼っていたことがあるぞ。いくら教えても”待て”ができなくてな」
「えぇ~、子犬ぅ~?」
 眉毛を八の字にして見上げるヴァイノは、ますます子犬に似ている。
「でも、足は速かったし、何より勇敢だった。ヴァイノも負けるなよ」
「はい!!」
 比べられたのは子犬ではあるが。
 ヴァイノはアルテミシアが吹き出すほど元気よく返事をした。


「あのときは、ちょっとした騒ぎだったな」
 潤んだ瑠璃(るり)色の瞳と下がった銀色の眉を思い出しながら、アルテミシアはくすくすと笑う。
「まったくな。それにしても、ほんとにレヴィアは陛下に似てたんだぜ。でも、あのツンケン姫は……」
「さて、早く戻らないと日が暮れる。

陛下が離宮でお待ちだぞ」
 トーラの姫君にはまったく興味がないリズワンが、すげなく(きびす)を返した。
「お戻りの影武者陛下が、すぐにまた王宮から姿を消したと知ったら、ツンケン姫はどうするだろうねぇ」
 ラシオンはおかしそうに肩を揺らして、先を行くリズワンに並ぶ。
「第一王子の

も、そろそろ各方面に知れ渡るころだろう」
「そして、離宮に行こうとする馬車は

車輪が外れる。陛下の側近は優秀だな!」
 ニヤリと。
 三人は同じ顔で笑い合った。

 その夜。
 ひざまずくアルテミシアとジーグを前に、レヴィアは離宮客間に座るヴァーリの隣に立っていた。
 当然レヴィアもふたりと一緒に膝をつこうとしたのだが。
 懐かしい園丁、ギード・ダウムに襟首(えりくび)をつかまれ、ヴァーリの隣に連れていかれたのだ。
 
 そのギードはヴァーリの少し後ろで、影のように(たたず)んでいる。
「どうか顏を上げてほしい。クローヴァの件も含め、心から礼を言う」
 国王が騎士ふたりを(ねぎら)った。
「お礼申し上げるのは私共(わたくしども)です。急な願いにも関わらず、竜舎までご建造いただきました。そのご厚情には、どれほど感謝してもしきれません」
 ジーグの言葉に、ヴァーリは軽い笑みを見せる。
「何を言う。宝を山のように(かか)えて訪れてくれた友人に対し、誠意を尽くさずにいられようか。さて、依頼の件だが」
 ヴァーリはギードから革製の綴帳(つづりちょう)を受け取ると、アルテミシアに手渡した。
 トーラ国民の権利を約した書類が、フリーダ隊全員分入っているのを確認したアルテミシアは、深く頭を下げる。
「それと、貴女(あなた)の新しい名だな」
「はい」
「しかし、本当にサラマリスを捨ててよいのか。ディアムド帝国でサラマリスといえば、赤竜一族の領袖(りょうしゅう)家。帝国では首座(しゅざ)貴族であろう」
 『サラマリス』と聞いたギードが、目を見開いてアルテミシアに首を向けた。
「お聞き及びかと存じますが、我がサラマリス家は殲滅(せんめつ)され、私は帝国を出ざるを得ませんでした。そして、トレキバにて、レヴィア殿下のご慈悲をいただきました。……レヴィは独りぼっちで、人の手を怖がっていたのに……」

(もう、ずっと前のことみたい……)

 父王と元園丁ギードの隣で。
 レヴィアはひとり逃げていた、他人の手が怖かった”あのころ”を遠く思い出していた。
 
 使用人たちから向けられた(さげす)みの視線、侮辱(ぶじょく)の言葉。
 何もわからず、もしくは些細(ささい)な理由で受けた折檻(せっかん)
 
「私の手を恐れなくなってから」
 ぼんやりと思い出に浸っていたレヴィアは、はっとしてアルテミシアに目を戻す。
「これ以上、殿下に痛い思いはさせないと心に誓いました。殿下が受けるべき痛みは私が背負います。殿下を守るため、帝国には戻りません」
 きっぱりとした宣言に、レヴィアは心を震わせた。
 
 自分が何者かも知らないままに、ためらいもなく「守る」と言ってくれたアルテミシア。
 そして、知ってからも変わらずに、同じ言葉を贈ってくれる。

「僕はミーシャが、もうあんな怪我をしないといいなって、思ってる。そのためにもし、必要な痛みがあるのなら、貴女(あなた)ひとりに背負わせたりしない。ありがとう、ミーシャ」
 
 満月の笑顔を浮かべるレヴィアに、ヴァーリは目頭が熱くなった。

(この子はもう、ひとりではない)

 八方ふさがりの状況で、十分に手を差し伸べる方策もなく。
 そんな厳しい状況のなか得た縁が、結ばれた絆が、この閉塞した国を動かすかもしれない。

(その先にあるのは、どんな景色だろうか)

「一緒に見たかったな、リーラ」
妃殿下(ひでんか)はいつでも、陛下のお(そば)にいらっしゃいますよ」
「……そうだな」
 ヴァーリとギードには、(ほが)らかに笑いながら若者たちを見つめる、美しい人の姿が見えるようだった。

(リーラ。……リーラ・テムラン)

 愛しい人の名を心で呼びながら、ヴァーリはアルテミシアに微笑みかける。
「新しい名だが、テムランではどうだろうか」
「ですが、テムランは……」
 戸惑うアルテミシアに、ヴァーリは(ふところ)から出した書状をレヴィアに渡した。
「近々アガラム王国より、テムラン大公がお忍びでいらっしゃるご予定だ」
 受け取った書状を開き、読み進めるレヴィアの目が丸くなっていく。

――返事が遅い。無能王と呼ぶぞ。息災(そくさい)でやっているのか――
――早くレヴィアに会わせろ、この(たわ)け者が。父子(おやこ)でいるところを見せてみろ――

 乱暴なアガラム語の奥に、あふれる親愛の情が透けて見える。
 そして、手紙の最後には「”テムラン一族に加わる騎士がいることを、大変光栄に思う”」と結んであった。

「ミーシャ、テムラン大公は、光栄だって」
「お前の祖父だぞ。テムラン

などと他人行儀に呼んでみろ。大泣きをする。鬱陶(うっとう)しいから”おじい様”と呼んでやってくれ」
「うっとう……しい……?」
 長いまつ毛を(またた)かせるレヴィアの耳に、ギードが口を寄せる。
「ヴァーリ様は、お若いころは、ほとんどトーラになどおりませんでした。アガラムは気に入られて、特に長く。大公とは旧知の仲です。”放浪王子”と呼ばれ……」
「ギード。それ以上しゃべるなら、いろいろ覚悟をしておけ。……酒が飲める年齢になったら、レヴィアには私から話そう」
 口元に微笑みを浮かべたヴァーリが、レヴィアをちらりと振り返った。
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