闇の主(ぬし)

文字数 2,828文字

 宵闇(よいやみ)に潜るようにして訪れた「赤い扉」の家は、飲み屋が(のき)を連ねる一画にあった。
 長く手入れもされていないような、荒廃したカザビア自治領ではよくある、うらぶれた建物だ。
 その前に立ち扉を叩こうとすると、路地裏の暗がりから声がかかった。
「黒のお召し物がお似合いですね」
 上擦(うわず)(かす)れ声は老婆のようであり、同時に少女のようでもある。
 面妖な相手を前に、スチェパは愛想よく笑いながら、合図の言葉で応えた。
「黒以外は似合いませんので」
 もぞりとうなずいた影は、身振りで路地奥へと(いざな)う。
 
(裏口?)

 目を丸くするスチェパには何も説明もせず、影が手の中の鍵を差し込んだ。
 
 キィィ。
 
 甲高くきしむ音を立てて扉が開かれ、影が手招きをする。
「え、入んの?」
 影は答えず、ただ身振りで建物の中を示すばかり。
 恐る恐る足を踏み入れれば、すぐ目の前には地下へと向かう階段がある。
「下りんの?俺だけで?」
「わたしの仕事はここまでです」
 頭を下げた影はさっさとスチェパに背を向けて、裏扉を押し開く。
「ははは!バカ言ってんなよっ」
「そうじゃねぇっつーの」
 扉の向こうで騒いでいるのは、帝国軍の兵士たちのようだ。
「やめろってー」
 はしゃぐ兵士が、手に持つ角灯を振り回した、そのとき。

(げぇ?!)

 光に浮かび上がった影の横顔にスチェパは息を飲む。
 酒場で会った(あや)しい女に似ている若い男が、まぶしそうに目を細めていた。
 いや、若いというよりも、まだ声変わりも済ませていないような子供のようにも見える。
 スチェパが面食らっているあいだに、銀色の目を不敵に笑ませた少年は街へと消えていった。
 
 この物騒な街の夜に、(あや)しい女や子供が(うごめ)いている。
 自分が相手にしていたのは、本当は化け狐や何かじゃないのか。
 不吉なことこの上ないが、ほかの選択肢もない。
 
 ぶるりと身震いをして、スチェパは手探りで階段を下りていく。
 下りた先にはまた扉があり、隙間(すきま)から細い光が漏れ出していた。
 この扉を開けるしかないのだが、踏ん切りがつかない。

(どうすんだよ、これ)

 ここで対応をしくじれば、即座に首が飛ぶだろう。

(ま、それでもいっか。どの道、地獄だ)

 スチェパは思い切って扉を叩いた。
「どうぞ」
 滑らかで艶のある男の声がディアムド語で応える。
 ほんの少しの引っ掛かりを感じながら、スチェパは慎重に扉を開けた。

(まぶし……。え、ウソだろ)

 目が慣れてきたスチェパは小さく口を開け、足を止める。
「早く閉めろ」
 穏やかだが重い命令に後ろ手で扉を閉めながらも、スチェパの目は泳ぐ。

(すげぇ……)

 部屋にあるどれもこれもに目が奪われ、落ち着いていられなかった。
 
 足元に敷かれているのは、東国高地の毛織物の絨毯(じゅうたん)
 名工の作であることが、一目瞭然の調度品もいくつかあった。
 何より、玻璃(はり)製の室内照明の見事さときたら!
 水晶のように輝くその細工は、各国王宮の貴賓室にあっても、不思議ではない逸品(いっぴん)だ。
「す、すごく豪華な品ばかりですね」
 思わず漏れたスチェパの本音に、(しつ)の良い革製の椅子(いす)に座る、壮年の男がふっと笑う。
「ああ、お前の実家は貿易商なのだったか。家業を放り出したやくざ者と聞いていたが、目は利くのだな」

(ま、バレてるとは思ってたけどよ)

