サラマリス家と竜仔の秘密
文字数 3,711文字
アルテミシアが手をおろすと、流れ落ちる紅い巻き髪が耳を隠してしまった。
そうなればいつものアルテミシアでしかなく、”竜の卵”を育てているなんて、とても信じられない。
「人の血で卵を満たして育てると、生まれた雛 は必ず竜化する。孵化 の時期も早くなるし、血餌 もほとんど必要としない。おまけに
「皇帝陛下、も?じゃあ、それも、許可がいるの?」
「そのとおり。レヴィは聡 いな」
アルテミシアは目を細めて、レヴィアの頬を指先でくすぐる。
「もともとは、サラマリス家のみの秘匿だったんだけどな。3代前の当主の判断らしい」
◇
「ん?お前、それはなんだ」
謁見が終了後、さっさと背中を向けたサラマリス当主に、皇帝の不審げな声がかけられた。
「なに、とは?」
臣下が首だけで振り返るというのも不遜だが、いつものことなので、皇帝もさして気にせずに続ける。
「首」
「首?」
「何をつけてる」
「げ」
退出時の礼をとった際、巻いていた襟巻 が緩んだのだろう。
はだけた襟元を見下ろした当主の足が止まった。
「げ、とはなんだ。お前は私をなんだと思っている」
「皇帝陛下でしょう」
「それが皇帝に対する態度か」
「もちろん。お嫌ですか?では、皆と同じに、」
「いや、ならん」
皇帝の深いため息を耳にした当主が、やっと全身で振り返る。
「これ以上横柄になられては敵わない。で、それはなんだ」
皇帝が自分の鎖骨の辺りを指ですいとなぞった。
「あー、これはですね。えー、食べ合わせが悪かったのか、できものが」
「噓をつくなよ。何やら細い管のようなものも見えたぞ」
「ちっ、目がいいな。つぶすか」
「なんだと?!」
「いえいえ。つぶすのは駄目ですよね」
「当たり前だ!」
「牢屋は嫌ですからね。確実に息の根を止めて証拠隠滅を」
「それ以上は口を閉じよ。さすがに、不敬罪で告発しなければならなくなる。お前を失うのは惜しい」
ひじ掛けに置いた腕にぐったりともたれた皇帝に、当主が口の端を上げた。
「うすうす察していらっしゃるくせに」
「……まさかとは思うが、わざとか?」
「わざとでもありませんが。これを気づかないほどの暗愚なら、教える必要もあるまいと思っただけですよ。……そろそろ、陛下からの守護をいただきたいと思って」
「サラマリス竜舎の……、特殊仔 のことか」
「やはり、ご存じでいらっしゃいましたか。……裏で探る動きが激化しております」
するすると近づき、玉座の真横に立った当主が声を潜める。
「陛下、サラマリス家と秘匿を共有する、そのご覚悟はありますか」
「血餌 をすでに、」
「特殊仔 はその比ではありません。このまま知らずに済ませるもよし。知って、サラマリス家と運命をともにするもよし」
「皇帝を脅迫する気か?当主の代替わりを命じるぞ」
「構いませんよ」
背筋を伸ばして、顎を上げて。
当主は玉座に座る皇帝を見下ろした。
「この技は、まだ継承されておりません。私の代でおしまいとしますか。赤竜軍の兵力は下がりますが、仕方がありませんね。皇帝陛下のお望みだ」
へらっと笑う当主に、皇帝の奥歯がギリっと鳴る。
「……何が望みだ」
「サラマリス竜の特殊仔 は、皇帝陛下のご下命で育てている、そう布告してください。陛下のご意思ならば、うかつに探ろうとする馬鹿も、そうそうおりますまい」
「ならば、その特殊仔 を育てる際にも、皇帝に届け出よ」
「もちろん。運命共同体ですから」
「だが、歴代の皇帝にも、残念ながら凡愚はいる。秘匿が漏れた場合はどうするつもりだ」
「誓約の儀式は、さすがに陛下にはねぇ。……まあ」
「!」
サラマリス家当主が浮かべた笑みの冷たさに、皇帝が息を飲んだ。
「そのときは、赤竜すべてを失う覚悟をしてください。”赤の系譜”に書き加えておきます。本日以降、特殊仔 の秘匿は、皇帝陛下と共有する。そして、この重要性がわからぬような皇帝ならば、赤竜はすべて絶やせと」
「……帝国を盾に取るか。ずいぶんと下に見られたものよ」
「いえいえ。心より敬愛しておりますよ、我が君」
両手を組んでディアムドの正式な礼をとる当主に、皇帝は胡乱 な目を向ける。
