レヴィアの憂鬱

文字数 3,777文字

 空になった食器を炊事場に戻したレヴィアが本陣へ戻って間もなく。
 「話があるから」と約束した、ヴァイノの足音が聞こえてきた。
「よー、デンカ、お待たせ」
「待ってないよ。けど、どうしたの?」
「ちょっとお願いがさ。ってか、ふくちょメシ食えた?」
「うん。今日はお残しはなかったよ」
「え、全部食ったの!二人前くらいあっただろ?!」
 ヴァイノは体をのけぞらせて驚く。
「全部ふくちょが食った、わけじゃねーよなぁ」
「まあ、ほとんど僕だけど……。だって、残すと怒るんだもの、ミーシャ。食べるとほめてくれるし」
「はぁ、そーですかー」
 モジモジと照れているレヴィアに、ヴァイノは棒読みで応えた。
「それは良かったですねー」
 いつもどおりに振る舞うヴァイノだが、今朝になってやっと(さらし)が取れたばかりの傷跡は痛々しい。

――オレってば、すっげぇ伝説の剣士みたいじゃね?――
 
 クローヴァの手鏡を見ながら、ヴァイノは浮かれた様子で笑っていたが。
 本音はどうなんだろうかと、レヴィアはそっとその傷に触れた。
「痛みは?」
「もう全然。なぁ、(さらし)も取れたし、ふくちょの見舞い、オレも行っていいだろ?ふくちょも飯、食えるようになったんだしさ」
 
 治療の補助をしているメイリとスヴァンは、毎日のようにアルテミシアに会う。
 妹弟子のアスタもつい最近、アルテミシアの顔が見られたと嬉しそうにしていた。
 ヴァイノだけが、まだ面会を許されていない。
 その傷を見たアルテミシアが、どれほど心を痛めるかと思うと、レヴィアは許可が出せないでいるのだ。

「うん、そう、だね」
 ヴァイノの傷がもう少し目立たなくなってからと、レヴィアは思っていたのだけれど。
 療養天幕は、あと数日で使用に耐えられなくなるだろう。
 一番良い状態を保っている本陣を改装し、アルテミシアを移すには人手が必要になる。
 今ここにいるのは、終戦協議を続けるために残っているクローヴァと、レヴィア隊だけ。
 ヴァイノの手も借りないわけにはいかない。

「今からラシオンのところへ行くけど、ヴァイノも一緒に行く?その前に、ミーシャに会う?ミーシャは、顔を見て謝りたいって言ってたよ」
「えー、なんかそれ、嫌なんだけど。謝るとかって、なんか違くね?」
 口を尖らせたヴァイノだが、すぐにケロッと明るく笑う。
「ま、会ってみなきゃラチあかねーか。ひっさし振りだなぁ。いきなり殴りかかってきたりとかすっかな、ふくちょのことだから」
 そのとき、ヴァイノはにししと明るく笑っていたのだが。
 
 見る影もなく細くなり、力なく横になっているアルテミシアを一目見て。
「……ふくちょ……」
 声を詰まらせたヴァイノの目から、ポロポロと涙がこぼれた。

――アルテミシアの生還は奇跡だ――
 
 皆が言っていたことが実感となって、ヴァイノの心を震わせる。
「ごめんとか言うなよ、ふくちょ……」
 (こぶし)でごしごしと涙を(ぬぐ)いながら、ヴァイノは顔を伏せて泣き続けた。
「オレ、ジーグ隊長に、良くやった!って、ホメられたんだぜ。ふくちょのこと、守ったんだから。それ、謝られること?」
「そうか、そうだな。”トーラの銀狼(ぎんろう)”と呼ばれる剣士に、失礼なことを言った。ごめんではないな。ありがとうだな」
 アルテミシアは両手を伸ばして、涙で濡れるヴァイノの(こぶし)を包む。
「ヴァイノ、ありがとう。私が虐殺(ぎゃくさつ)者になるのを止めてくれて」
 そして、そのままヴァイノの手を胸元へ引き寄せると、その手の甲に口付けを落とした。
「んな?!」
 ヴァイノの顔がみるみる赤く染まっていく。
「な、な、なんてことすんのさ?!」
 子犬が降参するようなその目に、アルテミシアはクローヴァの忠告を思い出した。

――トーラは口付けて挨拶する習慣はないから、するときは解説つきでね。誤解を招くから――
 
(なるほど。こうなるのね)
 
 納得して、アルテミシアはヴァイノの拳を軽く叩く。
「驚かせてすまない。竜族の挨拶なんだ。甲は敬意と感謝。心からの”ありがとう”を表したかっただけだよ」
「あのさぁふくちょさぁ」
 ヴァイノがちらりと隣に立つレヴィアを見上げると、不機嫌丸出しのレヴィアが、フイと顔をそらせた。
「……ラシオンのところへ行ってくる」
「ああ、新しい街を造るんだったな。ヴァイノも手伝うのか?」
「まあね。オレもトーラ騎竜隊の一員だからさ。また来るよ、ふくちょ。……おいデンカ、待てってっ」
 ヴァイノは慌てて立ち上がると、むっとした顔で出口へと向かうレヴィアの背中を追っていく。
「気をつけてな、ふたりとも。雨で体を冷やさないように。……レヴィ」
 背中を向けたまま、それでもレヴィアは、アルテミシアの呼びかけに足を止める。
「待ってるから。夕飯も一緒に食べような」
「……うん」
 苛立っているような、嬉しそうな。
 何とも複雑そうな顔で振り返るレヴィアに、ヴァイノは笑いをかみ殺す。

