動き出す心 ―ミーシャ―

エピソード文字数 2,755文字

 離宮兵舎(りきゅうへいしゃ)の休憩室では、ヴァイノが恐慌状態で、落ち着きなく歩き回っていた。
「ふ、ふくちょが、女、だった…!」
「落ち着け、ヴァイノ」
 リズワンの冷静な声がたしなめるが、(おり)の中のクマのようなヴァイノの耳には入らないようだ。
「女だった!」
「うるさいっ」
「目ざわりっ!」
 とうとうアスタとメイリの(こぶし)が銀髪に飛んで、頭を押さえて床にしゃがみこんだ末に、ヴァイノの足がやっと止まった。
 
 愚連隊は、あらかじめジーグから指示をされた場所に(ひそ)み、王子たちを称賛する言葉を頃合いに叫んだ。
 そして釣られた市民たちの熱狂を盛り上げ、上手く(あお)り立てることに成功した。
「よくやった!想定以上の働きだ」
 ジーグも最大限の賛辞で、少年たちを(ねぎら)った。
 だがヴァイノには、その言葉を聞いている余裕もない。
 漆黒の体に、紅い稲妻模様の羽を持つ竜と、その(くら)の上で、長い深紅の巻髪を風にまかせている騎士を見つめ続ける。
 いつもの稽古(けいこ)がどれほど手加減されたものであったか。
 それがよくわかった。心底わかった。
 本気で(いど)まれたのならば、自分など瞬殺だ。
 トレキバの夜明けを思い出したヴァイノの背が震える。
 なんて人に喧嘩(けんか)を吹っ掛けてしまったのか。本当に身の程知らずだった。

「女の、人…。あんな強いのに…」
「ぜんっぜん気がつかなかった…」
 トーレとスヴァンも呆然としている。
 そこへアルテミシアとレヴィアが顔を出した。
「ふっ、ふくちょっ!」
 ヴァイノの声が裏返る。
「何だ、その声。そんなに驚かせたか?」
 アルテミシアが吹き出した。
「今まで(だま)すような真似をして悪かったな。隊が形になるまで、どうしても竜と、竜騎士たる私を表に出せなかった。アルテミシア・テムランだ。皆、良くやった!お前たちの働きで、市民の心を鷲掴(わしづか)みだ」
「アルテ、ミシア、様?」
 スヴァンとトーレは詰まりながらも正しく発音するが、ヴァイノだけが、トーラ(なま)りで苦労している。
「あーてみ?みーしや様?」
「無理するな。副長で構わない。…ふふ、会ったばかりのころのレヴィアみたいだ」
 アルテミシアがヴァイノに向ける微笑が、レヴィアの目に入った。
 黒い瞳から温度と表情が消える。
「ヴァイノ、アスタ、明日から正式にフリーダ隊員だ。あとで隊服も届く」
「ほんとっ!?やっったぁ!」
 ヴァイノが小躍(こおど)りしながら近づき、アルテミシアの右手を強く握りながら振り回した。
「オレ、すっげぇがんばる!」
「ああ、期待している。でも、ヴァイノは騎馬をもう少し精進しろ」
 アルテミシアが空いている左手で、ヴァイノの肩を勢いよく小突く。
「はいっ!」
 ヴァイノは威勢(いせい)のよい敬礼を返した。
「ラシオン、必要な補充備品があれば申請を。これからは遠慮なくと、陛下からのご伝言だ」
「りょーかい」
 ラシオンもアルテミシアに敬礼をする。
「では、明日から改めてよろしくな。レヴィ、竜舎に行こうか」
「…うん」
 休憩室に顔を出してから今まで。レヴィアが声を出したのは、これが最初で最後だった。
 すべて上手くいったはずなのに。
 極端に口数の少なかったレヴィアの背中を、ヴァイノは不思議そうに見送った。
「デンカ、なんか怒ってんのかな」
「アルテ、ミシア様って、ちゃんと呼べないからじゃない?ディアムド語、(なま)けるから」
 スヴァンの(あめ)色の瞳が意地悪く細められる。
「え、だってさぁ…。アーテミ、ミーシヤ…?なぁ、アスタ。おまえ、ふくちょのこと知ってたんだろ。さっき手、振ってたもんな」
「ええ、まあ…」
 言葉を濁すアスタに、ヴァイノがぐい、と迫った。
「デンカはふくちょのこと、何て呼んでんの?おまえも、ちゃんとした名前は教えてもらってなかったろ?」
 アスタは師匠であるリズワンに尋ね顔を向けた。
「ヴァイノは一度痛い目を見たほうがいい。教えてやれ、アスタ。坊の呼び方を」
「痛い目」という言葉にアスタがうなずく。
「ミーシャ、とお呼びになってるわ」
「そっか!それだ!」
 ヴァイノはパチン、と指を鳴らした。
「ミーシャならオレも呼べる!ちょっと、ふくちょのとこ行ってくる!」
 フリーダ隊に正式入隊を許された喜びに浮かれながら、ヴァイノが休憩室を飛び出していった。
「リズ姐、あれ大丈夫?」
 ラシオンは笑いを含んだ心配顔をする。
「さっきの殿下、“冷徹の鷹”だったぜ」
「あんなものじゃありません」
「あんなものじゃないですよぅ」
 アスタとメイリの声が(そろ)い、二人は顔を見合わせた。
「メイリも知ってたものね。何かあった?」
 アスタはメイリの薄茶の瞳をのぞき込む。
「アルテミシア様が竜舎にいらしたとき、暑さにあたられたことがあって。奥の水浴び場で、うっかり旅装束を脱いでらしたところに伺ってしまってさ。殿下はそれがお嫌だったみたいで…。アスタは?」
 メイリがアスタの淡墨(あわずみ)色の瞳を見上げた。
「トレキバの休憩室に最初に行ったとき。アルテミシア様のうっかりで、お姿を拝見してしまって。レヴィア様がそれをかばわれて」
 二人はそのときのレヴィアの目付きを思い出し、同時に身震いをする。
「坊はお嬢を(かい)して世界とつながっているからな」
 リズワンは薄く笑って目を伏せた。
「まあ、気長に付き合ってやれ。お前たちも坊の特別だ」
「私たち、も?特別?」
 フロラが部屋の隅から身を乗り出す。
「そうさ。世界に出て初めて得た仲間だ。お前たちにも、坊は特別だろう?」
「はい」
 トーレとフロラが力強い返事をする。
「殿下は、僕らを差別なさらない。新しい居場所と知識、仕事を下さいました。ジーグ隊長と殿下は、僕たちの恩人です」
 生真面目に(かしこ)まるトーレを、ラシオンが可笑しそう眺めた。
「友達にもなってやれよ。差別も何も、レヴィアには身分なんて意識はねぇだろ。あいつに必要なのは仲間、友人だよ。殿下とか恩人とかって思われることじゃなくて、な」
「友、人…」
 フロラは少し目を伏せて考え込む。
「恐れ多くは、ないですか?」
 仲間うちで一番長く首都で暮らし、「世間」もそれなりに肌で学んでいるトーレの遠慮した様子に、ラシオンがはっきりと笑う。
「ねぇよ。レヴィアが望んでねぇんだから。ま、ヴァイノはちょっと過ぎるから、少しは思い知ったほうがいいけどな」
「今ごろお灸を()えられてるさ」
 リズワンが弟子たちと、にやりとした笑みを交わし合った。
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