へそ曲がりの従兄(いとこ) -1-

文字数 3,767文字

 意識が戻っても、アルテミシアの容態が安定するまでには、時間がかかった。
 
 当初、「すぐにでも面会を」と、言い出すかと思われたディデリスだが。
『まだ話せる状態ではないのか。では、待とう』
『いいのか?かなり帝国を空けてるだろ?貴公らは赤竜隊の……』
 「面会?無理に決まってるでしょう。馬鹿なことを言わないで」とレヴィアからつれなく言われ、どう伝えようかと考えあぐねていたラシオンは、拍子抜けする思いでディデリスをうかがう。
『ああ、上官がしっかり聞き取りして来いって言ってきたから大丈夫。イハウもかなりの痛手を食ったらしいし。いつもは忙しい国境部隊が、暇してるっていうくらいだから』
 こちらもまた、あっけらかんとしているカイに、ラシオンは首を(かし)げた。
『上官?言ってきたって、いつの間に?』
『あー、いろいろ手はあるんだよ。詳細は聞かないでくれると助かる。殺すにゃ貴公は惜しからな』
 冗談のように軽く、気安く物騒なことを言う赤竜副隊長に、ラシオンの顔が引きつる。
『りょ、了解した。長逗留で足りなくなった物資があれば、申請してくれ。用意させてもらう』
『おお、そりゃありがたい』

(……ほんとにそう思ってんのか?)

 読めない笑顔の帝国竜騎士に肝を冷やしたラシオンだが、ジーグからさらに戦慄の事実を聞かされ、息を飲んだ。
「え、じょ、上官ってまさか」
「騎竜軍は皇帝直属だ。赤竜隊長の上官といえば、テオドーレ皇帝陛下しかいらっしゃらない」
「……帝国皇帝の遣いが、来てたってことか?」
 顔色を失くしたラシオンに、ジーグが苦く笑う。
「鳩あたりだろうがな」
「だって、知ったら殺すって言われたぞ?」
「本当にそれほどの秘匿事項であれば、(ほの)めかしもせずに実行する」
「おっかねぇなあ、ホントに」
「それが帝国だ。決して油断するな。友好的な雰囲気など茶番だと思え。だが今回、赤と黒の両家の抱える問題が、こちら側に露呈した。それを承知しているから、向こうもおいそれと敵には回れないだろう」
「相変わらずキレッキレだなあ、ホレボレするよ。なあ、ジーグ。いっそスバクルの参謀にならねぇか?トーラの倍の報酬を用意するぜ」
「私が金で動く人間だとでも?スバクルを担おうという将の目が節穴では、この国の未来は暗いな」
「すまん。(たち)の悪い冗談だった。互いの危機に立ち向かった盟友を、買収しようなんて気はねぇよ。リズ姐にぶっ殺されちまう」
「帝国以上の強敵がいたな」
「ちげぇねえ」
 やっと、いつもの調子を取り戻したラシオンが、親しみを込めてジーグの肩を叩いた。


 イグナルとカーフが捕虜となって数日後、レゲシュ家の奥まった隠し部屋から、やつれ衰えたジェライン・セディギアが見つかった。
 捕縛されるときには往生際の悪い抵抗を見せたものの、ひとりで何ができるわけでもない。
 見る影もなく落ちぶれた「高慢ちき」は、ダヴィド率いるクローヴァ軍の監視のもと、異母弟とともにトーラ王国へと送還されていった。

「ジェライン・セディギアが見つかったみたいだよ」
 横になったまま飲めるように作られた吸飲み器を傾けながら、レヴィアはアルテミシアに報告をする。
 薬湯をゆっくりと飲み込み終わると、アルテミシアはほぅっと息を吐きだした。
「……相変わらず、高慢ちきだったか?」
「全然。”牢屋に入るのはいやだー!”って、柱にしがみついていたって」
「……ぐっ。レヴィ」
 息を詰まらせたアルテミシアがレヴィアをにらむ。
「あんまり笑わせないでくれ。傷に響く」
「……ごめん」
 アルテミシアと微笑み合ったレヴィアは、もう一度、慎重に吸い口を唇に乗せた。
「イグナル・レゲシュは間者(かんじゃ)家の筆頭で、誰も本当の顔を見たことがなかったんだって。それで、簡単にレゲシュ家の婿養子になれたんだろうって」
「そうか」
「カーフは、お母さんがスバクルの人だったんだって」
「……そうか。ネズミ糸目の陰険無礼は、トーラで裁かれるのか?」
「そう、だね。そうなるみたい。ジェライン・セディギアと一緒に詮議(せんぎ)されるって、兄さまが」
 ジーグから聞いたカーフレイの生い立ちを思い出せば、アルテミシアの胸にも複雑な思いが浮かぶ。
 薬湯を持つレヴィアの手をなでると、物思いから覚めたようなレヴィアの目がアルテミシアに戻ってきた。
「あのね、それで、ニェベスは

