サラマリス家と竜仔の秘密

文字数 3,711文字

 アルテミシアが手をおろすと、流れ落ちる紅い巻き髪が耳を隠してしまった。  
 そうなればいつものアルテミシアでしかなく、”竜の卵”を育てているなんて、とても信じられない。

「人の血で卵を満たして育てると、生まれた(ひな)は必ず竜化する。孵化(ふか)の時期も早くなるし、血餌(けつじ)もほとんど必要としない。おまけに

も高い。これは『サラマリス家と皇帝陛下のみ』が握る秘密なんだ」
「皇帝陛下、も?じゃあ、それも、許可がいるの?」
「そのとおり。レヴィは(さと)いな」
 アルテミシアは目を細めて、レヴィアの頬を指先でくすぐる。
「もともとは、サラマリス家のみの秘匿だったんだけどな。3代前の当主の判断らしい」


「ん?お前、それはなんだ」
 謁見が終了後、さっさと背中を向けたサラマリス当主に、皇帝の不審げな声がかけられた。
「なに、とは?」
 臣下が首だけで振り返るというのも不遜だが、いつものことなので、皇帝もさして気にせずに続ける。
「首」
「首?」
「何をつけてる」
「げ」
 退出時の礼をとった際、巻いていた襟巻(えりまき)が緩んだのだろう。
 はだけた襟元を見下ろした当主の足が止まった。
「げ、とはなんだ。お前は私をなんだと思っている」
「皇帝陛下でしょう」
「それが皇帝に対する態度か」
「もちろん。お嫌ですか?では、皆と同じに、」
「いや、ならん」
 皇帝の深いため息を耳にした当主が、やっと全身で振り返る。
「これ以上横柄になられては敵わない。で、それはなんだ」
 皇帝が自分の鎖骨の辺りを指ですいとなぞった。
「あー、これはですね。えー、食べ合わせが悪かったのか、できものが」
「噓をつくなよ。何やら細い管のようなものも見えたぞ」
「ちっ、目がいいな。つぶすか」
「なんだと?!」
「いえいえ。つぶすのは駄目ですよね」
「当たり前だ!」
「牢屋は嫌ですからね。確実に息の根を止めて証拠隠滅を」
「それ以上は口を閉じよ。さすがに、不敬罪で告発しなければならなくなる。お前を失うのは惜しい」
 ひじ掛けに置いた腕にぐったりともたれた皇帝に、当主が口の端を上げた。
「うすうす察していらっしゃるくせに」
「……まさかとは思うが、わざとか?」
「わざとでもありませんが。これを気づかないほどの暗愚なら、教える必要もあるまいと思っただけですよ。……そろそろ、陛下からの守護をいただきたいと思って」
「サラマリス竜舎の……、特殊仔(とくしゅご)のことか」
「やはり、ご存じでいらっしゃいましたか。……裏で探る動きが激化しております」
 するすると近づき、玉座の真横に立った当主が声を潜める。
「陛下、サラマリス家と秘匿を共有する、そのご覚悟はありますか」
血餌(けつじ)をすでに、」
特殊仔(とくしゅご)はその比ではありません。このまま知らずに済ませるもよし。知って、サラマリス家と運命をともにするもよし」
「皇帝を脅迫する気か?当主の代替わりを命じるぞ」
「構いませんよ」
 背筋を伸ばして、顎を上げて。
 当主は玉座に座る皇帝を見下ろした。
「この技は、まだ継承されておりません。私の代でおしまいとしますか。赤竜軍の兵力は下がりますが、仕方がありませんね。皇帝陛下のお望みだ」
 へらっと笑う当主に、皇帝の奥歯がギリっと鳴る。
「……何が望みだ」
「サラマリス竜の特殊仔(とくしゅご)は、皇帝陛下のご下命で育てている、そう布告してください。陛下のご意思ならば、うかつに探ろうとする馬鹿も、そうそうおりますまい」
「ならば、その特殊仔(とくしゅご)を育てる際にも、皇帝に届け出よ」
「もちろん。運命共同体ですから」
「だが、歴代の皇帝にも、残念ながら凡愚はいる。秘匿が漏れた場合はどうするつもりだ」 
「誓約の儀式は、さすがに陛下にはねぇ。……まあ」
「!」
 サラマリス家当主が浮かべた笑みの冷たさに、皇帝が息を飲んだ。
「そのときは、赤竜すべてを失う覚悟をしてください。”赤の系譜”に書き加えておきます。本日以降、特殊仔(とくしゅご)の秘匿は、皇帝陛下と共有する。そして、この重要性がわからぬような皇帝ならば、赤竜はすべて絶やせと」
「……帝国を盾に取るか。ずいぶんと下に見られたものよ」
「いえいえ。心より敬愛しておりますよ、我が君」
 両手を組んでディアムドの正式な礼をとる当主に、皇帝は胡乱(うろん)な目を向ける。
「どうだか。……しかし、これでディアムド皇帝とサラマリス家は、死なば諸共(もろとも)だな」
「今さらでしょう」
 口の片端を上げて笑う皇帝に、さらに皮肉な笑みが当主から返された。


