クローヴァの秘密

エピソード文字数 3,162文字

 トーラ陣営をたたみ、新しい街へ活動拠点を移して間もなく。
 クローヴァはジーグを再び自室へ招いた。
 椅子(いす)を勧めながら、第一王子は大いに惑い悩む表情をしている。(いくさ)の陣頭指揮を取っていた際には、決して見せなかった顔だ。
 本音で向き合おう。
 そんな気持ちが伝わってくる。
「フリーダ卿。あの、その」
 言葉を探しておろおろする様子は、弟であるレヴィアの影が見え隠れするようだ。
「ゆっくりで構いません」
 深いジーグの声がクローヴァを励ます。
 紺碧(こんぺき)の瞳を上げると、小さな笑みが自分に向けられていた。
「殿下がお気持ちを整え、お考えをまとめるその間に、私は謝罪いたしましょう」
 稀代の剣士が頭を下げる。
 クローヴァの目が丸くなった。
主筋(あるじすじ)たる王子に隔てを置き接していたこと、誠に申し訳ございませんでした」
「いや、フリーダ卿は悪くない。僕が子どもだった。何でもわかっていると、正しい判断ができると(おご)っていた」
 丸い目のまま、クローヴァは慌ててジーグの頭を上げさせた。
「本音を隠したまま相手を見透かそうとするなんて…。それに、どこかで自分は王族なのだから、自由になりさえすれば、皆、従うだろうと甘く考えていた。僕は自分で落胆するほど底が浅い。欠けてしまっている」
「殿下に欠けているところは、もうありません」
 愛弟子がビゲレイド公に言ったものと同じ言葉を、ジーグはクローヴァに贈る。
「それを自覚されたとき、欠けた部分はほぼ埋まっております」
 クローヴァがほっとした顔で微笑む。
「ありがとう。でも、一人でできることは多くない。学べる世界は広くない。ぜひ、貴方(あなた)の弟子にしていただきたい。レヴィアと同じ栄誉を、僕にも授けてもらえないだろうか」
 ジーグが肩を揺らして笑った。
「弟子ばかり増やすと苦労するぞと、私の姉弟子は言うのですが。彼女もすでに二人の弟子を持つ身。私がもう一人弟子を増やしたところで、四の五の言いますまい」
貴方(あなた)は、ずいぶんリズワンを尊重するんだね」
 素直なクローヴァの疑問だった。確かにリズワンは傑出した人物だ。しかし、ジーグがそれに劣るとは思えない。
「それはもう、かなり鍛えられましたから…」
 琥珀(こはく)の瞳が苦くしかめられ、遠くを見つめた。
「私が国を失い、帝国の食客(しょっかく)となってからも近く遠く、何かと心配(こころくば)りをしてくれました。…彼女の配慮はかなり荒っぽくて、相当な痛みをともなうものでもありましたが…」
 誠実というのは、こういうことだろう。受け入れるといったん決めたのならば、相手が胸襟(きょうきん)を開く前に自分の腹を割る。
「フリーダ卿」
 姿勢を正したクローヴァに、ジーグが厳しい目を向けた。
「フリーダ卿とは何です。貴方(あなた)は今から私の弟子でしょう。師匠と呼びなさい」
 ジーグはマハディの言葉を真似てみせ、それを聞いたクローヴァは吹き出して笑う。
「ジーグ師匠」
「はい」
 紺碧(こんぺき)琥珀(こはく)の瞳が穏やかに交わった。
「僕はね、貴方(あなた)に、いや、誰にも話していない、話すつもりのなかったことがあるんだ。それほど重い話ではない。それでもずっと胸に(くすぶ)って、消し去ることができずにいる」
 クローヴァの瞳がゆっくりと下がっていく。
「僕にとってレヴィアは、ただの弟ではないんだ」
 クローヴァの唇に、寂し気な笑みが浮かんだ。
「僕の初恋の人の、大切な子ども。父と僕が守れずに、トーラが無残に殺してしまった、(うるわ)しい人の」
 クローヴァの体全体から、憤りと悔いがにじみ出ている。
