彼女の料理
文字数 3,620文字
メイリは封書をしまってある懐 に手を当て、離宮厨房へと急いでいた。
スィーニとロシュの
「スィーニを戦場後方で待機させる」
アルテミシアからそう告げられ、竜の世話を任されたことは、とても名誉に思う。
「必ず守る。メイリには、髪一筋の傷もつけさせない」
そう誓うアルテミシアを信じている。
怖くはない。
でも、出立 が近づくにつれて、不安は増していくばかりだ。
「重荷を背負わせてすまない。けれど、肌身離さず持っていてほしい」と謝るアルテミシアが、あまりにも遠く、儚く感じられたから。
厨房 に入ると、フロラがぷりぷりと怒りながら帰ってきたところだった。
「どした、フロラ?そんなにヘソ曲げて。……お、メイリ!軍服似合うじゃん!」
つまみ食いをしていたヴァイノが、メイリに向かって勢いよく拳 を突き出してくる。
それに応えてメイリも腕を伸ばし、拳 を合わせた軍服姿のふたりはにっと笑い合った。
そんなふたりの横では、フロラが買い込んできた食材を勢いよく調理台に広げていく。
「もー、失礼、しちゃう!」
ばん、どん、ばさっ!
「わぁ、ちょっと落ち着いて」
林檎 が調理台に転がるのを見て、メイリは慌てた。
――スィーニは淑女だからな。見た目にうるさいぞ――
アルテミシアから、そう注意を受けている。
スィーニはロシュと違って、傷がついていたり、少しでも色の悪い果物は口にしてくれないのだ。
「どうしたの?珍しいね。嫌なことでもあった?」
荷解 きを手伝いながら、メイリはフロラをなだめる。
スバクル襲撃を退け、なおかつ敵兵を服従させたという話が広まって以来、首都ではレヴィアの名を聞かない日はない。
その注目の「レヴィア殿下」が住む離宮で働くフロラは、可愛らしい顔立ちに美しい金髪碧眼。
市場ではちょっとした人気者だ。
おまけしてもらうこともしょっちゅうで、このように怒りながら帰ってくることなど、メイリの記憶にはないのだが。
「市場で、貴族の女、ゲホン、ご令嬢たちが」
フロラは小さく咳ばらいをする。
「”離宮の使用人でしょう?レヴィア殿下にお会いしたいと伝えてくださらない?”とか、”レヴィア殿下のお好きなものを教えてくださらない?”とか」
フロラはしなを作りながら、上品そうな声真似をしてみせた。
「うるさいの!」
バン!!
可愛い手のひらで激しく調理台を叩くフロラの剣幕に、ヴァイノの背が震える。
「何人も何人も、何人も!おちおち買い物も、できないの!待ち伏せしてるおん、ゲホン、ご令嬢もいて、もう、思わず、”レヴィア様の好物はアルテミシア様です!”って、言ってやろうかと」
メイリとヴァイノが同時に吹き出した。
「え、フロラ、デンカのことあきらめんの?」
「諦めるとか、だって、別に……」
フロラの口調が、急に元気のないものになる。
「だって、レヴィア様は、アルテミシア様のことしか、見てない。可哀想なくらい。アルテミシア様は、あんなに冷たいのに……」
◇
ラシオンたちがスバクルへ向かった数日後。
「あの!レヴィア、様っ」
いつものように厨房から飛び出てくるフロラにレヴィアは足を止め、小さな笑顔を返した。
フロラは頬を赤らめながら、手にしている皿を差し出す。
「これ、あの、いただいた、香草を使って……。いっつもお菓子、教えていただいてる、から。お礼、です」
フロラが両手で持っている皿から、レヴィアは一口分の料理を摘んだ。
「美味しい、ね」
味見した指を舐める仕草にさらに赤くなりながら、フロラはもじもじとレヴィアを見上げる。
「お口に、合いましたか?」
「うん、すごく。フロラは料理上手だね。……ふふふっ」
元気がなさそうだったのに、急に笑い出したレヴィアにフロラの首が傾いた。
「あの、何か変、でしたか?」
「ああ、違う違う。ごめんね。ミーシャがね、ホロホロ鳥を料理したとき、”野菜料理は任せろ”って言い出して」
――思い出すだけでも嬉しい――
笑いを堪 えているレヴィアのキラキラした瞳は、そう語っていた。
「え、野菜料理?……大丈夫?」
腕まくりをするアルテミシアの背中を、レヴィアは心配そうに見守る。
