トーラの竜家
文字数 3,321文字
きれいで、強くて、格好よくて。
頑固で、喧嘩っ早くて、せっかちな女性 が、レヴィアの強いまなざしにたじろぎ、一歩下がった。
その目が明らかに泳いでいる。
チラリとレヴィアを見て右にそらし、また見ては左に逃げる。
「朝ご飯。本当は、まだなんでしょう?どうして食べたなんて、」
レヴィアがさらに問い詰めようとしたとき。
「レヴィ!スィーニと遠乗りに行こう!今、誘いに行こうと思っていたんだ」
明後日の方向をむいたまま。
アルテミシアは不自然なほどに明るい声で、レヴィアをさえぎった。
「え?」
「いつになったら連れ出してくれるんだって、怒られていたところなんだ。スィーニの機嫌を取るのはレヴィの役目だろう!」
「えええ~?」
レヴィアが戸惑っているうちに、アルテミシアはさっさとスィーニの背に鞍 を置いて、身軽に騎乗する。
「ほら、おいで!」
「でも、あの」
「……来ないのか?じゃあ、仕方ない。つまらないけど、ひとりでスィーニと遊んでくる」
いつまでたっても伸ばした手を取らないレヴィアに、アルテミシアはふいと横を向いてしまった。
「……レヴィと行きたかったのに……」
「僕と?」
「……だって、ほかにいないもの」
――ほかにいない――
それは竜に騎乗できる人間のことなのか、遠乗りしたい人間のことなのか。
それはわからないけれど、レヴィアの心を浮き立たせるには十分だった。
「行く!行くったら!」
慌てて一歩踏み出て、レヴィアは両手が塞がっていることに気づく。
「これ、どうしよう」
「ん?」
「朝ご飯。ミーシャと食べようと思って」
「ふふっ」
アルテミシアが浮かべた花のような笑顔に、レヴィアの視線は釘付けになった。
(ああ、……可愛い……)
どうして、こんなにも囚われてしまうのだろう。
アルテミシアのすべてに。
(ミーシャのために、僕は世界を守る。必要ならば、僕のすべてで戦おう)
心に固く誓うレヴィアの前で、アルテミシアはクスクスと笑っている。
「レヴィは用意がいいな。よし、遠乗りの行き先は丘陵地帯にしよう」
「カーヤイ領にある?」
「そう。風がよく通る、眺めのいい場所なんだ。そこで朝ご飯にしよう」
「ふーぅん。……やっぱり食べてないんじゃない、朝ごはん」
腰袋に包みをしまいながら、レヴィアは軽くアルテミシアをにらんだ。
「う……。ちょっと急いでたんだ。竜主番は久しぶりだったから。ほら、早く乗らないと行っちゃうぞ!」
手綱 に手をかけたアルテミシアに、レヴィアはふと不安になる。
「本当に、邪魔じゃない?ひとりで行きたいのに、我慢とか……」
「ああ、もお!」
うつむきそうになるレヴィアの腕をつかみ、アルテミシアは強引に引っ張り寄せた。そして、そのまま流れるようにレヴィアの額に優しく唇を寄せる。
「レヴィと一緒じゃなきゃ、楽しくないんだってば」
「……うん!」
柔らかな唇に甘く心をうずかせて。
レヴィアはアルテミシアの手を取って鞍 に飛び乗った。
街人たちから歓声を送られながら、スィーニは竜舎前の広場から大空へと飛び立っていく。
「カーヤイ領の丘は、とても気持ちがいいんだ。いつか絶対、レヴィを連れて行こうと思ってた」
「……ん」
風に揺れるアルテミシアの髪に頬をくすぐられながら、レヴィアは生返事をした。
スィーニに乗ると、どうしても思い出してしまう。
この腕の中で目を閉じ、ぐったりとしてたアルテミシアを。
あの強烈な焦燥と恐怖は、いまだにレヴィアの胸を凍えさせるものだった。
「どうかした?」
黙り込んだレヴィアを、アルテミシアが振り返る。
「どうもしないよ。……嬉しいなって、思って」
「何が?」
「ミーシャとまたスィーニに乗れること。遠乗りに行けること。……貴女 が生きてること。全部、嬉しい」
「っ!」
囁 くようなレヴィアの声に、アルテミシアがぱっと顔をそらせた。
