闇の主(ぬし)

エピソード文字数 3,515文字

 宵闇(よいやみ)に潜るようにして訪れた「赤い扉」の家は、飲み屋がいくつか(のき)を連ねる一画にあった。
 長く手入れもされていないような、荒廃したカザビア自治領ではよく目にする、うらぶれた建物だ。
 その前に立ち扉を叩こうとすると、路地裏から黒い影が声をかけてきた。
「黒のお召し物がお似合いですね」
 上擦(うわず)(かす)れ声は老婆のようであり、同時に少女のようでもある。
 合図の言葉をこんな人物に使う羽目になるとは。
 スチェパは精一杯の愛想のよさに動揺を隠しながら答えた。
「黒以外似合いませんので」
 スチェパの返事を聞いて、影が身振りで路地奥へと(いざな)う。
 ついて行った先には建物の裏口があり、思いもよらないような場所に影が鍵を差し込み、扉を開く。
 一人やっと通れる細身の裏扉から入ると、すぐ地下へと続く階段があった。
 影は階段の脇に立ち、黙って階下を示す。
「俺一人で?」
 不安に駆られ、思わずスチェパは影に問いかけた。
「これ以降、関わることは禁じられています」
 影は頭を静かに下げ、さっさとスチェパに背を向けて裏扉に手をかける。
 薄く開けたままだった扉の向こうで、明るい声で騒ぐ、帝国兵士一団の姿が見えた。束の間の休息に、飲みにでも繰り出したのだろう。
 はしゃいでいる兵士が手にした角灯を大きく振り回し、そのわずかな光が影を照らしだした。
 スチェパは大きく息を飲む。
 あの(あや)しい女によく似ているが、若い男だ。銀の瞳を(まぶ)しそうに細めている。
 いや、若いというよりも、まだ声変わりもしていないような子どものようだ。
 少年は面食らっているスチェパに、にやりと不敵な横顔を見せると、扉を閉めて出て行ってしまった。
 この物騒な町の夜に、(あや)しい女や子どもが(うごめ)いている。
 自分が相手にしていたのは人間ではなく、化かし狐の(たぐい)ではないのか。
 そう思ったほうが、いっそしっくりくるほど違和感のある二人が導く階下。暗い階段の果てには、ぼんやりとした灯りが漏れている。
 不吉なことこの上ない。だがほかの選択肢もない。
 ぶるりと身震いをして、スチェパは勾配(こうばい)の急な階段に足を下ろした。

