心のありか

エピソード文字数 3,879文字

 夕刻を過ぎても、アルテミシアは食堂にも姿を現さなかった。

(いないかな…)
 気配のない部屋の前に(たたず)むレヴィアは、運んできた夕食を片手に思い惑う。
 しばらくためらい、そっと合図をしてから扉を開けてみる。
 室内にアルテミシアが戻った形跡はない。
 食事の乗った盆を卓に置き、レヴィアは何気なく窓の外に目を遣った。
 日が落ちてから降り出した雪が、厳しい寒さにも葉を落とさない針葉樹を縁取り始めていた。
 時折強い真冬の風が吹き荒れ、降る雪と積もった雪を同時に空に巻き上げる。
 その光景を眺めているうちに、レヴィアはふと思いついたことがあり、いったん自分の部屋へと戻った。

 指先までかじかむ風が吹き降りてくる。
 トゥクースはトレキバのだいぶ南に位置するとはいえ、先ほど降り始めた雪は、あっという間に周囲を白く浮かび上がらせていた。
 
 トレキバのものをそのまま移築したのかと思うほど、離宮の薬草畑の風景はそれとよく似ている。
 違いといえば、トレキバでは小屋や畑の周囲に張り巡らされていた何重もの(わな)が離宮にはない。
 レヴィアが元園丁のギードに罠の設置を尋ねると、「ここでは必要ありません。あれは主にカーフ除けです」と言っていた。どうやらギードは訪れるたび、レヴィアも知らない(わな)をさまざま仕掛けていたようだ。
「たまに使用人やカーフが掛かっていたようです。ざまあみろです」
 ギードはしてやったりと笑っていた。
 