ジーグは薪 を補充するために小屋を出ていったばかりで、止める者がいないアルテミシアは、鼻歌交じりでっ水場に立った。
「まあ、このくらいなら楽勝だろう」
まるで悪戯 に励む幼子のように、アルテミシアは野菜を鍋に投げ入れていく。
「あとは水だな」
「えと、僕が、やろうか?」
「いいから、いいから」
勢いよく鍋に水を入れるアルテミシアは、「料理をしている」とうよりは、「おままごとをしている」ようだ。
水場も床も。
そこらじゅうが水浸しになって、レヴィアは「ハラハラする」という気持ちを初めて味わっていた。
「あの、確か、アルテミシア様、は、お料理禁止、なのでは?」
厨房 をのぞいてはジーグに連れ戻されるアルテミシアの姿は、離宮の者にはお馴染 の光景である。
「うん、そう、なんだ」
レヴィアの肩が細かく震えていた。
「大丈夫、だったのですか?」
「ううん、全然、大丈夫じゃなくて……」
「ミーシャ、鍋!焦げた臭いしてる!火から下ろそう!」
レヴィアが慌てて鍋の柄をつかむ横で、アルテミシアがフタに手を掛ける。
「ミーシャ、変な音がしてるから、フタ、取ったらダメ……、うわぁ!」
ブシュブシュともゴトゴトともつかぬ不穏な音を立てていた鍋の中身が、フタを取ると同時に、勢いよく飛び出した。
「レヴィっ」
弾け飛んでくる野菜弾を、アルテミシアが手にしたフタで打ち返していく。
いくつかは床に落ちたが、ほとんどの野菜は、すでに焼き上がっていたホロホロ鳥の皿に滑るように収まっていき、何事もなかったかのように湯気を立てた。
「……食べられるかな……」
床から拾い上げた野菜を手のひらに乗せて、アルテミシアはしゅんとうなだれている。
「ふふ、ふふふふっ!大丈夫、だよ」
「そうか?」
「うん」
「そうか!レヴィが言うなら大丈夫だな。やった!大成功だ!」
ふたりの笑い声と薪 の燃える音が、ひとつの歌のように小屋に満ちていた。
「ジーグは、怒ってたけどね。僕の目にでも当っていたら大変だったって。でも、ミーシャは”そんなことにはならない。私が必ず守るから”って言ってくれたんだ。野菜爆弾は、ミーシャの手にも結構当っちゃったんだよ。火傷 もしてたから、すごく熱かったと思うのに、ミーシャは絶対、僕の前から手を動かさなかった。本当に、守ってくれたんだよ」
いつになく饒舌 で表情豊かなレヴィアを前に、フロラの可愛らしい瞳が暗くなる。
「少し焦げた味がしたんだけど、美味しかったんだ。ジーグは”命がけで食べるほどではない”って言っていたけど、僕はまた食べたいな。ミーシャの”野菜爆弾”」
こんなに楽しそうなレヴィアは見たことがない。
フロラの料理を前にしながら、レヴィアの心の中は、アルテミシアとの思い出でいっぱいなのだ。
持っている皿を床に叩きつけたい衝動にフロラがかられたとき、レヴィアの視線がやっと戻ってきた。
「それ、本当に美味しいね。料理人たちに教えて、皆にも食べさせてあげよう。フロラは、料理の天才だね」
(やっぱり素敵だな。レヴィア様)
レヴィアの素直な賛辞と笑顔に、胸を弾ませたフロラだったが……。
「それ、もらって、ミーシャと食べてもいい?さっき、あんまり食べてなかったみたいだから。おなか、空いてると思うんだ」
レヴィアのまなざしはすでにフロラにはなく、アルテミシアがいるらしい竜舎に向けられている。
「……殿下仰せのままに」
「ありがとう」
柔和な礼を聞きながら、フロラの胸は鉛を飲み込んだように重くなっていた。
◇
「ふぅぅぅん」
夕食の下ごしらえが終わっている皿に無理やり指を突っ込みながら、ヴァイノは面白くなさそうに相槌 を打つ。
「そっかぁ。こないだのあのウマかったやつ。あれ、デンカに作ったやつなんだ」
「ち、ちがうよ?」
フロラが慌てて両手を振った。
「ちゃんと、作った。ヴァイ……、みんなの夕飯用、に」
「ふぅぅぅぅん。あ、これ、すげーうま」
香草と塩で燻製 された肉を飲み込み、ヴァイノは目を丸くする。
「あ、それ、まだだめっ。仕上げ、してない!」
