王家の子どもたち-外れ者の姫-
文字数 2,794文字
トゥクース王宮南棟には、どの窓からも明るい庭園を望める、通称「花園」と呼ばれる部屋がある。
その部屋の扉の前で、可愛らしい給仕服に身を包んだ女性がふたり。
顔を見合わせ、物憂 げにたたずんでいる。
「行きたくないわ」
「私もよ」
お茶とお菓子を乗せた盆を持つふたりは、そろってため息をつくと扉に向き直った。
そのうちのひとりが、意を決して扉を叩く。
「遅い!」
刺々 しい声での入室の許可だったが、給仕は顔色も変えずに扉を開けた。
「いつまで待たせるのっ」
しずしずと部屋に入ってきた給仕ふたりを、榛色 の瞳がきつくにらみつけている。
「申し訳ございません」
手際よく、舶来 の円卓にお茶の用意を始めた給仕たちに、大袈裟なため息が届いた。
「お願いしてからの時間を考えれば」
贅 を尽くした山吹 色の宮廷服に身を包んだ少女が、花模様の茶器たちを冷たく眺める。
「きっと、世界の果てまで茶葉を買いに行ってくれたのね。それはどうもありがとう。でも、もういただく気分ではなくなってしまったわ」
美しく結った胡桃色 の髪が揺れるほどの勢いで、その顔が背 けられた。
「出かけるわ。馬車の用意を」
「畏 まりました。どちらへ」
慣れた様子で茶道具を片付けながら、給仕のひとりが尋ねる。
「離宮へ。……お父様がそちらにいらっしゃるそうだから」
ふたりの給仕は思わず手を止め、不満を露わにしている横顔を見つめた。
離宮は首都では知らない者がいない、不幸な騒乱があった曰 くつきの建物だ。
修繕は済んでいるが利用されることなく、捨て置かれている状態である。
そんな建物に、国王が何の用事で訪れているのか。
「と、先ほどカーフが言って寄越したのよ。弟が来るのですって」
「はぁっ?!」
「弟君?でも、メテラ姫……」
珍しく、作法を忘れた大声を責めることもなく。
王家の姫はその瞳を不機嫌に細め、庭園を見るともなく眺めている。
「死んではいなかったのですって。……カーフは、ずっと知っていたんだわ」
憤懣 が立ち昇っているようなメテラの背後で、給仕ふたりはゴクリと唾を飲み込んだ。
◇
(本当に不運だわ!)
離宮へと向かう馬車のなかで、メテラの怒りは最高潮に達した。
門番から主要道が使えないと聞いた御者は、メテラの許可を得てから、山際 の道を通ることを選んだのだが。
途中で車輪が突然外れ、鬱蒼 とした森の中で、立ち往生を余儀なくされている。
急に用意をさせたためか、もしくは、どうせ「外 れ者の姫」が乗るのだからと、程度の悪い馬車をあてがわれたのか。
「どうした。手伝おうか?」
外から聞こえてきたくぐもった声に、物思いに沈んでいたメテラの目が上がる。
窓から見下ろせば、旅装束 を頭からかぶった人物と、今流行りの服を着た青年が、御者に手を貸していた。
「ありがとうございます!本当に助かりま……」
「何をしているのっ?」
御者の礼が、メテラの荒い声にかき消される。
「下賤 の者が手を触れないで!」
「誰が触ったところで、腐るものでもないだろう。早く直さないと日が暮れるぞ」
しゃがんでいた旅装束 姿の人物が顔を上げた。
透けるような緑の瞳が美しい。
だが、メテラにはその美しささえ腹立たしかった。
「お前には関係ないでしょう。トカゲみたいな目をして気持ちの悪い」
「おやおや、ここでもトカゲか。……まだ見たことないんだよなぁ。レヴィに頼んでるのに」
独り言をつぶやきながら修理を手伝うその隣では、御者が汗だくで車軸と格闘している。
「そんなにおっしゃるなら、手は出しませんけどね。この道を行くとは、離宮にご用で?メテラ姫」
洒落 者の青年が勢いをつけて立ち上がり、薄く笑って両手を上げた。
市民の前に顔を出す機会は、これまであまりなかったのだが。
どうやら、自分が誰だかを知られていると気づいたメテラは、慌てて首を引っ込めた。
邪険 な態度は王家の評判にも関わるし、何よりカーフの耳にでも入れば、嫌味を言われるだけでは済まないだろう。
(私を知る者に会うなんて……。カーフがトゥクースに戻ってきている、こんなときに)
