ドルカの背信 -クラディウスの告白 4-
文字数 3,638文字
ラキスの血と肉を飲み込むごとに、雛鳥 の体がむくむくと大きくなっていく。
産毛が抜け、筆毛 が全身にぽつりぽつりと生え出した。
「おおっ、これはっ!」
見ろ!
やはり全身食わせることが、正解だったのだ。
血餌 を与えても雛 のままだったアレが……。
ん?
体だけは斑 と同じくらいになったようだ。
羽鞘 がはがれた筆毛 からは、深紅の正羽 も広がっていく。
だが、嘴 は短く黄色い。
足も首も伸びない。
正羽 も生えそろわず、まばらなまま。
びちょり……、ぽた、ぽた。
聞きなれない妙な音に、思わず目を床に向けると。
「……なんだ、これは……」
声が震えるのも、仕方がない。
むき出しの鳥肌から透明な粘液が垂れ流れ、子供部屋の床に液溜 まり作っているのだから。
「気持ちの悪い」
思わず漏れた言葉に反応するように、黄色の嘴 がくわっと開く。
「くそじじぃっ」
「なん、だと」
デキソコナイの雛鳥 がヒトの声で鳴くと、ドタドタと子供部屋を出ていった。
「クソジジイっクソジジイっクソジジイ~っ!!」
廊下を走り去る足音とともに、けたたましい鳴き声が遠ざかっていく。
「まずいぞ、グイド!始末をつけろっ」
振り返ると、失神しているフェティを寝台に横たえたグイドが、腰帯に付けている革鞄 から小瓶を取り出した。
「それは、」
何だと聞く間もない。
「ぐ、あ”あ”あ”あ”あ”あ”っ!」
「ひぃっ!」
一気に中身を飲み下したグイドの苦悶の絶叫に、思わず一歩下がる。
胸を掻きむしり天井を見上げたグイドが、荒い息をつきながら、にらみつけてきた。
「ああそうですよ、これがあんたの望んだことなんだ、俺が望んだことなんだ、望んだ結果なんだから、始末をつけないとね」
瞳孔が点のようになったグイドが、早口でまくしたてながら廊下へと出ていく。
「あれ誰もいないね、これだけ騒いだのに、おやおや」
緊張感の欠片 もないグイドの声聞こえてきた。
確かにグイドの言うとおり。
あのデキソコナイの喧 しい鳴き声に、大騒ぎになっていてもおかしくないのだが。
扉からそっと顔を出してみると、ツンとした不快な刺激臭に、思わず鼻を手で覆 った。
そのまま首を伸ばしてみれば、廊下に倒れている護衛兵らしき男の頭を、グイドがつま先で突 いている。
「まだ生きてるけど息がつらそうだね、ははぁん、……ほら、おいでラキス」
びちょり、びちょりと粘っこい足音が階段をのぼってくる音がして、とうとうデキソコナイが二階の廊下に姿を現した。
「下まで行っちゃったのか、だから静かなんだね」
「クソ、」
「ああ、毒を吐くな吐くな、悪口ならあとでいくらでも聞くから」
開かれた黄色の嘴 をかわしながら、グイドは腰帯の小刀を抜く。
そして、鮮やかな身のこなしで、デキソコナイの目の下に傷をつけると、流れ出た血を指ですくってぺろりと舐めた。
「いたいぃぃぃぃ」
「ほら、飲んどけ」
人の言葉で鳴く口に、グイドが何かを放り込むと、ゴキュリとデキソコナイの喉 が鳴る。
「ぐ、ぐ、ぐいどー」
「よしよし」
べちょべちょと気味の悪い、皮膚がだるんと垂れた首をグイドがなでた。
「万が一と思ったけど準備しておいてよかったよ」
「くそじじー」
「ああほんとだ、クソジジイだ、賛成するよ、でも今毒を吐くな、だめだよわかった?」
「わかったー」
デキソコナイの首がぶるんと震えて、粘液が飛び散る。
それは不思議な光景だった。
今まで軽んじていたが、なるほど。
バシリウスが認めるだけのことはあるのか。
グイドが急に立派な竜騎士に見えてくる。
「……ねえさま、ねえさま、……ラキス」
「ギィィィィィっ!ギィっ!グルルルルルルッ!」
うなされるフェティの声に応えるように、大人しくしていた斑 が大きな声で鳴き始めた。
羽を広げて足踏みをするその様子は、恐怖でしかない。
「ギィギィっ!ギュルゥゥゥゥっ!」
(まずいっ)
「うわぁ!」
小走りに逃げる途中、半開きの扉に足を取られて、床に手をついた。
(食われてたまるか!)