 大きなジーグのため息で、一心にアルテミシアの話を聞いていたレヴィアは我に返った。
「サラマリス家は皇帝陛下に対しても不遜な方が多いですが……。よく無事であったと思いますよ。リズィエを始め」
「一言多いぞ。まあ、運営共同体だからな」
「運命、共同体……」
 レヴィアが首を傾ければ、すかさずアルテミシアが微笑みで応えてくれる。
「帝国は竜の存在なくして成り立たない。竜家も皇帝の守護が必要だ。両方とも、内憂外患を抱えているからな」
「えと、サラマリス家って、ディアムド皇帝と同じくらい、偉いの?」
「まさか。皇帝陛下のご下命には逆らえないよ」
「でも、ミーシャはお姫様、なんでしょう?」
「滅亡した家のな。レヴィアこそ、正真正銘の王子じゃないか」
「そう、だけど……」
 
 見捨てられていたわけではないと、今ではわかっている。
 けれど、”いないも同然”だった自分と帝国貴族のお姫様では、あまりに違うみたいで。

「どうした?」
「あ、ごめん、なさい。……なんでも、ない」
 思わず握っていたアルテミシアの(そで)を、レヴィアはぱっと放した。
「いろいろ話してしまったから、疲れたか?一度で理解しようとしなくていいぞ。まあ、そんなこんなで、特殊な竜仔(りゅうご)の育て方は、主君とサラマリス家の秘密なわけだが」
 どことなく悪そうな顔になったアルテミシアが、クスリと笑う。
「このやり方は、ちょっと危険もあるんだ。サラマリスの血筋でも、相性が悪い場合は死に至ることもある。判断するのに手っ取り早いのは竜の血を飲むことだから、私も小さいときに、何度か飲まされたよ」
「血を、飲むの?竜の?」
 唖然とするレヴィアに、アルテミシアの笑みがさらに悪くなった。
「これで運命共同体だな、私の(あるじ)。絶対の秘匿だぞ」
「うん、もちろん。……あの、でも、いつ、から?」
 彼女を治療をするために、その長く豊かな髪を結い上げてもらったことは何度もある。
 だが、その耳に何かがついていたことなど、あっただろうか。
「屋敷の害虫駆除が終わってから、ジーグが少し長く仕事に出ただろう?」
「うん」
 家令を始め、使用人たちが屋敷を去ってから、ジーグは「仕事が入った」と言って、しばらく屋敷を離れていた時期があった。 
「そこで出会った貿易商が、ディアムズの(つが)いを二組、連れていたそうだ」
 アルテミシアから目配せを送られたジーグが、うなずいて口を開く。
「帝国竜家では、野生のディアムズを高額で買い取る。自家繁殖も行っているが、野生種と交配させることで、強い個体が維持されるからだ。野生種は警戒心が強い。傷つけずに生け捕るには、技術がいる」
(つが)いを二組も連れているなんて、聞いたことがない。そのまま竜家に買い取ってもらえれば、一生遊んで暮らすことができるだろうな、その商人は」
「そんなに、するの?」
「一羽だけだって、相当なものだ。だから、売り物が卵を産んでしまって、その商人はとても困っていた」
「困るの?だって、ディアムズが増えるのに?」
「ディアムズの抱卵期間を、覚えているか?」
「うん。60日ほど」
「優秀だ」
 正しく答えたレヴィアの頭に、ジーグはぽんと手を置いた。
「抱卵中は移動はできないし、無事に孵化(ふか)したとしても、親は子育てに体力を使うから値が下がる。(ひな)が成鳥になるかどうかも保証がない。(えさ)代もかかる。商人にとっては大損害だ。そこで、卵は私が買い取った。

金額で」
「嘘をつけ。すべて無精卵だと言いくるめたろう。もしディアムズの有精卵なら、あんな金額では買えない」
「もちろん、無精卵としての、

の金額ですよ」
 半眼となったアルテミシアに、ジーグは肩をすくめてみせる。
「第一、ディアムズの有精卵を購入した者がいたなどと知られたら、帝国に妙な警戒心を与えます。無精卵ならば問題はない。アガラムでは燻製(くんせい)にして、貴重薬として流通していますから」
「へぇ」
 目を丸くすばかりのレヴィアに、アルテミアがにやりと笑う。
「卵は四個。そのうちの二個が有精卵だった、というわけだ。あとのふたつは、ジーグが知り合いのアガラム商人に売りつけた。……(もう)けたな」
「はい。だいぶ」
 主従は得意げに笑い合っていたが、一転、アルテミシアが切なげなため息をついた。
「せっかくの縁で私のもとにきた仔たちだけれど、孵化(ふか)しても、この寒さだ。……帝国以外で竜は育たないという、命運なのかもしれないな」
「あのね、ミーシャ。僕の鳩は、温室で世話をしてるんだ」
「温室?」
 キラリと目を光らせたアルテミシアが、ぱっとレヴィアを振り返る。
「家令たちがいるときには、見せられなかったけど。もう、大丈夫だから。案内、する?」
「お願い!」
 アルテミシアからギュッと手を握られたレヴィアは、ニコリと笑ってうなずいた。
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