感情が宿ることのない鉛 色の細い目を、さらに細めて意見してくるカーフを思い出すと、メテラの喉 は絞められるように苦しくなる。
母の生家だというアッスグレン家の家令でもあり、メテラの教育係として王宮に寄こされているカーフだが、ここ何年かは、別のお役目があるといって首都を離れていた。
それでもメテラの様子は逐一 報告されているようで、不始末があったと思われるたびに王宮に戻ってくる。
メテラには身に覚えがないことも多かったのだけれど、抗議など聞いてもらえた試しはない。
そして、彼から与えられるきつい仕置きは屈辱的であったが、それよりも心を抉 られたのは。
使用人たちがそれを目にしても止めないどころか、薄笑いを浮かべながら、遠巻きにして眺めていることだった。
「話す必要はないでしょう」
「陛下の馬車なら、先ほど王宮へお戻りだがな」
視線を戻さないままのメテラに、冷たい声が応える。
遠い声を不審に思ったメテラが首を回すと、木にもたれながら腕組みをしている、東国人の女性と目が合った。
「放っておけばいい。ジグワルドの教育の賜物か?お前たちは本当に世話焼きだな」
「馬が可哀想じゃないか。……ほら、はまった、ぞ!」
御者と握手を交わしている旅装束 は無視をして、メテラは東国人の女性をにらみつける。
「陛下の馬車とはすれ違わなかったわ。いい加減なことを」
「この国の姫は愚か者だな。半刻ほど前から、街道が通れるようになっている。生憎 だったな」
「お、愚か?!不敬なことをっ。首を刎 ねるわよ!」
「首を刎 ねる?誰が。お前が?」
女性の低い声と、ひたりと合わせられた瞳の迫力に、メテラはたじろいで口を閉じた。
「応急的な修理だから、長くは走れない。もうお帰り。驚いたろう、怖かったか?」
馬の鼻面を優しくなでる旅装束 の横で、御者がおどおどとメテラを見上げる。
「日暮れが迫っております。メテラ様、今日は戻りましょう」
「……早く出して」
不機嫌なメテラの命令に、御者は旅装束 たちに軽く頭を下げると、馬車を走らせていった。
「豊穣 の女神の名が泣くな。メテラ、か。……それにしても、母親似なんだろうか?」
「ツンケン姫のことか」
去っていく馬車をちらりと見やって、リズワンがラシオンの隣に立った。
「そ。うちの殿下は似てないようで、あれでヴァーリ王を彷彿 とさせるところもあるだろ?ほら、あのときさ」
「何の話だ?」
襟巻 を下げながら、アルテミシアがラシオンを振り返った。
「ヴァイノがさ、余計な奴らを連れて来ちまったことがあったじゃねぇか。一緒に住み始めたころ」
「……ああ、あったな」
リズワンが片頬を上げてふっと笑う。
それはジーグが愚連隊に仕事を教え始めて、そう日もたたないうちに起こった騒動であった。
その部屋の扉の前で、可愛らしい給仕服に身を包んだ女性がふたり。
顔を見合わせ、
「行きたくないわ」
「私もよ」
お茶とお菓子を乗せた盆を持つふたりは、そろってため息をつくと扉に向き直った。
そのうちのひとりが、意を決して扉を叩く。
「遅い!」
「いつまで待たせるのっ」
しずしずと部屋に入ってきた給仕ふたりを、
「申し訳ございません」
手際よく、
「お願いしてからの時間を考えれば」
「きっと、世界の果てまで茶葉を買いに行ってくれたのね。それはどうもありがとう。でも、もういただく気分ではなくなってしまったわ」
美しく結った
「出かけるわ。馬車の用意を」
「
慣れた様子で茶道具を片付けながら、給仕のひとりが尋ねる。
「離宮へ。……お父様がそちらにいらっしゃるそうだから」
ふたりの給仕は思わず手を止め、不満を露わにしている横顔を見つめた。
離宮は首都では知らない者がいない、不幸な騒乱があった
修繕は済んでいるが利用されることなく、捨て置かれている状態である。
そんな建物に、国王が何の用事で訪れているのか。
「と、先ほどカーフが言って寄越したのよ。弟が来るのですって」
「はぁっ?!」
「弟君?でも、メテラ姫……」
珍しく、作法を忘れた大声を責めることもなく。
王家の姫はその瞳を不機嫌に細め、庭園を見るともなく眺めている。
「死んではいなかったのですって。……カーフは、ずっと知っていたんだわ」
◇
(本当に不運だわ!)