迫る足音になりふり構わず、四つん這 いで廊下に出る。
そして、壁に手をついて立ち上がると、吊り下げられている角灯 をむしり取って、子供部屋に向かって投げ込んだ。
ドォンッ!!!
「うあああああああっ!」
突然の爆音と熱風に、頭を抱えて廊下にうずくまる。
「わーすごい炎だなー、おやおや伯父上ー大変だー食われますよー」
欠片 も「大変」などと思っていないだろう!
腹は煮えるが、グイドの忠告に慌てて顔を上げた。
「わ、わわわわっ」
炎から飛び出てきた嘴 が、目の前をかすめていく。
「はははは!食われなかったとは悪運がお強い」
「笑ってる場合かっ。この爆発は、斑 の揮発息のせいだぞ。炎を吐く竜だ!このまま連れ帰ろう」
「あんたも俺も、ここで一緒に死ぬべきだと思うんですけどね」
グイドのつぶやきを無視して、階段を駆け下りて……。
(しまった)
二階に上がろうとしているバシリウスと、鉢合わせをしてしまった。
だが、いつも涼しい顔を崩さない領袖 家ご当主の、その足元はおぼつかない。
「……クラディ、ウス……」
片手で喉元を押さえ、荒い息を繰り返しているバシリウスの若緑色の瞳が、激しい憎悪を浮かべている。
「……おまえという、やつは」
手にしていた剣を振り上げようとしたバシリウスが、ふらりとよろけた。
「わああ、うわああああああ!」
その隙 を逃さず、こっちの刃をその背に突き立てる。
殺 らなければ、こっちが殺 られるのだから。
「ぐふっ」
バシリウスの背から血が吹き出て、その膝が崩れていく。
「ああっ」
小さな悲鳴に目をやれば、使用人とともに床に倒れていたマイヤが、みるみる血に染まっていくバシリウスに手を伸ばしていた。
「しぶといっ、死んでおけ!」
むちゃくちゃに剣を振り下ろすと、マイヤの首にざっくりと刃が食い込んだ。
どうせ長くない。
夫とともに逝かせてやるのは慈悲だろう。
「あーあー」
振り返ると、燃え盛る火を背にしたグイドが、階段を下りてくる。
その後ろからあの二匹、いや、今は二頭か。
斑 とデキソコナイが、大人しくついてきていた。
「バシリウス様は耐性があるから生き残れたと思うけど、まあこうなりますよね、……ん?伯父上っ」
グイドが鋭い目配せを寄越し、客間の扉を開けて素早く身を隠したので、慌ててそのあとに続く。
「……どう、して……」
扉の隙間から眺めれば、血まみれで倒れているバシリウスとマイヤを前に、アルテミシアが呆然と立ちすくんでいる。
その姿を目にしたグイドが、反対側の扉から客間を出ていった。
一刻も早く逃げたいところだが、確かに。
あの娘をこのままにして、何かを見つけられても困る。
だが、早くしろグイド!
屋敷を食らう炎に紛れた細い声に、アルテミシアの顔が上がった。
これはまずいと身構えた、そのとき。
「……!」
床に崩れ落ちていくアルテミシアの背後から、剣を手にしたグイドの姿が現れた。
おお、よくやった!ドルカ家の竜騎士よ!
だが、別方向から微かな物音が近づいてくるようだ。
まだ誰か、生き残った者がいるのか。
アルテミシアの体を抱 えようとしていたグイドが、目つきと身振りで客間の扉を締めろと伝えてくる。
背後にいるアレらと炎が恐ろしいが、今はグイドを信じるしかない。
扉を閉め、その陰で息を殺す。
空気が熱くなっていく。
息苦しい。
アレの鼻息も恐ろしい。
(何をやってるんだ!)
