父と子-2-
文字数 2,785文字
雪に埋 もれた中庭を見渡せる広間に入ると、父親は腰に帯びていた剣を抜き、その刃を確認するように目の前にかざす。
「ふむ、審判役がいないな。……誰もついてこなのか」
「僭越 ながら、私が務めさせていただきます」
独り言のような父親のつぶやきに応えたのは、小雪舞う庭に立っている、黒装束を着た大きな男だった。
男は掃出 し窓から広間に入ると、父子 に一礼する。
「お側に寄っても?」
「許す」
男は敵意を持たないことを示すかのように、ゆったりとした足取りで父子 に近づき、膝をついた。
「貴君が、息子の新しい師でおられるか。どうか顏を上げてほしい」
「はい。この度はご拝顔の栄誉を賜 り、光栄にございます。トーラ国王、ヴァーリ陛下」
「……え?」
なんの冗談かとレヴィアは目を丸くするが、ジーグの目は「国王」と呼んだ父親からそらされることはない。
「殿下にご身分を明かせずにいらしたご事情は、今なお?」
「うむ。……事情はそちらにもありそうだが。
国王の視線がジーグの琥珀 の瞳と、片手で支えている大剣 に向けられた。
「ないとは申しません。そして、その状況下、レヴィア殿下に命を拾っていただきました。これ以降、全力でお仕えをする所存でおります」
「頼もしいことだ」
レヴィアの父親である、トーラ国王が目元を緩ませる。
「では、早速ではあるが、貴君が授けたという剣術を見せてもらおう。レヴィア、お前の剣を」
「今、お持ちいたします」
旅装束 の頭巾 も目深 な、襟巻 で顔半分を隠した人物が、身軽な動作で庭から広間に入ってきた。
剣を片手に持つ旅装束は国王に略式の礼をとると、レヴィアの前に膝 をつき、その顏を上げる。
「……あの子は、あんなふうに笑うのか……」
思わずつぶやいた国王が見守る先で、レヴィアは口元をほころばせて、旅装束とうなずき合っていた。
「始め!」
ジーグの合図で、父子 が剣を抜き去る。
どちらもけん制などせず、真っ向から攻め合っていく。
金属がぶつかり合う鋭い音が、絶え間なく広間に響き渡った。
風圧を感じるほどの勢いで踏み込んでくる父親の剣。受け止め、斬り返す息子の刃 。
間近で視線を絡ませた父子 の剣がぎりり、と交わる。
父親が剣を引くと拮抗していた力が崩れ、姿勢を崩しかけた息子が、その身を素早く翻 した。
追う黒の軍服が躍動し、かわす白銀の裾 が舞い上がる。
斬り結ぶ二本の剣から、火花が飛び散った。
「どっちが勝つ?」
旅装束姿のアルテミシアが楽しそうに小首を傾げる。
「わずかにレヴィア、でしょうか。彼はこの一年足らずで、格段の体力、筋力と技術を身につけました。なにより、彼が毎日受けている剣は、誰のものだと思っておりますか」
「私だな」
「そこはジーグ、とおっしゃっていただきたかったですね。レヴィアに両手剣を教えたのは私ですよ。……それと、陛下は本調子ではいらっしゃらないようです」
激しい攻防を繰り広げている父子 を、ジーグとアルテミシアは目で追い続けた。
「夜通し馬車を走らせたのだろうな。疲れがうかがえる」
「激務のなか、やっと時間を作られたのでしょう。ほら、もうすぐ決着がつきますよ」
父親が力強く踏み出し、同時に鋭い剣が息子に振り抜かれる。
その刃を一歩も下がらずに受け、流れるような動作で斬り伏せた息子によって、父親の剣が弾き飛んでいった。
「そこまで!」
鋭いジーグの声が広間に響く。
弾む息のなか、自分の勝利が信じられずに呆然としている息子に、父親の手が差し伸べられた。
「ああ、大きくなったな。本当に」
おずおずと握ったレヴィアの手が力強く引かれ、父と子の距離が近くなる。
「お前がつらい思いをしていることは知っていた。許してくれとは言うまい。だが、よくぞここまで、ひとり生き抜いた。リーラの言ったとおりだ」
「……リーラ?」
「お前の母の名だ。覚えてはいないか」
「……はい」
「そうか」
小さな息を吐き出した父親の手が、そっと息子から離れていく。
「リーラの持ち物はほとんど焼けてしまったから、本以外、手元に残してやれなかったからな。ああ、毛布を持たせたか」