(なんだよ、あの顔) 

「……食べたいもの、何かある?」
「レヴィが作ってくれたものなら、なんでも」
「うん!」

(わ、わかりやすっ)

 たちまち満月の笑顔になったレヴィアに、とうとうヴァイノは「ぷはっ」と吹き出した。  

 ……そして、療養天幕を出たとたんに。
「いって!このヤロ、マジゲリ入れたな?!」
「腰に虫が止まってたんだよ」
「うっそつけ!!」
 わぁわぁともめながら遠ざかっていくふたりに、アルテミシアはひっそりとした笑い声を立てた。


 スバクル宗主会議において、レゲシュ家は、完全に断絶されることが決定された。
 それにともない、戦場となった平原にほど近いレゲシュ家所領も没収。
 その管理はカーヤイ家に任され、ラシオンの提言のもと、平和都市の建設のために使用されることになった。
 
「あのね、ラシオン。お願いがあるんだけど」
「おぅ、どうした」
 「盟友国となる、トーラ王国の意見も聞きたい」とラシオンから呼ばれたレヴィアは、旧レゲシュ邸を改築した会議室でラシオンに頭を下げる。
「”平和都市”予定地に、療養施設を建設してほしいんだ」
「おいおい、やめてくれよ」
 ラシオンはレヴィアの額に指を当てると、その顔を上げさせた。
「んなの、当たり前のことじゃねぇか。街ひとつ新しく造るとなりゃ、職人のための施設建設は急務だ。……けど、レイヴァがそう言うってことは、お嬢は帰れそうもないのか」
「少し、時間が必要だと思う。体もだけど、心がとても傷ついているから。回復力が落ちてるみたい。あの、それで、もうひとつお願いがあるんだけど」
 言い淀んでいるレヴィアの肩を、ラシオンはポンと叩く。
「なんでも言ってくれ。レヴィア殿下とトーラ国の竜騎士は、このスバクルの大恩人ですよ」
「ほんと?竜舎の建設も、お願いしてもいい?厩舎(きゅうしゃ)と併用の建物で構わないから。スィーニに、メイリと先に帰る?って聞いたら、なんで自分たちだけ帰らせるんだって、怒るんだ。ロシュは、あんなに頑張ったのにって()ねてるし」
「そりゃあ、もちろん。帝国と国交を結べそうだからな。逗留(とうりゅう)していただく施設を整えておくに、越したことはないさ。でもさ、レヴィア」
 焦げ茶のラシオンの瞳が、からかうように光った。
「もうすぐ、スライがアガラム王国から戻る予定だろ?お嬢の治療はそっちに任せて、トーラに一度戻ったらどうよ。ヴァーリ王も待ってんじゃねえか?お前と一緒なら、ロシュもスィーニも文句ねぇだろ」
「え?どうしてミーシャをここに残して、僕だけ戻らないといけないの?絶対嫌だよ」
 不機嫌なレヴィアの後ろに、断固拒否している二頭の竜が重なって見えるようで。
「そーかそーか。そりゃそーだよなー」
 にやにや笑いを消さないラシオンに、レヴィアの頬がむっとふくれる。
「いや、真面目な話、そのほうがこっちは助かるんだ。竜舎のことはわからねぇからさ。レヴィアに現場指揮を頼むよ」
「一度、ミーシャと相談してみる。今日は場所の下見と、体を動かす仕事、何かあるなら手伝わせて」
「この天気だからなぁ……」
 春の雨に白く(かす)む外を見やりながら、ラシオンは首を(ひね)った。
「仕事っても……。そうだ、お嬢譲りの体術を、うちの奴らに伝授するってのはどうよ。いきなりリズ姐に教わったんじゃ死人が出るからな」
「オレもオレも!オレも教わりてぇ!」
「キャンキャン騒ぐなよ。傷に障るぞ」
 勢いよく手を上げたヴァイノの頭を、傷を避けてラシオンがなでる。
「お前はいい面構えになったなぁ。トーラの銀狼(ぎんろう)は、もう組手してもいいのかよ」
「いいよな、デンカ!」
「そうだね。首から上への攻撃は、訓練では禁止だし。でも、

(こぶし)が入ったら、ごめんね」
「んなこと言って、ぜってぇやる気だろ。オレがふくちょに口付けしてもらって、うらやましいからって」
「口づけって、お嬢から?ほほぅ、色男だなぁ、ヴァイノ」
 ニヤニヤ笑うラシオンの横で、レヴィアはうっすらと殺気を放った。
「え、ごめんってデンカ。オレまだ死にたくねーしっ」
「大丈夫。傷口が開いたら、また縫ってあげるから。迫力増し増しだよ」
「もういらないですぅ。迫力はすでに満点ですぅ」
「謙遜しなくていいよ、ヴァイノ。ラシオン、今すぐ案内して。なんならラシオンも相手しようか」
「……いや、殿下。俺は今、倒れるわけにはいかないんで……」
 ますます強まるレヴィアの殺気に、青ざめたラシオンがフルフルと首を横に振った。
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