鬼神の如き

文字数 2,957文字

 打ちつけたわき腹に響かないように、ゆっくりと帰ったアルテミシアを叱り飛ばしたのは。
 レヴィアでもジーグでもなく、アスタだった。
 
 日の暮れどき。
 名残(なご)りの陽光が、空から消えていくころ。
 
 アルテミシアが扉を開けて、療養所に一歩、足を踏み入れたそのとき。

 ドダダダダダ!!!

 飛び降りるような勢いで、アスタが階段を駆け下りてきた。
「ああ、アスタ。ただい、」
「濁流に飛び込んだってホントですか?!」
「うん」
「うん、じゃありませんっ。おひとりで、そんな危険なこと!こんなびしょ濡れになって、どこほっつき歩いてたんですか!!」
 普段は声を荒げることのない妹弟子の怒鳴り声に、アルテミシアがポカンと口を開ける。
「軍服の許可が出たばっかりで、これですかっ。こんなことなら、ずっと

を着ててください!」
「それは嫌だ」
「我がまま言わない!」
「でも」
「でもじゃない!!」
「あの、アスタ。ミーシャの事情も」
 あまりの剣幕に、レヴィアが取りなそうとするが。
「デンカは甘やかさない!!!」
 たちまちしゅんとするレヴィアを見て、アルテミシアがクスリと笑う。
「レヴィを責めるな。だいたい、ひとりじゃなかったぞ。ロシュがいた」
「屁理屈言わない!」
「じゃあ、見捨てればよかったのか。ここに来たんだろう?あの子たち」
 平静な姉弟子を前に、アスタは息を飲んで口をつぐみ、唇を噛みしめた。
 
 診察室にいたすべての人間に、(すが)りつくほどの感謝を示していた母親。
 無邪気な少女の笑顔と、「僕はアーテミッシャ様のようになります」と宣言していた少年を思えば、助かってよかったと心から思う。
 だが。

「そういうことじゃないんです。アルテミシア様は、まるっきり、全然、わかってないじゃないですかっ」
 小さく叫んで、アスタはうつむいた。
「ご自分がどれほど慕われているか。私たちがどれだけ……」
 両手の(こぶし)を震えるほど握り締めて、アスタはキリっと瞳を上げる。
「アルテミシア様を好きか、心配したかわかってないでしょう。あなたはご自分を粗末にし過ぎです!」
「粗末になどしていない。ただ、私の命は役目がある。身分というものはな、アスタ。それに見合った働きをするから、与えられるものだ。守るべきものを前にして自分の命を惜しむような者は、竜族に価するとは言えない」

(アルテミシア様……)
 
 きっぱりと言い切るアルテミシアを前にして、アスタは諦めてしまいそうになった。
 これ以上、自分の想いを口にすることを。
 
 竜族であるアルテミシアは、そうやって育ってきたのだろう。
 生きてきたのだろう。
 自らの(せい)に誇りを持ちながら、軽んじてもいる。
 それはもうきっぱりと、潔く。
 目の前にいるアルテミシアが涙でぼやけ、消えていってしまいそうだ。
 同じ空間にいるはずなのに、手の届かない存在のように儚い。
 
 真一文字に口を結び、懸命に嗚咽(おえつ)(こら)えているアスタを見ても、アルテミシアはただ笑顔だ。
「命に代えても、私は守らないと、」
「それが違うって言ってんですよっ!」
 
 ダスッ!!
 