それは、朝の挙動不審なアルテミシアを思いこさせて……。
「ねえ、ミーシャ」
「ん?」
「また何か隠してない?ロシュをメイリに託そうとしてたときみたいに、」
「ない!」
レヴィアの言葉にかぶせて、アルテミシアは強く否定する。
「そういう、その、レヴィを悲しませるようなこと、じゃない、……多分。……多分な」
いつも潔いアルテミシアの潔くない様子に、レヴィアはたちまち疑心暗鬼になった。
「そういうことじゃないなら、何を隠しているの?」
「か、隠してない、ぞ……?」
レヴィアがさらに追及しようとしたとき。
「あ、レヴィ、ほら見て!」
「え?」
「この街、翼の形をしてる!」
地上を示す指につられて、レヴィアも見下ろしてみれば。
「本当だ……!」
レヴィアも思わず、感動の声を上げた。
偶然だろうか。
高層の療養所を含む、街の中枢機関を集めた半円状の地区を軸に、商業地区、工芸地区、居住地区と三方向に分かれて伸びる構造の街は、確かに片翼を彷彿 とさせる形をしていた。
「地上にいるだけではわからない景色を、レヴィとスィーニだけが、空から見つけられるんだな」
肩越しに振り返ったアルテミシアが、優しい微笑みを浮かべている。
「僕だけじゃないよ。今はミーシャだって見てるでしょう。……本当は、いつも貴女 と同じ景色を見たいんだ。……ねえ、ミーシャ」
「ん?」
「空の上では、誰の耳もないよね」
「そうだな。……何が聞きたい?」
「
(ミーシャはわからないって、答えていたけど……)
けれど、アルテミシアはある程度、予想がついているのではないか。
レヴィアはずっとそう思っていた。
「レヴィア殿下」
アルテミシアの声が騎士になる。
「改めて希 います、私の主 。トレキバで竜仔を育てた方法は、私以外では主 と従者だけが知る、トーラ竜家の絶対の秘密です」
「トーラ、竜家?」
細い声で繰り返すレヴィアに、アルテミシアは力強くうなずいた。
「レヴィアがスィーニを特別な竜にしたんだし、トーラはロシュとスィーニの故郷だ。竜家でなくて何だというんだ?」
当然だとアルテミシアは笑っているけれど、レヴィアは胸が詰まって、何と応えたらいいのかわからない。
「レヴィア・レーンヴェスト。貴方 が、トーラ竜家の始祖だ」
「……トーラの竜家は、僕だけじゃないよね?ミーシャもだよね?」
「もちろん。私は帝国の系譜から出て、トーラに根付くと決めたからな」
きっぱりとうなずいてくれるアルテミシアに、レヴィアの不安はたちまち溶けていった。
「竜仔はな、血を分けた者の願いを宿すと言われてるんだ。ロシュは揮発息の能力が高いだろう?連続であれだけの量を噴けるなんて、私も驚いた。……そうならいいと、願っていたままの仔だったから。なにしろ、トーラの竜は二頭しかいないから、戦闘能力の高さが戦の勝敗を左右する」
「うん」
「竜仔の持つ特質がどうしてそうなるのか、本当のところは未解明な部分が多い。バシリウス竜も揮発息に優れていたが、いつも同じではなかったし。でも、私は思うんだ」
アルテミシアはレヴィアの胸に背中をもたれかけさせて、空を見上げる。
「レヴィアは、飛びたかったんじゃないのか?」
(飛びたかった……?僕は……)
アルテミシアとジーグを、トレキバの河原で見つけたあの日。
甲高い鳴き声を響かせて、一羽の鷹が悠然と夕空を渡っていった。
ここではないどこかへ。
自由に飛んで行ける翼を、憧れを胸にずっと見送っていた。
「そう、だね。……僕はずっと、どこか遠くに行きたかった。トレキバの森から逃れて、自由になりたかった……」
そうして、心の空に飛ぶ鷹が目指す先にいるのは。
(アルテミシア……)
想い人を抱く腕に、レヴィアはぎゅっと力を込めた。
「貴女 が僕に、翼とスィーニをくれたんだ」
「そう、レヴィアにはもう翼がある。どこにだって自由に飛んで行ける。怖いことも痛いことも、もうないんだ」