「これもフロラが作ったんだ。オマエ、ほんとに料理うまいな。……また作ってよ、あの野菜料理」
「え?」
きょとんとするフロラの額を、ヴァイノの指がちょんと突 いた。
「すげーうまかった。いつでも食うから、オレが」
「ヴァ、ヴァイノのためだけに、作ってるわけじゃ、ないもん……」
「わぁってるよ。おっかわり~」
「あ、だめっ、だったらっ!」
止めるフロラの手をよけて、ヴァイノは大きな肉の切れ端をつかむ。
「へっへ~、オレが最初にもーらい!……うっま~」
フロラの料理を飲み込んだヴァイノは親指を立て、満面の笑顔を見せた。
スィーニとロシュの
おやつ
を頼んでおいたフロラが、もうすぐ市場から戻ってくる。「スィーニを戦場後方で待機させる」
アルテミシアからそう告げられ、竜の世話を任されたことは、とても名誉に思う。
「必ず守る。メイリには、髪一筋の傷もつけさせない」
そう誓うアルテミシアを信じている。
怖くはない。
でも、
「重荷を背負わせてすまない。けれど、肌身離さず持っていてほしい」と謝るアルテミシアが、あまりにも遠く、儚く感じられたから。
「どした、フロラ?そんなにヘソ曲げて。……お、メイリ!軍服似合うじゃん!」
つまみ食いをしていたヴァイノが、メイリに向かって勢いよく
それに応えてメイリも腕を伸ばし、
そんなふたりの横では、フロラが買い込んできた食材を勢いよく調理台に広げていく。
「もー、失礼、しちゃう!」
ばん、どん、ばさっ!
「わぁ、ちょっと落ち着いて」
おやつ
の――スィーニは淑女だからな。見た目にうるさいぞ――
アルテミシアから、そう注意を受けている。
スィーニはロシュと違って、傷がついていたり、少しでも色の悪い果物は口にしてくれないのだ。
「どうしたの?珍しいね。嫌なことでもあった?」
スバクル襲撃を退け、なおかつ敵兵を服従させたという話が広まって以来、首都ではレヴィアの名を聞かない日はない。
その注目の「レヴィア殿下」が住む離宮で働くフロラは、可愛らしい顔立ちに美しい金髪碧眼。
市場ではちょっとした人気者だ。
おまけしてもらうこともしょっちゅうで、このように怒りながら帰ってくることなど、メイリの記憶にはないのだが。
「市場で、貴族の女、ゲホン、ご令嬢たちが」
フロラは小さく咳ばらいをする。
「”離宮の使用人でしょう?レヴィア殿下にお会いしたいと伝えてくださらない?”とか、”レヴィア殿下のお好きなものを教えてくださらない?”とか」
フロラはしなを作りながら、上品そうな声真似をしてみせた。
「うるさいの!」
バン!!
可愛い手のひらで激しく調理台を叩くフロラの剣幕に、ヴァイノの背が震える。
「何人も何人も、何人も!おちおち買い物も、できないの!待ち伏せしてるおん、ゲホン、ご令嬢もいて、もう、思わず、”レヴィア様の好物はアルテミシア様です!”って、言ってやろうかと」
メイリとヴァイノが同時に吹き出した。
「え、フロラ、デンカのことあきらめんの?」
「諦めるとか、だって、別に……」
フロラの口調が、急に元気のないものになる。
「だって、レヴィア様は、アルテミシア様のことしか、見てない。可哀想なくらい。アルテミシア様は、あんなに冷たいのに……」
◇
ラシオンたちがスバクルへ向かった数日後。
「あの!レヴィア、様っ」
いつものように厨房から飛び出てくるフロラにレヴィアは足を止め、小さな笑顔を返した。
フロラは頬を赤らめながら、手にしている皿を差し出す。
「これ、あの、いただいた、香草を使って……。いっつもお菓子、教えていただいてる、から。お礼、です」
フロラが両手で持っている皿から、レヴィアは一口分の料理を摘んだ。
「美味しい、ね」
味見した指を舐める仕草にさらに赤くなりながら、フロラはもじもじとレヴィアを見上げる。
「お口に、合いましたか?」
「うん、すごく。フロラは料理上手だね。……ふふふっ」
元気がなさそうだったのに、急に笑い出したレヴィアにフロラの首が傾いた。
「あの、何か変、でしたか?」
「ああ、違う違う。ごめんね。ミーシャがね、ホロホロ鳥を料理したとき、”野菜料理は任せろ”って言い出して」