叫び出しそうになったとき、やっとグイドが戻ってきた。
「アルテミシアは」
「消えちゃいましたよ、不思議だなー、ほんのちょっと隠れただけなのに、フェティを助けに行ったのかな、あの怪我で、あの娘 ならやりそうだけど、どのみちこの炎ですからね」
相変わらず薄気味悪い早口でまくしたてながら、グイドは斑 とデキソコナイの嘴 を叩いた。
「さてどうしますか伯父上、俺たちもここで一緒に殉死しましょうか」
「馬鹿を言うな。せっかく竜を得たというのに。バシリウスも死んだというのに。これでドルカが領袖 家。私が、赤竜族を束ねるのだ。……戻るぞ」
すぐそこまで迫っている炎を避けて、客間の掃き出し窓から外に出たところで、グイドが立ち止まる。
この期に及んでなんだと振り仰げば、どこから調達したのか。
グイドの手には、炎が燃え移った木材が握られている。
「フェティ、ねえさまにさよならをしよう鳴けるかい?……噴け!」
「ギィィィィィィっ!」
高らかなグイドの指笛につられて、大きな口を開けた斑 の顔の前に、グイドが燃える木材を近づけるが……。
何も起こらない。
「あれ?揮発息は吐かない……?そうなんだ、あの一回だけなんだ、きみは元々黒のディアムズだもんね、あれが奇跡だったのか、あれが、フェティの腕一本分か……行きましょうか伯父上、これであんたも俺も見てもらえますね、それがたとえ憎しみと侮蔑の目だったとしても」
燃える角材をぞんざいに放り投げたグイドは、二頭を連れて歩き出した。
産毛が抜け、
「おおっ、これはっ!」
見ろ!
やはり全身食わせることが、正解だったのだ。
ん?
体だけは
だが、
足も首も伸びない。
びちょり……、ぽた、ぽた。
聞きなれない妙な音に、思わず目を床に向けると。
「……なんだ、これは……」
声が震えるのも、仕方がない。
むき出しの鳥肌から透明な粘液が垂れ流れ、子供部屋の床に
「気持ちの悪い」
思わず漏れた言葉に反応するように、黄色の
「くそじじぃっ」
「なん、だと」
デキソコナイの
「クソジジイっクソジジイっクソジジイ~っ!!」
廊下を走り去る足音とともに、けたたましい鳴き声が遠ざかっていく。
「まずいぞ、グイド!始末をつけろっ」
振り返ると、失神しているフェティを寝台に横たえたグイドが、腰帯に付けている
「それは、」
何だと聞く間もない。
「ぐ、あ”あ”あ”あ”あ”あ”っ!」
「ひぃっ!」
一気に中身を飲み下したグイドの苦悶の絶叫に、思わず一歩下がる。
胸を掻きむしり天井を見上げたグイドが、荒い息をつきながら、にらみつけてきた。
「ああそうですよ、これがあんたの望んだことなんだ、俺が望んだことなんだ、望んだ結果なんだから、始末をつけないとね」
瞳孔が点のようになったグイドが、早口でまくしたてながら廊下へと出ていく。
「あれ誰もいないね、これだけ騒いだのに、おやおや」
緊張感の
確かにグイドの言うとおり。
あのデキソコナイの
扉からそっと顔を出してみると、ツンとした不快な刺激臭に、思わず鼻を手で
そのまま首を伸ばしてみれば、廊下に倒れている護衛兵らしき男の頭を、グイドがつま先で
「まだ生きてるけど息がつらそうだね、ははぁん、……ほら、おいでラキス」
びちょり、びちょりと粘っこい足音が階段をのぼってくる音がして、とうとうデキソコナイが二階の廊下に姿を現した。
「下まで行っちゃったのか、だから静かなんだね」
「クソ、」
「ああ、毒を吐くな吐くな、悪口ならあとでいくらでも聞くから」
開かれた黄色の
そして、鮮やかな身のこなしで、デキソコナイの目の下に傷をつけると、流れ出た血を指ですくってぺろりと舐めた。
「いたいぃぃぃぃ」
「ほら、飲んどけ」
人の言葉で鳴く口に、グイドが何かを放り込むと、ゴキュリとデキソコナイの
「ぐ、ぐ、ぐいどー」
「よしよし」
べちょべちょと気味の悪い、皮膚がだるんと垂れた首をグイドがなでた。
「万が一と思ったけど準備しておいてよかったよ」
「くそじじー」
「ああほんとだ、クソジジイだ、賛成するよ、でも今毒を吐くな、だめだよわかった?」
「わかったー」
デキソコナイの首がぶるんと震えて、粘液が飛び散る。
それは不思議な光景だった。
今まで軽んじていたが、なるほど。
バシリウスが認めるだけのことはあるのか。
グイドが急に立派な竜騎士に見えてくる。
「……ねえさま、ねえさま、……ラキス」
「ギィィィィィっ!ギィっ!グルルルルルルッ!」
うなされるフェティの声に応えるように、大人しくしていた
羽を広げて足踏みをするその様子は、恐怖でしかない。
「ギィギィっ!ギュルゥゥゥゥっ!」
(まずいっ)
「うわぁ!」
小走りに逃げる途中、半開きの扉に足を取られて、床に手をついた。
(食われてたまるか!)
