茨姫の傷-つかめない心-

文字数 3,331文字

 ジーグから呼ばれて離宮を訪れたダヴィドは、レヴィアとアルテミシアの姿を見かけて、思わず足を止めた。
 ちょうどそのとき、部屋から出てきた主人の姿を認めて、ダヴィドは(うやうや)しい礼をとる。
「おはようございます、クローヴァ殿下」
「おはよう、ダヴィド。何をそんなに熱心に見ていたの?」
「いえ、あの、レヴィア殿下とリズィエは、ずいぶんとご親密そうだなと」
「そうだね」
 ダヴィドの視線をクローヴァが追った。
「でも、リズィエはあくまでも、(あるじ)と従者だと言うけれど」
「そう、ですか。……あれが?」
 アルテミシアの横顔を見つめながら相槌を打つレヴィアに、ダヴィドの首が傾く。
 主従の目が合えば、どちらからともなくふたりは微笑み合う。
 とても(あるじ)と従者の距離感とは思えない。
 
 ぱちくりと目を瞬かせているダヴィドの背後で、クローヴァは微かなため息をついた。
 
 孤独に育ったレヴィアが、手探りで自分の心と向き合いつつある(さま)は、じれったいながらも微笑ましい。
 しかし、一方のアルテミシアは。
 
 彼女が気さくで、公明正大な人物であることは疑いようがない。
 だが、その心模様は、ともに過ごす時間を重ねても、はっきりと見えてはこないのだ。
 優秀な竜騎士。
 親しみ深い仲間。
 そんなアルテミシアの欠片(かけら)をいくら集めても、決して本質にはたどりつかない。
 
 ぼんやりとながめているクローヴァの視線に、アルテミシアが気がついた。

(しまった!)

 慌てて目をそらすが、時すでに遅し。
「おはようございます、クローヴァ殿下!」
 たちまち駆けつけてクローヴァの前に立ったアルテミシアは、息も切らしていない。
「ちょうどよい機会ですね!この間のお約束を果たしましょう。鍛錬(たんれん)にお付き合いいたします」
「いやいや」
 クローヴァは(まゆ)を下げ、アルテミシアから距離を取った。
「レヴィアと騎竜訓練をしてきたのでしょう?少し休まないと。ほら、朝ご飯を」
「朝食前の鍛錬はこれからです。ダヴィド、殿下の剣をお持ちしろ。レヴィア、始めるぞ!」
「うん、わかった!」
 ロシュとスィーニの手綱(たづな)をメイリに託し、大きく手を振っているレヴィアを見て、クローヴァはアングリと口を開ける。
「君たちの体力って、どうなってるの?!」
「トレキバからの日課です。帝国騎竜軍なら、倍はやりますよ」
「帝国が強いわけだねぇ」
「何をのんきな。さ、参りましょう!」
 引きそうもないアルテミシアの雰囲気に、クローヴァは両手を上げて降参を示した。
「了解した。ダヴィド、僕の剣を。あとお前もね」
「え、私もですか?」
 面食らっているダヴィドに、クローヴァは重々しくうなずいてみせる。
「僕をひとりにはしないよね?」
「……ははぁ、リズィエのお相手を増やそうという魂胆ですね。(かしこ)まりました、参加いたしましょう。でも、私はレヴィア殿下のお相手を(つかまつ)ります」
「あ、この裏切り者っ」
 ダヴィドをにらむクローヴァに、アルテミシアの笑い声が弾けた。

 帝国流の鍛錬(たんれん)に音を上げ、基礎訓練にも参加するという約束をしたところで、クローヴァはやっとアルテミシアから解放された。
「だいぶ勘が戻られましたね、クローヴァ殿下!」
「うん、そうかな?……リズィエからは、一本も取れなかったけれど」
「次はもっと良い勝負になりますよ!」
「はは、うん。次、ね。……次があるのか……」
「さすがレヴィアの兄上です。筋はよいかと」
「ははは、ありがとう」
 アルテミシアの励ましに乾いた笑いを返して。
 ダヴィドとレヴィアに両脇を支えられたクローヴァは、よろよろと自室へと向かった。

