愚連隊-1-
文字数 3,342文字
雪は完全に溶け、芽吹きの香りが森を満たし始めていた。
ジーグは人を集めるといって頻繁に外出し、アルテミシアは竜仔 の世話のため、ほぼすべての時間を温室で過ごしている。
そして、レヴィアは。
竜仔 の世話を手伝ったあとは、ひとりでも自習と鍛錬を欠かさずに行った。
だが、相手のいない稽古 は加減がわからない。
ついつい根を詰めて手首を軽く痛めたレヴィアは、アルテミシアから数日の休みを言い渡されてしまった。
時間の空いたレヴィアが、花壇の春支度 でもしようかと、前庭に出てみたときのこと。
「待て、こらぁっ!盗人 め!!」
突然の太い怒鳴り声に、球根を植えていたレヴィアは何事かと立ち上がった。
顔を上げると、複数の人影が屋敷前の道を全速力で駆け抜けていく。
「ガキどもーっ!」
レヴィアが門から顔を出すと、遅れて走っていたひとりが小石につまずき、目の前でペシャリと転んだ。
起き上がろうとしてもがいているが、何しろボロボロの布を全身に巻いていてるので、上手くいかないらしい。
「こらぁぁーーーーっ!」
腹ばいのままビクリと振り返るその姿に、かつての自分が重なるようで。
気がつけばレヴィアは、布の塊 を抱き上げていた。
「大丈夫、だから」
花壇脇の植え込みに隠すように座らせて、唇に指を当てる。
「しーっ、だよ」
布の塊 合図を送ってから、レヴィアが門を出た、そのとき。
「はっ、はっ、……あぁ?」
息を切らせながら、ふくよかな男が走り込んできた。
「あんた……、ここの使用人か?ここに、住んでんのか?」
男はレヴィアと屋敷を交互に見比べ、いぶかし気な顔になる。
「そう、ですね?……はい」
何と答えてよいかわからず、レヴィアは曖昧に言葉を濁した。
「へぇ?ここの奴らは、みんなクビになったって聞いたけどなぁ。国のおえらいさんに、なんかやらかしたんだろ?んでヤバいってんで、みんな街を出てったんだろ?」
「どう、でしょう……」
(クビなんてしてないけど)
首をひねるレヴィアには気づかないのか、男は訳知り顔でしきりにうなずている。
「あいつら、ずいぶんお高くとまってたからザマーミロだよ。あんた、そのあとで雇われたんだな。そーだよなあ。こんなでかい家、人手がいるよなあって、違う違う!ここをガキどもが通ったろ?あんた見なかったか?」
白い作業服を着たおしゃべりな男は、手に持った木製の道具で分かれ道を指し示した。
「ガキども?」
「俺の店のモン盗んで逃げた、浮浪児どもだよっ!流行 り病で親ぁ死んで、可哀想だとは思うけどよ、盗みはダメだ。こっちだって生活かかってんだからなっ」
道具をぱんぱんと手の平に打ちつけながら、男は辺りを見回している。
「店のモン?」
「焼き上がったばっかの菓子をよ、ごっそり持ってかれちまったんだ」
男が手にしている道具は、よく見れば製菓用のものだ。
「お菓子屋さん、なんですね」
「おうよ。トレキバのガーティと言ったら、ちょいと有名なんだが……。あんた、トレキバには最近か?異国の人間だな、その面 は」
男の視線にレヴィアはたじろぎ、思わず顔をそむけてしまう。
あのふたりと過ごす穏やかな時間のなかで、すっかり忘れていた。
自分は異国の血を引く人間なのだということを。
使用人たちが自分を見る目つき、投げられた言葉の数々。
思い出せば、胸の奥底から冷たく重い感情が込み上げてくる。
うつむくレヴィアに、男が意外なことを言った。
「そっかあ!異国から、わざわざトーラへ
「……え?」
「あの人もよその国の人だけどよ、トーラが気に入って、ここに住んでくれてるんだもんな!うちも、だいぶ世話になってよお。”異国の人間が住みたいと思うくらい、トーラはいい国だ。特にトレキバは素晴らしい”って言ってくれてなぁ」
どういう「世話」だったのかはわからないが、男はすっかりジーグを信用しているらしい。
