鼠を炙(あぶ)り出す炎-1-
文字数 2,918文字
アルテミシアがジーグを本気で怒らせてから、半月余りのちの夜。
離宮奥に建てられた竜舎 で、アルテミシアはロシュの屈強な首を抱きしめ、漆黒の羽に顏を埋 めていた。
床に置かれた角灯 のちらちらと揺れる灯 りが、夜に沈む竜舎の中で寄り添う、ひとりと一頭の足元を浮かび上がらせている。
隣で嘴 を翼に差し込み眠るスィーニと比べると、ロシュの体は一回りほど大きい。
「本当に楽しかったんだ、あの日は」
顔を半分だけ上げたアルテミシアが、ロシュに囁 いた。
「普通の娘みたいに遊んだんだ。今度、ロシュも一緒に遊ぼうな」
「クルゥ」
小さく鳴きながら、ロシュはアルテミシアの頭の上にそっと嘴 を乗せる。
「フロラは正しい。私は人殺しだ。しょせん、竜騎士だからな」
「リズィエ、皆集まりました」
暗闇の向こうから届いた低い声に口を閉じると、一呼吸置いてから、アルテミシアは振り返った。
「どうだった?」
「はい。”テムラン大公お忍びの訪問”に食いついたようです」
「そうか。もう間もなくだな」
「はい。こちらが流した偽の行程を、そのまま鵜呑 みにしているようです」
「相変わらず、いい腕をしている。当日まで、存分に煽 ってやろう」
アルテミシアの勇ましい声が夜を震わせる。
「派手にいくぞ。でも、そうだな。レヴィアが心を痛めるだろうから、適当に加減してやろうか。とくに市民には被害を出してはならない。クローヴァ殿下のご様子は?」
「剣を持てる程度には」
暗がりから若い声が報告をした。
「では、ご臨場願う。ギード、ダヴィド。何があろうと、決してクローヴァ殿下から離れるな。いざとなればロシュを出す。王子たちの凱旋 に華を添えよう!」
「はい!」
「はい」
熱のこもったダウム親子の返事に、口角を上げたアルテミシアが足元の角灯 を手に取り、顏の横にかざす。
「竜を味方に得た王子が如何程 のものか。この国を食い物にしている奴らに、目に物見せてやる!」
鮮緑の瞳を刃のように光らせた竜騎士の扇動に、フリーダ隊員とダウム親子が一斉にトーラの礼をとった。
◇
窓のない石積みの部屋の壁には、小さな松明 がたったひとつ。
頼りない炎が細く揺れている。
「準備はどうだ」
男の小声が、澱 んだ空気と混ざり合った。
「滞りなく」
ねっとりと話す男の影が深く頭を下げる。
「融和政策の隙 を突いて入り込んだスバクル兵にも、困ったものだな」
「はい」
「テムラン大公は死ぬな」
「はい」
「アガラムの外道 なんぞを招いた愚かな国王も、無事では済まないな」
「もちろんでございます」
「それにしても」
上品な声に嘲笑 が混じった。
「堂々と城下大通りを抜けるとは」
「最近首都には、目障りなほど外道共 がうろつくようになりました。そのほうが目立たないと踏んだのでしょう」
「スバクル連中も生かしてはおくな」
わずかに訛 りのある重い声が、隅の暗がりから発せられる。
「当たり前だ。下賤 な暴徒どもなど、優秀な我が部隊が鎮圧する。一匹残らずな」
「出した金額分、成果は出せよ」
「……黙って見ていろ」
疑いを含んだ声に応える雅 やかな横顔に、凶暴な悪意がにじんだ。
◇
周辺諸国から「北の楽園」と呼ばれる、トーラ国首都トゥクースにも真冬が訪れていた。
そんな足元から冷気がのぼる、冴えた早朝。
城下大通りを、仕立ての良い小ぶりの馬車が走り抜けていた。
その馬車が、トーラ・スバクル休戦時に建てられた記念門に差しかかろうかというとき。
門の影から、全身黒衣 に包まれ、さらに黒の覆面 をした、二十人ほどの男たちが、わらわらと姿を現した。
「止まれ!」
集団から飛び出したひとりの男が、剣を抜き払い御者に突きつける。
「トーラ国王、ヴァーリ・レーンヴェストっ!アガラム大公、マハディ・テムランっ!ここをお前たちの墓場としてやる!おためごかしの休戦など笑止 !降りろ!」
次々と剣をかざして馬車を取り囲む男たちに、怯 えいななく馬をなだめながら、御者が馬車の扉を開けた。
扉の影からうっそりと、白の長衣 をまとった長身の男性が姿を現し、続いて、もうひとり。
