鬼神の如き

文字数 2,634文字

 横腹に響かないようにゆっくりと帰ったアルテミシアを叱り飛ばしたのは、レヴィアでもジーグでもなく、アスタだった。
 日の暮れどき。名残(なご)りの陽光が、空から消えていくころ。
 療養所の扉を開けて、中へ一歩足を踏み入れたアルテミシアの姿を目にした途端(とたん)、涙を流しながら妹弟子は怒り始めた。
 そのあまりの剣幕に、ジーグもレヴィアも取り成す側に回ったほどだ。
「もう!本当に!濁流にお一人で飛び込むなんて!そんなびしょ濡れでこんな遅くまでっ」
「一人じゃない。ロシュがいた」
「でも!」
「じゃあ見捨てろというのか。あの子たちを」
 静かな姉弟子のまなざしの前に、アスタは唇を噛みしめて口をつぐんだ。
 診察室にいたすべての人間に、(すが)りつくほどの感謝を母親は示していた。
 無邪気な少女と、「僕はアーテミッシャ様のようになります」と凛々しく宣言していた少年を思えば、助かってよかったと心から思う。
 アルテミシアが見捨てるはずがないのもわかっている。レヴィア隊の誰もが同じ行動を取るだろう。だが。
「そういうことじゃないんですっ!アルテミシア様は、まるっきり、全然、わかってないじゃないですかっ」
 小さく叫んで、アスタはうつむいた。
「ご自分がどれほど慕われているか。私たちがどれだけ…」
 両手の(こぶし)を震えるほど握り締め、きりっとしたアスタの瞳が上げられる。
「アルテミシア様を好きか、わかってないでしょうっ!あなたはご自分を粗末にし過ぎですっ!」
 潤む瞳でにらまれながら、アルテミシアは微笑んだ。
「粗末になどしていない。ただ、私の命は役目がある。身分というものはな、アスタ。それに見合った働きをするから、与えられるものだ。守るべきものを前に、自分の命や益を惜しむような者は、竜族に価するとは言えない」
 きっぱりと言い切るアルテミシアを前にして、アスタは諦めてしまいそうになる。
 これ以上、自分の想いを口にすることを。
 竜族であるアルテミシアは、そうやって育ってきたのだろう。生きてきたのだろう。
 自らの(せい)に誇りを持ちながら、放棄もしている。それはもう、きっぱりと。潔く。
 目の前にいるアルテミシアが涙でぼやけ、まるで消えて行ってしまいそうだ。同じ空間にいるはずなのに、手の届かない存在のように儚い。
 唇を噛みしめ浅い息をしながら、懸命に嗚咽(おえつ)(こら)えているアスタに、アルテミシアが淡い笑顔を向ける。
「命に代えても、私は守らないと、」
「それが違うって言ってんです!」
 アスタが一歩踏み出して怒鳴った。軍靴が床を踏み鳴らして、大きな音を立てる。
 その(すさ)まじいほどの迫力に、アルテミシアは驚いて口を閉ざす。
「守るために死ぬ?バッカじゃないですか!あのときリズワンと私が、どんな思いで貴女(あなた)に弓を引いたと思ってんですかっ!そんなこともわかんないんですかっ!」
 そらされることのない淡炭(あわずみ)色の瞳から、涙が吹き出るようにこぼれている。
「私に、私に生きる場所を与えておいて、ご自分はさっさと死んでいこうってんですか?!バカ言ってんじゃないですよっ」
 流れる涙を(ぬぐ)いもせずに、厳しいまなざしで向き合ってくる妹弟子を前に、アルテミシアの瞳が見張られる。
「自分の命の価値は、自分で決めろって、言ってくれたでしょうっ?!なのにアルテミシア様、貴女(あなた)はどうなんですか?貴女(あなた)の価値は、ご自分で決めたものですかっ?誰かから言われたものじゃないんですか?!ちゃんと、ちゃんと自分の心で決めたことだって言えるんですかっ?!」
 アスタは震える握りこぶしでドン!と自分の胸を叩いた。
「バカじゃないですか?バカバカっ!アルテミシア様のバカっ!!」
 叫ぶだけ叫ぶと、あっけに取られる皆を置いて、アスタは療養所を出て行ってしまった。
「…またバカって言われた」
 鮮緑(せんりょく)の瞳を丸くして、アルテミシアは妹弟子の背中を見送る。
「しかも、ものすごい回数言われたぞ。何回言うんだ、アスタは。…鬼神のようだったな…。その苛烈なること…、アスタの如し。トーラの”竜騎士詩歌”は、そんな(ことば)にしようかな」
 なんて激しく可愛い「バカ」だろう。
 アルテミシアから、小さなくすくす笑いが漏れ出した。
「やれやれ。リズよりもスゴイな、アスタは。これ以上怒られる前に着替えるか」
 歩き出そうと足を踏み出した瞬間、(ひざ)から力が抜けたアルテミシアは、その場にしゃがみ込んでしまった。
「ミーシャっ?」
 レヴィアは急いで走り寄ると、肩掛けを羽織ったその体を支えた。
「っ!熱が、あるね」
 服越しでも、その高い体温が伝わってくる。
「うん、そうかもな。肩掛けは借りたんだが、風に当たり過ぎたな。あとあばらを打った。折れてはいないと思うんだが。約束を破ったわけじゃないぞ。相手が大自然では、とっちめようがなくてな。でもレヴィ」
 険しい表情になったレヴィアに、アルテミシアが慌てて付け加えた。
「あの子が助かってよかっただろう?あの子はちょっと、レヴィアに似ているんだ。黒い目が大きくて、丸くて。それにな」
 熱に潤む若草色の瞳が、懐かしそうな笑みを浮かべてレヴィアを見上げる。
「私のことを、”アーテミッシャ”と呼ぶんだ。誰かみたいだろう?」
 レヴィアは微かなため息をついた。敵いっこないんだと、わかってはいるけれど。
「そうだね、助かってよかった。本当にそう思うよ。…メイリ、ミーシャに付き添ってあげて。着替えをお願いできる?」
 メイリを始め、看護人にそれぞれ指示を出してアルテミシアを託すと、レヴィアは備品室へと足を向けた。
「でもね、ミーシャ」
 呼び掛けられ、アルテミシアがレヴィアを振り返る。
「アスタが何に怒っているのか、よく考えて。助けたことを怒っているんじゃないんだよ。それでね、同じ理由で、僕も怒ってる」
 レヴィアは背中を見せて(たたず)んでいた。
「レヴィも怒ってる?…考え無しに、濁流に飛び込んだから?」
 不安そうなアルテミシアの声を耳にしながら、レヴィアは歩き出していく。
「だからそこじゃないよ。…よく考えて」
 自分を振り返りもしないレヴィアにアルテミシアは戸惑い、落ち着かない気持ちのまま、診療室へと連れていかれた。
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