初恋
文字数 3,022文字
レヴィアの頬に指を当てたまま、アルテミシアは花のように笑った。
本当に、本当に久しぶりに見せてくれた笑顔からレヴィアは目が離せない。
雪明りに照らされた紅色の巻き髪が、若草色の瞳がキラキラと光り輝いている。
「貴方 の行動を暗示で縛るなんて、私はしたくない。術者が望まない暗示が、上手くいくはずがないだろう?一族や竜の話をするときは、ディアムド語が楽なんだ。でも、レヴィが嫌なら使わない」
アルテミシアは指を離して、手のひら全体でレヴィアの頬を包み込んだ。
「貴方 を守るために、私は竜騎士でありたい。だから、掟 を守らなくてはと思ったんだ。……レヴィといると、妙に心が揺れるから」
アルテミシアの眉が寂し気に寄せられる。
「それに、戦場での私はサラマリスの血に縛られる。その恐ろしい姿を見れば……。守り合おうなんて思わなくなるよ」
「竜騎士になった貴女 がどんな存在でも、ミーシャはミーシャだよ。僕が貴女 を、恐れるはずがないでしょう」
「……え?」
アルテミシアはレヴィアと目を合わせたまま、呼吸を止めた。
あんなにすげなくしたのに。
わざと突き放したのに。
ひたむきなレヴィアの態度は変わることがない。
「それに、ミーシャひとりの戦 じゃないよ。
「……かっこいいこと、言うじゃないか」
「殿下、だからね」
「そうだな。……立派な殿下だ」
トゥクース襲撃事件で駆けつけてくれたときにも、同じやり取りをした。
初陣で手を震わせていたレヴィアが、もう遠い昔のように思える。
――貴女 ひとりに戦わせたりしない――
言い切るレヴィアに情が動く。動いてしまう。
(レヴィアは、可愛いな)
掟 破りの竜騎士が、使命を全うできるか不安はある。
けれど、咎 はこの身一つで受ければいい。
レヴィアは守る。
守り切ってみせよう。
決意を固めたアルテミシアは、すっきりとした笑顔を見せた。
「ありがとう、レヴィ。結局、話してしまったな。ジーグは怒られ損だ」
ため息交じりに笑うアルテミシアにレヴィアは首を傾 げる。
「なにを?」
「ほら、ヴァイノが言っていたろう。ジーグとの喧嘩 はもういいのかって。ジーグから、レヴィアには話をしておけと進言されてな」
(あの
ディアムド語でのふたりの会話を思い出して、レヴィアは密かに納得した。
「ミーシャは……。ミーシャは、どうして、メイリの話を僕にしてくれなかったの?」
聞いても、また答えてもらえないかもしれない。
でも、聞かなくては。
まなざしがこちらを向いている今、気持ちのありかを探りたい。
「ん。……何で、かな」
アルテミシアには誤魔化している様子はなく、本当に答えあぐねているようだ。
「どうしても話せなかったんだ。伝えなくても、行動で示せばいいと思ったのだけれど」
体中の空気をすべて吐き出すように、アルテミシアは大きなため息をつく。
「ことごとくヴァイノがな。……そういえば、ジーグの猟犬が本当にヴァイノに似ていた。焦がした鍋を隠しておいたのに、ジーグの目の前にくわえてきて」
「怒られた?」
「長い説教だったよ」
「ふふふっ」
「狩りも上手で、人の表情もよく読む賢い子だった。そこはヴァイノとは違うな。あの子犬は阿呆かと思うくらい、何も気にしないから。その阿呆に馬鹿と言われる私も、大概だけれどな」
くるくると表情を変える、騎士の顔をしないアルテミシアが嬉しくて。
レヴィアはそれ以上問うことはやめた。
話してくれなかった理由はわからないが、本人にもわからないのならば仕方がない。
目をそらさずに自分を見てくれる。
今はそれだけで十分だ。
それに、もうひとつ聞いておきたいことがある。
「僕に暗示は効かないと言うけれど、竜術を守るために、何もしなくていいの?竜の卵のことは?」
「算出式と同様、竜仔にも細かい決め事がある。レヴィに預けてからも、途中で管の調整をしたろう?その方法は教えられない。それ以外の竜術を、主 たるレヴィア殿下と共有してるのだけど。誰かが、その竜術を話さなければ殺すと言ってきたら、レヴィはどうする?」
「戦う」
間髪入れず、迷いもせずにレヴィアは答えた。
「私の主 はそういう方だ。だからこそ、主 と定めた。守る力も持っているレヴィに、暗示など失礼だろう。歴代ディアムド皇帝もある程度は知っているし、それと同じことだ」
「そう……、なんだ。そっか」
レヴィアの口元が綻 び、満月のような笑顔になった。