「ええ、まあ。仕事を手伝わされてた時期もあるんで」
 スチェパは曖昧な愛想笑いを貼りつけた。

 船は大嫌いで、家業の何もかもが性に合わなかったが、無為(むい)に過ごしていたわけでもない。
 メルクーシ流の、相手をいい気分にさせながらカモにする方法は、ずいぶんと使わせてもらった。
 そして、指摘された目利きと……。

(イハウ(なま)りか)

 上品なディアムド語のほんのわずか。
 しかも、特定の発音にだけ残された(なま)りを聞き逃しはしなかった。
 意外にも、スチェパは軽く七か国語は話すことができる。
 聞き取りならば、それ以上。
 これも、嫌々ながらも手伝わされた家業の副産物だ。

(あの女は、「主人」からの依頼だと言っていた)

 その相手が、帝国と敵対しているはずの、イハウ連合国に関わる男だったとは。
 男の身なりは簡素だが、奥に続く扉向こうに、二、三人の気配がしている。

(護衛がつくご身分サマかよ)

 スチェパは無言でゆっくりと頭を下ると、壮年の男が短い声を漏らして笑った。
「ろくでなしと聞いていたが、なかなかどうして、賢いではないか。あの方は、良い犬を多く飼っていてうらやましい」
 イハウ連合国ではひとかどの人物であろう男が、帝国の飼主を「あの方」と呼ぶ。
 その可能性には恐怖しかないが、もう自分の知ったことではない。

(飼い主なんざ、誰だっておんなじだ)

「お前、赤とつながりがあるそうだな」
 (あや)しい女と同じことを言うイハウの男に、スチェパは何も答えぬまま目を上げた。
「お前がつなげ、造られたモノを運んで欲しい」
 「造られたモノ」と言えば竜以外にないが、その恐ろしさは、黒竜家にいて嫌と言うほど身に染みている。
 正規の竜騎士でもない自分に、扱えるものではない。
「ムリ、じゃないですかね」
 反射的なスチェパの拒否に、男は薄く笑う。
「直接の運び役は、お前以外のニェベスが担う。お前の仕事は、顔のつながった赤の説得。運んだ先での管理」
「は……?」

(頭数調査があるから、竜の処遇に困ってんだろ。説得なんか必要か?)
 
 スチェパの表情から、その疑問を察したらしい男がにやりと笑った。
「赤も当然協力するだろうが、預け先は帝国外。よその国にモノを出す、そこのところを拒否させず、また口外もさせるな」
 サラマリス憎しの感情を隠しもしない、軽率で耄碌(もうろく)したドルカ当主を丸め込むのは、難しくないだろう。
 なのに、これほど言い募ってくるということは……。
「つまりそれは、」
 立ち上がった男によって、質問をぶった切られたスチェパは、思わず一歩後ずさる。
「お前はすでに、何回も命拾いをしてきたそうだな。その強運で、

が望んでいた状況を作り出した。こうまで都合が良いと、実は稀代の策士なのでは、とさえ思う。だが、そうではないところが、また(あつら)え向きだ」
 男がゆっくりと歩いてくるのに従って、スチェパの膝が床についた。
 そして、重い何かで頭を押さえつけられるように首が下がる。
「帝国一強は、世界の停滞を生むものでしかない。新しい時代の潮流を作る橋渡しをお前に託す。名誉に思え」

(橋渡し?名誉?……ははっ)

 こんな状況でも、スチェパは内心皮肉に(わら)う。
 
 なんて弱っちぃ橋だ。
 ちょうどの頃合いで、架縄(かけなわ)を切って落とすつもりのくせに。
 いや、だからこそか。
 いつでも切れる相手だと思うからこそ、機密を共有させるのだろう。

(生き残ってやる)
 
 こんな自分を使うしかない相手だ。
 何より自分は、竜化の秘匿を押さえている。
 赤の(ほころ)びを握るのは、悪党に成りきれないボンボン竜騎士。

(強運?確かに。けどよ、運だけでもねぇんだよ)
 
 スチェパは人生で初めて生家(せいか)に感謝をした。
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