闇の落とし子 -黒竜-

文字数 2,993文字

「……ふっ……うっ……」
 嗚咽(おえつ)を奥歯で噛み殺して、涙を(こら)えようとするアルテミシアを、ジーグは無言でなで続けた。
 
 惨劇の夜の謎が、深い悲しみと虚無感とともに解けていく。
 やり切れない、長い沈黙が天幕内を支配して、アルテミシアの(むせ)び泣く声だけが響いていた。

「ね、ディデリス……。続きを、お願い」
 息を整えながら、アルテミシアは濡れた瞳を上げる。
「どうして、スチェパはイハウとつながっているの?なぜドルカが管理しているはずの毒竜を、この戦場へ連れてくることができたの?竜術を持たない彼が、独りでなし得ることではないでしょう」
 黙って自分を見つめるばかりのディデリスに、アルテミシアは声を振り絞った。
「全部、話して。知りたいの。知らなければならないの。……あの子たちのためにも」
 その痛々しいほどの覚悟に、ディデリスは短いため息を吐き出した。


 その姿は、竜家の当主というよりも賊の首領(かしら)だ。
 ごわごわの無精髭(ぶしょうひげ)を生やした顔に、酷薄な笑顔を浮かべた男が仁王立ちでスチェパを見下ろしている。
 
 顔を腫らし、極太の縄で縛られたスチェパは、息も絶え絶えに床に転がされていた。
「ぐえぇ」
「テメえ、吐くなよ。この敷物、気に入ってんだから」
 そう言いながら腹を蹴り上げ、薄ら笑いを浮かべる男にスチェパの背筋が震える。

(マジでやったらヤベェな、これ)

 スチェパは何度も生つばを飲み込み、腹の中身をぶちまけるのを我慢した。 
「しっかしオメェも勇気あんなぁ。ディアムズの卵を金に換えたか。拷問付きの処刑だぞ、ふつーは」
 しゃがみ込んで、嗜虐的な顔を近づけてきたのは、ニェベス家の当主ゴルージャだ。
 黒竜家に拾われる前はどこかの国の領主だったとか、山賊の首長(あたま)だったとか。
 さまざまな(うわさ)はあるが、本当のところは誰も知らない。
 たったひとつわかっているのは、帝国出身者ではない、ということだけ。
 
 ディアムズの卵紛失の責任を取らされた竜守は、ただ死んでいったのではなかったらしい。
 もちろんスチェパは当初、知らぬ存ぜぬを通した。
 だが、どんな言い訳もごまかしも。
 竜族式の拷問の前には、まったく意味がないものだった。

(竜化の秘密を握っていれば、目こぼしをされる思ってたのに、ぐぇぇ)

 首に巻かれた縄をつかまれ、スチェパは無理やり顔を上げさせられる。
「さぁて、どう料理すっかね」
 歯を見せて笑うゴルージャは、獲物に襲い掛かる前の獣の目をしていた。


