子犬による会心の一撃

文字数 3,845文字

 国王から離宮客間に呼ばれていたアルテミシアのもとに、「緊急の用件がある」と告げたジーグが、ヴァイノたちをともなって入ってきた。

「またお前なのか、ヴァイノ」
 殺気立つアルテミシアのまなざしに、震えあがったヴァイノは思わずジーグの背に隠れる。
「ヴァイノだけの責任ではありません。そもそも、こうなることは予想できたはずです」
 詰め寄るジーグに、アルテミシアの鮮緑の瞳が冷たく冴えた。
『二度はないと言いましたよ、ジグワルド・フリーダ』
 発せられるディアムド語は、まなざしと同様に凍てついている。
『承知しております。ですが、どれだけの重荷をメイリに背負わせるのですか。もう少しで仲間を傷つけるところだっだのですよ。彼女の心を守るためにも、できる範囲で周知すべきです。大切な竜守、でしょう』
 ジーグのディアムド語での返答を聞き、しばらく黙って考え込んでいたアルテミシアは客間を見回し、つぶやいた。
『王家のみならず、あの子らまでとは。……これも命運、なのかしら』
 アルテミシアは泣きそうな顔をしているメイリに近づくと、その頬を両手で包み込む。
「すまないな、メイリ。本来なら、お前に担わせることは間違っている」
 久しぶりに見る柔らかな瞳と親しげなトーラ語に、メイリは激しく(かぶり)を振った。
「頼ってくださって、嬉しいです。ロシュは素敵な竜だから。でも、あれじゃまるで……」
 それ以上言わせないかのように、涙ぐむメイリをアルテミシアは軽く抱き寄せて(ささや)く。
「ロシュもメイリを気に入ってる。万が一のときは、よろしくな」
 
 メイリに笑いかけるアルテミシアを見ながら、王家側の席に座るレヴィアは唐突に理解した。
 この、胸の奥をかき回されるようなざわつき。
 ラシオンやヴァイノに感じたのと同じ、強烈に渦巻く負の感情。
 その正体が「嫉妬」なのだと。
 
 理由は思い当たらないが、最近アルテミシアから避けられている。
 それは嫌というほどわかっていた。
 凱旋会以降、言葉を交わす機会も少なくなって、最近では滅多に顏を見ることもない。
 たまに会うことがあっても、(あるじ)と従者の線引きを崩してはくれなかった。
 だが、竜がいる限り、自分はアルテミシアの「特別」なのだと思っていたのに。
 その頼みの綱さえ、目の前の光景が引きちぎっていく。
 うつむくメイリを慰めている背中が遠い。
 どうして、アルテミシアの隣に立つのが自分ではないのか。
 頼りにされるのが、自分ではないのか。
 
 精一杯の努力で無表情を保つレヴィアには気づかず、アルテミシアはメイリの明るい褐色の髪をひとなでして、客間にいる皆を振り返った。
「メイリには暗示を掛けてあるのです。……こんなに早く知られるとは、思わなかったけれど。ヴァイノ、お前は私の疫病神なんじゃないのか?……消しておくか」
 愚連隊に席に着くよう(うなが)し、あながち冗談でもなさそうな口調でアルテミシアは顔をしかめる。
 その目つきは厳しいが、久しぶりに騎士の顏をしていないアルテミシアだ。
「……勘弁して、ふくちょ……」
 その言葉に怯えながらも、ヴァイノはどことなく嬉しそうにしている。
「フリーダ隊長もお座りください。ご指示に従い、できる範囲で話をいたしましょう」
 おどけた敬礼をするアルテミシアに、ジーグの目尻が少しだけ緩んだ。
 
 皆が着席するのを確認してから、アルテミシアは改めて客間を見回す。
「暗示と聞いて、何か思い当たることはございませんか?」
 上座に座るヴァーリが足を組み替え、わずかに首を(かし)げる。
「ジェラインとモンターナか」
「さすが陛下。ご慧眼(けいがん)でいらっしゃいます。あの高慢ちきの”手が震えた”のも、小粒が”故郷で隠居生活をする”ことを選んだのも、暗示の一種です」
 確かに、ジェラインの手が震えだしたのは、アルテミシアから指摘されたあとだったとレヴィアは思い出した。
「でも、どう、やって?」
「内緒。教えたら防御されて効かなくなる。ひとつ言える条件としては、ディアムド語を理解できること」
「内緒ということは、僕たちにも使う気かな?」
「そこは、ご想像にお任せいたします」
 アルテミシアは大袈裟なほど(うやうや)しい礼捧げてから、王家の三人に向き直る。
「メイリには、竜に関する秘伝を記した封書を渡し、暗示を掛けました。私が示した条件に当てはまった場合にのみ、開いて読むこと。他者が奪おうとした場合、攻撃すること。読んだあとは、燃やし尽くすこと。この三つを守るように」
「あ、だからオレ、斬りかかられたんだ」
「そう。本当にヴァイノは鼻が利くな」
 渋面を作ったアルテミシアがため息をついた。
「メイリに託した内容は、条件が整えば、大よその見当はつくでしょう。整わなければ、無かったことになる」

(竜のことなのに、僕には教えてくれないんだ……)
 
