すれ違い

文字数 3,435文字

 つまみ食いを続けようとするヴァイノの背中を、ポカポカ叩いていたフロラだったが。
 つい昨日会った

のことを思い出したとたんに、自然とその手の勢いは弱くなっていった。

◇ 
 昼食後の片づけを終えたフロラが、休憩を取ろうかと離宮廊下へ出たとき。
「あ、レヴィア、様!」
「ああ、フロラ。……どうしたの?」

(”どうしたの”はレヴィア様のほうですよ?今日もしょげ返っっちゃって……)

 フロラは眉を曇らせてレヴィアを見上げる。
「あの、よろしければ、また一緒に、お菓子、焼きませんか?皆さんに、差し入れ、しましょう」
「うん、そう、だね。でも……。みんな、忙しくて別行動が多いし、それに……」
 レヴィアは力なく、窓の外に目をやった。
「ミーシャは最近、僕の作った焼き菓子、食べてる暇がないって」
 切なそうに眉を寄せる視線を追えば、その向こうには竜舎がある。
「何か、ありましたか?」
 聞こえたのか、聞こえなかったのか。
 レヴィアは無言で竜舎を見つめ続けていた。

 フロラの料理を片手に、レヴィアはわくわくしながら竜舎に足を踏み入れたのだが。
「ミーシャ!……あれ?さっき、こっちに向かってたのに」
「クルルゥ、クルゥ」
 頬にすり寄せられたロシュの(くしばし)を、レヴィアは軽くなでた。
「そうだね。最近、遊んでないね。……ねぇ、スィーニ、ミーシャは?こっちには来なかった?」
「クる、クるる」
「え、行っちゃったの?裏口から?どうして?……僕が来た、から?」
 伸ばされたその首に腕を回して、レヴィアは藍色の美しい竜をすがるように抱きしめる。
「僕、ミーシャに何かしたかな。ミーシャ、目も合せてくれないんだ。……どうしてかな……」
 声を湿らせるレヴィアの頭に(くちばし)を乗せながら、スィーニはギロリとロシュをにらんだ。
「グるる」
「クルッ」
 抗議の唸り声を無視して、ロシュはスィーニから顔をそらしたのだが。
「ぐすん……。ぐす、ぐす」
 鼻をすするレヴィアに気づくと、その耳元に(くちばし)を寄せて、器用に鳴らし始めた。

 カチカチカチカチ、カチカチカチカチ。

 軽快に繰り返される音に、レヴィアの潤んだ目が上がる。

――(ひな)羽繕(はづくろ)いをする仕草を、仲間同士でやることもあるんだ。(くちばし)の音で示す、親愛の挨拶だな。それをやってもらえるようになったら、竜守として一人前だ――
 
 そう言って笑っていたアルテミシアを思い出しながら、レヴィアはロシュに手を伸ばした。
「慰めて、くれてるの?」
 
 初めて(くちばし)の挨拶をしてもらえたことを、アルテミシアに話したいと思う。
 けれど、きっと今は聞いてもらえない。
 声をかけるたびに、アルテミシアから返されるのは臣下としての礼。
 硬い横顔と敬語。

「僕、嫌われて、ないよね……?」
 声が震えるのを(こら)えながら、レヴィアはロシュの(くちばし)に額を当てた。

「……あの、レヴィア様?」
「あ、ごめん」
 やっとフロラの声が耳に入ったのか、レヴィアは慌てて視線を戻して、形だけの微笑みを浮かべる。
「えっと、また今度ね」
「……はい」
 立ち去る背中を見送りながら、フロラはもどかしそうなため息をついた。    
 
 そして、その日の夕方。
 水()みのために表に出たフロラは、戻ってきたアルテミシアと鉢合わせをした。
「夕食の準備か?精が出るな、ありがとう」
 いつもと何も変わらぬ様子で、アルテミシアはフロラの横を通り過ぎていく。
 風に吹き流された紅の髪が頬をかすめたとき、ためこんでいたフロラの気持ちが爆発した。
 
 レヴィアはあんなにしょんぼりとしているのに。
 見ている者が切なくなるほど、求めているのに。

「ア、アルテミシア様は、ひどすぎます!レヴィア様が、可哀想、です!」
 驚いて振り返ったアルテミシアの目に、華奢(きゃしゃ)な少女が(こぶし)を握りしめて、仁王立ちをしている姿が映った。
「レヴィア様は、私とお菓子を作っていても、いっつも、”ミーシャが好きなのは””ミーシャが食べたときにね”って。貴女(あなた)のことばっかり、なんです!わ、私は平民で、身分違い、ですけど、でもっ、こんな私にも、レヴィア様は、お優しくて」
 (なか)ば怒鳴るようになったフロラだが、呆然と棒立ちになっているアルテミシアに気づいて口を閉じる。

(こんなこと、言ってはいけなかった……) 

