告白

文字数 3,750文字

「ラシオンが、街の名づけに悩んでいたな……」
「うん」
「スバクル語で新しい翼、”ノアリエ”はどうだろう」
「すごくいい名前、だね」
 伝えたいことにはフタをしたまま、レヴィアはスィーニを飛ばし続ける。
「レヴィが賛成してくれたのなら決まりだな。帰ったらラシオンに提案しよう」
「今日は無理じゃないかな。夕べ、おじい様と父上に誘われて、相当飲んじゃったって、ジーグが言ってたから」
 二日酔いの薬茶を取りにきたジーグの苦笑いを思い出して、レヴィアは肩を揺らした。
「ジーグも呼ばれてたはずだけど……。全然平気そうだった」
「ははっ。スバクルの若頭は潰れてしまったか!ジーグは滅多に飲まないけれど、飲めば強いんだ。リズの次くらいかな」
「リズワンも強いの?」
「ふふふっ」
 腕の中で笑うアルテミシアに、レヴィアの胸の奥がムズムズと騒ぐ。

(ああもお、好き。大好き)

 その声も、細かく震える肩も。
 アルテミシアの仕草一つひとつに、レヴィアの「好き」が刺激される。
 
 思わずアルテミシアの頭頂部に頬ずりしようとして、レヴィアは、はっとして体を離した。

――純情お嬢をドキッとさせるのは有効だけどな。衝動的な行動だけはやめとけよ、レヴィア――

(ラシオン、あのときは真面目な顔をしていた……)

――お嬢は触れ合うことに慣れていそうで、絶対の境界線があるんじゃねぇかと思うんだよ。下心アリで動くと、ボッコボコにされるからな。……嫌悪っていうより、怖がってるっぽいけど――

 

を知らないラシオンでさえ、そう感じるのなら。
 アルテミシアの傷は、自分が思うよりも深いのだろう。

(僕はミーシャを怖がらせたりしない、絶対に)

 そう決意して、レヴィアが少しアルテミシアと距離を取ったというのに。
「リズはワクだぞ。ボジェイク老から”ばけもん”って呼ばれてる」
 振り返りながら、アルテミシアはまたレヴィアの胸に背中を預けた。
「ぐ……。リ、リズワン、らしいね。えと、じゃあミーシャは?」
「ん?」
「ミーシャは、お酒は?」
 どうでもいいことを聞きながら、レヴィアは理性を総動員させる。
「私は飲んだことがない。酒の席に行っても、絶対飲むなと言われていたからな」
「ジーグに?」
「いや、ディデリスに」
 アルテミシアがその名を口にした瞬間、浮かれていたレヴィアの胸が、ざらりと(うごめ)いた。
「節度ある態度をと言われていたから、隊長とはそうあるべきかと従っていたけれど」
「そう、なんだ」
 嫉妬と不安を、レヴィアは唇を噛みしめることで耐える。

 アルテミシアが、

のことを口にするのが嫌だった。
 まして、酔った

がしでかした夜のことなど、思い出してほしくない。
 
「父上が、二日酔いになるまでお酒を飲んじゃったのは、母さまの言葉を聞いたから、なんでしょう?」
 「内緒だ」とアルテミシアは言っていたから、自分から聞くつもりはなかったけれど。
「……ん」
「母さまは、何て?」
「……ほかの人には秘密よって、お母さまと約束したから。……伝えられるとしたら」
 アルテミシアは(つたな)いアガラム語で続けた。
「”小さな神さまとわたくしの宝もの。そして、あなたのおともだちの忘れがたみ。レーンヴェストの子供たちの未来を、見守ってくださいな”」
「小さな神さまって、兄さまのこと?」
「そう。お母さまはクローヴァ殿下のことを、”ヴァーリにそっくりな、かわいい小さな神さま”とお呼びして、それは可愛がっていたそうだよ」

(ああ、本当に……。ミーシャは母さまにあったんだな)

「……アガラム語、話せるようになったんだね」
「スライからも猛特訓を受けたけどな」
「猛特訓?」
「だって、お母さまは厳しいんだ」
 アルテミシアはふぅっとため息をつく。
「”ここにいるのは良いことではないけれど、今回は命の危機にはないのだから、サイーダはもう少し練習していってちょうだい。ヴァーリに間違えずにつたえてね”」
「もしかして、ずっと熱が下がらなかったのって……」
「お母さまのところに、長くいたせいかもな」

 骨折している様子もないし、肺炎を起こしているわけでもない。
 なのに、なぜ高熱が続くのかがわからなくて。
 原因を突き止められなかったことで、見逃した何かがあるのではないかと、今でも気に病んでいたのだが。

「そう、だったんだね。でも、すごく心配だった」
「それはごめん」
「ねえミーシャ、本当にわかってる?」
「わかってる、と思う」
「アスタなんか、ミーシャに酷い言葉をぶつけてしまったって、すごく自分を責めていたんだよ」
「それで最近、目が合わないのか。……きちんと謝罪をしなければいけないな」
 レヴィアの我慢を無駄にするかのように。
 アルテミシアはくったりとレヴィアの腕にもたれかかった。
「アスタが怒るのは当たり前だった。……(のこ)されていくというのは、あれほどつらいのだな……」
 
