おいしいということ

エピソード文字数 5,411文字

 寒気の戻った畑で二人過ごした翌日。
 レヴィアは食事の仕度(したく)薬湯(やくとう)の準備を終えた後、いつものようにさっさと小屋を出ていこうとした。
 その背中にアルテミシアが声を掛ける。
「たまには一緒に食事をしないか?屋敷に帰らないとまずいのか?」
「え…」
 レヴィアは思いもよらない、といった顔で振り返った。
「帰ったり、しない。家令に捕まったら大変、だから」
 ジーグが驚いて問い(ただ)す。
「では、お前は今どこで寝起きをしている?」
「森、とか。屋敷に顔は、出してる。行方不明だと、探される」
「馬鹿者!」
 荒らげた声を出したジーグを、レヴィアは丸い目をして見上げたまま固まった。
 初めて聞いた、ジーグの感情的な大声だ。
「私たちは恩人を外に追いやり、のうのうと屋根の下で暮らしていたのか…。私たちの食事は用意して、お前は何を口にしていた?レヴィア、お前も今日からここで過ごせ」
 ジーグの言葉にレヴィアは視線を揺らし、表情を消した。
「一緒にいるのは迷惑か?」
 アルテミシアが心配そうに尋ねる。
「違う。迷惑とか、そうじゃ、なくて…」
 レヴィアは言い(よど)む。
「僕の食べ方、汚い…、から」
 レヴィアの視線が下がっていく。言葉は口の中で消えてしまう。 
「誰がそんなことを言った」
 ジーグの声には穏やかさが戻っていた。
「家令とか、作法の先生、とか。食事ひとつまともにできない。家畜のほうがまだまし、って」
 アルテミシアが憤慨した目をジーグに投げた。ジーグも(まゆ)を寄せてうなずく。
「そうか。だが間違っているのなら、正しく学べばいいだけだ。ここにいてくれ。リズィエに何かあったときにも安心だ。お願いする」
 ジーグが深く頭を下げる。
 アルテミシアも重ねて引き留めた。
「レヴィ、一緒に食事をしよう」
 二人の言葉にレヴィアは(のど)が詰まり、声が出なかった。ただ黙ってうなずき、その小さな動作にさえ目が潤みそうになる。
 顏を上げられずにいるレヴィアを、アルテミシアとジーグはいつまでも見守り続けた。

 三人で暮らし始めてからほどなく。
 レヴィアが落ち着かない様子を見せることにジーグは気がついた。
 朝は何かにつけ用事を口にして出て行ってしまうし、夕食後はすでに暗くなっているというのに、畑を見てくると言ったりする。
 そしてしばらくは帰ってこない。
 その日の夜も、食後すぐに書棚の掃除をし始め、休みもしなかった。
 時々小さな溜息をつきながら、扉を眺めている。
 まるで無理やり閉じ込めた野生動物が、外を恋しがっているような姿だ。 
「何か気になるのか」
 レヴィアが三度目に扉を見つめたとき、ジーグが後ろから声を掛けた。
 小さな肩がびくりと震える。
「え、ううん。何、にも」
 丸い目をしてジーグを振り返ったレヴィアだが、すぐにその顔はそらされた。
「どうした、レヴィ」
 小屋の書棚から借りた、トーラ語の辞書を読んでいたアルテミシアが目を上げる。
 レヴィアは再び扉を見つめていた。
「同じ場所に、あんまり長く、いたことない、から」
 背中を二人に向けたまま、レヴィアはつぶやく。
「僕、ここに、いていいのかな…」
 辞書を閉じながら、アルテミシアはジーグに切なそうな目を向けた。
 
 ここで一緒に暮らす前には屋敷にも帰らず、森などで過ごしていると言っていた。
 (ひど)く腫らしていたという頬。防御反応。「家畜」呼ばわり。
 何らかの事情で、レヴィアは屋敷の者に見つからぬように、居場所を転々としていたのだろう。この小屋にも、長居はしていなかったのかもしれない。
 