「怖いことはあるよ。ミーシャがいなくなっちゃうこと。それが僕は何よりも怖い。貴女 がいてくれるから、僕は飛べるんだ。だって、僕はミーシャが」
ふっと口をつぐんだレヴィアに、アルテミシアも何も聞かない。
黙り込んでしまったふたりに、夏の名残りの熱をはらむ風が吹きつけていた。
頑固で、喧嘩っ早くて、せっかちな
その目が明らかに泳いでいる。
チラリとレヴィアを見て右にそらし、また見ては左に逃げる。
「朝ご飯。本当は、まだなんでしょう?どうして食べたなんて、」
レヴィアがさらに問い詰めようとしたとき。
「レヴィ!スィーニと遠乗りに行こう!今、誘いに行こうと思っていたんだ」
明後日の方向をむいたまま。
アルテミシアは不自然なほどに明るい声で、レヴィアをさえぎった。
「え?」
「いつになったら連れ出してくれるんだって、怒られていたところなんだ。スィーニの機嫌を取るのはレヴィの役目だろう!」
「えええ~?」
レヴィアが戸惑っているうちに、アルテミシアはさっさとスィーニの背に
「ほら、おいで!」
「でも、あの」
「……来ないのか?じゃあ、仕方ない。つまらないけど、ひとりでスィーニと遊んでくる」
いつまでたっても伸ばした手を取らないレヴィアに、アルテミシアはふいと横を向いてしまった。
「……レヴィと行きたかったのに……」
「僕と?」
「……だって、ほかにいないもの」
――ほかにいない――
それは竜に騎乗できる人間のことなのか、遠乗りしたい人間のことなのか。
それはわからないけれど、レヴィアの心を浮き立たせるには十分だった。
「行く!行くったら!」
慌てて一歩踏み出て、レヴィアは両手が塞がっていることに気づく。
「これ、どうしよう」
「ん?」
「朝ご飯。ミーシャと食べようと思って」
「ふふっ」
アルテミシアが浮かべた花のような笑顔に、レヴィアの視線は釘付けになった。
(ああ、……可愛い……)
どうして、こんなにも囚われてしまうのだろう。
アルテミシアのすべてに。
(ミーシャのために、僕は世界を守る。必要ならば、僕のすべてで戦おう)
心に固く誓うレヴィアの前で、アルテミシアはクスクスと笑っている。
「レヴィは用意がいいな。よし、遠乗りの行き先は丘陵地帯にしよう」
「カーヤイ領にある?」
「そう。風がよく通る、眺めのいい場所なんだ。そこで朝ご飯にしよう」
「ふーぅん。……やっぱり食べてないんじゃない、朝ごはん」
腰袋に包みをしまいながら、レヴィアは軽くアルテミシアをにらんだ。
「う……。ちょっと急いでたんだ。竜主番は久しぶりだったから。ほら、早く乗らないと行っちゃうぞ!」
「本当に、邪魔じゃない?ひとりで行きたいのに、我慢とか……」
「ああ、もお!」
うつむきそうになるレヴィアの腕をつかみ、アルテミシアは強引に引っ張り寄せた。そして、そのまま流れるようにレヴィアの額に優しく唇を寄せる。
「レヴィと一緒じゃなきゃ、楽しくないんだってば」
「……うん!」
柔らかな唇に甘く心をうずかせて。
レヴィアはアルテミシアの手を取って
街人たちから歓声を送られながら、スィーニは竜舎前の広場から大空へと飛び立っていく。
「カーヤイ領の丘は、とても気持ちがいいんだ。いつか絶対、レヴィを連れて行こうと思ってた」
「……ん」
風に揺れるアルテミシアの髪に頬をくすぐられながら、レヴィアは生返事をした。
スィーニに乗ると、どうしても思い出してしまう。
この腕の中で目を閉じ、ぐったりとしてたアルテミシアを。
あの強烈な焦燥と恐怖は、いまだにレヴィアの胸を凍えさせるものだった。
「どうかした?」
黙り込んだレヴィアを、アルテミシアが振り返る。
「どうもしないよ。……嬉しいなって、思って」
「何が?」
「ミーシャとまたスィーニに乗れること。遠乗りに行けること。……
「っ!」
それは、朝の挙動不審なアルテミシアを思いこさせて……。