(ヴァーリ陛下とテムラン大公の涙は、お母さまに届いたかしら……)

「サラマリスは、騎士として命を(まっと)うした者を誇りに思うんだ」
 アルテミシアはレヴィアの袖をぎゅっと握る。
「名誉に思い、嘆くことはない。けれど……」
 声を震わせるアルテミシアの、その頬に流れた涙を、風が空へと運んでいく。
「私は(のこ)される者のことなんて、考えたことがなかった。自分の価値は竜騎士であること。だから、死力を尽くして戦うことだけを……」
 こぼれ続けるアルテミシアの涙が切なくて。
 その雫に口付けて慰めたいという想いが、レヴィアの胸を焦がした。
「……竜騎士じゃなくても、私はここにいていいのかな」
「当たり前だよ」
 レヴィアから頬を寄せられたアルテミシアは、甘える猫のように頭を擦りつけてくる。
「僕がトレキバで助けたのは、竜騎士じゃなかったよ。アルテミシアっていう、薔薇(ばら)の髪と若草の瞳をした、とてもきれいな人だよ」
「キレイじゃないってば!お世辞はいらないっ」
 照れてすねるアルテミシアの髪が、スィーニの羽ばたきで舞い上がった。
「きれいだよ」
「!」
 露わになった耳にレヴィアの唇が微かに触れて、アルテミシアがピシリと固まる。
貴女(あなた)以上にきれいな人を僕は知らない。僕が飛ぶのは、貴女(あなた)がいる世界の空。……アルテミシアが僕のすべて」
 朱に染まっていくアルテミシアの耳に、レヴィアは吐息を落とした。
「だから僕は、スィーニと一緒にミーシャを守るよ」
「私も……」
 スィーニの羽ばたきに紛れて返された声に、レヴィアは一心に耳を傾ける。
「私もレヴィを守りたかった。笑顔でいてほしくて……。ロシュをメイリに託す覚悟を話せなかったのも、今ならわかる。レヴィが悲しむだろうと思ったからだ。なのに、結局ばれてしまったし、レヴィは泣いてしまったし……。レヴィは泣き虫だな」
 怒ったような若草色の瞳が、ちらりとレヴィアに向けられた。
「泣き虫じゃないってば」

(うん、ラシオンに教わったことは、全部やった)

 口元を(ぬぐ)って、その指をなめてみせて。
 敬意と好意を示しながら、ついでに指先にも口づけを落として。

(あのときミーシャ、”ふぁっ”って言ってた。……かわいかった)

――挨拶の口づけ以上のことやってもボコられなかったら、合格なんだと思うぜ――

 市場(いちば)の視察に出たときに、「はぐれるといけないから」と言い訳をして、手をつないでも。
 会合先の領主に言い寄られていたのを見つけて、会話に割り込んで。
 「僕との予定が先だよね」と、ありもしない用事をでっちあげたときにも。

(ミーシャには怒られてない。……ジーグには、ちょっと怒られたけど……)

 戸惑いながら、それでもアルテミシアはレヴィアの言うことを聞いてくれた。

――したら、あとはもう囲い込んどけ。ほかの誰にも譲れないんだろ?ある程度ガツガツいかないと、一生気づいてもらえねぇぞ――

(よし。もう、腹をくくる)

 どうあったって、この気持ちが変わることはないし、何かを返してもらいたいわけでもない。
 
 肺に大きく息を入れ、レヴィアは鳩尾(みぞおち)に力を込めた。
「好きな人が死んじゃいそうだったんだよ?ちょっとくらい泣いたって、仕方ないでしょう。だいたいミーシャは、」
 腕のなかのアルテミシアの異変に、レヴィアは言葉を止める。
「……ミーシャ?」
 腕に伝わってくるのは、急に速まったアルテミシアの鼓動。
 そして、その耳は今や髪と同じ紅色(べにいろ)だ。
「そ、それは……、それは、どういう、好き?」
 かすれて消えてしまいそうなアルテミシアの声が、レヴィアの心臓を鷲づかみにする。
「……甲は敬意、(しょう)は好意」
 秋に染まる(かえで)のようなアルテミシアの耳に、レヴィアは(ささや)いた。
「額が無二の信頼。なら、ミーシャ」
 アルテミシアの横顔を隠す髪をかき上げると、耳と同じ色の頬が現れた。
「恋情を示すには、どこに口付ければいの?」
「そ、れは……」
 口ごもるアルテミシアに、レヴィアは忍び笑いを漏らす。
「竜族にはないの?じゃあ、ラシオンに教わった場所に、口付けてもいい?」
「ラ、ラシオン?!」
 驚いて顔を上げたアルテミシアの唇に、レヴィアの唇がほんの一瞬だけ触れた。
 羽が触れたように軽く、炎のように熱いその感触に、アルテミシアの顔全体がたちまち真っ赤になる。
 そして、のぞきこむレヴィアを間近で凝視したまま、アルテミシアは呼吸を止めてしまった。
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