いや、その表情は、信奉していると言ってよいほどだ。
(ジーグを知ってる人なら、うん、大丈夫)
レヴィアは思い切って頭巾 を外す。
「あの、僕、庭にいて、ちゃんと見てなくて。……でも、走って行く足音は、聞きました」
「おう、そうか!どっちに向かった?!」
男が辺りをきょろきょろと見渡す向こうの植え込みで、ガサリと葉を揺らす音がした。
(告げ口、心配してるのかな)
「多分」
レヴィアは早口で、森ではなく街外れへ向かう別の道を指し示す。
「あっちへ行ったと思います」
「あ、ちっくしょうめ!牧場のほうかっ!ありがとよ!」
(……行っちゃった)
再び走り出していく男の背中が見えなくなるまで見送ったあとで。
植え込みへと戻ったレヴィアは、布の塊 の前にしゃがみこんだ。
レヴィアの目の前で、布の塊 がブルブルと震えている。
「あの」
「!」
膝 を手で押さえys塊 が、植え込みの奥へと後ずさりしていった。
「転んだとき、ケガしちゃった?」
「怖いことは、しない、よ」
かつて触れられることに怯 えていた自分に、アルテミシアがそうしてくれたように。
レヴィアはゆっくりと腕を伸ばして、泥まみれの手を膝 から外させた。
「ずいぶん、すりむいちゃったね。痛い?」
垂れ流れている血を清潔な布でぬぐうと、レヴィアは腰袋 から取り出した軟膏 を、傷に塗り付けていく。
触れるたびにビクリと体を震わせるけれど、布の塊 は、レヴィアの治療を大人しく受けていた。
「はい、おしまい。傷を洗ったら、もう一度これを塗って」
レヴィアは軟膏 を手渡しながら、小さな手を取って立ち上がらせる。
「傷がふさがるまで、朝と夜、塗るといいよ。ほかのみんなは、森のほうに行ったみたいだけど、どこにいるか、わかる?」
塊 が小さくうなずくのを見て、レヴィアはもうひとつ、焼き菓子が入っている袋を取り出た。
「これも、あげる」
細い手を「いらない」というように振りながら、布の塊 は一歩、二歩と下がっていく。
「買ったものじゃないよ。僕が焼いたんだ。味見、してみる?」
レヴィアが袋から菓子を出しても、布の塊 は固まるばかりで受け取ろうとしない。
「いらない?」
レヴィアが首を傾けるのと同時に、布の奥からグゥと腹の鳴る音が聞こえてきた。
「ふふ、どうぞ」
レヴィアが柔らかく笑うと、小さな手がおずおずと伸びてくる。
そして、ひったくるように菓子を手にしたかと思うと、せわしなく口を動かし始めた布の塊 に、レヴィアはほっと息をついた。
「口に合ったなら、またおいで。心配、しないでいいよ。持っている者が持っていない者に分けることは、当たり前だから」
小さな手が、受け取った袋をぎゅっと握りしめる。
「気をつけてね」
ぴょこんとお辞儀をしたかと思うと、布の塊 は菓子の入った袋を片手に、大急ぎで走り出していった。
レヴィアが見送る視線の先で、ぼろぼろの下衣 の裾 が、はためきながら遠ざかっていく。
(僕も、あんなふうに見えていたのかなあ)
小さくなっていく背中を見守るレヴィアは、アルテミシアたちと出会った一年前を思い出していた。
布の塊 と出会った翌日。
レヴィアが作業の続きをしようと前庭に出ると、門の外側に小さな青い花が一輪、置いてあった。
「雪割草だ」
しゃがんで摘 まみ上げたその花を目の前にかざすと、晴れた空に花弁の色が溶けるようだ。
森を歩いた獣の足にでもくっついてきたのかと思っていたが、それから毎日のように雪割草が置かれるようになって、とうとう五日目。
「わあ」
門の前に置かれた雪割草の花束を見たレヴィアから、思わず声が漏れた。
(やっぱり、あの子かな)
そっと手のひらに包み込んだ花束の向こうに、焼き菓子の入った袋を握りしめながら走り去った、小さな背中が思い出される。
(お礼かな?)
