痛切な祈り

エピソード文字数 4,867文字

 アルバスから降りるなり、レヴィアは声を張り上げた。
「スヴァン!縫合の用意!」
 聞いたことのないレヴィアの大声に陣営内が静まり返り、救護天幕の中からスヴァンが飛び出してくる。
 外でアルバスを待ち続けていたメイリの叫び声が上がった。
「アルテミシア様っ!」
 アルテミシアを抱きかかえるレヴィアの手が真っ赤に濡れている。
「準備、できてます。クローヴァ殿下が…」
 スヴァンが天幕の入り口を掲げ開けてレヴィアを待つ。その脇に立つクローヴァがうなずいた。
「伝令から聞いている。必要なものがあればすぐに」
「ありがとうございます。メイリ!」
 レヴィアはクローヴァに目礼し、メイリを振り返る。
「はい!」
「アルバスを戻したらこっちを手伝って。ロシュはジーグに任せて」
「かしこまりました」
「スヴァン、煮沸(しゃふつ)用の湯を絶やさないようにして」
「了解です」
 メイリとスヴァンに矢継ぎ早に指示を与え、アルテミシアを(かか)えたレヴィアは天幕の中に消えた。 
 
 アルテミシアを処置台に横たえると、レヴィアは引きちぎるようにスバクル兵服を脱ぎ捨て手を洗い、清潔な上衣をかぶった。
 遅れて助手に入ったメイリが慎重にハサミを入れて、アルテミシアの軍服を切り開く。そして清潔な布と水でその体を()いていった。
「深く刺した上で刃を()じった、のでしょうか。これは…」
 スヴァンが絶句しながら傷口の洗浄を続ける。
 厳しい顔つきでレヴィアが指示を出す。
「スヴァン、腹部以外の傷の手当を」
「はい」
「メイリ、血を(ぬぐ)っていて」
「かしこまりました」
 医療用天幕内に、三人の処置を続ける音だけが響いた。
 
 しばらくして、施術の補助をしながらアルテミシアの様子を見ていたメイリが慌てだした。
「アルテミシア様!?レヴィア様!アルテミシア様の呼吸がっ…!」
 レヴィアは施術の手を止め、アルテミシアの鼓動を確認する。
 それはもう、今にも止まりそうなほど弱く、間遠くなっていた。
 急ぎ両手を組み、レヴィアはアルテミシアの胸の中心を律動的に強く押し始める。
「スヴァン!強心薬!早くっ!…ミーシャっ!頑張って!」
 アルテミシアが、呼び戻せないほど遠くへ行こうとしていた。手を動かし続けるレヴィアの額から汗が伝い落ちる。
「戻ってこいっ!アルテミシアっ!逝くなっ!…逝くなぁっ!」
 手を止めずにレヴィアは怒鳴った。声の限りに。自分を置いて行こうとする人に、奪おうとするものに、込み上げる怒りをそのままぶつけた。
「許さないっ!許さないっ!!絶対に、許さないっ!」
 全身から絞り出す声をアルテミシアに投げ続ける。
 
 どのくらいそうしていただろう。
 時間の感覚も、腕の感覚もなくなっている。
「レヴィア様!呼吸、戻りました…」
 メイリの震える声が耳に入った。
 弾む息を整えながら、レヴィアはアルテミシアの胸を確認する。弱々しくはあるが、規則的な鼓動と呼吸が戻っていた。
「…続けるよ」
 手近にあった布で額を(ぬぐ)い、レヴィアは縫合具を再び手に取った。

 (のど)も破けそうなレヴィアの声を耳にしながら、ジーグは無言で(たたず)んでいる。
 背後で(ひそ)やかな足音がした。
「入れませんよ」
 振り返らぬままジーグは牽制(けんせい)をする。
「第二王子が治療しているのか。まだ子どもだろう」
 低い美声にはわずかにトゲが感じられた。
「アガラムの医薬術を受け継いでいます。以前も助けられました。今ここに、レヴィア殿下ほどリズィエを救える人間はおりません」
「ジーグ殿!」
 イハウ国境から戻ったスライが走ってきた。
 ただ者ではないと思わせる風格を持つアガラムの老剣士を見て、一歩場所を譲ったディデリスにスライが目礼を返す。
「アガラム従軍医薬師を連れて参りました。少しはお役に立てるでしょう」
「ありがたい。こちらです」
 スライとその後ろにいるアガラム医薬師に目配せをし、ジーグは救護天幕に二人を誘導した。
 