 ジーグがアルテミシアに意味有りげな目配せを返した。
「痛っ!」
 アルテミシアが小さな悲鳴を上げた。
 レヴィアが驚いて振り返る。
「いたたたた…」
 背中に手を当てて作業机に突っ伏すアルテミシアに、ジーグが急いで駆け寄った。
「どうなさいました、リズィエ!」
「背中の傷が…」
「ミーシャ、大丈夫?!」
 レヴィアも慌てて二人のそばに寄る。
「痛いの?どんなふうに?あの、傷、診せてもらっても、いい?」
 大きな黒い目が、心配そうにアルテミシアをのぞき込む。
 アルテミシアは顔をしかめながらうなずき、ジーグに手伝ってもらいながら上着を脱いだ。
「…悪くなってない、と思う、けど…」
 アルテミシアの傷を診ながら、レヴィアは首を(かし)げる。
「何か、思い出したり、した?」
「ん?」
 アルテミシアは首だけでレヴィアを振り返る。
「怪我したときのこと、とか」
 小さく見開かれた若草色の瞳を、レヴィアはじっと見つめ返した。
「心は、体とつながってる。心が痛いと、体も痛い。傷は、悪くなってないよ。きっとミーシャ、心が痛いんだよ。…そっか、だから…」
 レヴィアはそっとアルテミシアの背中に触れる。
(ふさ)がらない、のかも。…お茶、()れるね」
 水場に立とうとするレヴィアの小さな手を、アルテミシアがとっさに握った。
「…ありがと」
 一瞬びくり、と体を震わせたレヴィアだが、泣きそうな瞳と(ささや)き声で伝えられた感謝に、小さな微笑みを浮かべた。
 
 レヴィアは春の野原のお茶に、(すみれ)の砂糖漬けを一欠片(ひとかけら)添える。
 少し強い甘みと淡い(すみれ)の香りが、アルテミシアを満たしていく。
「…美味しい…」
 茶碗を両手で抱え、アルテミシアはゆっくりと深い息をついた。
「レヴィがいなかったら痛みは取れない。傷は治らない。本当にありがとう」
「あの…僕…」
「何もかもが、レヴィアのおかげだ」
 言葉を詰まらせるレヴィアに、ジーグは言い聞かせるように言い切った。
 うつむきかけたレヴィアの顏が上がる。
「僕、ここに、いていい?」 
「当たり前だろう」
「当たり前だ」
 アルテミシアとジーグの声が(そろ)った。
「いてくれないと困る。リズィエの傷を私が縫う羽目になる」
「ジーグに縫われてみろ。背中に派手(はで)な模様が残る。それは困るんだ。私は控えめな人間だからな」
 憎まれ口を叩くアルテミシアに、ジーグはちらりと流し目を送る。
「私の裁縫の腕はご存じでしょう。リズィエが破いた晴れ着を、縫ってさし上げたこともあったではありませんか」
 アルテミシアは苦いため息をついた。
「そんなこともあったな。結局、乳母姉(うばねえ)

、そのあと大変なことになったんだった…」
「リズィエ、言葉遣いがなっておりません。木登りをして破いたことが

したのは、問い詰められたときの言い訳と演技が下手だったからですよ。相変わらずですね。痛いとはどいう状態か身に染みるように、やはり私がシビレ薬なしで縫いましょうか」
「縫うのは布だけにしてくれ。レヴィじゃなきゃ嫌だ」
「僕じゃなきゃ、嫌?」
 レヴィアは不思議そうにアルテミシアを見つめる。
 アルテミシアは、まっすぐなまなざしを返した。
「もちろん。レヴィだからお願いしたんだ」 
 漆黒の瞳が輝き、口元が(ほど)け、それは嬉しそうな笑顔が、小さな顏いっぱいに広がる。
(痛い思いなんて絶対させない。施術(せじゅつ)の日まで、たくさん勉強しよう)
 レヴィアはそう決意を固めた。