――思い出すだけでも嬉しい――
笑いを
「え、野菜料理?……大丈夫?」
腕まくりをするアルテミシアの背中を、レヴィアは心配そうに見守る。
ジーグは
「まあ、このくらいなら楽勝だろう」
まるで
「あとは水だな」
「えと、僕が、やろうか?」
「いいから、いいから」
勢いよく鍋に水を入れるアルテミシアは、「料理をしている」とうよりは、「おままごとをしている」ようだ。
水場も床も。
そこらじゅうが水浸しになって、レヴィアは「ハラハラする」という気持ちを初めて味わっていた。
「あの、確か、アルテミシア様、は、お料理禁止、なのでは?」
「うん、そう、なんだ」
レヴィアの肩が細かく震えていた。
「大丈夫、だったのですか?」
「ううん、全然、大丈夫じゃなくて……」
「ミーシャ、鍋!焦げた臭いしてる!火から下ろそう!」
レヴィアが慌てて鍋の柄をつかむ横で、アルテミシアがフタに手を掛ける。
「ミーシャ、変な音がしてるから、フタ、取ったらダメ……、うわぁ!」
ブシュブシュともゴトゴトともつかぬ不穏な音を立てていた鍋の中身が、フタを取ると同時に、勢いよく飛び出した。
「レヴィっ」
弾け飛んでくる野菜弾を、アルテミシアが手にしたフタで打ち返していく。
いくつかは床に落ちたが、ほとんどの野菜は、すでに焼き上がっていたホロホロ鳥の皿に滑るように収まっていき、何事もなかったかのように湯気を立てた。
「……食べられるかな……」
床から拾い上げた野菜を手のひらに乗せて、アルテミシアはしゅんとうなだれている。
「ふふ、ふふふふっ!大丈夫、だよ」
「そうか?」
「うん」
「そうか!レヴィが言うなら大丈夫だな。やった!大成功だ!」
ふたりの笑い声と
「ジーグは、怒ってたけどね。僕の目にでも当っていたら大変だったって。でも、ミーシャは”そんなことにはならない。私が必ず守るから”って言ってくれたんだ。野菜爆弾は、ミーシャの手にも結構当っちゃったんだよ。
いつになく
「少し焦げた味がしたんだけど、美味しかったんだ。ジーグは”命がけで食べるほどではない”って言っていたけど、僕はまた食べたいな。ミーシャの”野菜爆弾”」
こんなに楽しそうなレヴィアは見たことがない。
フロラの料理を前にしながら、レヴィアの心の中は、アルテミシアとの思い出でいっぱいなのだ。
持っている皿を床に叩きつけたい衝動にフロラがかられたとき、レヴィアの視線がやっと戻ってきた。
「それ、本当に美味しいね。料理人たちに教えて、皆にも食べさせてあげよう。フロラは、料理の天才だね」
(やっぱり素敵だな。レヴィア様)
レヴィアの素直な賛辞と笑顔に、胸を弾ませたフロラだったが……。
「それ、もらって、ミーシャと食べてもいい?さっき、あんまり食べてなかったみたいだから。おなか、空いてると思うんだ」
レヴィアのまなざしはすでにフロラにはなく、アルテミシアがいるらしい竜舎に向けられている。
「……殿下仰せのままに」
「ありがとう」
柔和な礼を聞きながら、フロラの胸は鉛を飲み込んだように重くなっていた。
◇
「ふぅぅぅん」
夕食の下ごしらえが終わっている皿に無理やり指を突っ込みながら、ヴァイノは面白くなさそうに
「そっかぁ。こないだのあのウマかったやつ。あれ、デンカに作ったやつなんだ」
「ち、ちがうよ?」
フロラが慌てて両手を振った。
「ちゃんと、作った。ヴァイ……、みんなの夕飯用、に」
「ふぅぅぅぅん。あ、これ、すげーうま」
香草と塩で
「あ、それ、まだだめっ。仕上げ、してない!」
「これもフロラが作ったんだ。オマエ、ほんとに料理うまいな。……また作ってよ、あの野菜料理」
「え?」
きょとんとするフロラの額を、ヴァイノの指がちょんと
「すげーうまかった。いつでも食うから、オレが」
「ヴァ、ヴァイノのためだけに、作ってるわけじゃ、ないもん……」
「わぁってるよ。おっかわり~」
「あ、だめっ、だったらっ!」
止めるフロラの手をよけて、ヴァイノは大きな肉の切れ端をつかむ。
「へっへ~、オレが最初にもーらい!……うっま~」
フロラの料理を飲み込んだヴァイノは親指を立て、満面の笑顔を見せた。