そろいのアガラム伝統衣装を着て、巻き布で頭部を覆 ったふたりの男性は馬車から降り立つと、同時に腰の剣を手に取った。
「ほぅ、この人数を相手に戦うつもりか。さすが『冷徹 の鷹 』と『風雲猛虎 』、とでも言ってやろうか。だが、多勢に無勢っ!ここで死ねっ!」
黒衣 の男たちが踏み出そうとしたその矢先、御者が馬の尻を勢いよく叩く。
「うぉぉっ?!」
客車を引いて走り出した馬に、男たちが一、二歩下がる。
「王じゃなくて残念だったなっ!」
その隙を逃さず、巻き布を取り去ったラシオンが、目前にいた男の肩を刺し貫いた。
耳をつんざくような悲鳴に、我に返った襲撃者たちが一斉に襲いかかってくる。
ひとりの男の短剣に御者帽が斬り飛ばされ、青空に弧を描いて飛んでいった。
「褐色の肌……?!その顔、お前、トーラの者じゃないのかっ!?」
襲撃者が目をむいている。
「トーラの民ですよ。陛下からご承認を頂戴 しておりますので。レヴィア様!」
「うん!」
主従ふたりは同時に剣を構え、攻撃に備えた。
「こちらに、早く!」
門の反対側では、クローヴァとダウム親子が、逃げまどう市民たちを誘導している。
「落ち着いて!クローヴァ殿下とレヴィア殿下が、必ずお守りします!」
ダヴィドの指示に従い、避難する市民たちが囁 き合った。
「殿下?」
「王子がふたりとは、まさか、あのアガラムの姫の?」
それを耳にしてほくそ笑んだギードが門を見やると、黒衣 の襲撃者たちに、三人が押され始めている。
だが、ギードの胸に一瞬よぎった不安は、走り来る蹄 の音に、たちまち霧散していった。
「ラシオン、騎乗して援護しろ!」
馬から飛び降りたジーグが、ラシオンの肩を叩く。
「あいよーって、えぇ?!」
身軽に鞍 に跨 ったラシオンに向かって、一直線に槍が飛んできた。
「うぉっ、あっぶねぇ~」
体をそらせて槍をつかんだラシオンが目をやれば、リズワンが勇ましい笑顔で合図を送ってくる。
「使え!」
「リズ姐、俺まで殺 る気?!」
「これで殺 られる程度の腕なら惜しくもないな」
「ひでぇっ!」
軽口を叩くリズワンが矢をつがえ、苦笑いをするラシオンが槍を構える。
「トーラ国に仇成 す者ども!」
ジーグの大音声 が、城下に響き渡った。
「トーラの王子、クローヴァ殿下とレヴィア殿下がお許しにならない!思い知るがいい!」
取り巻く男たちを大剣 が薙 ぎ払い、リズワンの大弓から放たれる矢が、鋭い風切り音を立てる。
「どーこ行こうってんだよっ!」
ダヴィドたちに気づいた襲撃者たちの剣を、ラシオンの槍が弾き飛ばした。
フリーダ隊戦士よりもはるかに数の多い襲撃者たちが、ばたばたと倒れていく。
だが、レヴィアは容赦のない、敵意に満ちた攻撃に委縮し、相手の剣を受けるのが精いっぱいだ。
「迷うな!お前の剣が劣るはずがない!」
励ますジーグの横で、いつの間にかレヴィアの背を守っていた旅装束 が、くすりと笑う。
「レヴィはそのままでいい。斬る痛みも斬られる痛みも、私が背負うから!」
そして、姿勢を低くした旅装束 の足が大地を蹴り、黒衣 の集団のただ中へと躍り込んでいった。
離宮奥に建てられた
床に置かれた
隣で
「本当に楽しかったんだ、あの日は」
顔を半分だけ上げたアルテミシアが、ロシュに
「普通の娘みたいに遊んだんだ。今度、ロシュも一緒に遊ぼうな」
「クルゥ」
小さく鳴きながら、ロシュはアルテミシアの頭の上にそっと
「フロラは正しい。私は人殺しだ。しょせん、竜騎士だからな」
「リズィエ、皆集まりました」
暗闇の向こうから届いた低い声に口を閉じると、一呼吸置いてから、アルテミシアは振り返った。
「どうだった?」
「はい。”テムラン大公お忍びの訪問”に食いついたようです」
「そうか。もう間もなくだな」
「はい。こちらが流した偽の行程を、そのまま
「相変わらず、いい腕をしている。当日まで、存分に
アルテミシアの勇ましい声が夜を震わせる。
「派手にいくぞ。でも、そうだな。レヴィアが心を痛めるだろうから、適当に加減してやろうか。とくに市民には被害を出してはならない。クローヴァ殿下のご様子は?」
