遠ざかる背中

文字数 3,373文字

 これまで日陰に置かれていた王子ふたりが、重臣たちに強烈な爪痕を残してから、しばらくのち。
 
 レヴィア隊に加わったサージャたちにはトーラの軍服が、「国境の異端者」たちには希望に応じてカーヤイ家とサイレル家の家紋が入った家兵服や、鎖帷子(くさりかたびら)などの武具一式が支給された。
 晴れ着を手にした子どものような同朋たちに、ラシオンとファイズにはほろ苦い微笑みが浮かんでいる。
「ラシオン曹長!これ、もう着てもいいですか!」
 そう言いながら、サージャはすでに片袖(かたそで)を通していた。
「ばか、まだ早ぇよ。正式招集かかってねぇだろっ。それまでにダメにするとか、ありえねぇからな」
 そう言ったそばから、布の裂ける音がする。
「サイレル惣領!ちょっと俺にはちっちぇみたいっす」
「お前、トーラ側の好意だぞっ」
「あ、無理すれば入るかも……」
「それ以上やめろ、ばかっ」
 ファイズの制止も虚しく、サイレル家の家紋、「十字星に白鳥(しらとり)」の翼が千切れた。
「……おい」
「なんだ」
 きつね色の髪の男と髭面(ひげづら)の男が横目を交わし合う。
「どっちが言う?」
「何を」
「今日いただいたばかりですが、新しいのをくださいって」
「……俺の家兵にした奴らだからな」
 諦め呆れ、だが、少しの笑みを混ぜたようなファイズが、くわぁっと口を開いた。
「よし、着るなとは言わん!だが、その前に確認しろ!大きさが合うかどうか」
「よっしゃー!」
「うぉぉ!」
「俺が頭を下げよう。……作戦室、呼ばれてたな」
「ちょうどよかったなー。すぐに頭、下げられるなー。あいつも仲間外れにならずにすむなー」
 ラシオンは笑いながら、破れた家兵服を片手に呆然としている男とファイズを見比べる。
「口添えしてくれるんだろうな、ラシオン」
「えー、やだー」
「そんなこと言ってるとな、サージャなんか絶対すぐ破く、」
「ああああっ!なんか引っかかったー!」
 ファイズが最後まで言い終わらないうちに、背後からサージャの悲鳴が聞こえた。
「……ほらな」
「あいつはレヴィア殿下直属隊だけどな」
「お前だって、そのフリーダ隊に籍があるだろ。……まだ」
「だな。……はぁ~、王子の度量に期待するか」
 カーヤイの疾風とサイレルの惣領は、そろって肩を落とした。

◇ 
 離宮兵舎作戦室に入るなり、ラシオンは居住まいを正したトーラの礼をとって、クローヴァの前に立つ。
「俺たちの分まで、ありがとうございました」
「ともに戦う盟友に礼を尽くすのは当然だからね。それで、何のお願いがあるのかな?」
 クローヴァは柔らかい笑顔を浮かべながら、その目は少し皮肉げだ。
「いやあの……。はぁ~」

(お見通しってか)

 ラシオンはボリボリと後ろ頭をかきむしる。
「申し訳ありません。いただいたあのー、兵服とか、ですね。予備の分、とかですね」
「もちろん、用意しているよ」
 クローヴァの笑みが深まった。
「戦いに臨むのに備品を持たせないなんて、そんな無体はしない。でも、何か問題があったんだね。どこを改善したらいいの?」
 
 空から戦場を見る目を持つようだと言われ、スバクル優位の戦況を、幾度も覆してみせた”冷徹の鷹”、トーラ国王ヴァーリ。
 その不気味なほどの先見力は、手の内を漏らす裏切者がいるのではという疑念をスバクルに抱かせ、戦場での足並みが崩れるきっかけにもなったほどだ。
 
 そんなヴァーリ王の片鱗を見せる第一王子は、あくまで柔和な笑顔を崩さない。

(トーラを弱小国と(あなど)っていた奴らが痛い目見るわけだよ)

 粟立つ肌を無理やり(しず)め、ラシオンは恐縮している表情を作った。
「えっとですね、大きさが合わない者がいるみたいで」
「トーラで歓待を受けるうちに、体がぶ厚くなってしまったようです」
 ファイズがラシオンと一緒になって頭を下げる。
「ああ、そうなんだ!ははっ、それは申し訳なかった。こちらの確認不足だ。すぐにフリーダ隊長に……」
 言葉を止めて、クローヴァは首を傾けた。
 
 備品の管理を任せている、優秀な隊長の姿がまだ見えない。
 すでにフリーダ隊とダウム親子、そして、ぽつんとひとり離れて立つレヴィアはここにいる。
 だが、呼び出した張本人である隊長ジーグと、副長であるアルテミシアがいない。