ずっと重石でフタをされたような心が、今はふわふわと浮き上がっている。
アルテミシアの冷たかった態度には、ちゃんと理由があった。
嫌われたわけではなかった。
「父上がね、さっきしようとしてた話は、今日中にどうしても伝えたいって。夕飯、どうする?ミーシャの部屋に置いてあるよ」
「このまま伺おう。これ以上遅くなると、さすがに申し訳ない。これ、ありがとう」
縁台から立ち上がると、アルテミシアは毛布を差し出した。
「よければ、ミーシャ使ってて」
「でも、これはお母様の大切な……」
「そうだけど、ミーシャは寝相が悪いから心配って、ジーグが言ってたよ。お腹、出したまま寝ちゃうんでしょう?去年の冬は、この毛布のおかげで風邪をひかなかったって。今日なんか、とっても寒いから」
「……ジーグが怒られ損でいるわけがなかったな。きっちり仕返しをしてきたか。まったく食えない従者だ。寝相はいいぞ。上掛けとか、寝巻が苦手なだけだ」
「苦手?寝巻が?上掛けも?着替えないで、何も掛けないで寝るの?それじゃ、風邪ひいちゃうね。でも、どうして?」
「それは……」
言葉を詰まらせて黙り込んだあとに、アルテミシアはおずおずとレヴィアを見上げる。
「借りていても、……いい?」
上目遣いで見つめられたレヴィアの胸が、どくんとひとつ、大きな鼓動を打った。
戦場では華麗に戦う竜騎士なのに。
目の前にいるアルテミシアは、肩をすぼませて毛布を抱きしめている。
頼りなげに揺れる瞳に、足元に置いた角灯の灯りが映り込んでいた。
「いいよ、もちろん」
鼓動が早くなる、強くなる。
アルテミシアに聞こえてしまったら、「どうして」と聞かれたら、何て答えたらいいのだろう。
出会ってから、ひたすら慕わしく敬愛していたけれど。
いつの間にか、こんなにも抱 えきれないほどの想いに変わっていたのだ。
――いつから恋をしてるのかって聞いてるんだよ、ヴァイノは――
ラシオンの言葉が胸によみがえってくる。
「使って。ミーシャの役に立つなら、嬉しい」
甘くて、でも痛くて。
苦しくて、なのに幸せだ。
ためらいながら指を伸ばせば、アルテミシアが頬をすり寄せてくる。
目を閉じ、なでられるに任せているその仕草は機嫌のよい猫のようだ。
アルテミシアのすべに目が奪われる。胸が高鳴る。
このあふれ暴れだしそうな想いは、どうしたらいいのだろう。
――頑張って、弟じゃなくて、男に見てもらえるようになるしかねぇじゃん!――
ヴァイノはそう言っていたけれど。
(
誰かに聞いてみたいが、フロラから「兄貴面 すんな!」と言われて、しょげているヴァイノではあてにならない。
ラシオンは余計なことまで教えてくれそうだ。
初めて出会ったトレキバの河原を思い出せば、ジーグに聞くなどありえない。
思い迷いながら、レヴィアはアルテミシアの頬をなで続けた。
本当に、本当に久しぶりに見せてくれた笑顔からレヴィアは目が離せない。
雪明りに照らされた紅色の巻き髪が、若草色の瞳がキラキラと光り輝いている。
「
アルテミシアは指を離して、手のひら全体でレヴィアの頬を包み込んだ。
「
アルテミシアの眉が寂し気に寄せられる。
「それに、戦場での私はサラマリスの血に縛られる。その恐ろしい姿を見れば……。守り合おうなんて思わなくなるよ」
「竜騎士になった
「……え?」
アルテミシアはレヴィアと目を合わせたまま、呼吸を止めた。
あんなにすげなくしたのに。
わざと突き放したのに。
ひたむきなレヴィアの態度は変わることがない。
「それに、ミーシャひとりの
僕たち
に売られたケンカ、だよ」「……かっこいいこと、言うじゃないか」
「殿下、だからね」
「そうだな。……立派な殿下だ」
トゥクース襲撃事件で駆けつけてくれたときにも、同じやり取りをした。
初陣で手を震わせていたレヴィアが、もう遠い昔のように思える。
――
言い切るレヴィアに情が動く。動いてしまう。
(レヴィアは、可愛いな)
けれど、
レヴィアは守る。
守り切ってみせよう。
決意を固めたアルテミシアは、すっきりとした笑顔を見せた。
「ありがとう、レヴィ。結局、話してしまったな。ジーグは怒られ損だ」
ため息交じりに笑うアルテミシアにレヴィアは首を
「なにを?」
「ほら、ヴァイノが言っていたろう。ジーグとの
(あの
ケンカ
は、そういうことだったの……)ディアムド語でのふたりの会話を思い出して、レヴィアは密かに納得した。