 戻ってきたジーグと目も合わせず、平坦な顔も崩さず、ディデリスはただ天幕を見つめている。
「待たせてもらっても構わないか」
「帝国の恩人とはいえ、客扱いはできませんが」
 ジーグもまた、ディデリスにまなざしひとつ向けない。
「“赤”につながる竜族の不始末で迷惑をかけた。こちらも恩がある。竜舎に寄せてもらう。ルベルとエリュローンを休ませてやりたい」
「竜舎にある物は、()を含めご自由にお使い下さい」
「助かる。…礼を言う」
 ディデリスが静かに(きびす)を返した。
 彼からの礼を初めて受けたジーグは、その背中をそっと見送った。

 トーラ陣営の隅で待機していたカイとエリュローン、ルベルを連れて、ディデリスはトーラ竜舎へと向かう。
「クルゥ」
 年長の竜が入口でそれぞれひと鳴きすると、中にいる二頭の若竜が(そろ)ってその首を下ろした。
 ルベルとエリュローンがゆっくりとロシュとアルバスに近づき、その首の羽繕(はづくろ)いを始める。
「おぅ、さすがリズィエの竜だ」
 カイがその光景を感心して眺めていた。
「よその竜に会うのは初めてだろうに。挨拶の仕方を心得てるんだな」
 年長の竜と年若の竜は鳴き交わし合うと、(くちばし)同士を軽くぶつけた。
 竜たちの緊張がほぐれたところでディデリスは竜舎に足を踏み入れ、ロシュに向かってためらうことなく左腕を伸ばした。
「立派な仔だな、ロシュ。今日は本当に素晴らしい働きだった」
 冠羽を開いて警戒を表しているロシュの鮮緑(せんりょく)の瞳が、ディデリスを見下ろす。
 腕を伸ばしたまま、ディデリスはじっと待ち続ける。
 しばらく後、ゆっくりと(まばた)きをしたロシュの(くちばし)が、軽くディデリスの手のひらに(こす)りつけられた。
「お前はほんっとにきれーだなぁ。青竜なぁ。大した淑女だ」
 カイが再びアルバスを()(たた)えると、途端(とたん)にエリュローンが不機嫌そうな唸り声を上げる。
「グルルゥっ」
「いやいや、俺の一番はお前だって、美人ちゃん。痛っ!だからむしるな!ハゲる!ディデリス!竜たらし!やめさせてくれ!」
「断る」
「裏切り者っ!…リズィエの容態はどうなんだ?」
 エリュローンに髪の毛を強く引っ張られながら、カイはディデリスを振り返った。
「良くないようだ」
「…ようだ?」
「トーラ語はわからない。途中慌ただしかった。名を何度も呼んでいた。後から来たアガラムの医薬師も、深刻だと言っていた」
「…そうか」
 ふかふかのエリュローンの(ほほ)をなでながら、カイは深いため息をつく。
「トーラは縁薄い国だったからな。さすがのお前も習得していないのか。…待つしかないな」
 ロシュの首の羽に手のひらを埋め込むようにして触れながら、ディデリスは黙ってうなずいた。
  
 夜半になって、やっとメイリとスヴァンが血だらけの布や、使った用具類を持って天幕から出てきた。
「どうだ?」
 待ち侘びていたジーグが足早に二人に近づく。
 スヴァンは力なく首を振った。
「わかりません…」
「わからない?」
 ジーグの語気が思わず強まる。
 スライもアガラム医薬師をともなって、天幕から出てきた。
「刺し傷が深いのです。しかも刺した後、さらに体の中を傷つけられております」
 沈痛な声で報告するスライの後ろで、アガラム医薬師の顔色も冴えない。
「…リズィエは?」
「眠っていらっしゃいます」
 メイリの声はかすれている。
「顔を見られるか?」
 ジーグから重ねて問われ、スヴァンとメイリが目を見交わし合う。
「レヴィア様、が…」
 喉から振り絞るようなメイリの声に、ゆっくりと、震える息をジーグは胸に入れる。
「しばらく二人に…、二人だけに、して欲しいと」
 二年前、まだ小さかったレヴィアに「あまり良くない」と河原で答えた。あのときも、この腕の中でアルテミシアの命は揺れていた。
「またかっ!」
 大地を怒鳴りつけるようにジーグはうつむく。
「また守りきれなかったのかっ!」
 (こぶし)を握りしめたジーグの背中が震えている。
「どうして!どうしていつもあの()なんだ。あの()ばかりが背負う!」
 この場にいる者は、帝国でのジーグとアルテミシアのすべては知らない。
 しかしいつも冷静なジーグの憤り方に、アルテミシアが歩んできた道の険しさを思った。

