王子の決断 -2-

エピソード文字数 2,431文字

 ディデリスがルベルから飛び降りる。
 崖ふちまで駆け寄るとしゃがみ込み、その身を乗り出した。
 毒竜がアルテミシアを放り投げ、深紅の髪が空中に広がった。 
「アルテミシアっ!」
 ここからどう飛べば、彼女をこの腕にとらえられるだろうか。
 ディデリスは本気で崖とアルテミシアとの距離を測った。 
「?!」
 翡翠(ひすい)の瞳が見開かれる。大きな影が眼下(がんか)の空を横切っていった。
 影はアルテミシアに近づくと、空中でその体を受け止める。
「クるゥー!」
(竜の鳴き声?だが、あれは…)
 影は見る間に浮上して迫り、ディデリスの頭上を飛び去っていった。
 陽を反射した翼が濃藍(こいあい)から青藍(せいらん)に光っている。
 ぐったりとしたアルテミシアを腕に(かか)えて手綱(たづな)を握るレヴィアをその背に認め、ディデリスは息を飲み呼吸を忘れた。
―レヴィア・レーンヴェスト―
 名乗った少年の声が耳によみがえる。
「トーラの、第二王子…」
 ディデリスは凍りつき、この世のものとも思えぬほど美しい青竜を、ただ呆然として見送るばかりだった。
 
 平原を飛び続けるアルバスをジーグが、ラシオンが、ヴァイノが見上げる。
「よくやった!頼んだぞ!」
 ジーグが叫ぶ。
「すっげ。何度見ても」
 左目から額を(さらし)(おお)われたヴァイノがつぶやいた。
「空の女王みたいだなぁ」
 ラシオンが仰ぎ見て口笛を吹く。
「てぇことは、うちのデンカは空の王だなっ!」
 痛みを(こら)えながら、ヴァイノがにしし、と笑って見せた。
「な、あれ?飛ぶ?竜?まさか?!」
 ニェベスを縛り上げる手を止めたカイがうろたえ、口を開けたまま空を見上げている。
 ジーグにさんざん殴られ蹴られたニェベスが、腫れ上がった顔を(ほう)けさせて腰を抜かしていた。
「グルゥゥゥっ」
 地上ではロシュが雄叫びを上げながら、アルテミシアの指示どおりに揮発息を吐いている。
 自動着火装置が最後の一巻(ひとまき)をカチリと打ち鳴らし、ひときわ大きな炎が敵軍に襲いかかった。
「撤退だ!こんなモノ相手にできるかっ!」
 イハウ兵士や傭兵(ようへい)たちが、我先にと逃げ出していく。
 トーラ軍の勝鬨(かちどき)が平原に(とどろ)く中、レゲシュ軍兵士が次々と剣を捨て、降伏をしていった。
「あれがレヴィア殿下の竜、ですか」
 捕虜の捕縛を命じ終えたビゲレイドが、馬を近づけてきた。
「そうだ」
 ジーグがうなずく。
「へぇぇえ、すっごい竜だな。見たことがない。きれーだったなー」
 感激しているカイに向かってエリュローンが(うな)り、その髪を(くちばし)でむしり始めた。
「うわっ、やめろ美人ちゃん!俺の一番はお前だよっ!やめろって!…ディデリス…」
 ルベルとともに戻ってきたディデリスの、その蒼白の顔を見てカイが口をつぐむ。
「第二王子はどこへ向かった」
 ジーグに向けられた赤竜隊長の厳しい顔つきと口調は、まるで敵を尋問しているかのようだ。
「トーラ陣営へ。リズィエの手当てを、」
 ジーグがすべて言い終わる前に、ディデリスはルベルを走らせていく。
「俺たちも戻ろうぜ。ふくちょ、だいじょぶかな」
 片目でアルバスを追うヴァイノにうなずくジーグの瞳は、重く、重く沈んでいた。

 傭兵(ようへい)の一群を抜けると、遠くアルバスの姿がレヴィアの目に入った。
 なぜと思うが、考えている暇はない。急いで指笛を吹き、頼もしい相棒を呼ぶ。
 急降下して自分に寄り添うように低空飛行をするアルバスに飛び乗り、崖下(がけした)へと向かうよう手綱(たづな)をさばいた。
 
 切り立った崖縁を飛んでいると、真っ逆さまに落ちていく毒竜が見えた。その体を長い深紅の巻き毛が包んでいる。
「ミーシャっ!ミーシャ!」
 レヴィアの叫び声に、アルバスの翼の羽ばたきが速まった。
 毒竜がアルテミシアを上空に放り投げ、その体が宙に浮かんだ。
「アルバスっ!」
 短い手綱(たづな)への指示を受け、アルバスが高度を上げる。
 長い紅髪(あかがみ)を空に広げながら、竜騎士が落下を始めていた。
 レヴィアは中腰になり、目いっぱいその腕を伸ばす。
 その胸の中に、吸い込まれるように落ちてきたアルテミシアを、レヴィアはしっかりと抱き止めた。
 ほっとしたのも束の間、濡れた手の感触にレヴィアが思わず視線を落とすと、自分の手が真っ赤に染まっている。アルテミシアに巻いた細布は、とっくに止血の用を成してはいなかった。
 あれからどれだけの時間が過ぎ、どれだけの血液がアルテミシアから失われたのか。
 こんな傷を負ったままで。
 アルテミシアは一人背負うために毒竜を(いざな)い、自分の元を去って行ってしまった。大切な女性(ひと)は今この腕の中で、ぐったりと動かない。
 レヴィアはぎりぎりと奥歯を噛みしめる。
「ミーシャっ!しっかりして!ミーシャ!」
 横抱きにしたアルテミシアの耳元に唇をつけ、レヴィアは呼び続けた。
 アルバスの羽ばたきが強まる。青の翼から作り出された風が、深紅の巻き髪を揺らす。
 アルテミシアの唇が微かに動き、ゆっくりと、血に染まった右手が上がった。
「…レ、ヴィ…」
「ミーシャっ!」
 レヴィアは慌ててその力ない指先を握る。
「…ぶじ…?」
「僕はっここだよっ!」
「ねえさま、ね、おきて、まもれ…ない…。でも、レヴィ…を…まも、り」
「守ってもらったよ!僕はここだよっ」
 血の止まらないアルテミシアの脇腹を、レヴィアは必死で押さえ続けた。
「レヴィ、せかいでいちばん…いち…ばん…」
 アルテミシアの全身の力がぐったりと抜け落ちていく。
「ミーシャっ?!アルバスっ!急いでっ!」
 アルテミシアを抱え手綱(たづな)を握るレヴィアの手が、血が通わなくなるほど握り込まれた。
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