自覚の蕾(つぼみ)

文字数 3,412文字

 翌日、すべての訓練を終えたアルテミシアは、一足先に出ると言って愚連隊を置いて帰ってしまった。
 
「珍しいね。アルテミシア様があんなにご機嫌悪いの。ヴァイノのこと見もしなかったし。……なんかやらかした?」
 騎乗する栗毛の馬を寄せて、メイリがジロリとヴァイノをにらむ。
「いやいや、あれはですねー、オレのきょーいくのタマモノですよ」
「え、ヴァイノ~、何よけいなことしたわけ?」
 後ろに乗せてもらっているスヴァンが、愛馬の黒いたてがみをなでるヴァイノをのぞき込んだ。
「せっかく最近、デンカとイイ感じなのに。これで(こじ)れたら、アスタがカンカンだぞ」
「ねーからねーから。もう帰ったら、デンカとあっつあつだから」
「これ以上いちゃつかれるのも困るけどね?それに……。あんまり()かすのも、どうかなぁ」
()かす?」

(あれ、ヴァイノってば、ずいぶん背が伸びたなぁ)

 思っていたよりも見上げなければならないその顔は、額の傷も含めて、ずいぶんと男っぽくなったというのに。
「んなことしてねーし」
 しゃべり方も不満そうな顔も昔のままで。
 ほっこりとしながらも、メイリは眉間にシワを寄せる。
「あのさ、アルテミシア様って、自分のことに無自覚だし、色恋に関しては五歳児並みって感じでしょう?誰がいようが裸ん坊で水遊びしちゃう、みたいなところがあるじゃない?」
「は、裸!……メイリぃ~」
 手のひらで鼻を押えるヴァイノに、メイリはペロッと舌を出した。
「なーに思い出してんのさ、やらしっ」
「だーかーらー!」
「ぶふっ、ごめんごめん。ね、アルテミシア様ってそんな感じでしょ?今も」
「まーなー」
 鼻下をごしごしと擦って、ヴァイノは空を仰ぐ。
「五歳児に向かって恋について教えても、受け止めきれなかったりすんじゃないかなって」
「あー、そっかぁ」

(ちょっとやりすぎたか?「好き」の違いもわかんねぇ、

ふくちょだからなー)

 昨夜のアルテミシアは照れているだけだと思っていたが、混乱させてしまったのかもしれない。

(ま、やっちまったもんはしょーがねーよな)

「んじゃ、ちょっとこれで様子見るしかねーか」
「そうね。アスタの”お色気衣装作戦”も、いったん中止にしたみたいだしね」
「えー、何その”お色気”って」
「昨日、アスタがアルテミシア様に着せた服が、すんごかったのよ。胸なんか半分見えちゃう感じ。デンカなんて一瞬で固まってたよ」
「あのきょにゅーじゃあなぁ。鼻血出してなかった?デンカ」
「ヴァイノじゃあるまいし。そんなこと言ってると、また殴られるよ」
「俺が怪我人相手で大変だったってときに、そんな楽しそうなことを?!」
「夕方、オレんとこ来たときは軍服だったぜ」
「さすがに着替えてから行ったんだね。よっぽど

ヤだったんだ」
「見たかった!」
「デンカの前で言うなよ。殴られる……、いや、むしろ言えっ。痛みを分かち合おーぜ」
「それはヤダ」
 わぁわぁといつもどおりのにぎやかさで、愚連隊は帰路についた。

◇ 
(レヴィアはもう戻ってきているかしら。診察の前に、ロシュと遠乗りできるとよいのだけれど)

 そう思ったアルテミシアは療養所へは戻らず、そのまま竜舎へと向かった。
「クルルルルゥ」
 近づくアルテミシアを、フルフルと羽根を震わせるロシュが出迎える。
『いい子ね。スィーニのことは、あとでレヴィが怒ってくれるわ。だから機嫌を直して』
 ディアムド語で話しかけながら、アルテミシアはロシュの頬を優しくなでた。
『ずいぶん待たせてしまったわね。ごめんなさい』
「クルゥ、クルゥ」
 絶えず甘え鳴きをしながら、ロシュはその(くちばし)をアルテミシアの頭に(こす)りつける。
『機嫌は直った?もしレヴィが帰ってきてるなら、遠乗りに誘おうと思うのだけれど、どう?』
「クルルルーっ」
 巻き羽の冠羽を広げて、ロシュは嬉しそうに一声、大きく鳴いた。
 
