闇の落とし子 -黒竜-

エピソード文字数 3,047文字

 「…ふっ…うっ…」
 嗚咽(おえつ)を奥歯で噛み殺し、アルテミシアは涙を(こら)えている。
 ジーグが無言で、深紅の頭を柔らかくなでた。
 惨劇の夜の謎が、深い悲しみと虚無感とともに解けていく。
 やり切れない、長い沈黙が天幕内に流れる。泣くまいとする、アルテミシアの短い息づかいだけが聞こえた。
 涙に濡れた若葉色の瞳が上がった。
「ね、ディデリス…」
 アルテミシアの唇は、声は震えている。
「続きを。お願い」
「ん?」
「どうしてスチェパはイハウとつながっているの?なぜドルカが管理しているはずの毒竜を、彼がこの戦場へ連れてくることができたの。竜術を持たない、彼一人がなし得ることではないでしょう」
 ディデリスは何も言わない。ただアルテミシアを見つめるばかりだ。
「全部話して。私は知らなければならないわ。…あの子たちのためにも」
 アルテミシアの表情には、壮絶な覚悟が宿っている。
「スチェパの話しの続きを」
 小さくて重いため息をつきながら、ディデリスは口を開いた。

 竜家の当主というよりも、賊の首領(かしら)と言ったほうがよく似合う。ごわごわの無精髭(ぶしょうひげ)がいかにも、という感じの男が立っていた。
 スチェパはその前で頑丈な縄で縛られ、床に転がされている。
 殴られた顔が腫れ上がり、荒い息をついていた。
「ぐえぇ」
「っ!きったねぇな。吐くなよ。この敷物気に入ってんだから」
 吐くなと言いながら、また腹を蹴り上げられる。薄ら笑いを浮かべている男に背筋が震えた。
 これで吐いたら、本当にどうなることか。
 スチェパは(ほほ)を膨ふくらませ、腹の中身をぶちまけるのだけは(こら)えた。 
 無精髭(ぶしょうひげ)の男が目の前にしゃがみ込む。
「しっかしオメェも勇気あんなぁ。ディアムズの卵を金に換えたか。見せしめの拷問付きの処刑だな。ふつーは」
 にやにや笑う顔を近づけてきたのは、ニェベス家の当主ゴルージャだ。
 三年持たぬと言われているニェベス家当主として、五年目を迎える、やり手の男らしい。
 黒竜家に拾われる前はどこかの国の領主だったとか、山賊の首長(あたま)だったとか。さまざまな(うわさ)はあるが、本当のところは誰も知らない。
 たったひとつわかっているのは、帝国出身者ではない、ということだけ。
 ディアムズの卵紛失の責任を取らされた竜守は、ただ死んでいったのではなかったらしい。
 もちろんスチェパは当初、知らぬ存ぜぬを通していた。だが竜族式の拷問の前に、結局口を割る羽目となったのだ。
 竜化の秘密を握っていれば目こぼしをされると踏んだ思惑は、見事に外れたのだった。