温かな気持ちなるが、いつ来ているのだろうと不思議に思う。
どんなに朝早く庭に出ても、すでに門の前には、ひっそりと雪割草が置かれているのだ。
この心遣いにお返しをしたいが、どうしたものか。
(塗り薬はまだあるよね。焼き菓子は……)
美味しそうに食べてはいたが、門の外に置いておくことは難しい。
野生動物に嗅 ぎつけられてしまうだろう。
レヴィアは手にした雪割草を眺めながら、しばらく考えをめぐらせた。
ジーグは人を集めるといって頻繁に外出し、アルテミシアは
そして、レヴィアは。
だが、相手のいない
ついつい根を詰めて手首を軽く痛めたレヴィアは、アルテミシアから数日の休みを言い渡されてしまった。
時間の空いたレヴィアが、花壇の
「待て、こらぁっ!
突然の太い怒鳴り声に、球根を植えていたレヴィアは何事かと立ち上がった。
顔を上げると、複数の人影が屋敷前の道を全速力で駆け抜けていく。
「ガキどもーっ!」
レヴィアが門から顔を出すと、遅れて走っていたひとりが小石につまずき、目の前でペシャリと転んだ。
起き上がろうとしてもがいているが、何しろボロボロの布を全身に巻いていてるので、上手くいかないらしい。
「こらぁぁーーーーっ!」
腹ばいのままビクリと振り返るその姿に、かつての自分が重なるようで。
気がつけばレヴィアは、布の
「大丈夫、だから」
花壇脇の植え込みに隠すように座らせて、唇に指を当てる。
「しーっ、だよ」
布の
「はっ、はっ、……あぁ?」
息を切らせながら、ふくよかな男が走り込んできた。
「あんた……、ここの使用人か?ここに、住んでんのか?」
男はレヴィアと屋敷を交互に見比べ、いぶかし気な顔になる。
「そう、ですね?……はい」
何と答えてよいかわからず、レヴィアは曖昧に言葉を濁した。
「へぇ?ここの奴らは、みんなクビになったって聞いたけどなぁ。国のおえらいさんに、なんかやらかしたんだろ?んでヤバいってんで、みんな街を出てったんだろ?」
「どう、でしょう……」
(クビなんてしてないけど)
首をひねるレヴィアには気づかないのか、男は訳知り顔でしきりにうなずている。
「あいつら、ずいぶんお高くとまってたからザマーミロだよ。あんた、そのあとで雇われたんだな。そーだよなあ。こんなでかい家、人手がいるよなあって、違う違う!ここをガキどもが通ったろ?あんた見なかったか?」
白い作業服を着たおしゃべりな男は、手に持った木製の道具で分かれ道を指し示した。
「ガキども?」
「俺の店のモン盗んで逃げた、浮浪児どもだよっ!