「ねえ、ミーシャ」
「ん?」
「また何か隠してない?ロシュをメイリに託そうとしてたときみたいに、」
「ない!」
レヴィアの言葉にかぶせて、アルテミシアは強く否定する。
「そういう、その、レヴィを悲しませるようなこと、じゃない、……多分。……多分な」
いつも潔いアルテミシアの潔くない様子に、レヴィアはたちまち疑心暗鬼になった。
「そういうことじゃないなら、何を隠しているの?」
「か、隠してない、ぞ……?」
レヴィアがさらに追及しようとしたとき。
「あ、レヴィ、ほら見て!」
「え?」
「この街、翼の形をしてる!」
地上を示す指につられて、レヴィアも見下ろしてみれば。
「本当だ……!」
レヴィアも思わず、感動の声を上げた。
偶然だろうか。
高層の療養所を含む、街の中枢機関を集めた半円状の地区を軸に、商業地区、工芸地区、居住地区と三方向に分かれて伸びる構造の街は、確かに片翼を
「地上にいるだけではわからない景色を、レヴィとスィーニだけが、空から見つけられるんだな」
肩越しに振り返ったアルテミシアが、優しい微笑みを浮かべている。
「僕だけじゃないよ。今はミーシャだって見てるでしょう。……本当は、いつも
「ん?」
「空の上では、誰の耳もないよね」
「そうだな。……何が聞きたい?」
「
あの人
も言ってたこと。……スィーニは、どうして飛ぶのかって」(ミーシャはわからないって、答えていたけど……)
けれど、アルテミシアはある程度、予想がついているのではないか。
レヴィアはずっとそう思っていた。
「レヴィア殿下」
アルテミシアの声が騎士になる。
「改めて
「トーラ、竜家?」
細い声で繰り返すレヴィアに、アルテミシアは力強くうなずいた。
「レヴィアがスィーニを特別な竜にしたんだし、トーラはロシュとスィーニの故郷だ。竜家でなくて何だというんだ?」
当然だとアルテミシアは笑っているけれど、レヴィアは胸が詰まって、何と応えたらいいのかわからない。
「レヴィア・レーンヴェスト。
「……トーラの竜家は、僕だけじゃないよね?ミーシャもだよね?」
「もちろん。私は帝国の系譜から出て、トーラに根付くと決めたからな」
きっぱりとうなずいてくれるアルテミシアに、レヴィアの不安はたちまち溶けていった。
「竜仔はな、血を分けた者の願いを宿すと言われてるんだ。ロシュは揮発息の能力が高いだろう?連続であれだけの量を噴けるなんて、私も驚いた。……そうならいいと、願っていたままの仔だったから。なにしろ、トーラの竜は二頭しかいないから、戦闘能力の高さが戦の勝敗を左右する」
「うん」
「竜仔の持つ特質がどうしてそうなるのか、本当のところは未解明な部分が多い。バシリウス竜も揮発息に優れていたが、いつも同じではなかったし。でも、私は思うんだ」
アルテミシアはレヴィアの胸に背中をもたれかけさせて、空を見上げる。
「レヴィアは、飛びたかったんじゃないのか?」
(飛びたかった……?僕は……)
アルテミシアとジーグを、トレキバの河原で見つけたあの日。
甲高い鳴き声を響かせて、一羽の鷹が悠然と夕空を渡っていった。
ここではないどこかへ。
自由に飛んで行ける翼を、憧れを胸にずっと見送っていた。
「そう、だね。……僕はずっと、どこか遠くに行きたかった。トレキバの森から逃れて、自由になりたかった……」
そうして、心の空に飛ぶ鷹が目指す先にいるのは。
(アルテミシア……)
想い人を抱く腕に、レヴィアはぎゅっと力を込めた。
「
「そう、レヴィアにはもう翼がある。どこにだって自由に飛んで行ける。怖いことも痛いことも、もうないんだ」
「怖いことはあるよ。ミーシャがいなくなっちゃうこと。それが僕は何よりも怖い。
ふっと口をつぐんだレヴィアに、アルテミシアも何も聞かない。
黙り込んでしまったふたりに、夏の名残りの熱をはらむ風が吹きつけていた。