 小屋の外の作業台で(ひざ)を抱え、アルテミシアは雪の舞い落ちる夜空を見上げる。
 小屋の(のき)で辛うじて雪宿りはできているが、冷気までは防げない。凍える指先を口元につけて息を吹きかけると、白い息が夜の畑に溶けていった。
 トレキバの夜も「遠い」と思った。今はさらに「遠い」。
 サラマリスに「守り合う」という関係はない。幼いころより、竜騎士としての自律を求められる。両親と自分も親子の情ではなく、同族としての敬意で結ばれていたと思う。
「守り“合う”、か…。バシリウス、マイヤ、ラキス、フェティ」
 星の代わりに雪がちらつく凍てついた空を見上げ、もういない家族の名を呼んでみる。
 ふとレヴィアの歌を思い出した。
「えっと、何だっけ…。なつ、かしくいと、しい…?。…アガラム語は、難しいな…」
「懐かしく愛しい、遥かなる者。今は安らぎ、静かに眠る。愛を届け、祈り届け。苦しみも悲しみも、遠い世界。愛を届け、祈り届け」
 畑に巡らされた囲いの出入り口から、あの夜よりも低くなった歌声が近づいてくる。
「レヴィ…」
 振り仰ぐアルテミシアに、レヴィアはあの白地に青の幾何学模様が編まれた毛布をそっと羽織りかけた。
 足元に置かれた角灯が、ほのかに二人を照らし上げる。
「これから、まだ気温下がるよ。もう、部屋に入ったら?」
 あの夜とまったく同じことをレヴィアは言う。
 アルテミシアは笑いながら首を横に振った。
「まだ眠くない。毛布も貸してもらったし」
「トレキバでは夜中だったね。あの、いい?」
 レヴィアがためらいがちに、アルテミシアの横を目で示す。
(あの夜は、戻ると言っていたレヴィアを強引に毛布の中に閉じ込めたのに)
 アルテミシアは思い出しながら微笑む。
「もちろん。どうぞ」
 隣に座ったレヴィアに毛布を巻きつけようとしたが、長さが足りなかった。
 大きくなってしまったレヴィアを寂しそうに、気遣わしそうにアルテミシアは見上げた。
「…もう入りきらないな。寒くないか?」
 竜騎士ではないアルテミシアは本当に久しぶりだ。その瞳の中に自分がいる。
 レヴィアの不安がたちまち溶けていった。
「大丈夫、だよ。僕にはこれもあるし」
 レヴィアは知らず笑顔になりながら、軍服の肩羽織を広げてみせた。
「今だったら、逆ができるかも」
「逆?」
 不思議そうな顔をするアルテミシアの肩に腕を回しながら、レヴィアはその体を厚生地の肩羽織で包んだ。
「ほんとだ」
 アルテミシアがくすり、と笑う。
「あの夜と逆だな。…温かいな…」
 アルテミシアはレヴィアの肩に寄り掛かかった。
 冷たかったアルテミシアの指先が、二人分の体温で温まっていく。
「誰かと一緒だと温かいって、ミーシャが教えてくれたんだよ。あの夜に」
「…そうだったな…。レヴィ、もう一度歌って?」
 アルテミシアは再び雪空を見上げた。
「駄目」
 滅多にないレヴィアの拒絶に、アルテミシアは驚いてその横顔に目を移した。
 今夜、空は重い雪雲に(おお)われている。
 足元の角灯と雪明りだけでは、レヴィアの表情は(つぶさ)にはわからない。
「駄目?どうして?」
「怒ってるから」
 平坦な声が返ってくる。
「怒ってる?レヴィが?誰に?何に?」
「…ヴァイノと僕に、かな。あとミーシャに」
 アルテミシアは黙り込んだ。
 (いくさ)の準備にかこつけて、レヴィアと距離を取るようにしてきた。すれ違うたび、何か言いたそうにしている姿を無視し続けた。
 レヴィアが怒るのも無理はない。
 こんな自分を見限って、新しい仲間と仲良くして欲しい。そう覚悟して取っていた態度だ。
「ヴァイノは、ずるい」
 ぼそっとレヴィアはつぶやいた。
「ずるい?」
「僕だって、言いたかった。ミーシャを守るって。…別に、言わなくてもいいんだけど。ミーシャは僕の話なんか、聞いてくれないし」
 初めて聞く不貞腐(ふてくさ)れている声で、レヴィアは独り言のように文句を言う。
 その珍しい態度に、アルテミシアはレヴィアの顔をのぞき込んだ。
 レヴィアはふい、と顔を(そむ)ける。アルテミシアは回り込んでのぞき込こもうとした。
 レヴィアもまた別の角度に顏をそらす。さらにアルテミシアがのぞき込む。
 そんなことを何度も繰り返し、ついに二人は、どちらからともなく吹き出して笑い合った。
「ぷっ、あはは!」
「ふふふっ!」
 雪の舞う畑に二人の笑い声が響く。
 やっと目が合ったレヴィアに、アルテミシアの首が傾いた。
「もう怒ってない?」
「ううん、怒ってる。…僕に。ミーシャに信頼してもらえない、自分に」
「そんなはずないだろう。レヴィアを信頼しないなんて」
「でも、竜の秘密を、メイリに伝えるんでしょう?僕じゃなくて」
「あれは…、だって…」
 アルテミシアはうつむいてしまう。
「レヴィは知っている内容だ。前に一度話してる」
「え?」
 今度は、レヴィアがアルテミシアをのぞき込んだ。
「僕の、知ってること?あんな暗示までかけて?何を伝えるつもりなの?」
「暗示を掛けたのは、ほかの者が竜術を奪い、利用することのないように」
 アルテミシアは顔を上げない。核心に答えない。
 だが今は誤魔化されてはやれなかった。
「メイリに、何を伝えるつもりなの?」
 答えてくれるまで、何度でも尋ねる。レヴィアはその気持ちを強い声に込めた。
 長い沈黙の後、アルテミシアがレヴィアへ視線だけを向ける。
(いくさ)だから」
「…うん?」
「私が戻れない可能性があるから。メイリが知る条件は、“アルテミシアがいなくなったら”。内容は“契約者交代の方法”」
「そんな!」
 レヴィアの瞳が見開かれた。
 アルテミシアは、万が一自分が(いくさ)で命を落とした場合、ロシュをメイリに託す気なのだ。
「ミーシャ一人で戦うわけじゃない!僕たちは、互いに守り合うんだから、」
「レヴィ、覚悟をしろと言っただろう。生き残る覚悟を」
 レヴィアの訴えは、アルテミシアの冷静な声に(さえぎ)られる。
貴方(あなた)は最後の一人になっても、生きて国へ戻る責務がある」
「そんな責務知らないっ!」
 アルテミシアの両肩をつかんで、レヴィアは自分のほうを向かせた。
 若草色の瞳が丸くなる。
「僕の望む未来を作っていいって、言ってくれた!僕が望むのは、ミーシャが、みんながトーラで安らいで暮らせることだよ!僕一人生き残る未来じゃない。アルテミシア」
 何かを恐れるように揺らぐ若草色の瞳に、レヴィアのまなざしがまっすぐに注がれた。
「僕の竜騎士。貴女(あなた)の命を犠牲にした未来なんかいらない」
 レヴィアは強くアルテミシアを見つめ続ける。
貴女(あなた)には、僕は邪魔な存在かもしれない。けど、ミーシャが嫌でも、僕は勝手に付いて行く。貴女(あなた)とともに戦う。独りだった僕に手を差し伸べてくれたミーシャを、一人戦わせたりしない」
「…レヴィ…そういうことを、言うな…」
 アルテミシアはレヴィアの視線に耐えきれなくなり、ふいと顔を(そむ)けた。
「サラマリスには、“情を抱えてはならない”という(おきて)があるの。竜を操る者が、情で扱いを(かたよ)らせないように。間違いを犯さないように。だから、」
「ディアムド語を使わないでっ。暗示に、掛けないでっ」
 レヴィアの全霊をかけたような願いに、アルテミシアが首を小さく横に振った。
「暗示を掛けるためのディアムド語じゃない。そもそもレヴィに暗示は効かない」
 トーラ語に戻してくてくれたアルテミシアにほっとしながら、レヴィアは首を(かし)げる。
「…何で?」
 不安な表情をするレヴィアに、本当に久しぶりにアルテミシアが指を伸ばした。
 冷えた(ほほ)に触れるアルテミシアの指は温かくて優しい。
 レヴィアの胸は一杯になった。
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