迫る足音になりふり構わず、四つん
そして、壁に手をついて立ち上がると、吊り下げられている
ドォンッ!!!
「うあああああああっ!」
突然の爆音と熱風に、頭を抱えて廊下にうずくまる。
「わーすごい炎だなー、おやおや伯父上ー大変だー食われますよー」
腹は煮えるが、グイドの忠告に慌てて顔を上げた。
「わ、わわわわっ」
炎から飛び出てきた
「はははは!食われなかったとは悪運がお強い」
「笑ってる場合かっ。この爆発は、
「あんたも俺も、ここで一緒に死ぬべきだと思うんですけどね」
グイドのつぶやきを無視して、階段を駆け下りて……。
(しまった)
二階に上がろうとしているバシリウスと、鉢合わせをしてしまった。
だが、いつも涼しい顔を崩さない
「……クラディ、ウス……」
片手で喉元を押さえ、荒い息を繰り返しているバシリウスの若緑色の瞳が、激しい憎悪を浮かべている。
「……おまえという、やつは」
手にしていた剣を振り上げようとしたバシリウスが、ふらりとよろけた。
「わああ、うわああああああ!」
その
「ぐふっ」
バシリウスの背から血が吹き出て、その膝が崩れていく。
「ああっ」
小さな悲鳴に目をやれば、使用人とともに床に倒れていたマイヤが、みるみる血に染まっていくバシリウスに手を伸ばしていた。
「しぶといっ、死んでおけ!」
むちゃくちゃに剣を振り下ろすと、マイヤの首にざっくりと刃が食い込んだ。
どうせ長くない。
夫とともに逝かせてやるのは慈悲だろう。
「あーあー」
振り返ると、燃え盛る火を背にしたグイドが、階段を下りてくる。
その後ろからあの二匹、いや、今は二頭か。
「バシリウス様は耐性があるから生き残れたと思うけど、まあこうなりますよね、……ん?伯父上っ」
グイドが鋭い目配せを寄越し、客間の扉を開けて素早く身を隠したので、慌ててそのあとに続く。
「……どう、して……」
扉の隙間から眺めれば、血まみれで倒れているバシリウスとマイヤを前に、アルテミシアが呆然と立ちすくんでいる。
その姿を目にしたグイドが、反対側の扉から客間を出ていった。
一刻も早く逃げたいところだが、確かに。
あの娘をこのままにして、何かを見つけられても困る。
だが、早くしろグイド!
屋敷を食らう炎に紛れた細い声に、アルテミシアの顔が上がった。
これはまずいと身構えた、そのとき。
「……!」
床に崩れ落ちていくアルテミシアの背後から、剣を手にしたグイドの姿が現れた。
おお、よくやった!ドルカ家の竜騎士よ!
だが、別方向から微かな物音が近づいてくるようだ。
まだ誰か、生き残った者がいるのか。
アルテミシアの体を
背後にいるアレらと炎が恐ろしいが、今はグイドを信じるしかない。
扉を閉め、その陰で息を殺す。
空気が熱くなっていく。
息苦しい。
アレの鼻息も恐ろしい。
(何をやってるんだ!)
叫び出しそうになったとき、やっとグイドが戻ってきた。
「アルテミシアは」
「消えちゃいましたよ、不思議だなー、ほんのちょっと隠れただけなのに、フェティを助けに行ったのかな、あの怪我で、あの
相変わらず薄気味悪い早口でまくしたてながら、グイドは
「さてどうしますか伯父上、俺たちもここで一緒に殉死しましょうか」
「馬鹿を言うな。せっかく竜を得たというのに。バシリウスも死んだというのに。これでドルカが
すぐそこまで迫っている炎を避けて、客間の掃き出し窓から外に出たところで、グイドが立ち止まる。
この期に及んでなんだと振り仰げば、どこから調達したのか。
グイドの手には、炎が燃え移った木材が握られている。
「フェティ、ねえさまにさよならをしよう鳴けるかい?……噴け!」
「ギィィィィィィっ!」
高らかなグイドの指笛につられて、大きな口を開けた
何も起こらない。
「あれ?揮発息は吐かない……?そうなんだ、あの一回だけなんだ、きみは元々黒のディアムズだもんね、あれが奇跡だったのか、あれが、フェティの腕一本分か……行きましょうか伯父上、これであんたも俺も見てもらえますね、それがたとえ憎しみと侮蔑の目だったとしても」
燃える角材をぞんざいに放り投げたグイドは、二頭を連れて歩き出した。