「ねえ、レヴィア」
「はい、兄さま」
「僕の、何がいけなかったのかな」
「いけなくは、なかったです」
「でも、レヴィアはリズィエと互角だったでしょう?僕と違って」
「うーん……。”頭で考えているうちは半人前”って、言われたことがあります」
「どういうこと?」
 疲れ切ったクローヴァの瞳が上がる。
「敵の動きを目にするのと同時に、体が反応しないといけないって」
「私ですら、リズィエが敵じゃなくてよかったと、心から思いますよ。それに、彼女の言うとおり。もう少しご回復なされましたら大丈夫ですよ」
「そうだといいけれど」
「……でも、あの。さっきのミーシャ、半分くらいです」
「……なにが?」
 クローヴァの足がピタリと止まった。
「本気度」
「手加減されてたってこと?!」
「手加減してアレですか?!」
 主従の叫び声が同時に廊下に響く。
「じゃあ、トゥクース襲撃のときのリズィエは」
「いい腹ごなしになったな!って」
 嬉しそうな顔をしているレヴィアに、クローヴァもダヴィドも二の句が継げなかった。


 兵舎の休憩室に下がったアルテミシアは、アスタから受け取った水を一気にあおった。
「おお、すげぇ飲みっぷりだな。……珍しく兄王子の姿が見えてたけど」
「なー、引きこもりやめたんだなー」
 肩を寄せてきたラシオンを、ヴァイノがへらっと笑って見上げる。
「不敬罪でとっ捕まるぞ。療養中だから仕方ねぇだろ」
「いや、ふくちょが言ってたぜ。大事にしすぎんのもよくないって」
「ほぅ、それでか。でも、初回にしちゃあ難易度お高めじゃねぇ?」
「デンカがついてんだからダイジョブだろ」
 ヴァイノは軽く肩をすくめ、それもそうかとラシオンがうなずいた。
「お疲れさまでした。朝食前ですが、いかがですか?」
 二杯目の水を飲み干すのを見計らって、アスタが小ぶりの焼き菓子が入った(かご)をアルテミシアに差し出す。
「ありがとう。……ん、美味しい。レヴィアは相変わらず上手だな」
「いや、それはフロラだよ」
 窓辺で本を読んでいるリズワンからサラリと告げられて、アルテミシアの手が止まった。
「へぇ。……レヴィアと同じ味がする。フロラは本当に料理上手だな」
「坊の教え方もうまいんだろう。お嬢もどうだ」
「どう、とは?」
「習ってみては」
「本気で言ってるのか?リズ」
 本から目を上げたリズワンが、目を丸くするアルテミシアを見て片頬で笑う。
「坊が一緒なら木端微塵(こっぱみじん)にならないんだろう?ホロホロ鳥は食べられたと、ジグワルドが言っていた」
「食べられたどころじゃない。美味しかったんだ」
「ほら。坊は特別じゃないか。教えてもらえ」
「いや、いい。フロラとレヴィアの邪魔になるし、そんな時間もない」
「でもふくちょさ、いいなって言ってたじゃんか」
「え?!」
 弾かれるように、アルテミシアは首をヴァイノに向けた。
「こないだ気づいてなかった?厨房(ちゅうぼう)が見える廊下んとこに、オレもいたんだぜ」
「本当に?」
「うん」
「……へぇ」
 値踏みするようなアルテミシアの視線に首を傾け、ヴァイノは続ける。
「それにさ、ふくちょの話したら、デンカも教えてあげたいって言ってたし、」
「いいんだ!……差し出がましいぞ」
 向けられた鮮緑の目の鋭さに、ヴァイノはピタリと口を閉じた。
「なぜ、逃げる?」
 明らかにからかうリズワンの口調に、アルテミシアが不愉快そうに眉をしかめる。
「逃げてなどいない」
「へーえ。そういえば、坊に縁談が来たそうだな」
「そう、らしいけど。……何が言いたい?」
 唐突に変えられた話題に、アルテミシアの目に警戒が浮かんだ。
「朝方、竜で出かけていたろう、ふたりで。そのとき、坊から相談されなかったか?」
「話はあった」
「なんて?」
「嫌だって」
「まあ、だろうな。で?」
 本を卓に置いたリズワンが、アルテミシアを斜交(はすか)いに見上げる。
「お前はどう答えたんだ」
「レヴィアはもう自由だから、心のままに未来を決めていいんだって、」
「ああ、そのとおりだ。だから、坊がお前に菓子作りを教えたいと思えば」
「うるっさい!」
 叩き斬るアルテミシアの勢いに、リズワンのかもし出す空気が険悪に凍った。
「うるさい?お前、誰にものを言っている」
「リズ師匠、あなたに」
 ゆらりと立ち上がって、リズワンはアルテミシアをにらみつける。
「上等だ、表へ出ろ!」
 返事も待たずにリズワンが部屋を出ていき、しばらくのち、アルテミシアもその背中を追った。
 
「エライことになったぞ。ヴァイノ、ジーグ呼んでこい。隊長室にいるはずだ。アスタはスヴァンを。急げっ」
 険悪な師弟を追いかけるラシオンの(かたわ)らを、ヴァイノとアスタが、風のように駆け抜けていった。
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