「どうだか。……しかし、これでディアムド皇帝とサラマリス家は、死なば諸共 だな」
「今さらでしょう」
口の片端を上げて笑う皇帝に、さらに皮肉な笑みが当主から返された。
◇
大きなジーグのため息で、一心にアルテミシアの話を聞いていたレヴィアは我に返った。
「サラマリス家は皇帝陛下に対しても不遜な方が多いですが……。よく無事であったと思いますよ。リズィエを始め」
「一言多いぞ。まあ、運営共同体だからな」
「運命、共同体……」
レヴィアが首を傾ければ、すかさずアルテミシアが微笑みで応えてくれる。
「帝国は竜の存在なくして成り立たない。竜家も皇帝の守護が必要だ。両方とも、内憂外患を抱えているからな」
「えと、サラマリス家って、ディアムド皇帝と同じくらい、偉いの?」
「まさか。皇帝陛下のご下命には逆らえないよ」
「でも、ミーシャはお姫様、なんでしょう?」
「滅亡した家のな。レヴィアこそ、正真正銘の王子じゃないか」
「そう、だけど……」
見捨てられていたわけではないと、今ではわかっている。
けれど、”いないも同然”だった自分と帝国貴族のお姫様では、あまりに違うみたいで。
「どうした?」
「あ、ごめん、なさい。……なんでも、ない」
思わず握っていたアルテミシアの袖 を、レヴィアはぱっと放した。
「いろいろ話してしまったから、疲れたか?一度で理解しようとしなくていいぞ。まあ、そんなこんなで、特殊な竜仔 の育て方は、主君とサラマリス家の秘密なわけだが」
どことなく悪そうな顔になったアルテミシアが、クスリと笑う。
「このやり方は、ちょっと危険もあるんだ。サラマリスの血筋でも、相性が悪い場合は死に至ることもある。判断するのに手っ取り早いのは竜の血を飲むことだから、私も小さいときに、何度か飲まされたよ」
「血を、飲むの?竜の?」
唖然とするレヴィアに、アルテミシアの笑みがさらに悪くなった。
「これで運命共同体だな、私の主 。絶対の秘匿だぞ」
「うん、もちろん。……あの、でも、いつ、から?」
彼女を治療をするために、その長く豊かな髪を結い上げてもらったことは何度もある。
だが、その耳に何かがついていたことなど、あっただろうか。
「屋敷の害虫駆除が終わってから、ジーグが少し長く仕事に出ただろう?」
「うん」
家令を始め、使用人たちが屋敷を去ってから、ジーグは「仕事が入った」と言って、しばらく屋敷を離れていた時期があった。
「そこで出会った貿易商が、ディアムズの番 いを二組、連れていたそうだ」
アルテミシアから目配せを送られたジーグが、うなずいて口を開く。
「帝国竜家では、野生のディアムズを高額で買い取る。自家繁殖も行っているが、野生種と交配させることで、強い個体が維持されるからだ。野生種は警戒心が強い。傷つけずに生け捕るには、技術がいる」
「番 いを二組も連れているなんて、聞いたことがない。そのまま竜家に買い取ってもらえれば、一生遊んで暮らすことができるだろうな、その商人は」
「そんなに、するの?」
「一羽だけだって、相当なものだ。だから、売り物が卵を産んでしまって、その商人はとても困っていた」
「困るの?だって、ディアムズが増えるのに?」
「ディアムズの抱卵期間を、覚えているか?」
「うん。60日ほど」
「優秀だ」
正しく答えたレヴィアの頭に、ジーグはぽんと手を置いた。
「抱卵中は移動はできないし、無事に孵化 したとしても、親は子育てに体力を使うから値が下がる。雛 が成鳥になるかどうかも保証がない。餌 代もかかる。商人にとっては大損害だ。そこで、卵は私が買い取った。
「嘘をつけ。すべて無精卵だと言いくるめたろう。もしディアムズの有精卵なら、あんな金額では買えない」
「もちろん、無精卵としての、
半眼となったアルテミシアに、ジーグは肩をすくめてみせる。
「第一、ディアムズの有精卵を購入した者がいたなどと知られたら、帝国に妙な警戒心を与えます。無精卵ならば問題はない。アガラムでは燻製 にして、貴重薬として流通していますから」
「へぇ」
目を丸くすばかりのレヴィアに、アルテミアがにやりと笑う。
「卵は四個。そのうちの二個が有精卵だった、というわけだ。あとのふたつは、ジーグが知り合いのアガラム商人に売りつけた。……儲 けたな」