が帝国に連れて帰りたいって。もう騒乱は治まったのだから、一日も早く帰らないといけないんだって。でも、その前にどうしても……」
 仕方のないことだけれど、それでも嫌なのだと、レヴィアの瞳が雄弁に物語っている。
「……ミーシャに会いたいって」
「そんな顔をするな、大丈夫だから」
「ミーシャは平気?その……、つらくない?」
「レヴィがいるから」
「……そっか、うん。一緒にいるよ、絶対」
 淡く笑うアルテミシアに満月の笑顔を返して、レヴィアはその手を握り返した。
 
 レヴィアの献身的な看護のもと、アルテミシアの熱と痛みも治まってきた、数日後。
「無理、してない?」
「ないよ」
「本当は、まだ面会なんて無理なんだよ?」
「さっさと帰ってもらったほうがいいだろう?」
「それはそう、だけど……」
 そんな会話がアルテミシアとレヴィアの間で交わされ、ディデリスはやっと従妹(いとこ)との面会を果たした。
 

『……アルテミシア……』
 ディデリスはアルテミシアから目を離さずに、ゆっくりと枕元に置かれた椅子(いす)に腰掛ける。
『ディデ(にい)、ありがとう』
『礼などいらない』
 か細い声のディアムド語の礼に、翡翠(ひすい)の瞳が微笑みを浮かべた。
『でも、約束を守ってくたわ』
『約束?』
『惨劇の首謀者を突き止めてくれた。バシリウスとマイヤを殺して、ラキスと、フェティ……』
従兄(いとこ)として、その涙を(ぬぐ)うことを許してくれないか?』
 唇を震わせているアルテミシアがうなずくと、ディデリスは優しく、その目じりにたまる涙を指ですくい取る。
『こんな不始末が二度ないように、両竜族を徹底的に調べてやる。だから、安心して治療に専念しろ。お前を害したあの(ねずみ)は、俺が成敗(せいばい)したいくらいだが、トーラ国が裁くべき罪人だ。我慢しよう』
『我慢できるのね。見直したわ』
 瞳に涙をいっぱいためて、それでもアルテミシアは微笑んで、ディデリスを見上げた。
『ラキスが、また遊んでねって……』
『もっと構ってやればよかったな。とりもちの罠にも、掛かってやればよかった』
『フェティの話は聞けなかったわ』
『お前と同じ髪飾りをねだられていた。次の誕生日にと言ったのだが、もっと早くに贈ればよかった』
 深紅の前髪をかき上げてアルテミシアの額に唇を寄せれば、その熱さにディデリスの胸が痛む。

(熱が下がりきらなのか……)
 
 つらいだろうと思えば不憫だが、ディデリスの胸には喜びが湧き上がった。
 再びこの腕をすり抜けていこうとしたアルテミシアが、今ここで息づいているのだから。

 物思いに沈んでいたディデリスだが、刺すような気配を感じて首を巡らせると。
「……!」
 貫くような漆黒の瞳に、知らず息を飲んだ。

――気安く触れるな――

 如実に語るその目に苛立ちが募る。

(……小僧……)

『そういえば、騒動が収まったらなんでもしてやると約束したな』
 口の端を歪めて笑ったディデリスは、これ見よがしに、もう一度アルテミシアの額に軽く口付けた。
『望みは?』
 甘やかなディデリスの笑顔に、アルテミシアはふと目を伏せる。
『……ディデリス、帝国に帰るでしょう?』
『ああ』
『”惨劇”が解決されるわね』
『そうだな』
『それでも、私を帝国に戻そうとしないで。戻れと言わせないで』
 きっぱりとした口調と上げられたまなざしに、アルテミシアの決意の強さがにじんでいた。
 
 どこにいようと名を変えようと、アルテミシアはサラマリスの血族。
 しかも、新たな能力を持つ竜を育てた、驚異的竜術の持ち主だ。
 彼女を傷つけた原因が排除された今、戻せと命じられる可能性は十分にある。
 怪我が回復次第、ディデリスも連れ帰るつもりでいた。
 あの愚かな行為を許してもらえたのだから、拒絶されることはないだろうと思っていたのだが。

『帰らないのか』
『帰る場所がないわ』
 迷わず言い切ったアルテミシアを、ディデリスは探るように見つめる。
『……わかった。だが、その前にお前に聞きたいことと、話しておきたいことがある』
 アルテミシアの耳元に唇を寄せる、ディデリスの(あお)るような横顔が不快で、レヴィアの眉間(みけん)には深いしわが寄った。
『……ジーグ』
 しばらくのち、意を決したような小声で呼ばれた従者が、寝台へと近づいていく。 
『カイ・ブルム』
 同じくディデリスも腹心の部下を呼び、(つか)の間の話し合いを経て、トーラ王子兄弟の元に戻ったジーグが頭を下げた。
「これ以降、竜族の秘匿に関わる話をいたします。私とカイ・ブルム副隊長は同席しますが、トーラ国王子は帝国竜族には関係がない。席を外してもらいたいと」
 硬い声のジーグの依頼に、クローヴァが軽く首を傾ける。
「おや、それは仕方がない。それを了解しないと、

竜騎士が、帝国に奪われてしまいそうだからね。ただ、すぐそこで待機をさせてもらうよ」
「かしこまりました。……不穏な気配を感じたら、迷わず踏み込んでください」
 ジーグからトーラ語で(ささや)かれた王子たちは、似たような無表情で天幕を出ていった。
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