離宮へと向かう馬車のなかで、メテラの怒りは最高潮に達した。
門番から主要道が使えないと聞いた御者は、メテラの許可を得てから、
途中で車輪が突然外れ、
急に用意をさせたためか、もしくは、どうせ「
「どうした。手伝おうか?」
外から聞こえてきたくぐもった声に、物思いに沈んでいたメテラの目が上がる。
窓から見下ろせば、
「ありがとうございます!本当に助かりま……」
「何をしているのっ?」
御者の礼が、メテラの荒い声にかき消される。
「
「誰が触ったところで、腐るものでもないだろう。早く直さないと日が暮れるぞ」
しゃがんでいた
透けるような緑の瞳が美しい。
だが、メテラにはその美しささえ腹立たしかった。
「お前には関係ないでしょう。トカゲみたいな目をして気持ちの悪い」
「おやおや、ここでもトカゲか。……まだ見たことないんだよなぁ。レヴィに頼んでるのに」
独り言をつぶやきながら修理を手伝うその隣では、御者が汗だくで車軸と格闘している。
「そんなにおっしゃるなら、手は出しませんけどね。この道を行くとは、離宮にご用で?メテラ姫」
市民の前に顔を出す機会は、これまであまりなかったのだが。
どうやら、自分が誰だかを知られていると気づいたメテラは、慌てて首を引っ込めた。
(私を知る者に会うなんて……。カーフがトゥクースに戻ってきている、こんなときに)
感情が宿ることのない
母の生家だというアッスグレン家の家令でもあり、メテラの教育係として王宮に寄こされているカーフだが、ここ何年かは、別のお役目があるといって首都を離れていた。
それでもメテラの様子は
メテラには身に覚えがないことも多かったのだけれど、抗議など聞いてもらえた試しはない。
そして、彼から与えられるきつい仕置きは屈辱的であったが、それよりも心を
使用人たちがそれを目にしても止めないどころか、薄笑いを浮かべながら、遠巻きにして眺めていることだった。
「話す必要はないでしょう」
「陛下の馬車なら、先ほど王宮へお戻りだがな」
視線を戻さないままのメテラに、冷たい声が応える。
遠い声を不審に思ったメテラが首を回すと、木にもたれながら腕組みをしている、東国人の女性と目が合った。
「放っておけばいい。ジグワルドの教育の賜物か?お前たちは本当に世話焼きだな」
「馬が可哀想じゃないか。……ほら、はまった、ぞ!」
御者と握手を交わしている
「陛下の馬車とはすれ違わなかったわ。いい加減なことを」
「この国の姫は愚か者だな。半刻ほど前から、街道が通れるようになっている。
「お、愚か?!不敬なことをっ。首を
「首を
女性の低い声と、ひたりと合わせられた瞳の迫力に、メテラはたじろいで口を閉じた。
「応急的な修理だから、長くは走れない。もうお帰り。驚いたろう、怖かったか?」
馬の鼻面を優しくなでる
「日暮れが迫っております。メテラ様、今日は戻りましょう」
「……早く出して」
不機嫌なメテラの命令に、御者は
「
「ツンケン姫のことか」
去っていく馬車をちらりと見やって、リズワンがラシオンの隣に立った。
「そ。うちの殿下は似てないようで、あれでヴァーリ王を
「何の話だ?」
「ヴァイノがさ、余計な奴らを連れて来ちまったことがあったじゃねぇか。一緒に住み始めたころ」
「……ああ、あったな」
リズワンが片頬を上げてふっと笑う。
それはジーグが愚連隊に仕事を教え始めて、そう日もたたないうちに起こった騒動であった。