「はい。だいぶ」
主従は得意げに笑い合っていたが、一転、アルテミシアが切なげなため息をついた。
「せっかくの縁で私のもとにきた仔たちだけれど、孵化 しても、この寒さだ。……帝国以外で竜は育たないという、命運なのかもしれないな」
「あのね、ミーシャ。僕の鳩は、温室で世話をしてるんだ」
「温室?」
キラリと目を光らせたアルテミシアが、ぱっとレヴィアを振り返る。
「家令たちがいるときには、見せられなかったけど。もう、大丈夫だから。案内、する?」
「お願い!」
アルテミシアからギュッと手を握られたレヴィアは、ニコリと笑ってうなずいた。
そうなればいつものアルテミシアでしかなく、”竜の卵”を育てているなんて、とても信じられない。
「人の血で卵を満たして育てると、生まれた
能力
も高い。これは『サラマリス家と皇帝陛下のみ』が握る秘密なんだ」「皇帝陛下、も?じゃあ、それも、許可がいるの?」
「そのとおり。レヴィは
アルテミシアは目を細めて、レヴィアの頬を指先でくすぐる。
「もともとは、サラマリス家のみの秘匿だったんだけどな。3代前の当主の判断らしい」
◇
「ん?お前、それはなんだ」
謁見が終了後、さっさと背中を向けたサラマリス当主に、皇帝の不審げな声がかけられた。
「なに、とは?」
臣下が首だけで振り返るというのも不遜だが、いつものことなので、皇帝もさして気にせずに続ける。
「首」
「首?」
「何をつけてる」
「げ」
退出時の礼をとった際、巻いていた
はだけた襟元を見下ろした当主の足が止まった。
「げ、とはなんだ。お前は私をなんだと思っている」
「皇帝陛下でしょう」
「それが皇帝に対する態度か」
「もちろん。お嫌ですか?では、皆と同じに、」
「いや、ならん」
皇帝の深いため息を耳にした当主が、やっと全身で振り返る。
「これ以上横柄になられては敵わない。で、それはなんだ」
皇帝が自分の鎖骨の辺りを指ですいとなぞった。
「あー、これはですね。えー、食べ合わせが悪かったのか、できものが」
「噓をつくなよ。何やら細い管のようなものも見えたぞ」
「ちっ、目がいいな。つぶすか」
「なんだと?!」
「いえいえ。つぶすのは駄目ですよね」
「当たり前だ!」
「牢屋は嫌ですからね。確実に息の根を止めて証拠隠滅を」
「それ以上は口を閉じよ。さすがに、不敬罪で告発しなければならなくなる。お前を失うのは惜しい」
ひじ掛けに置いた腕にぐったりともたれた皇帝に、当主が口の端を上げた。
「うすうす察していらっしゃるくせに」
「……まさかとは思うが、わざとか?」
「わざとでもありませんが。これを気づかないほどの暗愚なら、教える必要もあるまいと思っただけですよ。……そろそろ、陛下からの守護をいただきたいと思って」
「サラマリス竜舎の……、
「やはり、ご存じでいらっしゃいましたか。……裏で探る動きが激化しております」
するすると近づき、玉座の真横に立った当主が声を潜める。
「陛下、サラマリス家と秘匿を共有する、そのご覚悟はありますか」
「
「
「皇帝を脅迫する気か?当主の代替わりを命じるぞ」
「構いませんよ」
背筋を伸ばして、顎を上げて。
当主は玉座に座る皇帝を見下ろした。
「この技は、まだ継承されておりません。私の代でおしまいとしますか。赤竜軍の兵力は下がりますが、仕方がありませんね。皇帝陛下のお望みだ」
へらっと笑う当主に、皇帝の奥歯がギリっと鳴る。
「……何が望みだ」
「サラマリス竜の
「ならば、その
「もちろん。運命共同体ですから」
「だが、歴代の皇帝にも、残念ながら凡愚はいる。秘匿が漏れた場合はどうするつもりだ」
「誓約の儀式は、さすがに陛下にはねぇ。……まあ」
「!」
サラマリス家当主が浮かべた笑みの冷たさに、皇帝が息を飲んだ。
「そのときは、赤竜すべてを失う覚悟をしてください。”赤の系譜”に書き加えておきます。本日以降、
「……帝国を盾に取るか。ずいぶんと下に見られたものよ」
「いえいえ。心より敬愛しておりますよ、我が君」
両手を組んでディアムドの正式な礼をとる当主に、皇帝は
「どうだか。……しかし、これでディアムド皇帝とサラマリス家は、死なば