 少しずつ二人のそばにいることに慣れてきたレヴィアは、トーラ語をジーグから教え直されているアルテミシアの横で、医術書を熱心に読んだりして過ごすようになった。
 心配していた食事の作法も、食器類の細かい使い方を知らないほかは何の問題もないと、アルテミシアとジーグは声を(そろ)える。
「レヴィの何がいけないのか。帝国宮廷の饗宴(きょうえん)に招かれても大丈夫だ」
 そう励ましてくれるアルテミシアの所作(しょさ)は、食べるにしても飲むにしても、実に美しい。
 レヴィアが作った香木(こうぼく)の枝の串から魚を外す動作でさえ、優美で見惚(みと)れてしまう。
「美味しい。この川魚、塩加減が絶妙だ。香りもいいな」
「…おいしい…?」
「ん。美味しい。いつもありがとう」
 アルテミシアの心からの感謝がレヴィアに届く。
「…そう、か。そうだね。これは、美味しい」
 レヴィアは自分で焼いた魚をまじまじと見つめた。
 一人で食べていたときと同じ魚。同じ調理法。それなのに「美味しい」と、初めて思う。
 気がつけば、いつにない量を平らげていた。
「いつもは、こんなに食べないよ?」
 恥ずかしそうに言い訳をしながら、レヴィアは何度もお代わりをする。
「畑仕事、食事の仕度(したく)に薬草の調合。休む間もなく働いている。それでなくても成長期だ。そのくらい食べなければ、かえって心配だ」
 食器を水場に下げるために立ち上がったジーグが、背後からレヴィアの頭に手を乗せようとして、そっと下ろした。
「ジーグは、足りた?明日はもっと、量を作る。食材が足りるかな。狩りにも行ってくる」
 レヴィアは小屋の壁に掛けてある弓矢に、ちらりと目を()った。
「あれはやはりお前のものか。かなり使い込まれているな。習っていたのか」
 ジーグに聞かれたレヴィアは無表情にうなずいた。
「武芸は、いろいろやらされたけど、弓が、一番扱える」
「いろいろ、か。剣もか?」
 ジーグが重ねて尋ねる。
 再び、無表情のレヴィアの首が縦に振られた。
「向いてないって、言われたけど」
「向いていない?どんな剣を?」
 不審そうな顔をするジーグに、レヴィアは食事時(しょくじどき)でも(かたわ)らから離さない、彼の大剣(たいけん)を指さす。
「ジーグの剣は、すごいね」
「まあな。特注だからな」
 大剣(たいけん)の柄に(ひじ)を置きながら、胸を張ってジーグが答える。
 常に冷静沈着。老成した雰囲気を持つジーグだが、そうやって無邪気に誇らしげにしている(さま)は、三十五と聞いた年齢よりも若く見え、微笑ましくさえあった。  
「僕が習ったのは、軍で使うのと同じって」
「軍人用?今のお前には、もっと軽い方が扱いやすいだろうに。両手剣(りょうてけん)か」
「そう、だね。ジーグと同じような、」
「駄目だな」
 いつも()め言葉しか口にしないアルテミシアが二人の話を(さえぎ)り、間髪入れずに否定した。 
 レヴィアの体が強張(こわば)る。
 聞き慣れた言葉ではあるが、アルテミシアからのそれは一際(ひときわ)胸に刺さった。
(やっぱり“駄目”って思われた…。こんなに一緒にいちゃいけなかったんだ…)
 後悔しながら視線を落としかけたレヴィアの目の端に、そっと差し伸べられるアルテミシアの両手が映る。
 そしてその手にすくい上げられるように、褐色の小さな右手が包み込まれた。
 レヴィアは短く息を詰める。
 だが恐れることなく、アルテミシアの温かな手を受け入れた。

 他人の手を怖がるレヴィアに、アルテミシアとジーグは細心の注意を払いながら接した。
 触れようとする手をまずレヴィアの視界に入れる。その動きが予測できるように、動作はゆっくりと。
人馴(ひとな)れしていない猫を懐かせるように。慎重にですよ」
 ジーグはアルテミシアにそう助言をした。
 始めのころはどんなに配慮しても、なおレヴィアの体は知らず震え、アルテミシアの胸は痛んだ。
 しかし触れていくたび体の硬さが取れ、少しずつ二人の手に慣れていくレヴィアの様子は、本当に(おび)えていた子猫が懐いてくるようだった。
 初めて何ひとつ恐れることなく、自分の指をその(ほほ)に受けてくれたときには感動さえ覚えた。可愛くてならなかった。

「レヴィの手はまだ小さい。両手剣では柄が太すぎる。ジーグ、私の剣を出してくれ」
 静かにうなずき了承を伝えると、ジーグは居室に下がる。そして一本の短剣を持って戻った。
「まず、これを使ってみたらいい」
 アルテミシアはジーグから剣を受け取ると、レヴィアの手を包むようにしてその柄を握らせた。  
 それは湾曲した幅広の片刃を持つ短剣で、見た目より軽く、柄は作業用の小刀に似てレヴィアの手に馴染(なじ)んだ。
「…これ?」
「主に西南地方の国で使われるものだ。大剣(たいけん)振り回すだけが剣術ではないからな。適性も考えずに剣を選び、学ばせるなんて駄目もいいところだ。軍人用の両手剣?本当に駄目教師だな。私はこれで、ジーグにだって勝つぞ」
「ミーシャ、剣士なの?」
 驚くレヴィアにアルテミシアはふふん、と鼻を鳴らした。
「“リズィエ”だからな」
「弓は味方も殺す勢いですけれどね」
「余計なことを」
 アルテミシアは横目でジーグをにらむ。鮮緑(せんりょく)の瞳が、機嫌の悪い猫のように細められた。
「おお、怖い怖い。失礼致しました」
 ジーグはしれっとした態度で、形だけ頭を下げてみせる。
 その横で、レヴィアは短剣を見つめ続けていた。
「レヴィ」
 アルテミシアの優しい声にレヴィアが目を上げる。
「完治したら扱い方を教える。それまで預かっていてくれ」
 短剣の柄をぎゅっと両手で握り締め、レヴィアはこくりとうなずいた。
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