告白

エピソード文字数 3,605文字

 淡い熱をはらむ風に吹かれながら、アルテミシアがぽつりとつぶやいた。
「ラシオンが、この街の名を決めあぐねていたな…。スバクル語で新しい翼、“ノアリエ”はどうだろう」
「すごくいい名前、だね」
 二人で見つけた形が街の名になったとしたら、本当に素敵だとレヴィアは思う。
「レヴィが賛成してくれたのなら決まりだな。帰ったらラシオンに伝えよう」
「今日は、無理じゃないかな」
 レヴィアはくすりと笑った。
「夕べおじい様と父上に呼ばれて、相当飲んじゃったみたいだから。朝早く、ジーグが僕のところに、二日酔いの薬茶を取りにきたよ、三人分。ジーグも一緒だったはずだけど…。全然平気そうだった」
 アルテミシアが吹き出して笑う。
「スバクルの若頭は潰れてしまったか!ジーグは滅多に飲まないけれど、飲むと強いんだ。リズの次くらいかな」
「リズワンも、強いの?」
「リズはざるだぞ」
 アルテミシアの肩が細かく揺れている。
「ボジェイク老から“ばけもん”って呼ばれてる。チェンタの酒豪三人と飲み明かして、一人ケロリとしてたらしいから」
 リズワンらしいなと思い笑いながら、レヴィアは尋ねた。
「ミーシャは?」
「ん?」
「ミーシャは、お酒は?」
「私は飲んだことがない。年齢のこともあったけれど、酒の席に行っても絶対飲むなと言われていたからな」
「ジーグに?」
「いや、ディデリスに」
 アルテミシアから告げられたその名前に、レヴィアの胸がざらりと(うごめ)く。
「どの酒宴でも節度ある態度を崩さない人だったから、隊長とはそうあるべきかと、従っていたけれど…」
 沈んだ声がふっと途切れた。
 アルテミシアが「あの人」のことを口にするのが嫌だった。酔った「あの人」がしでかした夜のことも思い出して欲しくない。
 レヴィアは思い切って話題を変える。
 「内緒だ」とアルテミシアは言っていたから、自分から聞くつもりはなかったけれど。
「父上が二日酔いになるまでお酒を飲んじゃったのは、母さまの言葉を聞いたから、なんでしょう?」
 アルテミシアは黙ってうなずく。
「母さまは、何て?」
「それは内緒なんだ。お母さまとの約束だからな。そうだな、伝えられるとしたら…」
 アルテミシアは(つたな)いアガラム語で続けた。
「小さな神さまとわたくしの宝もの。そしてあなたのおともだちの忘れがたみ。レーンヴェストの子どもたちの未来を、見守って下さいな」
「ミーシャ、アガラム語、話せるようになったんだね」
「だって、お母さまは厳しいんだ」
 アルテミシアの声が困り切っていた。
「特にヴァーリ陛下への言葉は、一語一句間違えてはいけないって」
 そして再びアガラム語で話し出す。
「ここにいるのは良いことではないけれど、今回は命の危機にはないのだから、サイーダはもう少し、練習していってちょうだい。ヴァーリに間違えずにつたえてね」
 レヴィアの(まゆ)がひそめられた。
「もしかして、どの薬茶でも熱が下がらなかったのって…」
 あばらにひびが入っているほかは怪我もない。肺炎を起こしているわけでもない。なのになぜ、高熱が下がらないのか。
 アルテミシアが寝込んだ夜、レヴィアは一睡もできずにその寝顔を見守り続けたのだ。
「お母さまのところにいたせいかもな」
 あっさりとしたアルテミシアの肯定に、レヴィアは胸をなで下ろす。
 続いた高熱の原因はわからず(じま)いだった。まだ治りきっていない炎症がどこかにあるのではないか。ずっと気にかかっていたのだ。
 魂の岸辺に行くこと自体、良いことではないとスライは言っていたが、あの命の瀬戸際で、アルテミシアを戻してくれた母を信じている。
「そう、だったんだね。すごく心配したんだよ」
「済まなかったな」
 あまりにも軽く笑っているアルテミシアにレヴィアはむっとする。本当に心配していたのに。
「アスタも、とても心を痛めていたんだよ。自分のせいだって、言ってたくらい。自分が、感情的に言葉をぶつけたからだって」
「…そうか。それで最近、目を合わせてくれないんだな。そんな風に自分を責めていたのか。アスタのせいではないのに…。戻ったら、きちんと謝罪をしなければいけないな」
 レヴィアの胸の温かさを背中に感じながら、アルテミシアは遠くへと目を()せる。
 行く手に丘陵地帯が見えてきていた。