「ニェベス家当主の名は、初めて聞きました」
 ジーグが独り言のようにつぶやく。
 カイも同意してうなずいた。
「ニェベス家当主は竜騎士じゃないからな。ころころ変わるって話だし。一人として、表に出てきたことはないんじゃないか」
「ニェベス家自体、十年ほど前に構えさせた新興家、でしたね。黒竜家は統廃合をよくするのでわかりにくいと、バシリウス様がこぼしていらしたことがあります」
 (よど)みなく話しながら、琥珀(こはく)の瞳が考え込んでいる。
「何が気にかかるの」
 隠しごとはしないで欲しい。アルテミシアの声色に気がついたジーグが目を上げた。
「ゴルージャという名前です。本名でしょうか」
「響き的には、カザビアから以南地方の名前かしら」
「はい。帝国カザビア自治領、かつてのカザビア王国出身者ならば、特に珍しい名前ではありません。私の“ジグワルド”と同様。サラマリス公」
 ジーグがディデリスと目を合わせる。
「黒竜家に入る前の、ニェベス家当主の名はわかりますか?もしくはその風体(ふうてい)など」
「ゴルージャ・オズロイ」
 低く告げられた名に、ジーグの太い(まゆ)が寄せられた。
 カイの目が丸くなる。
「お、さすがディデリス。(うわさ)の絶えない一家だ。正式な記録など残していなかっただろうに」
「五年前、ゴルージャがニェベスに転がり込んだ経緯(いきさつ)を知っている者に話が聞けた」
「鉄壁の情報網に抜かりなし、だな。誰だ?」
「デリオン家当主、ベルネッタ・デリオン」
 途端(とたん)に、その場の雰囲気が妙なものになった。
 ジーグの噛み潰している苦虫はかなりの大きさのようだし、カイも呆れ困惑する気持ちを隠しきれずにいた。
「お前あの女、いやご当主に話聞いたのかよ」
「向こうから寄ってきた。“ニェベス家のことを知りたいのだろう”と」
「正しい情報か?そうやすやすと、黒竜族の暗部につながるような話をする玉か?」
 カイの目は疑惑と非難を含んでいる。
「悪さをなさるときには、人にやらせる方だから。ご自分からディデリスに話したのならば、思惑はどうあれ、内容的には信ぴょう性があるのではないかしら」
 アルテミシアだけが懐かしそうにしていた。
「よく平気でいられますね、リズィエ。溺れかけたんですよ?貴女(あなた)は」
 カイは太いため息をつく。
 暗い夜の川で、小さな手がもがくように水飛沫(みずしぶき)を上げていた。あの光景を思い出すだけで、いまだに肝が冷える。
「あのときは、助けて下さってありがとうございました、カイ様。でも」
 薄い微笑みを浮かべているアルテミシアを、カイは戸惑いながら眺めていた。
 こういうとき、いつもながら思い知らされる。サラマリスの(きも)()わり方を。
 士官生として鍛錬を欠かさない少年たちの襲撃を受け、夜の川に幼女が突き落とされたのだ。口もきけないほどの恐怖を感じていても、不思議ではないのに。
 助け出したあのとき、ずぶ濡れで震えながらも、「驚いたわ」の一言で済ませようとしていた。
「本当に、私は泳いでいるつもりだったから」
「だとしても」
 ジーグの顔は厳しい。
「襲われたことは事実です。ベルネッタ・マレーバ様の取り巻きたちに」
「あの一件で、彼女たちは士官学校を退学したな。恨みを買っているだろう?」
「それはなさそうだった」
 ディデリスは腹心の疑問を平坦に否定する。
「“自分は竜騎士になるつもりなどないのに、無理やり父親に入れられたのだ。彼らも同様。皆、穏便に退学できて喜ばしい限りだった。そのときの恩を返す”、と言われた」
「退学後、一等黒竜騎士デリオン卿とさっさと結婚して、新しくデリオン家を起こしたんだったな。彼女

実家とは仲が悪かったらしいから」
「も」に力を入れて、カイが大きなため息をついた。 
「だがどういうつもりでってのは気になるな。実家嫌いとはいえ、黒竜族に敵対したいわけじゃないだろう」
「帝国は黒竜を潰せない。俺もそのつもりはない。彼女はよくわかっている」
「何があっても、自分の地位は安泰ってか」
「彼女は馬鹿ではない。自分の思惑と俺の思惑。双方に利すると思うからこそ、出してきた情報だろう。偽りはないと判断した」
 ディデリスは言い切った。
 ジーグは黙って帝国竜騎士のやり取りを聞いてる。
 あれは自分が仕事でアマルドを留守にして、アルテミシアから離れていたときに起こった事件だった。
 何があったのかを、アルテミシアはあまり詳しく話そうとはしなかったし、竜騎士二人に直接聞く機会もなかった。
 ジーグにとっては、なんとも歯がゆい出来事だったのだ。
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