「ニェベス家当主の名は初めて聞いたな。……ゴルージャ」
 ジーグのつぶやきに、カイもうなずいた。
「俺もですよ。ニェベス家当主が竜騎士だったことはないし、ころころ変わるって話だから」
「ニェベス家自体、十年ほど前に構えさせた新興家、でしたね。黒竜家は統廃合をよくするのでわかりにくいと、バシリウス様がこぼしていらしたことがあります」
「何が気にかかるの」
 ひたりとジーグを見上げるアルテミシアの目は、「隠し事はするな」と訴えている。
「ゴルージャという名前です。本名でしょうか」
「響き的には、カザビアから南地方の名前かしら」
「はい。帝国カザビア自治領、かつてのカザビア王国出身者ならば、特に珍しい名前ではありません。私の”ジグワルド”と同様。サラマリス公」
 ジーグがディデリスと目を合わせる。
「黒竜家に入る前の、ニェベス家当主の名はわかりますか?もしくは、その風体(ふうてい)など」
「ゴルージャ・オズロイ」
 低く告げられた名に、ジーグの太眉(ふとまゆ)が寄せられた。
「お、さすがディデリス。いい(うわさ)を聞かない一家だ。正式な記録など、残していなかっただろうに」
「五年前、ゴルージャがニェベスに転がり込んだ経緯(いきさつ)を知っている者に、話が聞けた」
「鉄壁の情報網に抜かりなし、だな。誰だ?」
「黒竜デリオン家当主、ベルネッタ・デリオン」
「えっ」
「……」
 微妙な空気のなか、アルテミシアだけが微笑を浮かべる。
「まあ、懐かしい。ベルネッタ様はお元気かしら」
「まあ、相変わらずといったところだ」 
 遠い目をしたディデリスが、あからさまに、うんざりしたような顔になった。
 ジーグはかなりの大きさの苦虫を噛み潰しているようだし、カイも呆れ困惑する気持ちを隠しきれていない。
「お前あの女、いや、ご当主に手の内を明かしたのかよ」
「向こうから持ってきた話だ。”ニェベス家のことを知りたいのではないか”と」
「正確な情報か?そうやすやすと、黒竜族の暗部につながるような話をする玉じゃないだろう、あれは」
 カイの目は疑惑と非難を含んでいる。
「悪さをなさるときには、他人にやらせる方だから。ご自分からディデリスに話したのならば、思惑はどうあれ、内容的には信ぴょう性があるのではないかしら」
「遺恨はないんですか、リズィエ。溺れかけたというのに?」
 懐かしそうにしているアルテミシアに、カイは疑いを持ちながらも感嘆の声を出した。
 
 暗い夜の川で、もがくように水飛沫(みずしぶき)を上げていた、小さな手。
 あの光景を思い出すだけで、いまだにカイの肝は冷えるというのに。

「あのときは、助けてくださってありがとうございました、カイ様。でも」
 ふわりと微笑むアルテミシアに、カイの眉間にはしわが寄る。

 こういうとき、否が応でも思い知らされるのだ。
 サラマリスの(きも)()わり方を。
 そうならざるを得ない、過酷な生き方を。
 士官生として鍛錬を欠かさない少年たちの襲撃を受け、夜の川に幼女が突き落とされたのだ。
 口もきけないほどの恐怖を感じていても、不思議ではないのに。
 助け出したあのとき、幼女はずぶ濡れで震えながらも、「驚いたわ」の一言で済ませようとしていた。

「それなりに泳げていたと思いませんか?沈まなかったのですもの」
「だとしても」
 ジーグはまだ、それはそれは大きな苦虫を噛み潰している。
「襲われたことは事実です。ベルネッタ・マレーバ様の取り巻きたちに」
「あの一件で、彼女たちは士官学校を退学になった。恨みを買っている相手が、なんでまた、こっちに情報を」
「恨んではなさそうだった」
 当事者のひとりだったはずのディデリスだが、その淡々とした態度は変わらない。
「”自分は竜騎士になるつもりなどないのに、無理やり父親に入れられたのだ。彼らも同様。皆、穏便に退学できて喜ばしい限りだった。あのときの恩を返す”、と言われた」
「退学後、一等黒竜騎士デリオン卿とさっさと結婚して、新しくデリオン家を起こしたんだったな。彼女

実家とは仲が悪かったらしいから」
 「も」に力を入れたカイの表情が微妙に歪んだ。
「だが、親切心などではないだろう。実家嫌いとはいえ、黒竜族に敵対したいわけじゃないだろうし」
「帝国は黒竜を潰せない。俺もそのつもりはない。彼女はよくわかっている」
「何があっても、自分の地位は安泰ってか」
「彼女は馬鹿ではない。自分の思惑と俺の思惑。双方に利すると思うからこそ、出してきた情報だろう。偽りはないと判断した」
 帝国竜騎士のやり取りを聞くジーグの胸に、当時の歯がゆさがよみがえる。
 
 あれは、ジーグが仕事でアマルドを留守にして、アルテミシアから離れていたときに起こった事件だった。
 ことの顛末(てんまつ)をアルテミシアは詳しく話そうとはしなかったし、関わった士官生たちから話を聞ける立場にもなく。
 なんとも中途半端な解決を無理やり飲み込まされた、ジーグにとっても釈然としない事件だったのだ。
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