「……毛布?白地に、青い模様の?」
「リーラの嫁入り道具のひとつで、私の部屋に紛 れていたのだ。あの模様はアガラムでは魔除けで、大切な者への贈り物のみに使われる。リーラはあの毛布で赤ん坊のお前を包 み、それは大切そうに抱きしめていた」
「……そう、だったんですか……」
覚えてはいない。
しかし、母の想いはすぐそばにあったのだと思えば、レヴィアの心は震えた。
「まだ持っているか?」
「今でも、使っております」
「そうか。使ってくれているか。畑も開墾したのだったな」
抑えきれない愛しさをにじませて、父親の目が伏せられる。
「血は争えないものだ。リーラの家は医薬に携わる家系だ。巫女 を輩出する家柄でもあってな。お前が生まれたとき、リーラは占術を用いてこう告げた。“この子は類 稀 な星と出会う定めを持ちます。慈しみ合った両親のもとに生まれた命。きっと大丈夫”と」
「恐れながら父……、陛下」
「父でよい。ここには、信頼し合う者しかいないだろう」
「慈しみ合う」「信頼し合う」。
思ってもみなかった言葉に、これまで漠然と父に対して持っていた重苦しい感情が、淡雪のように消えていく。
「父上、私はひとりで生きてきたのではありません。この屋敷のすべては、父上のものです。畑も園丁が整えてくれたのです。途中で姿を消してしまって、その後、どうしているか……」
「元気にしているぞ。ずっとお前のことを案じている」
「……え?」
戸惑う息子に、父親はふっと笑った。
「あいつは私の側近だ。リーラが冥府 へ旅立ったのち、ひとり残されたお前が心配だった。もう少し長く置いてやりたかったのだが、国政も難局が多くてな。予定より早めに呼び戻すことになってしまって、済まなかった」
「元気なら、よかった!僕のせいで、辞めさせられちゃったって、思ってたから。あっ……」
気にかけていた園丁の消息を聞いて、つい気が緩んだレヴィアは慌てて片手で口を押える。
「陛下」
レヴィアを見て微笑んでいる国王の脇に、ジーグが膝 をつき、拾い上げた剣を捧げた。
「これからもレヴィアを頼めるだろうか。近くにいられない私の代わりに、師として、良き友人として」
受け取った剣を腰に戻しながら、国王はジーグを立ち上がらせる。
「もったいないお言葉にございます。誠心誠意、努めさせていただきます」
トーラ正式の礼をとったジーグに国王は深くうなずき返し、息子の肩に手を置いた。
「レヴィア、お前の願いを聞き入れよう。貴君らはどうされる?」
「私たちは、殿下の決定に否 はございません。どうぞご存分に、使用人たちとお話合いください。ああ、ただひとつだけ」
ジーグの耳打ちに厳しい顔になった国王は、レヴィアとともに広間をあとにしていった。
「ふむ、審判役がいないな。……誰もついてこなのか」
「
独り言のような父親のつぶやきに応えたのは、小雪舞う庭に立っている、黒装束を着た大きな男だった。
男は
「お側に寄っても?」
「許す」
男は敵意を持たないことを示すかのように、ゆったりとした足取りで
「貴君が、息子の新しい師でおられるか。どうか顏を上げてほしい」
「はい。この度はご拝顔の栄誉を
「……え?」
なんの冗談かとレヴィアは目を丸くするが、ジーグの目は「国王」と呼んだ父親からそらされることはない。
「殿下にご身分を明かせずにいらしたご事情は、今なお?」
「うむ。……事情はそちらにもありそうだが。
大陸の
剣士殿」国王の視線がジーグの
「ないとは申しません。そして、その状況下、レヴィア殿下に命を拾っていただきました。これ以降、全力でお仕えをする所存でおります」
「頼もしいことだ」
レヴィアの父親である、トーラ国王が目元を緩ませる。
「では、早速ではあるが、貴君が授けたという剣術を見せてもらおう。レヴィア、お前の剣を」
「今、お持ちいたします」
剣を片手に持つ旅装束は国王に略式の礼をとると、レヴィアの前に
「……あの子は、あんなふうに笑うのか……」
思わずつぶやいた国王が見守る先で、レヴィアは口元をほころばせて、旅装束とうなずき合っていた。