 古びすり減った扉の隙間(すきま)から光が漏れ出ている。
 スチェパは扉の前で深呼吸を繰り返した。なかなか踏ん切りがつかない。
 ここから先は、何の指示も受けていなかった。
 (あや)しい女が言っていた「会わせたい人」に紹介されるまで、案内があると思い込んでいた。その当ては見事に外れて不安しかない。ここで対応をしくじれば、即座に首が飛ぶだろう。
(いっそ、それでもいいか)
 どの道地獄だ。一瞬で終わるなら、それもまた良し。スチェパは思い切って扉を叩いた。
「どうぞ」
 扉の内側から、上品なディアムド語が聞こえる。
 ほんの少しの引っ掛かりを感じながら、スチェパは恐る恐る扉を開けた。
 (ほとばし)る光に目が(くら)んだスチェパの足が止まった。
 この荒れた町のうらぶれた夜に、こんなにも明るく照らされる場所があるとは。
 だんだんと目が慣れてきたスチェパは、驚きを隠すこともできない。小さく口を開けながら、部屋中を見渡してしまった。
「いつまでもそんなところに立っているな。早く扉を閉めろ」
 穏やかでゆったりとした口調だ。しかし、その命に反することを少しも許してはいない。
 スチェパは慌てて一歩室内に入り、後ろ手で扉を閉めた。
 部屋にあるどれもこれもに目が奪われ、落ち着いて立っていることもできない。
 足元に敷かれているのは、東国高地の毛織物の絨毯(じゅうたん)だ。特徴的な模様と光沢でそれとわかる。
 名工の手によるものだと、すぐ知れる調度品もいくつかあった。
 何より玻璃(はり)製の室内照明。水晶のように輝くその細工は、各国王宮の貴賓室にあっても不思議ではない逸品(いっぴん)だ。
「す、すごく豪華な品ばかりですね」
 思わず漏れたスチェパの本音に、これもまた随分と(しつ)の良い革製の椅子(いす)に座る、壮年の男がふっと笑った。
「ああ、お前の実家は貿易商なのだったか。家業を放り出したやくざ者と聞いていたが。目は利くのだな」
 スチェパは曖昧な笑顔を作る。どうせ、いろいろばれているとは思っていたが、案の定か。
「ええ、まあ。何年か仕事を手伝わされてた時期もあるんで」
 海は嫌いだった。潮の臭いも波の揺れも、何もかもが性に合わなかった。だが無為(むい)に過ごしていたわけでもない。
 弱い立場の者から、いかに柔和に搾取(さくしゅ)するか。売りつける際には、いかに相手を(うやま)いながら利用するか。メルクーシ流の商売の仕方を学んだ。そして指摘された目利きと…。
(イハウ(なま)り、か)
 上品なディアムド語のほんのわずか、しかも特定の発音にだけ、隠しきれない(なま)りがある。
(大抵の奴は気がつかねぇな)
 これも、嫌々ながらも手伝わされた家業の副産物だ。
 あの女は飼い主からの依頼だと言っていた。その仕事先に、帝国と敵対しているはずの、イハウ連合国に関わる男がいる。
 身なりは簡素だ。だが奥に続く扉向こうに、二、三人の気配がしている。護衛がつく身分らしい。
 スチェパはそれ以上余計なことは口にせずに、ゆっくりと頭を下げた。
 壮年の男が短い声を漏らして笑う。
「どうしようもないゴロツキと聞いていたが、なかなかどうして、賢いではないか。あの方は使える 良い犬を多く(そろ)えていて(うらや)ましい」
 イハウではひとかどの人物であろう男が、帝国の飼主を「あの方」と呼ぶ。その可能性には戦慄(せんりつ)しか覚えないが、もう自分の知ったことではない。さっさと何なりと命じてくれ。
「お前、赤とつながりがあるそうだな」
 イハウの男は(あや)しい女と同じことを言う。スチェパは何も答えぬまま目を上げる。
「お前がつなげ、作られたモノを運んで欲しい」
 作られたモノと言えば竜以外にない。だが竜の恐ろしさは、黒竜家にいて嫌と言うほど身に染みている。
「ですがそれは…」
 反射的なスチェパの拒否に、男は薄く笑う。
「直接の運び役は、お前以外のニェベスが担う。お前の仕事は、顔のつながった赤の説得。それと運んだ先での管理」
「いやだからそれは…」
 慣れない一見(いちげん)の者からの世話を許すほど、竜はカワイイ存在ではない。しかもなぜ、頭数調査で竜の処遇に困っているはずの赤を説得する必要があるんだ。
「モノがディアムド皇帝に露見した場合、一人の死罪だけでは済まない。赤も当然協力するだろう。だが預け先は黒ではなく、帝国外だ。そこのところを拒否しないよう上手く話せ」
 どうやら、直接自分が竜の世話をしなくても済みそうだ。
 初対面の男にサラマリス憎しの感情を隠しもしない、軽率で底の浅いドルカ当主を丸め込むのは難しくない。だがそれ以外に。
「では、俺は何を、」
 スチェパの言葉の途中で男が立ち上った。
 思わずスチェパは一歩後ずさる。
 男の存在感は「ひとかど」どころではなかった。すぐにでも(ひざ)をついて(かしこ)まりたいくらいだ。
「お前はすでに、何回も命拾いをしてきたそうだな。その強運で、私たちが望んでいた状況を作り出した。こうまで都合が良いと、実は稀代の策士なのでは、とさえ思う。だがそうではないところが、また(あつら)え向きだ」
 男がゆっくりとスチェパへ歩いてくる。もう(ひざ)をつくのは自然なことだった。
 重い何かで頭を押さえつけられるように首が下がる。
 男がスチェパの前に立った。とんでもなく極上品の靴先が目に入る。
「帝国一強は、世界の停滞を生むものでしかない。新しい時代の潮流を作る橋渡しをお前に託す。名誉に思え」
 何が名誉か。
 こんな状況でも、スチェパは内心皮肉に(わら)う。
 なんて弱っちぃ橋だ。ちょうどの頃合いで、架縄(かけなわ)を切って落とすつもりのくせに。
 いや、だからこそ。
 いつでも切れる相手だと思うからこそ、機密を共有させるのだろう。
(生き残ってやる)
 こんな自分を使うしかない相手だ。何より自分は、竜化の秘匿を押さえている。赤の(ほころ)びを握るのは、悪党に成りきれないボンボン竜騎士だ。(すき)はいくらでも見つけられる。
 強運。確かに。だが運だけでもない。
 スチェパは人生で初めて、生家(せいか)に感謝をした。
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