抗う者たち

文字数 3,113文字

 スィーニの背から飛び降りて、レヴィアは助手の姿を探した。
「スヴァン!スヴァン!!」
 天幕から飛び出してきたスヴァンが息を飲み、スィーニの帰りを待って駆け付けたメイリから、小さな悲鳴が上がる。
「ア、アルテミシア様っ」
 血の気のないアルテミシアの顔と、(かか)えるレヴィアの血染めの手から目をそらしたスヴァンが、医療用天幕の入り口を掲げ開けた。
「準備、できてます。クローヴァ殿下からうかがって……」
 外で待ち構えていた様子のクローヴァに、レヴィアは黙礼する。
「ありがとうございます。メイリ」
「はい!」
「スィーニを戻したらこっちを手伝って。ロシュはジーグに任せて」
「かしこまりました」
「スヴァン、煮沸(しゃふつ)用の湯を絶やさないようにして」
「了解です」
 矢継ぎ早に指示を与えながら、レヴィアはそのまま足を止めずに天幕の中へと入っていった。
 
 アルテミシアを処置台に横たえると、レヴィアは引きちぎるようにスバクル兵服を脱ぎ捨て手を洗い、清潔な上衣をかぶった。
 遅れて補助に入ったメイリがハサミを使ってアルテミシアの軍服を切り開き、清潔な布と酒精でその体を(ぬぐ)っていく。
「傷は、……深いです。臓腑も一部」
「わかった」
 スヴァンの報告の途中で、レヴィアは縫合具を手に取った。
「スヴァン、腹部以外の傷の手当を」
「はい」
「メイリ、僕を手伝って」
「かしこまりました」
 緊迫した静寂のなか、処置を続ける音だけが空気を揺らしている。
 
 しばらくして、アルテミシアの様子を見ていたメイリの手が止まった。
「アルテミシア様?……レヴィア様、アルテミシア様の呼吸がっ」
 施術の手を止めたレヴィアがアルテミシアの鼓動を確認すると、それは今にも止まりそうなほど弱く、間遠くなっている。
 急ぎ両手を組み、レヴィアはアルテミシアの胸の中心を律動的に、強く押し始めた。
「スヴァン、強心薬っ。早く!……ミーシャっ、頑張って!」
 手を動かし続けるレヴィアの額から、汗が伝い落ちていく。
「戻ってこいっ、アルテミシア!逝くな!……逝くなぁ!!」
 手を止めずに、レヴィアは声の限りに怒鳴った。

 アルテミシアが、呼び戻せないほど遠くへ行こうとしている。
 自分を置いていこうとする人に、奪おうとするモノに。
 レヴィアは込み上げる怒りをそのままぶつけた。

「許さない!許さない!!絶対に、許さない!!」
「アルテミシア様っ」
「ロシュが泣きますよ!スィーニなんか、怒って手が付けられなくなりますよ!!」
 気付け薬を染み込ませた布を握り締めるスヴァンも、その呼吸を確認し続けるメイリも。
 アルテミシアの魂を留めるために、必死に声をかけ続けた。
 
 どのくらい、そうしていただろう。
 時間の感覚も、腕の感覚もなくなったころ。

「レヴィア様。……呼吸、戻りました」
 メイリの震え声に、レヴィアがアルテミシアの胸に手を当てれば、弱々しくはあるが、規則正しい鼓動が確認できる。
「……続けるよ」
 乱れた息を整えながら、手近にあった布で額を(ぬぐ)ったレヴィアは、縫合具を再び手に取った。

 (のど)も破けそうなレヴィアの声が、夜のしじまを切り裂く。
 医療天幕脇で、唇を噛みしめたたずむジーグの背後に、(ひそ)やかな足音が近づいてきた。
『入れませんよ』
 振り返らなくても、わざと露わにしている気配で、誰だかはわかっている。
『第二王子が治療しているのか。まだ子供だろう』
 案の定の低い美声に、わずかにトゲが感じられた。
『アガラムの医薬術を受け継いでいます。以前も助けられました。今ここに、レヴィア殿下ほど、リズィエを救える人間はおりません』
『以前とは、』
「ジーグ殿!」
 尋問じみた問いかけを、駆け寄ってくるふたり分の足音が(さえぎ)る。
「賢老……。そちらの方は?」
 イハウ国境から駆けつけたスライは、同じくアガラムの衣装を着た人物を伴っていた。
「アガラム従軍医薬師を連れて参りました。少しはお役に立てるでしょう」
「ありがたい。こちらです」
 アガラム医薬師とスライに目配せをして、ジーグは医療用天幕にふたりを(いざな)っていった。
 
