第179話 薄れゆく記憶

文字数 533文字

 注意深く歩きながら懐から守護石を取り出す。
 伊織の手のひらでぽうっと光る石は行く先を照らし、正当な持ち主である桜花を探す道標となってくれるはずだ。
 あたりの空気は湿り、よどんでいる。死の匂いの充満する暗黒の中を、どのくらい歩いただろうか。
 守護石の光の先、ゆらゆらと頼りなげに歩く姿を伊織は見つけた。白い夜着をまとった華奢な後姿はまぎれもなく桜花だ。
 はやる心で走り寄り、名を呼ぶ。
「桜花!」
 だが桜花は振り返りもせず、歩みを止めない。やっと追いついて手をつかむと、ようやく顔をこちらに向け、不思議そうにたずねてくる。
「あなたは……誰?」
 伊織は愕然として虚ろな表情の桜花を凝視した。
「何を言っている? 俺だ! 伊織だ」
 両肩をつかんで叫ぶが、桜花は反応を示さない。
「俺が、わからないのか……?」
 その時になって初めて、伊織は桜花の輪郭がひどく(はかな)いことに気づいた。
 現世と黄泉の狭間にいる桜花は生の記憶が薄れ、伊織の顔さえ覚えていないのだ。 
「行かなくては……」
 誰にともなくつぶやいて桜花はするりと伊織の腕を抜け、進もうとする。




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登場人物紹介

天宮桜花(あまみやおうか)


始祖が天女と言われる家系に生まれた巫女。

破魔の力を受け継ぐ可憐な少女。

大切な人たちを守るため、鬼と対峙していく。

桐生伊織(きりゅういおり)


始祖が龍であったと言われる家系に生まれる。桜花とは幼馴染。

桜花を想っているが、異母兄への遠慮もあり、口にできない。

九条隼人(くじょうはやと)


草薙の若き聡明な領主。趣味は学問と錬金術。

心優しい少年で藤音を案じているが、どう接してよいかわからず、気持ちを伝えられないでいる。

藤音(ふじね)


和睦の証として人質同然に嫁いできた姫。

隼人の誠実さに惹かれながらも、戦死した弟が忘れられず、心を閉ざしている。

鬼伝承が残る海辺の村で、いつしか魔に魅入られていく……。

浅葱(あさぎ)

愛しい姫を奪われた鬼。世を呪い、九条家に復讐を誓う。

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