「あ、あの、ごめんなさ」
「フロラはいつも正しいな。私は(ひど)い人間だし、人殺しだ」
「えっ?」
「フロラ。レヴィアは”身分”なんかにこだわる、そんな小さい人間じゃない。わかっているだろう?だから、そんなことは気にせずに、そばで支えてやってほしい。それだけ思ってくれる人がいるなら安心だ」
 わずかに口の端を上げてみせてから、アルテミシアは歩き去っていった。
 
 アルテミシアを見送るフロラの胸がキュッと痛む。
 
 何の理由があるのかはわからない。
 だが、アルテミシアがレヴィアと距離を置いているのは、彼女自身のためではないらしい。
 立ち去り際に見せたあの顔。
 あれは、笑ったつもりなのだろうか。

「泣きべそ、みたい……。あーあ、かっこいいのになぁ、レヴィア様。……敵わないなぁ」
 夕焼けに染まる(くれない)の雲が広がる空を見上げ、フロラは大きな息を吐き出した。


「最近、空気おかしい、よね」
 アルテミシアの歪んだ笑顔を頭から追い出して、フロラはため息をつく。
「だなー」
「レヴィア殿下とアルテミシア様は、その極みだけどね」
 ヴァイノとメイリも顔を見合わせ、うんうんと首を振った。

 (いくさ)の足音が間近に聞こえる現在、アルテミシアは常に騎士の顔を崩さない。
 笑顔ひとつ見せない師匠に、剣の稽古(けいこ)をねだるどころか、声をかけることすら、ためらわれるヴァイノだ。
 だって、今のアルテミシアは「ぼっこぼこにする」と言い放った、あの夜明けと同じ目をしているから。

 燻製(くんせい)肉を取り上げられたヴァイノは、昼食の残りの芋を摘まみながら、大げさに息を吐く。
「さすがのオレも胃が痛てぇよ。ふくちょもだけど、クローヴァ軍へ行ったカリートなんか、すっげぇトゲトゲしてんだもん。オマエは棘草(イラクサ)かっつぅくらい」
 クローヴァの伝令として、離宮を訪ねてきたカリートを思い出したメイリもうなずいた。
「そうだね……。みんな、トゲトゲしてるね」
 果物を選んでいた手を止め、知らず(ふところ)を押えるメイリの仕草に、ヴァイノが目を留める。
「なぁ、さっきから、なんでそこ気にしてんの?あ、何か入って、え、手紙?おぉ~、恋文とか?どこの物好きよ」
 からかいながら、ヴァイノはメイリの(ふところ)からちらりと見えている封書に手を伸ばそうとした。
「ダメ!」
 メイリの大声にヴァイノの動きが止まる。
「え……。そんなに大事なもん?ふ~ん、あっやしぃ~」
 その必死さに(あお)られたヴァイノの指が、封書に触れた、その瞬間。
「メイリ?!」
 フロラの叫び声が響き渡る。
「なに、なんで?そんな怒ること?!」
 身につけていた小剣を抜いたメイリに、ヴァイノは面食らいながら後ずさった。
「ダメって、ダメって言ったじゃん!」
「わっ、ゴメンって。メイリっ、やめろ!あっぶねぇから!」
 手にした剣を滅茶苦茶に振り回すメイリに追いかけられて、ヴァイノは厨房(ちゅうぼう)を逃げ惑う。
 追いつ追われつするふたりが棚にぶつかり、収納されていた鍋釜が派手な音を立てて床に散乱した。
「ヴァイノ、言って!誓ってよ!」
「何を?!」
「しないってっ」
 慣れない小剣を振るうメイリの息は痛々しほど弾み、鼻すれすれに振り抜かれた刃を、体をのけぞらせてヴァイノが()ける。
「だからっ、何をだよ!!」
「どうした!」
 飛び込んできたのは、騒ぎを聞きつけたジーグだ。
 そして、涙を浮かべながら斬りかっているメイリと、おろおろ逃げるヴァイノを見て、瞬時に状況を把握する。
「ヴァイノ!”二度としない”と言え!」
「え?は?」
「早く!!」
「しな、しない!二度としないぃぃ!」
 ヴァイノの絶叫するような誓いを聞いた瞬間、メイリの手から小剣が滑り落ちていった。
「あぁ……」 
 ヘナヘナと崩れるように床に座り込んだメイリの前に、ジーグが膝をつく。
「リズィエのせいだな。許してくれ。……どう託された?」
「お手紙を、いただいて……。名誉だと、思うんです。そうまで信じてくださって。でも、不安で。だって、どうして?アルテミシア様は、あんなにお強いのに」
「……すまない。二度とこんな思いはさせない。だから、今しばらく預かっておいてもらえるか」
「もちろんです」
 震える手をキュッと握ってうなずいたメイリの肩を、ジーグが慰めるように叩いた。
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