 手綱(たづな)をとってロシュと歩きながら、途中スィーニの竜房の前でアルテミシアは足を止める。
『スィーニ』
「クるっ」
 青竜は()ねた鳴き声を上げ、その美しい首をふいと背けた。
『スィーニが地上に縛られているのは、私のせいだわ。ごめんなさいね。お前に命を助けてもらったというのに』
「クる」 
『飛べなくてつまらなかったわね。でも、それをロシュに当たるのはいけないことよ。飛ぶスィーニは素晴らしい。火を噴くロシュも素晴らしい。あなたたちは、ともに私の自慢の仔』
 アルテミシアに頬をなでられたスィーニが、ロシュに向かって、そろそろと首を伸ばしていく。
『ロシュ、スィーニが謝りたいのですって』
 緑目をぱちぱちと瞬かせると、ロシュはスィーニの(くちばし)に自らの(くちばし)をぶつけた。
「クるるぅぅ」
「クルクルクルクル」
 「ごめんなさい」と言うように頭を下げるスィーニの耳元で、ロシュが土鈴(つちすず)を転がすように鳴く。
『ロシュもスィーニもいい仔ね。でもね、スィーニは今日、お留守番よ。ロシュに意地悪を言ったお仕置き』
「くるるるるる……」
 しょげていく青竜の(くちばし)を両手で(はさ)んで、アルテミシアは額を寄せる。
『でも、次は必ず一緒にお出かけしましょうね、美しいスィーニ。争いのない空を、レヴィと一緒に飛びましょう』
 青の頬羽を二、三度指ですいて、その頭をわしゃわしゃとなでて。
 存分にスィーニをかわいがってから、アルテミシアはロシュと竜舎を出ていった。

 竜舎前の運動場を横切って、もうすぐ療養所の入り口が見えてくる、という辺りで。

(……なにかしら)

 向かう先で、華やかなご令嬢たちが一団をなしている。

(あれは……)

 相当な数の少女たちが、背の高い少年の周りを何重にも取り囲んでいた。
 それぞれ気合の入ったその装いは、アスタがアルテミシアに選んでくれた衣装の比ではない。
「レヴィア様!これは私の領地で採れる薬草です。スバクルの固有種で、大変珍しいものなんですよ。でも、レヴィア様ほどの医薬師様になら、ぜひ使っていただきたいと父が」
「先日処方していただいた薬茶、私にはとても合っていたようです」
 風に乗って届く黄色い声は、口々にレヴィアに感謝を捧げ、ほめ(たた)えている。

(……ジーグが言っていたとおりなのね)

 目の前の光景は、以前ジーグから聞いた話をアルテミシアに思い出させた。

 あれはまだ、アルテミシアが療養所の寝床に縛られていたころ。
「夕方の診察が遅れると、レヴィアから伝言です」
「何かやっかいごとか?」
「いえ、そうではないのですが。……レヴィアの医薬術の腕は、やはり大したものです。アガラム医薬師とともに調合した薬が、スバクルの風土病に良く効くとか。レヴィアの診察を受けたいと、列ができるほどで」
 
 それを聞いたときには、アルテミシアも本当に誇らしかった。
 レヴィアの実力が皆に認められて、たくさんの人々が、レヴィアを必要としてくれているのだと。
 あの(おび)え震えていた、小さな可愛い子はもういない。
 誰もが認める、立派な王子として人々の中心に立っている。
 とても嬉しい。
 
 (……はずなのに、どうして)

「レヴィア様!先日は我が領地へのご訪問、ありがとうございました」
 艶やかな黒髪を美しく結った少女が、レヴィアに小さな花束を差し出した。
 レヴィアが微笑みながら挨拶を返して、花束を受け取ったその瞬間。

(……どうして……)

 胸がずきんと痛んで、アルテミシアは軍服の胸の辺りを握り締めた。
 
(べつに、レヴィアがご令嬢の領地へ行ったとしても、だって、仕事だもの)

 だから、何でもないことだと思おうとして。

(……笑ってる)

 ずっと、他人と交わることに気後れしていたレヴィアが。
 あんなにも大勢の少女たちを相手にして、柔らかな笑顔を見せている。

(そう、なのね。レヴィアはもう、笑えるのね。……私がいなくても)

 呆然と立ち尽くすアルテミシアは、みぞおちが冷えるような感覚を味わっていた。

「えぇ、ずるいぃ!レヴィア様、次は私の屋敷においでください」
 可愛らしい顔立ちをした少女が、レヴィアの(そで)を引っ張っている。
「私はレヴィア様の竜を拝見したいです!それは美しい青竜だと伺っております」
 別の少女がレヴィアにねだったとたんに。
「私も見たいです!」
「竜で空を飛ぶお姿をぜひ!」
「素敵~」
 口々にはしゃぎはじめた令嬢たちに、アルテミシアは眉をひそめる。
「……竜は見世物じゃないぞ……」
 トーラ語でつぶやいたアルテミシアはロシュの手綱を引いて、華やかにさざめく少女たちに背中を向けた。
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