 床を踏み鳴らしたアスタの軍靴が、大きな音を立てる。
 その(すさ)まじいほどの迫力に、アルテミシアは驚いて口を閉ざした。
「守るために死ぬ?バッカじゃないですか!あのときリズワンと私が、どんな思いで貴女(あなた)に弓を引いたと思ってんですかっ。そんなこともわかんないんですか!!」
 そらされることのない淡墨(あわずみ)色の瞳から、涙が吹き出るようにこぼれている。
「私に、私に生きる場所を与えておいて、ご自分はさっさと死んでいこうってんですか?!バカ言ってんじゃないですよっ」
 流れる涙を(ぬぐ)いもしない妹弟子に、アルテミシアはゆっくりと息を吸い込んだ。
「自分の命の価値は、自分で決めろって言ってくれたでしょう?!なのに、アルテミシア様。あなたはどうなんですか?あなたの価値は、誰かから与えらえたものじゃないんですか?ちゃんと、ちゃんと自分で決めたことだって、胸張って言えるんですかっ?」
 アスタは震える握りこぶしで、ドン!と自分の心臓辺りを叩く。
「あなたの心はどこにあるんですか?あなたはバカですっ。バカバカ!アルテミシア様のバカぁ!!」
 叫ぶだけ叫ぶと、あっけに取られる皆を置いて、アスタは療養所を飛び出していった。
「……またバカって言われた」
 鮮緑(せんりょく)の瞳を丸くして、アルテミシアは妹弟子の背中を見送る。
「しかも、ものすごい回数言われたぞ。何回言うんだ、アスタは。……鬼神のようだったな……。その苛烈なること……、アスタの如し。トーラの『竜騎士詩歌(しいか)』は、そんな(ことば)にしようかな」
 
(心配していたと、言ってくれたわね)

 自分のために、あれほど泣いてくれる人を初めて見た。
 素直に思いをぶつけられることにも、激しく怒られることにも慣れなくて。

(なんだか面映(おもは)ゆいわ)

「やれやれ。リズよりもスゴイな、アスタは」
 わざと大げさに肩をすくめて、アルテミシアはふざけてみせた。
「さて、着替えるか」
 だが、足を踏み出すのと同時に、アルテミシアの膝は崩れ落ちていく。
「ミーシャっ?!……熱が、あるね」
 レヴィアが走り寄り抱きかかえると、肩掛けを羽織ったその体は、布越しでもその熱さが伝わってきた。
「風に当たり過ぎたのかもしれないな」
「自覚、あるの?」
「少しクラクラするかな」
「……どうしてすぐに帰ってこないの」
「帰り道で気がついたんだ」
「……」
「本当に、ついさっき。ちょっと熱っぽいかなって。あと、泳いでる途中であばらを打った」
「ミーシャ……」
 眉間にシワを寄せるレヴィアを見上げて、アルテミシアがばつの悪そうな顔になる。
「約束を破ったわけじゃないぞ。相手が大自然では、とっちめようがなくてな」
「ミーシャ」
 地を()うほど低いレヴィアの声に、アルテミシアが早口になった。
「でも、あの子が助かってよかっただろう?あの子はちょっと、レヴィに似ているんだ。丸い大きな黒い目が可愛くて。それにな、私のことを”アーテミッシャ”と呼ぶんだ。誰かみたいだろう?」
 懐かしそうに笑うアルテミシアに、レヴィアはため息をつくしかない。

 無事に戻ってきてくれた姿を見れば、お説教しようなんて気持ちは吹き飛んでしまう。
 聞きたいことも、伝えたいことも山のようにあるけれど、言葉は胸につかえるばかりだ。
 
(それに多分、僕の言葉は届かない。……今のミーシャには、届かない)

「そうだね、助かってよかったって、本当に思うよ。……メイリ、ミーシャに付き添ってあげて。着替えをお願いできる?」
 メイリを始め、看護人にそれぞれ指示を出してアルテミシアを託すと、レヴィアは備品室へと足を向ける。
「でもね、ミーシャ」
 アルテミシアが振り返ると、レヴィアは背中を見せて(たたず)んでいた。
「アスタが何に怒っているのか、よく考えて。あの子を助けたことを怒っているんじゃないんだよ。それでね、同じ理由で、僕も怒ってる」
「レヴィも?……濁流にひとりで飛び込んだから?」
 不安そうなアルテミシアの声を耳にしながら、レヴィアは歩き出していく。
「だから、そこじゃないよ」
「じゃあ、どこ?」
「……ミーシャが答えを出さないと、ダメなんだよ」
 振り返りもしないレヴィアにアルテミシアは戸惑い、落ち着かない気持ちのまま、診療室へと連れていかれた。
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