「今さらでしょう」
口の片端を上げて笑う皇帝に、さらに皮肉な笑みが当主から返された。
◇
大きなジーグのため息で、一心にアルテミシアの話を聞いていたレヴィアは我に返った。
「サラマリス家は皇帝陛下に対しても不遜な方が多いですが……。よく無事であったと思いますよ。リズィエを始め」
「一言多いぞ。まあ、運営共同体だからな」
「運命、共同体……」
レヴィアが首を傾ければ、すかさずアルテミシアが微笑みで応えてくれる。
「帝国は竜の存在なくして成り立たない。竜家も皇帝の守護が必要だ。両方とも、内憂外患を抱えているからな」
「えと、サラマリス家って、ディアムド皇帝と同じくらい、偉いの?」
「まさか。皇帝陛下のご下命には逆らえないよ」
「でも、ミーシャはお姫様、なんでしょう?」
「滅亡した家のな。レヴィアこそ、正真正銘の王子じゃないか」
「そう、だけど……」
見捨てられていたわけではないと、今ではわかっている。
けれど、”いないも同然”だった自分と帝国貴族のお姫様では、あまりに違うみたいで。
「どうした?」
「あ、ごめん、なさい。……なんでも、ない」
思わず握っていたアルテミシアの
「いろいろ話してしまったから、疲れたか?一度で理解しようとしなくていいぞ。まあ、そんなこんなで、特殊な
どことなく悪そうな顔になったアルテミシアが、クスリと笑う。
「このやり方は、ちょっと危険もあるんだ。サラマリスの血筋でも、相性が悪い場合は死に至ることもある。判断するのに手っ取り早いのは竜の血を飲むことだから、私も小さいときに、何度か飲まされたよ」
「血を、飲むの?竜の?」
唖然とするレヴィアに、アルテミシアの笑みがさらに悪くなった。
「これで運命共同体だな、私の
「うん、もちろん。……あの、でも、いつ、から?」
彼女を治療をするために、その長く豊かな髪を結い上げてもらったことは何度もある。
だが、その耳に何かがついていたことなど、あっただろうか。
「屋敷の害虫駆除が終わってから、ジーグが少し長く仕事に出ただろう?」
「うん」
家令を始め、使用人たちが屋敷を去ってから、ジーグは「仕事が入った」と言って、しばらく屋敷を離れていた時期があった。
「そこで出会った貿易商が、ディアムズの
アルテミシアから目配せを送られたジーグが、うなずいて口を開く。
「帝国竜家では、野生のディアムズを高額で買い取る。自家繁殖も行っているが、野生種と交配させることで、強い個体が維持されるからだ。野生種は警戒心が強い。傷つけずに生け捕るには、技術がいる」
「
「そんなに、するの?」
「一羽だけだって、相当なものだ。だから、売り物が卵を産んでしまって、その商人はとても困っていた」
「困るの?だって、ディアムズが増えるのに?」
「ディアムズの抱卵期間を、覚えているか?」
「うん。60日ほど」
「優秀だ」
正しく答えたレヴィアの頭に、ジーグはぽんと手を置いた。
「抱卵中は移動はできないし、無事に
それなりの
金額で」「嘘をつけ。すべて無精卵だと言いくるめたろう。もしディアムズの有精卵なら、あんな金額では買えない」
「もちろん、無精卵としての、
それなり
の金額ですよ」半眼となったアルテミシアに、ジーグは肩をすくめてみせる。
「第一、ディアムズの有精卵を購入した者がいたなどと知られたら、帝国に妙な警戒心を与えます。無精卵ならば問題はない。アガラムでは
「へぇ」
目を丸くすばかりのレヴィアに、アルテミアがにやりと笑う。
「卵は四個。そのうちの二個が有精卵だった、というわけだ。あとのふたつは、ジーグが知り合いのアガラム商人に売りつけた。……
「はい。だいぶ」
主従は得意げに笑い合っていたが、一転、アルテミシアが切なげなため息をついた。
「せっかくの縁で私のもとにきた仔たちだけれど、
「あのね、ミーシャ。僕の鳩は、温室で世話をしてるんだ」
「温室?」
キラリと目を光らせたアルテミシアが、ぱっとレヴィアを振り返る。
「家令たちがいるときには、見せられなかったけど。もう、大丈夫だから。案内、する?」
「お願い!」
アルテミシアからギュッと手を握られたレヴィアは、ニコリと笑ってうなずいた。