「あのふたりがそろって遅れるなんて、珍しいね?」
 外の様子を見ようかと、クローヴァが扉に手を掛けるのと同時に、リズワンの硬い声が飛んだ。
「やめておけ。こういうときは何かある。だが、彼らの事情だ。放って置いてやれ」
「え?」
 振り返った動作でクローヴァの手に力が入り、弾みで少し扉が開いた。
『私に意見をするのですか』
 遠く、ディアムド語で叱責(しっせき)をするアルテミシアの声が、聞こえてくる。
 その厳しい口調に作戦室が静まり返った。

『しかし、リズィエ』
『竜に関して、私に逆らうことは許しません。お前の(あるじ)は誰ですか?ジグワルド・フリーダ』
『リズィエ・アルテミシアです』
(わきま)えなさい』
『出過ぎた真似をいたしました。どうぞご容赦を』
『二度はありません』
(かしこ)まりました』
 クローヴァが静かに扉を閉めると、緊張をはらんだジーグとアルテミシアの会話はピタリと聞こえなくなる。
「ふくちょ、だった……?」
 戸惑うヴァイノの独り言は、集う全員の気持ちを代弁したものだった。
「ふくちょって、帝国でなんだったんだろ。エラソーだったよな」
 

ジーグの(へりくだ)りようが尋常なものではないことは、さすがにわかった。
「ヴァイノ」
 リズワンが静かに首を横に振る。
「よけいな詮索(せんさく)はするな。必要があれば向こうから話す。好奇心に殺されるぞ」
「でもさ」
 ヴァイノが言い募ろうとした、そのとき。
「遅れてすまない」
 いつもと変わらぬ様子でジーグが扉を開け、続いてアルテミシアが姿を現す。
「早速だが」
 机上に地図を広げるジーグを前に、納得できないという顔をしながらも、ヴァイノは口を閉じた。

間諜(かんちょう)から情報が入った。スバクル統領レゲシュ家領地に、かなりの数の兵が集められている。だが、そのほかの領主家には動き無し」
「そう」
 クローヴァがジーグの隣に立ち、幾種類もの印がつけられた地図を確認する。
「好戦派、スバクル統領(とうりょう)の勇み足で留まるかな。隣国の亀裂は、意外に深いかもしれないね。ふぅん、なるほど。いよいよ、か」
 紺碧(こんぺき)の瞳が大柄な剣士を見上げた。
「はい。また別件ですが、陛下よりご伝言が。モンターナ公が重臣の職を辞した、とのことです。田舎に戻り、隠居生活をする予定だとか」
「それは……、意外だな。もっと粘るかと思ったけれど」
「どうせ田舎に帰るんですから。早いほうがいいでしょう」
 アルテミシアは人の悪い顔で笑う。
「リズィエのお説教が効いたのかな。貴女(あなた)のディアムド語は、何だか説得力があるからね。モンターナもディアムド語で、

をしていたし」
 まじまじとアルテミシアを見つめるクローヴァの隣で、ジーグがため息をついた。
「急がせすぎた感は否めませんが。もう少し、時間をかけてもよかったのでは?」
「時間をかけたって同じだ。なんなら、あの肉布団にも説教してやろうか」
「肉布団。……ツァービンのこと?」
「リズィエ!」 
 ジーグの叱責(しっせき)に、アルテミシアがぺろっと舌を出す。
 それは、いつものふたりでしかなく、先ほど聞いた会話が嘘のようだった。
「ツァービンは大丈夫だよ」
 クローヴァは笑いを(こら)えながら、アルテミシアにうなずいてみせる。
「七重臣のうち、三人以上が職務を(まっと)うできなくなった場合、任期の満了を待たずに選定会議が開かれる。新たな七重臣が決められるんだ。セディギアがいない今、ツァービンは再任されないだろう。こちらから退任を迫るような真似はしなくていい」
「小粒にだって、べつに退任を迫ったわけではありませんよ。ちょっとお説教しただけです。自覚のあるうちに、さっさと」
「でも、あの……」
「そうだレヴィア。戦場には出さないが、スィーニを現地に控えさせることにした」
 口を開きかけたレヴィアをさえぎり、アルテミシアは地図の一点を軽く指で叩いた。
「え!スィーニを、連れて行っていいの?」
「ジーグ、説明よろしく」
 アルテミシアと目を合わせ、うなずいたジーグは同席者たちを手招き寄せる。
「この地図を見てくれ」
 
 漏れ聞こえた苛烈な会話は、幻聴だったのではないか。
 作戦室にいる誰もがそう思うほど、普段と変わることのないふたりだった。
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