「剣を持てる程度には」
暗がりから若い声が報告をした。
「では、ご臨場願う。ギード、ダヴィド。何があろうと、決してクローヴァ殿下から離れるな。いざとなればロシュを出す。王子たちの
「はい!」
「はい」
熱のこもったダウム親子の返事に、口角を上げたアルテミシアが足元の
「竜を味方に得た王子が
鮮緑の瞳を刃のように光らせた竜騎士の扇動に、フリーダ隊員とダウム親子が一斉にトーラの礼をとった。
◇
窓のない石積みの部屋の壁には、小さな
頼りない炎が細く揺れている。
「準備はどうだ」
男の小声が、
「滞りなく」
ねっとりと話す男の影が深く頭を下げる。
「融和政策の
「はい」
「テムラン大公は死ぬな」
「はい」
「アガラムの
「もちろんでございます」
「それにしても」
上品な声に
「堂々と城下大通りを抜けるとは」
「最近首都には、目障りなほど
「スバクル連中も生かしてはおくな」
わずかに
「当たり前だ。
「出した金額分、成果は出せよ」
「……黙って見ていろ」
疑いを含んだ声に応える
◇
周辺諸国から「北の楽園」と呼ばれる、トーラ国首都トゥクースにも真冬が訪れていた。
そんな足元から冷気がのぼる、冴えた早朝。
城下大通りを、仕立ての良い小ぶりの馬車が走り抜けていた。
その馬車が、トーラ・スバクル休戦時に建てられた記念門に差しかかろうかというとき。
門の影から、全身
「止まれ!」
集団から飛び出したひとりの男が、剣を抜き払い御者に突きつける。
「トーラ国王、ヴァーリ・レーンヴェストっ!アガラム大公、マハディ・テムランっ!ここをお前たちの墓場としてやる!おためごかしの休戦など
次々と剣をかざして馬車を取り囲む男たちに、
扉の影からうっそりと、白の
そろいのアガラム伝統衣装を着て、巻き布で頭部を
「ほぅ、この人数を相手に戦うつもりか。さすが『
「うぉぉっ?!」
客車を引いて走り出した馬に、男たちが一、二歩下がる。
「王じゃなくて残念だったなっ!」
その隙を逃さず、巻き布を取り去ったラシオンが、目前にいた男の肩を刺し貫いた。
耳をつんざくような悲鳴に、我に返った襲撃者たちが一斉に襲いかかってくる。
ひとりの男の短剣に御者帽が斬り飛ばされ、青空に弧を描いて飛んでいった。
「褐色の肌……?!その顔、お前、トーラの者じゃないのかっ!?」
襲撃者が目をむいている。
「トーラの民ですよ。陛下からご承認を
「うん!」
主従ふたりは同時に剣を構え、攻撃に備えた。
「こちらに、早く!」
門の反対側では、クローヴァとダウム親子が、逃げまどう市民たちを誘導している。
「落ち着いて!クローヴァ殿下とレヴィア殿下が、必ずお守りします!」
ダヴィドの指示に従い、避難する市民たちが
「殿下?」
「王子がふたりとは、まさか、あのアガラムの姫の?」
それを耳にしてほくそ笑んだギードが門を見やると、
だが、ギードの胸に一瞬よぎった不安は、走り来る
「ラシオン、騎乗して援護しろ!」
馬から飛び降りたジーグが、ラシオンの肩を叩く。
「あいよーって、えぇ?!」
身軽に
「うぉっ、あっぶねぇ~」
体をそらせて槍をつかんだラシオンが目をやれば、リズワンが勇ましい笑顔で合図を送ってくる。
「使え!」
「リズ姐、俺まで
「これで
「ひでぇっ!」
軽口を叩くリズワンが矢をつがえ、苦笑いをするラシオンが槍を構える。
「トーラ国に
ジーグの
「トーラの王子、クローヴァ殿下とレヴィア殿下がお許しにならない!思い知るがいい!」
取り巻く男たちを
「どーこ行こうってんだよっ!」
ダヴィドたちに気づいた襲撃者たちの剣を、ラシオンの槍が弾き飛ばした。
フリーダ隊戦士よりもはるかに数の多い襲撃者たちが、ばたばたと倒れていく。
だが、レヴィアは容赦のない、敵意に満ちた攻撃に委縮し、相手の剣を受けるのが精いっぱいだ。
「迷うな!お前の剣が劣るはずがない!」
励ますジーグの横で、いつの間にかレヴィアの背を守っていた
「レヴィはそのままでいい。斬る痛みも斬られる痛みも、私が背負うから!」
そして、姿勢を低くした