「始め!」
ジーグの合図で、
どちらもけん制などせず、真っ向から攻め合っていく。
金属がぶつかり合う鋭い音が、絶え間なく広間に響き渡った。
風圧を感じるほどの勢いで踏み込んでくる父親の剣。受け止め、斬り返す息子の
間近で視線を絡ませた
父親が剣を引くと拮抗していた力が崩れ、姿勢を崩しかけた息子が、その身を素早く
追う黒の軍服が躍動し、かわす白銀の
斬り結ぶ二本の剣から、火花が飛び散った。
「どっちが勝つ?」
旅装束姿のアルテミシアが楽しそうに小首を傾げる。
「わずかにレヴィア、でしょうか。彼はこの一年足らずで、格段の体力、筋力と技術を身につけました。なにより、彼が毎日受けている剣は、誰のものだと思っておりますか」
「私だな」
「そこはジーグ、とおっしゃっていただきたかったですね。レヴィアに両手剣を教えたのは私ですよ。……それと、陛下は本調子ではいらっしゃらないようです」
激しい攻防を繰り広げている
「夜通し馬車を走らせたのだろうな。疲れがうかがえる」
「激務のなか、やっと時間を作られたのでしょう。ほら、もうすぐ決着がつきますよ」
父親が力強く踏み出し、同時に鋭い剣が息子に振り抜かれる。
その刃を一歩も下がらずに受け、流れるような動作で斬り伏せた息子によって、父親の剣が弾き飛んでいった。
「そこまで!」
鋭いジーグの声が広間に響く。
弾む息のなか、自分の勝利が信じられずに呆然としている息子に、父親の手が差し伸べられた。
「ああ、大きくなったな。本当に」
おずおずと握ったレヴィアの手が力強く引かれ、父と子の距離が近くなる。
「お前がつらい思いをしていることは知っていた。許してくれとは言うまい。だが、よくぞここまで、ひとり生き抜いた。リーラの言ったとおりだ」
「……リーラ?」
「お前の母の名だ。覚えてはいないか」
「……はい」
「そうか」
小さな息を吐き出した父親の手が、そっと息子から離れていく。
「リーラの持ち物はほとんど焼けてしまったから、本以外、手元に残してやれなかったからな。ああ、毛布を持たせたか」
「……毛布?白地に、青い模様の?」
「リーラの嫁入り道具のひとつで、私の部屋に
「……そう、だったんですか……」
覚えてはいない。
しかし、母の想いはすぐそばにあったのだと思えば、レヴィアの心は震えた。
「まだ持っているか?」
「今でも、使っております」
「そうか。使ってくれているか。畑も開墾したのだったな」
抑えきれない愛しさをにじませて、父親の目が伏せられる。
「血は争えないものだ。リーラの家は医薬に携わる家系だ。
「恐れながら父……、陛下」
「父でよい。ここには、信頼し合う者しかいないだろう」
「慈しみ合う」「信頼し合う」。
思ってもみなかった言葉に、これまで漠然と父に対して持っていた重苦しい感情が、淡雪のように消えていく。
「父上、私はひとりで生きてきたのではありません。この屋敷のすべては、父上のものです。畑も園丁が整えてくれたのです。途中で姿を消してしまって、その後、どうしているか……」
「元気にしているぞ。ずっとお前のことを案じている」
「……え?」
戸惑う息子に、父親はふっと笑った。
「あいつは私の側近だ。リーラが
「元気なら、よかった!僕のせいで、辞めさせられちゃったって、思ってたから。あっ……」
気にかけていた園丁の消息を聞いて、つい気が緩んだレヴィアは慌てて片手で口を押える。
「陛下」
レヴィアを見て微笑んでいる国王の脇に、ジーグが
「これからもレヴィアを頼めるだろうか。近くにいられない私の代わりに、師として、良き友人として」
受け取った剣を腰に戻しながら、国王はジーグを立ち上がらせる。
「もったいないお言葉にございます。誠心誠意、努めさせていただきます」
トーラ正式の礼をとったジーグに国王は深くうなずき返し、息子の肩に手を置いた。
「レヴィア、お前の願いを聞き入れよう。貴君らはどうされる?」
「私たちは、殿下の決定に
ジーグの耳打ちに厳しい顔になった国王は、レヴィアとともに広間をあとにしていった。