 戻ってきたジーグと目も合わせず、表情もなく、ディデリスはただ天幕を見つめている。
『待たせてもらっても構わないか』
『恩人とはいえ、客扱いはできませんが』
 ジーグもまた、ディデリスにまなざしひとつ向けない。
『竜族の不始末の件で、こちらも恩がある。竜舎で十分だ。ルベルとエリュローンを休ませてやりたい』
『竜舎にある物は()を含め、ご自由にお使いください』
『助かる。……礼を言う』
 彼から初めて聞いた「礼」という言葉に、ジーグは遠ざかっていくその背中をそっと振り返る。
 気配が追えなくなった暗闇から、慰めの曲をつま弾くような竜の声が、微かにジーグの耳に届いた。

 ジーグが依頼をした護衛兵から案内を受けたディデリスは、カイとエリュローン、ルベルとともに竜舎へと向かう。
『竜守がいないので、あの、私はこれ以上……』
 流暢(りゅうちょう)なディアムド語を扱う護衛兵が、竜舎入り口で、申し訳なさそうに帝国竜騎士を振り返った。
『賢明だ』
『寄せてもらうだけでありがたいですから。竜には慣れてるんで、任せてもらっていいですよ』
『助かります!では、ごゆっくりお休みください』
 人の好さそうな笑顔を見せるカイに、護衛兵はほっとする表情を隠しもしない。
『……油断しすぎだろ、あれ』
 去っていく護衛兵を横目で見送りながら、先ほど見せた笑顔とは真逆の表情でカイが笑う。
『帝国騎士に、あんなヌルい態度でいいのか?外交の駆け引きには、不慣れなんだろうなぁ。だが、思っていたより武力水準は高かった。伊達に生き残った国じゃないな』
『スバクル、トーラには恩が売れたし、国交を結ぶに旨味のある国であることもわかった。イハウの首根っこを押える、いい布石にもなってくれそうだ。そう思えば雑魚家のひとつやふたつ、陛下も惜しまないだろう』
『ははっ。赤竜隊長が個人的に肩入れしたこのヤバイ状況を、そこに結び付けるのか。いや、恐れ入りました。転んでもただでは起きませんね、ディデリス隊長。今回もお咎めがないどころか、褒賞ものですね』
『転んでなどいない』
『ああ、わざとだもんなあ』
 親密にも(あざけ)りにも見えるカイの笑顔に、ディデリスの眉がピクリと痙攣(けいれん)した。
『わざとこの状況を作ったんだもんな。……リズィエを取り戻すために』
『命が惜しくないとは、お前は竜騎士の鑑だな』
『俺の利用価値を、ディデリス隊長が見損なうとは思いませんが?お前のそういうトコが気に入ってるし。よし、エリュ』
 赤竜の首の羽を指で優しくすきながら、カイが竜舎の内部をうかがった。
『相手はまだお子さまだからな。熟女の魅力で屈服させてやれ』
 ぐりぐりと(くちばし)を頬に擦りつけられながら、カイは竜舎に一歩足を踏み入れた。
『その頭脳で、帝国も思うまま動かせるクセに。肝心の相手にはツメが甘くて逃げられてばっかりいる、間抜けなお前が大好きだよ。……そのせいで国を追われたんじゃ、リズィエもたまったもんじゃないけどな』
『いつか殺す』
『ムリムリ』
 ニカっとした大きな笑顔が、殺気を放つディデリスを振り返る。 
『俺以上に利用価値がありそうなヤツが出てきたら、全力で潰しとくからさ。でないと、マジで()るだろう、お前』
『お前以上に有効活用できそうな人材など、そうそういないだろうがな』
『へぇ?今回はさすがにお()めに預かりましたか?光栄光栄。まあ、冗談はさておき、だ』
『冗談、か?』
『半分くらいはね。……リズィエは助かるといいな。あの()の責任でもないのに、なんでこんなことになるかね』
『……そう、だな』
 真顔になった竜騎士ふたりが、相棒の手綱(たづな)を手に竜舎へと入っていった。
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