「役にも立たず、暗い部屋に閉じ込められている間に、僕はあの女性(ひと)年齢(とし)に追いついてしまった。もうあの可憐な顏が、悲しみにくれるのを見たくない。何もできず、涙さえ(ぬぐ)えずにいるなんて、そんな情けないことは」
 クローヴァの告白を聞きながら、ジーグの口元が柔らかくなっていく。
 クローヴァがリーラと親しく過ごしたのは、彼が十になるかならないかのころだろう。その時リーラは、二十(はたち)前だったと聞いている。
 軟禁されている間中、リーラを孤独に冥府へ送ってしまった悔しさを抱え続けていたのだろうか。そのために、彼女に瓜二つだという弟をかばう気持ちが強いのかもしれない。
(もてあそ)んでいるのかと、腹立たしく思ったこともあったくらいだよ―
 雨の夜、天幕の外で自分を待ち受けていたクローヴァが漏らした本音。
 アルテミシアの能力を認めながら、人柄は信用しながら、同時に大切な弟を悲しませる忌々しい存在でもあった。
 だがあの騒乱の只中で、赤竜騎士たちと出会った。想像もできなかった、尋常ならざる帝国の姿を肌で感じた。
 そこには、アルテミシアを縛る茨の影があった。
「リズィエがああなのは」
 兄王子の悔恨(かいこん)を受け止めたジーグは、静かなため息とともに話し出した。
 クローヴァが瞳を上げる。
「二つ理由があります。ひとつは、死を(いと)わず戦うことを定められた、サラマリス家の一員だから。そしてもうひとつは」
 心底腹立たしそうなジーグの表情に、クローヴァの目が見張られた。それは従者というよりも…。
「“あの男”が他人の情、特に好意に触れさせないように、周りを牽制(けんせい)して回っていたからです。もちろん、リズィエにはそう覚らせないように」
「あの男?サラマリス公のことかな」
 あの気持ちの悪いほど美しく、表情の動かない赤竜騎士をクローヴァは思い出す。
 必要なときには、背筋が凍えるほどの完璧な笑顔も作るが、普段は彫像だと言われても信じてしまいそうな美麗の男。
 だがアルテミシアの前だけでは血の通った、不快や嫉妬などの感情を露わにする人物。
 ジーグの眉間(みけん)に、苦々しいしわが刻まれている。
「あの二人がそうなってしまったのには事情があり、それはやむを得ないところもあります。ですがとにかく、あの男はやり方が徹底している。そのためリズィエは無邪気さを年相応に脱し、成長する機会を逃してしまったところがあるのです」
「その事情を、もしよければ聞かせてもらえるだろうか」
「聞けばリズィエに対する、“同族嫌悪”を解消してしていただけますか?」
 からかうような琥珀(こはく)の瞳に笑い返しながら、クローヴァはうなずいた。
「それはとっくに反省している。愚かなことを言った。許して欲しい。あの苛烈で天衣無縫なリズィエを、きちんと理解したいんだ。トーラの未来をともに担う、頼もしい盟友だ」
 ジーグの笑顔が真実の輝きを帯びる。
「フリーダ卿がそこまで言うからには、それなりの事情があるんだね。レヴィアには言わないでおこうか。あの子は優しいから…。いや、同情すべき事情を知ったとしても、あの子はアルテミシアを譲らないだろうね。でも、これ以上二の足を踏む材料が増えてもいけないから、やっぱり言わないでおくよ」
 聡く情の深い兄を前に、ジーグは軽い笑い声を漏らした。
「では、私の部屋に場所を移しましょう。ボジェイク老から頂戴した珍しい酒があります。もどかしい者を見守る同志として、一杯やりながら話をしましょう」
 この聡明な剣士に誘われるとは。
 名誉にさえ思いながら、クローヴァは立ち上がった。
 
 そして聞きしに勝るサラマリスの重い定めと、その中で互いを守ろうとして(ゆが)んでしまった従兄妹同士の関係を知り、次にアルテミシアの笑顔を見たら泣いてしまうかもしれないなと、クローヴァの胸は痛んだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み