 どれだけ見つめていても、アルテミシアと目が合うことはない。
 レヴィアの鼻がツンと痛んだ。

――レヴィに竜の秘密を知ってもらえて嬉しい――

 かつてそう言って、晴れやかに笑ってくれたのに。
 今、アルテミシアが笑顔を向けるのはメイリだ。
 竜の秘密を共有しようとするのもメイリだ。
 自分ではない。
 愚連隊がいなければ、アルテミシアは自分を頼ってくれるだろうか。
 笑いかけてくれるだろうか。
 ならばいらない。誰もいらない。
 そんなことを思っては駄目だとわかっている。
 初めて得た仲間だ。待っていてくれた人たちだ。
 けれど、アルテミシアが隣にいないと、孤独だった日々がひたひたと背後に迫ってくるようで。
 ずっと抱えていた疑問が、古傷からしみ出す血のように胸を侵食していく。

――僕に、生きている価値はあるの?――

「でもさぁ、ふくちょさぁ。なんでメイリに預けんの?」
 ヴァイノのあっけらかんとした声に、知らずうつむいていたレヴィアは顔を上げた。
「ふくちょが知ってりゃいいんでしょ?メイリに教えることないじゃん」
「え?……ふふっ、あはは!」
 久しぶりに聞いたアルテミシア笑い声に、レヴィアの胸はシクシクと痛む。
 笑いかけた相手が、やっぱり自分ではなかったから。
「お前は頭が良いのか悪いのかわからないな。(いくさ)なんだぞ。私がロシュに乗れなくなる可能性を、考えないわけにはいかないだろう」

――ロシュに乗れなくなる可能性――

 その状況を察した皆の空気がピンと張り詰める。
 だというのに。
「え、なんで?」
 ヴァイノだけは、見事なまでにいつもどおりだった。
「ふくちょ強ぇじゃん。そんなことにはなんねぇよ。オレたちだって戦うし」
「何が起こるかわからないのが(いくさ)だ」
 ヴァイノに歩み寄って、アルテミシアはその肩に(こぶし)を当てる。
「だが、お前たちのことは私が守るから安心しろ。そのために、すべてを懸ける覚悟をしている。竜と竜騎士はそういう役割だからな」
「はぁ~あ。……バッカじゃねぇの、ふくちょってば」
「……は?え?ばか……?」
 耳は正しく音を拾ったが、アルテミシアは一瞬、理解が追いつかなかった。
「馬鹿って、言われた?」
「ああ、言ったよ。ふくちょはバカだ」
「……」
 アルテミシアは黙り込んで、「呆れ果ててます」と顔に書いてあるヴァイノを見下ろすばかり。

 サラマリスに面と向かって「馬鹿」と言う命知らずは、ディアムド帝国にはいないだろう。
 アルテミシア自身、言われた覚えがない。

「あのさぁ、ふくちょさぁ」
 ヴァイノがアルテミシアの前に進み出た。
「ケンカって、ひとりだけ強くってもダメっつうかさ」
 ヴァイノは(こぶし)で、アルテミシアの肩を小突き返してくる。
「ケンカと(いくさ)は違ぇだろうけど、仲間はさ、みんなで守り合うもんってのは同じじゃね?オレたちだって、それぞれリッパな役目があったんだぜ?見張り、かっぱらい、おとり……」
 かつての悪行を、ヴァイノは王族の前で、悪びれもなく披露(ひろう)し始めた。
「なにが立派だっ。馬鹿はお前だ、ヴァイノ!」
 慌てたトーレが椅子(いす)を蹴って立ち上がり、その口を塞ぐ。
「んがっ、ふがっ。……わーかったって」
 ジタバタと暴れてトーレを振り切ったヴァイノは、呆然としているアルテミシアに再度向き直った。
「オレさ、居場所もらえて、役割もらえてすっげぇ嬉しいんだよ。だから、恩返しとかもあるけど、何かあったら、ジーグ隊長もふくちょも守るって決めてる。だって、大事な仲間なんだから。ふくちょにとって、オレたちは仲間じゃねぇの?ただ守られるだけのお荷物なの?」
 瞬きもせずにヴァイノを見つめるアルテミシアは、竜騎士でも剣士でもなく。
 軍服を着た、ひとりの少女でしかなかった。
 そして、怒っているような苛立っているような、泣き出しそうな顔になったと思ったとたん。
 
バズ!!

 ヴァイノの肩に、アルテミシアの重い拳が炸裂した。
「いってぇ!」
「仲間じゃない!お前なんか子犬だ!!」
「えぇっ、ヒトですらなかった?!」
 ヴァイノの悲鳴のような問いかけにも答えず、アルテミシアが背を向ける。
「ふくちょっ、ふくちょってば!……ん?」
 足早に出ていくアルテミシアを追いかけようとして、ヴァイノは足を止めた。
 誰かが手首をつかんでいる。
 振り返れば、少し笑っているようなジーグと目が合った。

「僕、生まれて初めてお前を見直したよ」
 トーレがぽつりとつぶやくと、すかさずスヴァンが賛同する。
「俺も」
「ちょっと、かっこよかったね」
「ちょっとはね」
「ちょっとだけ、だけど、ね」
「ちょっとかよー」
 不満顔をするヴァイノを見て、アスタとメイリ、そして、フロラの笑い声が弾けた。
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