青竜
文字数 2,093文字
なぜと思うが、考えている暇はない。
指を唇に当てて、頼もしい相棒を呼ぶ。
ピュィッ、ピィィィー!
「クるるるるぅー!」
指笛に応える鳴き声が、みるみるうちに近づいてきた。
「スィーニ!」
「クるっ」
急降下したスィーニの羽ばたきが生む風が、レヴィアの髪を揺らす。
「お願い、急いで!」
低空飛行を保つスィーニに飛び乗ると、レヴィアは
つづら折りの峡谷の、きつい曲がり目を抜けたそのとき、崖から毒竜が飛び出して落ちていった。
(あれはっ)
「ミーシャっ、ミーシャぁ!」
スィーニを急がせるレヴィアの目の前で、アルテミシアの体が毒竜から離れ、宙に浮いた。
ピィッ!!
短い指示にスィーニが高度を上げ、長い
中腰になって、目いっぱい腕を伸ばしたレヴィアの元に、引き寄せられるようにアルテミシアが落ちてきた。
その体を抱きしめ、ほっとしたのも束の間。
濡れた手の感触にレヴィアが視線を落とせば、真っ赤に染まった手にその理由を悟る。
止血に巻いた細布は、とっくにその用を成してはいないようだ。
あれから、どれほどの血液がアルテミシアから失われたのか。
こんな傷を負ったまま。
ひとり毒竜を
「ミーシャ!しっかりしてっ。ミーシャ!」
横抱きにしたアルテミシアの耳元に唇をつけ、レヴィアは呼び続けた。
アルテミシアのまつげが震え、唇が微かに動く。
「ミーシャ?!」
ゆっくりと上げられたアルテミシアの手を、レヴィアは急いでつかんだ。
「ごめん、なさい……」
「ミーシャっ」
「ラキス……。ねえさま、おきて、まもれ、なく、て……。でも、レヴィ……を、まも、り」
「守ってもらったよ!僕はここだよ、ミーシャ!ここにいるよっ」
握るアルテミシアの手があまりにも頼りなくて、レヴィアは何度も力を込める。
「レヴィ、せかいでいちばん……いち、ばん……」
「ミーシャ?!スィーニっ、急いで!!」
だらりと腕を下げたアルテミシアとレヴィアを乗せて、スィーニがふわりと上昇を始めた。
◇
ルベルから飛び降りたディデリスが、崖ふちにしゃがみこんで身を乗り出したそのとき、毒竜がアルテミシアを空中へと放り投げた。
『アルテミシア!』
長い真紅の髪に埋まるように浮いているアルテミシアの指先が、ぴくりと動いたような気がする。
(どう飛べばいい?どうすれば、彼女をこの腕に……)
崖とアルテミシアとの距離を測るディデリスの視界の端に、大きな影が紛れ込んできた。
(あれは?!)
影はみるみるうちに大きくなり、
再び落下を始めたアルテミシアの体が、その影に吸い込まれるようにして見えなくなった。
「クるぅー!」
(竜の鳴き声?だが……)
ディデリスの頭上を飛び去っていくその背中には、ぐったりとしたアルテミシアと……。
――レヴィア・レーンヴェスト――
アルテミシアを抱えるその少年が名乗った、若い声が耳に
『……トーラの、第二王子』
ディデリスは凍りつき、この世のものとも思えぬ美しい青竜を、ただ呆然として見送るばかりだった。
◇
平原の空を飛翔していくスィーニをジーグが、ラシオンが、ヴァイノが振り仰いで見送る。
「すっげぇな、何度見ても」
つぶやくヴァイノの左目から額は、
「空の女王みたいだなぁ」
目の上で手をかざしたラシオンが口笛を吹く。
「てぇことは、うちのデンカは空の王だなっ!」
痛みを
『な、竜?あれが?まさか、飛ぶ……?!』
ニェベスを縛り上げる手を止めて、カイは口を開けたまま呆気に取られている。
「グルゥゥゥっ」
地上では、アルテミシアの指示を守るロシュが雄たけびを上げながら、揮発息を吐き炎を噴いて、敵を蹴散らしていた。
自動着火装置がカチリと鳴って、ひときわ大きな炎が敵軍に襲いかかっていく。
「撤退だ!こんなバケモノ、相手にしてられるかっ!」
敵兵たちが我先にと逃げ出していくなか、トーラ軍の
「あれがレヴィア殿下の竜、ですか」
次々と剣を捨て投降するレゲシュ兵の捕縛を命じ終え、ビゲレイドが馬を近づけてくる。
『へぇぇえ、すっごい竜だな。見たことがない。きれーだったなー。でも、……へーぇ』
「グルゥゥ」
青竜に気を取られているカイの短い髪を、エリュローンが
『うわっ、やめろ美人ちゃん!浮気じゃないっ、俺の一番はお前だから!やめろって、イテぇっ!……お、ディデリス……』
『第二王子はどこへ向かった』
『トーラ陣営へ』
責めるように問われたジーグがすべて言い終わる前に、ディデリスはルベルを走らせていく。
「俺たちも戻ろうぜ。ふくちょ、だいじょぶかな」
片目でスィーニを追うヴァイノにうなずき返したジーグの瞳は、重く沈んでいた。