「ミーシャは……。ミーシャは、どうして、メイリの話を僕にしてくれなかったの?」
聞いても、また答えてもらえないかもしれない。
でも、聞かなくては。
まなざしがこちらを向いている今、気持ちのありかを探りたい。
「ん。……何で、かな」
アルテミシアには誤魔化している様子はなく、本当に答えあぐねているようだ。
「どうしても話せなかったんだ。伝えなくても、行動で示せばいいと思ったのだけれど」
体中の空気をすべて吐き出すように、アルテミシアは大きなため息をつく。
「ことごとくヴァイノがな。……そういえば、ジーグの猟犬が本当にヴァイノに似ていた。焦がした鍋を隠しておいたのに、ジーグの目の前にくわえてきて」
「怒られた?」
「長い説教だったよ」
「ふふふっ」
「狩りも上手で、人の表情もよく読む賢い子だった。そこはヴァイノとは違うな。あの子犬は阿呆かと思うくらい、何も気にしないから。その阿呆に馬鹿と言われる私も、大概だけれどな」
くるくると表情を変える、騎士の顔をしないアルテミシアが嬉しくて。
レヴィアはそれ以上問うことはやめた。
話してくれなかった理由はわからないが、本人にもわからないのならば仕方がない。
目をそらさずに自分を見てくれる。
今はそれだけで十分だ。
それに、もうひとつ聞いておきたいことがある。
「僕に暗示は効かないと言うけれど、竜術を守るために、何もしなくていいの?竜の卵のことは?」
「算出式と同様、竜仔にも細かい決め事がある。レヴィに預けてからも、途中で管の調整をしたろう?その方法は教えられない。それ以外の竜術を、
「戦う」
間髪入れず、迷いもせずにレヴィアは答えた。
「私の
「そう……、なんだ。そっか」
レヴィアの口元が
ずっと重石でフタをされたような心が、今はふわふわと浮き上がっている。
アルテミシアの冷たかった態度には、ちゃんと理由があった。
嫌われたわけではなかった。
「父上がね、さっきしようとしてた話は、今日中にどうしても伝えたいって。夕飯、どうする?ミーシャの部屋に置いてあるよ」
「このまま伺おう。これ以上遅くなると、さすがに申し訳ない。これ、ありがとう」
縁台から立ち上がると、アルテミシアは毛布を差し出した。
「よければ、ミーシャ使ってて」
「でも、これはお母様の大切な……」
「そうだけど、ミーシャは寝相が悪いから心配って、ジーグが言ってたよ。お腹、出したまま寝ちゃうんでしょう?去年の冬は、この毛布のおかげで風邪をひかなかったって。今日なんか、とっても寒いから」
「……ジーグが怒られ損でいるわけがなかったな。きっちり仕返しをしてきたか。まったく食えない従者だ。寝相はいいぞ。上掛けとか、寝巻が苦手なだけだ」
「苦手?寝巻が?上掛けも?着替えないで、何も掛けないで寝るの?それじゃ、風邪ひいちゃうね。でも、どうして?」
「それは……」
言葉を詰まらせて黙り込んだあとに、アルテミシアはおずおずとレヴィアを見上げる。
「借りていても、……いい?」
上目遣いで見つめられたレヴィアの胸が、どくんとひとつ、大きな鼓動を打った。
戦場では華麗に戦う竜騎士なのに。
目の前にいるアルテミシアは、肩をすぼませて毛布を抱きしめている。
頼りなげに揺れる瞳に、足元に置いた角灯の灯りが映り込んでいた。
「いいよ、もちろん」
鼓動が早くなる、強くなる。
アルテミシアに聞こえてしまったら、「どうして」と聞かれたら、何て答えたらいいのだろう。
出会ってから、ひたすら慕わしく敬愛していたけれど。
いつの間にか、こんなにも
――いつから恋をしてるのかって聞いてるんだよ、ヴァイノは――
ラシオンの言葉が胸によみがえってくる。
「使って。ミーシャの役に立つなら、嬉しい」
甘くて、でも痛くて。
苦しくて、なのに幸せだ。
ためらいながら指を伸ばせば、アルテミシアが頬をすり寄せてくる。
目を閉じ、なでられるに任せているその仕草は機嫌のよい猫のようだ。
アルテミシアのすべに目が奪われる。胸が高鳴る。
このあふれ暴れだしそうな想いは、どうしたらいいのだろう。
――頑張って、弟じゃなくて、男に見てもらえるようになるしかねぇじゃん!――
ヴァイノはそう言っていたけれど。
(
男に
見てもらうって?)誰かに聞いてみたいが、フロラから「
ラシオンは余計なことまで教えてくれそうだ。
初めて出会ったトレキバの河原を思い出せば、ジーグに聞くなどありえない。
思い迷いながら、レヴィアはアルテミシアの頬をなで続けた。