 治療用天幕内の寝台に移したアルテミシアの手を、床に膝をついたレヴィアはぎゅっと握っている。
 微かに聞こえる彼女の呼吸、それだけが頼りで、一心にレヴィアは耳を傾け続けた。
 完全な止血もできず、思っていたよりも傷が深かった。ロシュに騎乗している間に体は限界を迎えていただろう。
 アルテミシアをこんな目に遭わせたあの男。
(…カーフ…。絶対に、許さない)
 アルテミシアにかばわれながら目にした薄暗い笑顔。
 あの(なまり)色の目には見覚えがあった。
 母が死んだときに、埋葬されるときに。
 あの笑顔を浮かべながら、使用人たちに指示を出していた。
 レヴィアの手に力が入るが、(こぶし)の中の冷たい指先からは、何の反応も返ってこなかった。
「…アルテミシア…」
 どんなに正しい発音で呼んでも、いつものように微笑んではくれない。
 慕わしい女性(ひと)は細い、細い息を辛うじてつなぎながら、固く目を閉じて横たわっている。
 やれることはすべてやった。自分一人では難しかっただろう。
 スヴァンとメイリという最高の助手と、アガラム熟練の医薬師がいてくれたおかげで、この状況でまだ希望を捨てずにいられる。
 だがアルテミシアが(とも)す命の炎は、あまりにも儚い。
「ねぇ、ミーシャ」
 応えてはくれないその人にレヴィアは話しかける。
 握った手は離さないまま、もう片方の手で額に掛かる深紅の巻き毛をそっとなでつけた。
貴女(あなた)は、“僕の世界の大切な一部”と言ったでしょう?覚えてる?」
 それは自分の来し方を話すことをためらっていたアルテミシアに伝えて、彼女を喜ばせたレヴィアの言葉。
「今わかったよ。間違いだったって」
 レヴィアはアルテミシアの手を口元まで持ち上げ、その冷たい指先に唇を寄せる。
「アルテミシア。貴女(あなた)は僕の世界そのものだよ。貴女(あなた)がいなければ、僕が存在できる世界なんてないんだ」 
 そしてその手に額を押しつけた。
「お願いだから、戻ってきて…!」
 レヴィアの閉じたまぶたから涙が溢れだす。
 もう祈る以外できることがない。だが何に?誰に?
(母さま!…僕の大切な人を戻して!僕の命より大切な人を…!)
「…母さま…」
 レヴィアの唇から祈りと嘆きが(こぼ)れる。
「僕のすべてをあげる。命だってあげる。だからアルテミシア、戻ってきて。お願い、戻ってきてっ…」
 レヴィアは深紅の髪をなでていた手で、自らの腕に爪を立てた。
 そうでもしないと、叫び出してしまいそうだ。
 ただ守られているだけだった自分が不甲斐ない。情けない。悔しくてたまらない。
 アルバスで出撃することを許されるほどの竜騎士だったら。
 もっとできた。何かできた。
 大切な人を、こんな目に遭わせずにすんだ。
 (さげす)まれていた自分に愛と誇りを教えてくれた人。手は優しさを伝えるものだと教えてくれた人。
 些細(ささい)なことでも、ともに笑い合える幸せ。眠れない夜に、肩を寄せ合える信愛。
 すべてアルテミシアが与えてくれたものだ。
「…ミーシャっ…。貴女(あなた)がいなくなったら、僕は生きてはいけないよ…」
 レヴィアは(すが)りつくように、アルテミシアの手を握り締め続けた。
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