「アスタが怒るのは当たり前だ。当たり前だったんだ。(のこ)されていくというのは、あれほど辛いのだな。…お母さまが心配されていたとおりだった」
 豪傑二人の流した涙は、魂の岸辺に立つ(うるわ)し人に届いただろうか。
「サラマリスは、騎士として命を(まっと)うした者を誇りに思うんだ」
 静かに語り出したアルテミシアを、レヴィアは手綱(たづな)を握る腕の中に強く閉じ込めた。
「名誉に思い、嘆くことはない。心を揺らさない。揺らしていては竜に乗れない。(いくさ)は待ってはくれない。けれど…」
 アルテミシアの声が震えていく。
「辛いものは辛い。そう感じることは、当たり前のことだったんだ。大切な人、なんだから…」
 その(ほほ)に流れた涙を、風が空へ運んでいった。
「私は(のこ)される者の心なんて、考えたことがなかった。家族が死んでも悲しむことはない、悲しんではいけないと思っていた。ましてサラマリスである私が死んで、悲しむ人がいるなんて…。竜騎士以外に必要とされるこどなど、ないと…」
 ほろほろとこぼれる涙が美しくて、切なくて。その雫に口付けて慰めたいという、唐突な想いがレヴィアの胸を焦がした。
「私は、竜騎士じゃなくても、ここにいていいのかな…」
「当たり前だよ」
 レヴィアはアルテミシアの髪に(ほほ)を寄せる。
「僕がトレキバで助けたのは竜騎士じゃないよ。僕を守るって言ってくれたのも、竜騎士じゃない。アルテミシアっていう、薔薇の髪と若草の瞳をした、とてもきれいな人だよ」
「キレイじゃないってば!」
 春告げ鳥が涙声で、照れながら叫ぶ。
 アルバスの羽ばたきに、アルテミシアの髪が舞い上がった。
 露わになった耳元に唇を寄せてレヴィアは断言する。
「きれいだよ」
 その途端(とたん)に、アルテミシアの耳が真っ赤に染まった。
貴女(あなた)以上にきれいな人を、僕は知らない。僕が飛ぶのは、貴女(あなた)がいる世界の空だよ。だから貴女(あなた)がいなければ、僕は飛べないんだ」
 アルテミシアの肩に力が入り、その顔がうつむいていく。
貴女(あなた)を守るために、僕は竜騎士でいたい。貴女(あなた)と一緒に、生きていくために」
 手綱(たづな)を握るレヴィアの手に、アルテミシアの手がそっと重ねられた。
「私も同じだ。レヴィの笑顔を消さないために竜騎士でいたかった。ロシュをメイリに託す覚悟を話せなかったのも、今ならわかる。レヴィが悲しむだろうと思ったからだ。なのに結局ばれてしまったし、レヴィは泣いてしまったし…。レヴィの泣き虫」
 怒ったような若草色の瞳が、ちらりとレヴィアを振り返った。
「泣き虫じゃないよ」
 レヴィアの(ほほ)がふくれる。
 もう、覚悟を決めよう。
 どうあったって、この気持ちが変わることはない。何かを返してもらいたいわけでもない。
 肺に大きく息を入れ、鳩尾(みぞおち)に力を込めた。
「好きな人が奪われそうになって、辛くないわけないでしょう。アスタの気持ちがわかったのなら、僕の気持ちも…」
 レヴィアの強い声と言葉は途中で止まる。
 急激に早まったアルテミシアの鼓動が伝わってきた。
「…ミーシャ…?」
 アルテミシアの耳は、今や髪と同じ紅色(べにいろ)だ。
「そ、それは…」
 巻き髪に顔が隠れるほどうつむきながら、小さな声でアルテミシアは尋ねた。
「どういう、好き?」
 秋に染まる(かえで)のようなアルテミシアの耳に、再び唇を寄せてレヴィアは(ささや)く。
「甲は敬意、(しょう)は好意」
 アルテミシアがこくりとうなずく。
「額が無二の信頼。ならミーシャ」
 アルテミシアの横顔を隠す髪をかき上げると、耳と同じ色に染まる(ほほ)が現れた。
「恋情を示すには、どこに口付ければいの?」
 アルテミシアの体全体に力が入る。
「それは、その…」
 レヴィアは忍び笑いを漏らす。
「竜族にはないの?じゃあ、ラシオンに教わった場所に口付けてもいい?」
「ラ、ラシオン?!」
 驚いて顔を上げたアルテミシアの唇に、レヴィアの唇がほんの一瞬だけ触れた。
 羽が触れたように軽く、炎を宿すように熱いその唇の感触に、アルテミシアの顔全体がたちまち真っ赤になる。
 そしてレヴィアを凝視したまま、アルテミシアは固まって動かなくなってしまった。
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