道具をぱんぱんと手の平に打ちつけながら、男は辺りを見回している。
「店のモン?」
「焼き上がったばっかの菓子をよ、ごっそり持ってかれちまったんだ」
男が手にしている道具は、よく見れば製菓用のものだ。
「お菓子屋さん、なんですね」
「おうよ。トレキバのガーティと言ったら、ちょいと有名なんだが……。あんた、トレキバには最近か?異国の人間だな、その
男の視線にレヴィアはたじろぎ、思わず顔をそむけてしまう。
あのふたりと過ごす穏やかな時間のなかで、すっかり忘れていた。
自分は異国の血を引く人間なのだということを。
使用人たちが自分を見る目つき、投げられた言葉の数々。
思い出せば、胸の奥底から冷たく重い感情が込み上げてくる。
うつむくレヴィアに、男が意外なことを言った。
「そっかあ!異国から、わざわざトーラへ
来てくれた
のか!ジーグさんみたいだなぁ」「……え?」
「あの人もよその国の人だけどよ、トーラが気に入って、ここに住んでくれてるんだもんな!うちも、だいぶ世話になってよお。”異国の人間が住みたいと思うくらい、トーラはいい国だ。特にトレキバは素晴らしい”って言ってくれてなぁ」
どういう「世話」だったのかはわからないが、男はすっかりジーグを信用しているらしい。
いや、その表情は、信奉していると言ってよいほどだ。
(ジーグを知ってる人なら、うん、大丈夫)
レヴィアは思い切って
「あの、僕、庭にいて、ちゃんと見てなくて。……でも、走って行く足音は、聞きました」
「おう、そうか!どっちに向かった?!」
男が辺りをきょろきょろと見渡す向こうの植え込みで、ガサリと葉を揺らす音がした。
(告げ口、心配してるのかな)
「多分」
レヴィアは早口で、森ではなく街外れへ向かう別の道を指し示す。
「あっちへ行ったと思います」
「あ、ちっくしょうめ!牧場のほうかっ!ありがとよ!」
(……行っちゃった)
再び走り出していく男の背中が見えなくなるまで見送ったあとで。
植え込みへと戻ったレヴィアは、布の
レヴィアの目の前で、布の
「あの」
「!」
「転んだとき、ケガしちゃった?」
「怖いことは、しない、よ」
かつて触れられることに
レヴィアはゆっくりと腕を伸ばして、泥まみれの手を
「ずいぶん、すりむいちゃったね。痛い?」
垂れ流れている血を清潔な布でぬぐうと、レヴィアは
触れるたびにビクリと体を震わせるけれど、布の
「はい、おしまい。傷を洗ったら、もう一度これを塗って」
レヴィアは
「傷がふさがるまで、朝と夜、塗るといいよ。ほかのみんなは、森のほうに行ったみたいだけど、どこにいるか、わかる?」
「これも、あげる」
細い手を「いらない」というように振りながら、布の
「買ったものじゃないよ。僕が焼いたんだ。味見、してみる?」
レヴィアが袋から菓子を出しても、布の
「いらない?」
レヴィアが首を傾けるのと同時に、布の奥からグゥと腹の鳴る音が聞こえてきた。
「ふふ、どうぞ」
レヴィアが柔らかく笑うと、小さな手がおずおずと伸びてくる。
そして、ひったくるように菓子を手にしたかと思うと、せわしなく口を動かし始めた布の
「口に合ったなら、またおいで。心配、しないでいいよ。持っている者が持っていない者に分けることは、当たり前だから」
小さな手が、受け取った袋をぎゅっと握りしめる。
「気をつけてね」
ぴょこんとお辞儀をしたかと思うと、布の
レヴィアが見送る視線の先で、ぼろぼろの
(僕も、あんなふうに見えていたのかなあ)
小さくなっていく背中を見守るレヴィアは、アルテミシアたちと出会った一年前を思い出していた。
布の
レヴィアが作業の続きをしようと前庭に出ると、門の外側に小さな青い花が一輪、置いてあった。
「雪割草だ」
しゃがんで
森を歩いた獣の足にでもくっついてきたのかと思っていたが、それから毎日のように雪割草が置かれるようになって、とうとう五日目。
「わあ」
門の前に置かれた雪割草の花束を見たレヴィアから、思わず声が漏れた。
(やっぱり、あの子かな)
そっと手のひらに包み込んだ花束の向こうに、焼き菓子の入った袋を握りしめながら走り去った、小さな背中が思い出される。
(お礼かな?)
温かな気持ちなるが、いつ来ているのだろうと不思議に思う。
どんなに朝早く庭に出ても、すでに門の前には、ひっそりと雪割草が置かれているのだ。
この心遣いにお返しをしたいが、どうしたものか。
(塗り薬はまだあるよね。焼き菓子は……)
美味しそうに食べてはいたが、門の外に置いておくことは難しい。
野生動物に
レヴィアは手にした雪割草を眺めながら、しばらく考えをめぐらせた。